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51.あたしの存在に気づいてる?

 今朝ほど、佐藤夏波が柴崎泰広と交わした最低最悪のあの約束。

 あれのせいで、せっかく柴崎泰広と交わしていた交代の約束がフイになってしまった。それだけでも十分ショックだというのに、さらに運の悪いことに、昨日はあんなに元気そうだった西ちゃんが、今日はどうやら欠席らしいことが判明した。西ちゃんが柴崎泰広にびっちり張り付いていてくれれば佐藤夏波もそうそう無謀な命令はするまいと期待していただけに、あたしのテンションは一気にマイナスレベルにまでダダ下がった。

 ガックリ肩を落とし、憔悴しきって筆箱にもたれているあたしの顔を、柴崎泰広が眉根を寄せて覗き込んでくる。


「西崎さんが欠席したくらいのことで、なにもそこまで落胆しなくてもいいじゃないですか。うるさく付きまとわれないですむんだし」


【何言ってんの。うるさく付きまとってくれるからこそ佐藤夏波の攻撃密度をある程度減らせると踏んでたのに、こんなノーガード状態であいつの攻撃をフルで防御しなきゃならないとか、落胆もしたくなるっての。ていうか、あんたもなんで勝手にあんな約束しちゃったんだか……】


 柴崎泰広は苦笑まじりのため息をつくと、恨みがましくブツブツ言っているあたしを、ふいにあのキレイな指先で包み込んだ。

 思いがけないその行動にドキッとして、思わず思考が停止してしまった。

 柴崎泰広はそんなあたしの反応に構うこともなく、いかにも携帯を見ている感じであたしを口のそばまでもっていく。

 斜め前の席には佐藤夏波が座っている。不審に思われないよう、小さい声でも聞こえる位置にあたしを持ってきたかっただけってことはわかってる。わかってるんだけど、まともな外見になったせいなのかなんなのか、行動ひとつひとつに必要以上に反応してしまう。いかん。

 柴崎泰広はあたしの動揺にかまわず、携帯を眺めるふりをしながら小声でささやきかけた。


「佐藤さんは大丈夫ですよ。あの人、たぶん彩南さんが思ってるほど悪い人じゃない」


【はあ?】


 なんだかカチンときて、思わずトゲトゲした送信を矢継ぎ早に叩きつけてしまった。


【なにそれ何の根拠があってそんなこと言ってるわけ? あーあー、これだからたいして女とつき合ったことのない男はダメなんだよね。カワイイとみんな一律に品行方正で善良に見えちゃうとかマジで草。あのね柴崎泰広、キレイな女はちやほやされんのがデフォだから、自信過剰で高圧的で自己中な率は不細工よりはるかに高いんだよ? もっと警戒すべきだよ。西ちゃんも言ってたじゃん、あいつ二面性があってキツイって】


「それはまあ、そうかもしれないですけど……」


 柴崎泰広は言いよどむように語尾を飲み込んだが、何を思いついたのかふいに目を見開いた。


「そういえば、彩南さんってどんな女の子だったんですか?」


【え?】


 予想外の質問に、またもや思考が停止してしまった。


「佐藤さんとつるむようなタイプじゃないってのはなんとなくわかるんですけど、具体的なイメージがわかなくて。どんな感じの子だったんですか?」


【いや、どんな感じって言われても……】


「例えばでいいんです。見た感じだけでも」


【なこと言われても……てか、あんた、三途の川である程度は見てるよね?】


「いや、あの時の記憶って、彩南さんも知ってるとおり夢の中の出来事と同じで、顔の造作なんて全然わかんないんですよ。あ、このクラスにいる子を例にとってもいいですよ。たとえば、どの子に近いですか?」


 昔のあたし?

 何だか知らないけどやたらにドキドキしてきた。ような気がする。実際は全然してないんだけど、肉体があった時の記憶がそんな感覚を呼び起こす。


【髪は……廊下側の列に座ってる、あの一番前の席の子が近いかな。あれよりもうちょっとだけ長い感じ】


 柴崎泰広は言われた方に身を乗り出して目を凝らした。


「へえ……長かったんですね」


【うん。痩せてもいないけど、太ってるわけでもなかった。中肉中背で……背は百六十はあったからまあそこそこかな。顔は……】


 色はどちらかというと白くて、鼻は小さめだけどそれなりに通ってて、はっきりした二重の目と自然にカールした長い睫毛が、結構自慢で。

 クールビューティーな佐藤夏波とはタイプ的に全然違うけど、あたしだって見てくれ的にはそんなに悪い方じゃなかったと思う。それは自覚していたし、その点で他の子より多少は得をしていたのも知っている。


 でも。

 いかんせん、あたしは汚れすぎてたから。


「顔は? どんな感じだったんですか?」


 黙り込んだあたしにしびれを切らして、柴崎泰広がそう問いかけてきた時だった。


「何ブツブツ言ってんの?」


 唐突に響いてきたその言葉に、柴崎泰広は息をのんで全身を硬直させた。

 あたしの位置からは全く見えないけど、状況から察するに、斜め前の席に座る佐藤夏波が振り向いて、柴崎泰広に不信感満載のまなざしを投げかけているらしい。


「え、あ、いや、……べ、別に何でも」


「一人でブツブツすんごいうるさいんだけど。もしかして、別人格と対話してた?」


「いいいいいいいいいやそんなことないです」


 あたしを握る両手がじっとり汗ばんでくるのが分かる。

 全く、うろたえすぎだってバカ。


「てかさ、あんたなんでいつもケータイといっしょにマスコット握りしめてんの? キモいんだけど」


「え?」


 柴崎泰広はあたしをはっとしたような顔で見ると、よほど焦ったのだろう、ケータイごと机の中に放り込んだ。あたしは鉄の壁とぎっしり詰まった教科書類に挟まれて変形しながら、不自然な姿勢で暗い机の中にねじ込まれてしまった。

 いたたた……って、痛くはないけど気分的にモノ扱いされたのが悲しい。


「べべべ別になんでもないです普通にケータイ見てただけで」


「ウソ。いつもケータイにつけてるクマに何か話しかけてるくせに」


 しかしよく見てんな。


「見せて」


「え?」


「見せてあのクマ」


「いいいいいやあれはその……古いし汚いし」


「古くても汚くてもいいからとにかく見せて」


「で、でもあれはその、自分にとっては、特別な……」


「言うこと聞く約束じゃなかったっけ?」


 冷然と言い放たれたその言葉に、柴崎泰広は返す言葉を失った。

 気まずい沈黙が、暗く冷たい机の中にまでジットリと満ちる。


【いいよ柴崎泰広、渡してやんな】


「え……」


 柴崎泰広は戸惑ったように体を引き、机の中のあたしを見やった。


【見たいんなら見せてやればいいよ。あんたがあんな約束しちゃったのが悪いんだけど、いまさらそんなこと言っても始まんないし。あたしは構わないよ。徹底的に動かないで、完璧な編みぐるみを演じきってやるからさ】


「ご、……ゴメン彩南さん」


 小声で謝ると、柴崎泰広は机の中からそっとあたしを取り出した。

 おずおずと差し出されたあたしを、佐藤夏波は長い睫毛を瞬かせながらマジマジ眺めて、ポツリと呟く。


「ホントだ、古」


 うるさいな。

 やけに優雅なしぐさであたしを受け取ると、白く細い指先であたしを握る。

 力のいれ具合がびっくりするほど優しくて、いやに女を感じてしまう。


「へえ、間抜けなツラがけっこうカワイイかも……ねえ、これって編みぐるみだよね。お手製? 誰が編んだの?」


 いじくられるあたしを見つめていた柴崎泰広は、小さい声でポツリと答えた。


「……母親」


「あんたのママ?」


 へええ。そうだったんだ。それは初耳。

 てか、柴崎泰広のヤツ、そんなことくらいあたしにも教えてくれればよかったのに。


「でもコレ、ずいぶん古いよね」


「僕が保育園とかそのくらいの時に作ってくれたヤツなんで」


「ふーん、……その頃のママの思い出を大事に胸に抱いて生きてるわけだ」


――は?


 視界の端に、表情をこわばらせ、黙って目を伏せる柴崎泰広の顔がうつりこむ。

 腹の底から怒りがわきあがってきて、楕円の腕が微かに震えた。


 こいつの母親はつい最近、男作ってコイツを捨てて出ていったんだよ?

 そのせいでこいつは、自殺するくらい精神的に追い詰められたんだよ?

 いくら知らないからって、なんて無神経な発言するんだよこのバカは!


 右腕を振り上げそうになりながら必死で押しとどめているとはつゆ知らず、佐藤夏波はあたしを目の前にかざし、まつ毛の長い大きな瞳でじっと見つめた。


「ちょうだい」


「……え?」


「これあたしにちょうだい」


 はああ!? いきなり何言ってんのこの女!?

 あっけにとられて動きを止めていた柴崎泰広の顔からも、音を立てて血の気が引いた。


「ななな何言ってんですかダメに決まってますよ!」


「えー、だってよくよく見たら思いのほかカワイイし、あたしのケータイにもつけてみたい」


「他のものはともかく、これだけは絶対にダメです。いくら佐藤さんの頼みでも……」


「言うこと聞く約束」


 柴崎泰広は言葉に詰まると、唇を真一文字に引き結んだ。

 あああだからあんな約束をするもんじゃないって言ったんだよ。


「……でも、それは今日一日限りの約束ですよね。てことは、今日いくら約束をしたところで、明日には無効になるはずです」


 お、よく言った!

 佐藤夏波は不服そうに形のよい眉を寄せて、鼻でため息をついた。


「……ま、それはそうだね。じゃあ今日一日だけ、あたしのケータイにつけさせて。それならいいよね?」


 自分の要求が通ることを信じて疑わない、自信に満ちた強いまなざし。

 その視線から逃れるように、柴崎泰広はチラリとあたしを見た。

 しょうがないなあもう。


【大丈夫だよ、渡してやんな】


 明るく送信してやると、柴崎泰広は観念したように頷いた。


「……わかりました」


「やった。じゃ、あんたのケータイから外すね」


 佐藤夏波は小さく鼻歌なんぞ歌いながら、あたしのストラップをそのキレイな指先で携帯から外し始める。


――あーあ、全く……最悪。


 心の中でため息をつきつつ、佐藤夏波の長い睫毛をぼんやり眺めていたら、あたしの視線に気づいたかのように、ふいに伏せられていた睫毛が上がった。

 黒い瞳が、まっすぐにあたしを射すくめる。

 心臓もないのに、思わずドキッとしてしまった。

 佐藤夏波から見たら、今のあたしは単なる編みぐるみ。完全に力も抜いているし、送信は柴崎泰広の脳に向けてしか発信していないから、気づいている訳もない。

 なのになぜだか、そのまなざしが意味ありげに感じられて仕方ない。

 黙ってあたしを見つめていた佐藤夏波の口角が、その時、いかにも楽し気にキュッと引き上げられた。

 同時に、柔らかそうな唇の隙間から漏れ聞こえてくる、意味深な言葉。


「今日一日、ここで大人しく見ててね」


 ……は? なにその発言?

 ちょっと待って。

 もしかして、こいつ……あたしの存在に気づいてる?


 背中の網目を、悪寒に似た感覚が一気に駆け上がる。

 佐藤夏波は柴崎泰広にケータイを返すと、それ以上は何も言わず、自分のケータイにあたしをくくりつけ始めた。

 そのきれいな指先をぼうぜんと眺めながら、あたしの頭は、今日これから起こりうる最悪の事態を猛然とシミュレーションし始めていた。

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