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49.あたしは、コイツの命を食べている

 柴崎泰広がコーヒーの載った盆を片手に倉庫の重い扉を開けると、ラックやトルソー、山と積まれた段ボールの隙間に無理やりはめ込むように置かれているソファの真ん中に座っていた西ちゃんは、くるりと首を巡らせた。

 

「なー、ここって倉庫な訳でしょ? なんでこんな高そうな椅子が置いてあんの?」


「その椅子、もとは店に置かれてたんだけど、子どもスペースを作ったらおけなくなっちゃったんで」


「ふーん、子どもスペースってさっきのあれか。おもしろい店だな、売ってるのって大人の服ばっかなんだろ」


「いや、笹本さんもこの間、子ども服の仕入れのことをチラッと話してたから、何か考えてるかもしれない」


「ま、そりゃそうだよな。あんだけ子どもがくりゃ」


 西ちゃんはそう言うと、目の前に置かれたカップを手に取り、コーヒーに口をつけた。

 柴崎泰広は盆を抱えた姿勢で、しばらくは黙ってその傍らに立ち尽くしていたが、やがて遠慮がちに口を開いた。


「あの……西崎さん、今日はありがとうございました」


 そう言って頭を下げる柴崎泰広を、西ちゃんはコーヒーカップを片手に不思議そうに見やってから、くすっと笑った。


「別に礼を言われる筋合いはねえよ。アヤカに助けてもらったお返しのつもりだし、俺、小さい子好きだし」


 意外そうに目を見開いた柴崎泰広に、イタズラっぽく笑いかける。


「似合わねえとか思った?」


「え、……あ、いや、その」


 図星だったらしく焦りまくる柴崎泰広を横目に、西ちゃんは遠くを見るような目つきをした。


「俺ねえ、あのくらいの小さいヤツら大好きなの。パワフルで見ていて飽きないし、カワイイし。小学生の時の将来の夢は保育士さんだったな。それかケーキ屋さん。ま、ケーキ屋は現在進行形の夢なんだけどさ」


「現在進行形?」


「そ。俺、子どもが大喜びするケーキ屋さん目指して、現在着々と水面下で計画を進行中なの」


「水面下って……」


「表面的には俺、大学受験することになってっから」


 ますます困惑したように眉根を寄せる柴崎泰広に、西ちゃんは笑いかけた。


「俺って長男だからさ、オヤジは自分のあとを継がせたいみたいなんだ。検事とか、じゃなくても裁判官とか。とにかく法科大学院のある大学に行かせたいらしくって」


 手にしていたコーヒーカップを置き、揺れてきらめく褐色の表面に目線を落とす。


「俺、かなり真剣にパティシエの修行してえと思ってんだけど……オヤジは頭が硬くてさ。一回その話したらマジギレして、それ以来俺が台所に立つとスゲえけんまくで怒りやがんの。だから弁当作んのもオヤジがいない朝じゃないとできねえし、お気に入りのピンクの弁当箱も、そういう時しか使えねえし」


 そういえば普段の西ちゃんの弁当箱は、ごくごく普通の白い弁当箱だった気がする。ピンクの弁当箱はあれ以来見ていない。


「しょうがないから今んとこ、俺は大学を受験するんで表面的には通してる。だからこうして休みの日も真面目に模試なんか受けたりする訳。で、あんなヤツに会っちゃったりなんかする訳」


 マジめんどくせえよな。西ちゃんはため息とともに吐き捨てた。


「ま、今はそーやって言うこときいてるふりして、卒業と同時に家出るつもりだからいいんだけど」


 ……え、マジで?

 あたし同様目を円くして固まっている柴崎泰広に、西ちゃんはイタズラっぽく笑いかけた。


「俺さ、今、自由が原にあるケーキ屋に通い詰めてんだ。いろいろ話聞いたり、手伝わせてもらったりして、だいぶオーナーともうち解けてきてる。この間進路のことで悩んでるって話したら、ウチに住み込みで働いてみるかって言われたんだ。オーナーは冗談半分みたいだったけど、俺はマジでその話進めたいと思ってる。そのために今ちょこちょこバイトして貯金ためたり、夜間の製菓学校を調べてみたりして、やっていけそうか考えてるとこなんだ」


 柴崎泰広は言葉もなく西ちゃんの明るい笑顔を見つめていたが、やがてどこか遠慮がちに口を開いた。


「……なんとかなりそうですか」


「うん、生きてはいけそう。まあ住居費その他支払わなきゃならないんでカツカツだけどね」


 何気ない調子でそう言うと、西ちゃんはふいに首を巡らせて柴崎泰広を見上げた。


「羨ましいよなおまえ。親なし住居つき生活できて」


「え……」


「俺なんかからしてみればさ、おまえって超羨ましい環境にあるんだぜ。人の進路を勝手に規定するうるさい親がいない上に、家賃のかからねえ住居がある訳だろ。自分の進みたい道に好きなように進めんじゃん、やろうと思えばさ。もちろん今自活しなきゃならない状態にあるってのはキツイと思うし、隣の芝生は青い的な部分もあるんだろうけどさ」


 黙り込んでいる柴崎泰広に、西ちゃんは黒い瞳を真っすぐに向け、どこか真剣な口調で問いかける。


「おまえって、やりたいこととか本当にねえの?」


 一言も返せず口ごもる柴崎泰広に一転、にっと屈託なく笑いかける。


「おまえ持ってる能力相当高いし、もったいねえと思うんだけどな、俺的にはさ」 


 柴崎泰広は盆を抱えて立ち尽くしたまま、言葉もなく西ちゃんの明るい笑顔を見つめていた。



☆☆☆



 結局、西ちゃんはその後夕方近くまで店にいて、ちょこちょこ子どもスペースの様子を見ては、利用する子どもたちが安心して遊べるように適切な配慮をしてくれた。

 おかげで柴崎泰広は閉店までにタイルマットの下準備をほぼ終わらせることができ、閉店後の作業はモノを移動して床を磨き、マットを敷き詰めるだけで済んだ。

 さすが図工は得意だと言っていただけのことはあり、柴崎泰広の下準備は完璧だった。一時間たらずで敷き込みの作業を終えて笹本さんの手作り夕食に舌鼓を打ち、もうあとは帰って寝るだけだ。

 あたしは結局、午前中三時間交代しただけで、あとはずっとクマるんの中だった。これだけ長い時間クマるんになっていたのはもしかしたら初めてかもしれない。楽は楽だったけれど、なぜだか中途半端ですっきりしない気分。

 どうしてだろう?

 夜十時を過ぎているというのにいまだに人通りが絶えない通りを駅へ向かいながら、その理由についてあれこれ思いを巡らせていると、黙って歩いていた柴崎泰広が、ふいに口を開いた。


「今日はすみませんでした」


【え?】


 いきなり謝られた。

 ケツポケで揺れながら見上げた柴崎泰広は、どこか遠くを見るような目つきで前方を見ていた。


【何のこと?】


「いや……西崎さん対応してもいいって言っておきながら、今回も結局、無理やり交代しちゃったから」


 柴崎泰広は小さい声でそう言うと、ケツポケのあたしに目線を流して苦笑した。


「どうもダメなんですよね、ああいうことをされちゃうと。体が勝手に動いちゃって」


【……いいよ別に。最初っから二時には交代してマット関係やってもらうつもりだったし、それに】


「それに?」


【今日、事なきを得たのはあんたのおかげでもあるわけだし。確かに無策で飛び出していったら、あたしまであいつらの餌食になって終わりだったと思う。あんたが一呼吸おいてくれたおかげで、西ちゃんもあたしも助かったから】


「そんなこと……」


 口ごもると、柴崎泰広は視線を前方に向けた。


【それにしてもあんた、ずいぶん大丈夫になったね】


「え?」


【密閉空間で、男と二人きりの状況にさらされてもさ】


 今日の午後、倉庫という密閉空間で、柴崎泰広はずいぶん長い間西ちゃんと二人きりだった。

 実は内心どうなることかとハラハラしながら様子をみていたのだけれど、結局柴崎泰広は十五分近く西ちゃんと普通に会話をして、普通に仕事に戻っていった。


「……そういえばそうですね。全然気づかなかった」


 ぼうぜんとした調子で呟くと、考え込むように口を閉ざす。

 その後、駅に着くまで、柴崎泰広は一言も口をきかなかった。

 駅に着き、カードをかざして改札を抜け、夜だというのに人の多いホームに出る。

 柴崎泰広は人の少ない先頭車両付近まで歩いていった。


「……西崎さんて、案外真面目な人なんですね。進路のこと、あんなにいろいろ考えているなんて思わなかった」


 人通りが途切れた辺りで、柴崎泰広がふいに口を開いた。


【ああ、確かにね。あたしも驚いた】


 先頭位置を示す表示が見えた辺りで足を止めると、風に吹き散らされた前髪をかき上げながら苦笑する。


「羨ましいとか言われたし」


【……ま、現実を知らないからそんなことが言えるんだよね。実際親なしで生活してみろって感じだけど……でもまあ、西ちゃんが本当に自活する気だとしたら、確かに卒業後はウチらの方が楽かもね。住居費かからないし、親との軋轢もないし】


 柴崎泰広は黙っていた。

 黙ったまま、暗く沈んだ線路の上を見つめている。


「……僕は今まで、自分に将来があるなんて考えたこともなかった」


 見るともなく線路を眺めながら、柴崎泰広はポツリと口を開いた。


「今を生きるのに精いっぱいで、生きることが苦痛で仕方がなくて、ただ早く自分の命が終わってほしくて、……だから未来なんてモノは存在自体が頭になかったし、考えちゃいけないものだと思っていた」


 ケツポケに手を突っ込んであたしのぶら下がる携帯を手に取ると、自分の目の前にあたしをかざし、温かな手のひらでそっとささげ持つように包み込む。


「ねえ、彩南さん」


【え?】


「僕に未来なんてあるんですか」


 真剣なまなざしを瞬ぎもせずあたしに注ぎながら、一言一言噛みしめるように言葉を継ぐ。


「僕は自分の未来を考えるべきなんですか。考えてもいいんですか」


 そのあまりにも真剣な表情に気圧されて、思考がうまく組み立てられなくなった。


【……そりゃ、多少は考えるべきだよね。だって、あんたの命の砂がいつまでもつかは誰にも分からないんだから。もし八十年分あると仮定すれば、最低でもあと三十年程度は生きなきゃならない訳だし】


 取りあえず、いつも言っていたことを改めて言葉にしてみて。

 ……何だか知らないけど、愕然とした。


 そうだ。

 コイツの人生は、最長でもあと三十年前後しかないんだ。


 確かに、そのくらいで命が尽きる人も世の中にはたくさんいる。

 生まれた瞬間に死んでしまう命だってある。ありふれたことと言われれば確かにそのとおりだし、何より柴崎泰広自身がそれを望んでそうなったのだから、あたしが何を思う必要もないのかもしれない。

 でも、実際問題。


――あたしは、コイツの命を食べている。


「そうですね」


 柴崎泰広は唇の先で呟いたきり、黙り込んだ。

 あたしの体を包んでいた手の力が緩み、毛糸の体が指の間からこぼれ落ちる。

 頭頂部の一点を引っ張られながら中空に頼りなくぶら下がったあたしは、ゆっくりと回転しながら、ぼうぜんと目の前の暗い線路を眺めていた。

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