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48.……にしてもマジでヤバい

 開け放っておいたはずの扉が、なぜかしっかり閉じられていた。

 柴崎泰広は店の前に立ち、肩で息をしながら腕時計に目線を走らせる。


【何分?】


「二時七分……」


 七分の遅刻か。

 でもまあタイルカーペットを仕入れていて遅くなったと言えば通る話だろう。

 走るのを諦めた西ちゃんが、重いビニールをサンタクロースのように担いで角を曲がってくるのが見えた。


【入ろう、柴崎泰広】


「え……ええ」


 緊張した面持ちでドアノブに手をかけ、扉を開けた、瞬間。


「ぎゃああああああああああああっ」


 耳をつんざく泣き声が轟き渡り、あたしは慌てて聴覚を閉ざした。

 柴崎泰広も顔を引きつらせて一歩後じさりかけたが、外部に音が漏れてはまずいと思ったのだろう。意を決して中に入ると、急いで扉を後ろ手に閉めた。


「柴崎泰広、何だねずいぶん遅かったじゃないか!」


 笹本さんの上ずった声が泣き声の間から途切れ途切れに響いてくる。


「す、すみません。タイルカーペットを買っていたら遅くなってしまって……」


「まあ多分そんなことだろうとは思ったけどさ、とにかくすぐに仕事に入っておくれ。コレじゃあ接客どころの騒ぎじゃないよ」


「すみませーん、このワンピース、違う柄ってあるんですかぁ?」


 呼気荒くささやいていた笹本さんは、その声にパッと笑顔の仮面をかぶって振り返った。

 店の奥では若いママ友三人連れがワンピース片手に満面の笑顔だ。


「はいはい色違いがございます。今倉庫の方からお持ちしますので」


 愛想良く応えてから、再び声を潜めてささやきかける。


「あんたは子どもスペースで、しっかりあいつらのおもりをするんだよ、いいね」


「あ……はあ」


 柴崎泰広が曖昧に頷くと、笹本さんはさっさと踵を返して店の奥に行ってしまった。

 その場に立ち尽くし、不安そうな目線を送ってくる柴崎泰広に、あえて明るく送信してみせる。


【仕方がないからタイルの下準備は後回しで、今はあの子たちの相手をしよう。もちろんさっき交代したばっかだからあんたがやるんだけどさ】


 ……にしてもマジでヤバい。  

 狭い子どもスペースに五才前後のお子様が三人。人数的には多すぎるわけでもないのだけれど、二つしかない椅子を巡って熾烈しれつな覇権争いが生じたらしい。床中にばらまかれた積み木や絵本の真ん中で、ふんぞり返って椅子に座って絵本を読む大柄な男の子と女の子。その隣では、覇権争いに敗れた気弱そうな男の子が助けを呼ぼうと大声で泣き喚いている。だが、唯一の助けであるママはあえて無視しているのか、一向にこちらに来る気配がない。

 こんな阿鼻叫喚になってると分かっていれば、もう少し早く帰ってきたのに……って、無理か。

 立ち尽くす柴崎泰広をチラリと見上げる。

 緊張に頬を引きつらせ、瞬ぎもせず泣きわめく男の子を見つめている。次の自分の行動を決めかねているようだ。

 まあ、それも仕方ないかなあと思う。

 一人っ子の柴崎泰広は小さな子どもと接した経験がないので、扱い方が分からないのだ。

 あたしは一応義理とはいえ妹がいたし、バイトで小さい子の世話は経験済みだったからそれなりの対応はできる。なので、スペースの実質的な管理を今まではあたしが行ってきた。

 とはいえ、つい先ほど交代してわずか十分ほどしかたっていない以上、苦手でも何でも柴崎泰広がやるしかないのだ。


【ほら、泣いてる子の側に行って、何か気を紛らわせてやんなよ】


「え……あ、でも、どうしたらいいか……」


【何だっていいじゃん、足元に散らばってる絵本を読んであげるでも、何かおもしろいもの見せてやるでも】


「何かおもしろいものって……例えば」


【いや例えばって言われてもあれなんだけど】


 その時、カランカランと入口のベルが軽やかに鳴った。

 店に足を踏み入れた途端に甲高い泣き声に鼓膜を突き刺された西ちゃんは、片目をつむり、首を竦めながら柴崎泰広の側に歩み寄ってきた。


「うわ、すっご。何コレ。一体どしたっての?」


 柴崎泰広は西ちゃんを見て、なぜだかホッとしたような表情を浮かべた……気がした。


「え……いや、子どもスペースでケンカがあったらしくて」


 西ちゃんは狂ったように泣きわめく男の子の姿を見て、全てを察したらしい。肩をすくめて苦笑した。


「ありゃりゃ椅子とられちゃったんだ。しょうがねえなあ」


 呟くと、持っていた荷物を柴崎泰広に手渡し、スタスタと泣き叫ぶ子どもの方に歩み寄っていく。

 柴崎泰広もあたしも、ポカンとその後ろ姿を見送った。

 西ちゃんは泣いている男の子傍らに行くと、声をかけるでもなくその足元にしゃがみ込んで、床に散らばっていた積み木を黙々と拾い上げては積み上げ始めた。

 泣きわめいていた男の子の視線が、高さを増していく積み木に次第に吸い寄せられていく。

 西ちゃんはその視線に応えるようにチラリと目線を上げ、ニコッと笑いかけた。

 店中を揺るがせていた男の子の泣き声が、その笑顔に吸いとられるようにピタリとやんだ。


「……何作ってるの?」


「東京フカイツリー」


 男の子は涙に濡れた顔もそのままに、じっと積まれていく積み木を見つめていたが、やがて不満げに眉根を寄せた。


「違うよそれ。フカイツリーそんなんじゃない。そこ、もっと細いもん」


「んだよしょーがねーだろ積み木で作ってんだから」


 西ちゃんが大げさにふくれてみせると、男の子は積み木を一つ手に取り、得意げに差し出した。


「コレ使えばいいんだよ。そうすればもっと細くなるもん」


「え、マジ? あ、ホントだ。おまえスゲエなあ。じゃさ、ちょっと続き作ってみろよ」


「いいよ! 僕、積み木は保育園で一番うまいんだ」


 意気揚々と積み木を積み上げ始めた男の子の様子に、椅子を占領していた女の子が興味を惹かれたのか、絵本を放り捨てて歩み寄ってきた。


「君はなに作る?」


 西ちゃんがにっこり笑って問いかけると、女の子は大きな目を中空に泳がせて考えてから、「シンデルラのお城!」と嬉しそうに答えた。


「はいはいシンデルラ城ね。それならこういう四角い積み木がピッタリだ。あとは三角の積み木もいるね。色は赤がいい? 青がいい?」


「ピンクはないの?」


「ピンクはないなあ、赤か青、あとは茶色」


「じゃあ赤!」


「オッケー、四つあればいいかな」


「いいよ!」


 女の子が使う分の積み木をそばに引き寄せてやり、二人が互いの領域を侵さずに集中して遊び始めたのを確認してから、一人で椅子に座り、でも積み木で遊ぶ二人のことをチラチラ羨ましそうに見やっている男の子の側に行き、その隣に腰掛ける。


「何の本読んでんの?」


「え? ……こしいれのぼうけん」


 西ちゃんは感心したように目を丸くした。


「へええ、おまえ、そんな字ばっかりの本もう読めんの?」


 男の子は得意げに大きく頷いた。


「読めるよ、こんなの僕もう五歳の時から読んでる」


「へええ! 今どきの子はスゲエなあ。でもさ、コレおもしろいよな。俺も小さい時好きだったもん」


「お兄ちゃんも読んでたの?」


「読んでたよ。今どこの場面? ああ、ネズミ婆さんが出てきたとこか。一番おもしろいところじゃん。この次さ……」


「あああ言っちゃダメだよ、僕が読んでるんだから!」


「おっとゴメンゴメン、コレは失礼」


 男の子が集中して絵本の世界にのめり込み始めたのを確認してから、西ちゃんはくるりと後ろを振り向いた。

 荷物を抱えたままで、バカみたいに口を開けて突っ立っている柴崎泰広に、にっと笑って親指を立ててみせる。

 いつのまにか、店はウソのように静まりかえっていた。



☆☆☆



「どうもありがとうございましたぁ」


「ありがと、お兄ちゃん!」


化粧のキツイ金髪ママが語尾上げ気味にそう言うと、隣に立つ女の子も嬉しそうにママのマネをして頭を下げる。

 西ちゃんはニコニコしながら姿勢を低くして、女の子の顔を覗き込んだ。


「いえいえ、シンデルラ城、うまくできてよかったね。楽しかった?」


「うん、また来る!」


 ママ友たちが顔を見合わせて困ったように笑う横で、気弱そうな男の子が「僕も来る!」と叫ぶと、隣にいた大柄な男の子も、負けじと「僕も!」と大声を張り上げた。


「そおねえ、じゃあまた、ピアノの帰りにでも寄ってみましょうか」


「うわあい!」


「やったぁ!」


「お兄ちゃん、またねー」


 ニコニコ顔満開の親子連れが去ると、店は一気に静まりかえった。


「あんた、いったいどなただね。何か、子どもの相手してもらってたみたいだけど」


 笹本さんが入口の扉を開け放ちながら西ちゃんに問う。

 西ちゃんはニコニコしながら小さく頭を下げた。


「自分は柴崎くんの同級生で西崎といいます。たまたま通りかかったら、もの凄くたいへんそうだったんでつい」


「助かったよ、コイツがふがいないから」


 笹本さんが三白眼でギロリと睨んだので、柴崎泰広はドキッとしたように首を縮めた。


「でも申し訳ないけど、ウチは二人分の給料を支払う余裕はないんでね」


 う。そこに話をもってくか。

 西ちゃんは困ったように笑いながら小さく首を振った。


「いえいえいえとんでもないっすよ。自分はもうコレで」


「何か用事でもあるんかい」


「いや、……特に用事はないっすけど」


「じゃあコーヒーでも飲んでくかね」


 笹本さんはぶっきらぼうに言い捨てると、ついてくるように西ちゃんを手招きする。

 西ちゃんはキョトンとした表情で動きを止めてから、すぐに満面の笑顔を浮かべると、「じゃ、お言葉に甘えて」などと言いながら笹本さんのあとについて奥の部屋へと入っていった。

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