47.中身を見てくれるってこと?
「あーもしもしゴミノピザ? えっと、宅配お願いします。クワドロランチセット、オレンジジュースつけてください。サイドはポテ投げで、ええと、こちら真竜寺です、住所は……あれ?」
わざとらしく会話を止め、目をまるくして立ち止まる。
西ちゃんのワイシャツを掴んだままの姿勢で、角刈り男は振り返ってこちらを見ていた。いかにも体育会系という暑苦しい顔を引きつらせ、動きを止めて凍りついたままだ。
金剛力士たちに両腕を拘束されている西ちゃんも、ワイシャツの胸をはだられけたまま、あっけにとられたような表情であたしを見ている。
「あれ……あんたたちなにやってんの? え? これってヤバいんじゃない? ……あ、いえね、うちの庭でヘンな男子高校生が三人、男の子を囲んで何かやってんですよ。ええ、ちょっと様子がおかしいです。リンチかもしれないです。そうですね。ゴミノピザさんもう一回線お持ちですか? ああある? じゃあちょっと、この電話は生かしたまま、その回線で警察に連絡してもらえませんかね。ええ、場所は真竜寺です。住所は北山三丁目二の……」
角刈り男は「チッ」と小さく舌打ちしたようだった。
荒々しく西ちゃんのワイシャツから手を振りほどくと、その巨体からはイメージしにくい軽やかな動きで、脱兎のごとく走り去る。
金剛力士たちも本尊が逃げ出したとあっては居残る理由もない。西ちゃんを放り捨てると、角刈り男の後を追って一目散にかけだした。
彼らの姿が完全に見えなくなったのを確認してから、携帯をケツポケに突っ込んで西ちゃんを見下ろす。
西ちゃんは塀際にへたり込んだ姿勢であたしを見上げ、口の端を少し引き上げた。
「……こんなところでピザ屋に注文?」
「するわけないじゃん、全部適当」
「ありがとなアヤカ、助かったよ」
「あいつらは……」
「おホモダチだったヤツ。今はもう切ってる……つもり。向こうはそう思ってねえみたいだけど」
湿っぽい塀によりかかり、西ちゃんはそう言って疲れたように笑った。
はだけられたままの胸元から慌てて目を逸らして踵を返すと、三門脇に置きっぱなしだった荷物から缶コーヒーを取り出して、ワイシャツのボタンを留めている西ちゃんに差し出す。
「口直し」
「……サンキュ」
差し出された缶コーヒーを受け取ると、西ちゃんはちょっとだけ笑った。
塀に寄りかかってコーヒーを飲む西ちゃんの隣に立ち、あたしも塀に寄りかかる。
「おホモダチの彼は、俺がバイなのが気にくわないらしくてさ」
西ちゃんがポツリと口を開いた。
返す言葉が見つからず、無言で西ちゃんの黒い頭を見下ろす。
「妙にこだわってんだよな。ゲイだのバイだの。俺は正直どっちでもいいし、そんな枠にはめ込むもんでないと思ってんだけど。中学を卒業していったん切れたんだけど、夏波とつき合い出したのを知ったあたりから、またなにかとちょっかいかけてくるようになってさ」
コーヒーを一口飲むと、ふうと小さくため息をつく。
「……さっきみたいな感じのこと、今までにもあったの?」
西ちゃんはこくりと頷いた。
「俺的には公言すんのは全然構わねえんだけど、オヤジはやっぱ立場が立場だから。俺みたいな息子がいるって知れるとキツイだろ」
「……何とかならないの?」
「さあな。ヘテロな皆様同様、あいつも結局性別にこだわってっから。俺のことを理解すんのは無理なんじゃない?」
その発言に、思わず首をかしげてしまった。
「どういう意味?」
西ちゃんはあたしを見上げると、缶コーヒーを持っていない方の左手で小さく手招きしてみせた。位置が高すぎて話しづらいのだろう。
言われたとおり隣にしゃがみ込んだけど、地面が濡れている気がしたのでお尻はつけないでおいた。
「あいつとは中学時代、野球部で知りあってさ。その頃はまだ俺自身がいろいろ戸惑ってる時期で、自分の性向もよく分からないまま、成り行きであいつとつき合ってたんだけど、そのうちに女の子も気になってる自分に気がついて。それを正直に打ち明けて別れ話を切り出したらぶち切れてさ。性根たたき直してやるとか言って部室に連れ込まれて、足腰立たなくなるくらい滅茶苦茶なことされたんだ」
顔を強ばらせて固まっていると、あ、アヤカちゃんにはキツイ話題だったかも、ゴメンと言って笑いながら小さく頭を下げる。
「あいつはあいつなりに俺のことを思ってくれてたんだろうけど、いかんせんあいつの頭の中には男、女っていう線引きが根強くあって。そこんとこがどうしても俺とは相容れなかったって感じかな」
「……線引き?」
西ちゃんはゆったりとあたしを見つめながら頷いた。
「あいつは恋愛対象が男限定な訳。男じゃないと萌えない。要するに、一般的な皆様が自分とは異なる性に惹かれるのの裏返しって感じ。結局そこには、男女っていう線引きが厳然として存在するわけ。でも、俺って特にそういうのがないから。相手が男だろうが女だろうが、バイだろうがゲイだろうがレズだろうが、萌える時は萌えっから。だってさ、どんな趣味だろうが、どんな見てくれしてようが、そいつはそいつであって、中身は一つしかない。その中身に俺は反応するタチなわけ。もちろんそれが成就するかは相手が俺を受け入れてくれるかにかかってるんで、また別の話になってくるんだけどな」
西ちゃんの穏やかなまなざしに包まれながら、あたしは頬が上気してくるのを感じていた。
心臓の鼓動が、上体を熱く揺るがし続けている。
『どんな趣味だろうが、どんな見てくれしてようが、そいつはそいつであって、中身は一つしかない』
たとえシバサキヤスヒロの中に入っていようと、クマるんの中に入っていようと、あたしはあたし。
ならば西ちゃんは、シバサキヤスヒロという入れ物の中にいる「あたし」自身を見てくれるってことなんだろうか。
「……じゃあ、西崎くんはあたしのことも、中身で見てくれるってこと?」
「西ちゃんでいいよ」
そう言って笑うと、優しい目であたしを見つめる。
「一応そのつもりだけど」
「柴崎泰広本体との違いとか、分かるの?」
「だいたいね。不思議なことに、夏波のほうがはっきり分かってるみたいだけど」
あいつも中身で人を見られる数少ない人間だね。そう言うと西ちゃんは、残っていた缶コーヒーを一気に飲み干した。
「ごっそさん、助かったよ」
「口直しになった?」
「まあ七割方」
意味ありげにそう言うと、西ちゃんはあたしに向き直った。
はっとする間もなく右手で顎を持ち上げられる。
西ちゃんはあたしの顔に熱いまなざしを注ぎながら、感極まったようにつぶやいた。
「すっげえいいじゃん、その眼鏡」
「……え?」
「学校にも明日からそれつけて来なよ。印象が全然違う」
返答に窮していると、西ちゃんは流れるような動作で黒縁眼鏡のブリッジをつまみあげた。
「でも本当は、してない方がもっといいけど」
「あ、あの……」
「残り三割、口直しさせてくれる?」
ぼやけた視界に、次第にはっきりと西ちゃんの整った顔が映り込んでくる。
うわマジちょっと待って動けないって。
覆い被さってくる重みに押され、よろけた体を支えようと慌てて後ろに手をついた、刹那。地面についた手の甲を、毛糸の感触が包み込んだ。
【……!】
何を言う間もなく、あっという間にあたしの意識はシバサキヤスヒロの体から押し出され、クマるんの中に吸い込まれてしまった。
「時間切れですっ」
シバサキヤスヒロの中に収まった柴崎泰広は、接近してきた西ちゃんの体を全力で突き飛ばして立ち上がった。
反動でひっくり返って地面に尻餅をついた西ちゃんは、恨めしそうに柴崎泰広をにらむ。
「何だよ柴崎、なんでおまえ、あとちょっとってとこでいつも出てくるわけ?」
「交代の時間なんですっ」
柴崎泰広は吐き捨てると、三門に置きっぱなしの荷物を担ぎ上げ、イライラと腕時計に目線を走らせる。
その態度に、あたしもようやく事態を把握して青くなった。色変わんないけど。
「休憩時間、終わっちゃいましたよもう。早く戻らないと笹本さんにどやされる。眼鏡返してくださいっ」
「そーいえばおまえ、土日はバイトしてるとか言ってたっけ。下北でしてんの?」
「そうですっ。何でもいいから早く眼鏡返してください。走って帰らないとまずい」
タイルカーペットが満載された包みを担いで足を踏み出し、重みでよろける。いやそれ相当に重いから走って帰るのは不可能かも。確かに走らないとまずいんだけど。
西ちゃんは無言で立ち上がると、よろける柴崎泰広につかつかと歩み寄り、顔に眼鏡をかけ直してやると同時に、何を思ったのか、肩に担いでいた荷物を取り上げた。
「先に走ってけよ。あとからついていくから」
「……え?」
「助けてもらったお礼。この荷物、店まで持ってってやるよ」
柴崎泰広はムッとしたように眉根を寄せると、包みを取り返そうと手を伸ばす。
「いいです。そのくらい、自分で……」
「どう見てもおまえよりは俺の方が力あるだろ。ま、鈴木の方がもっとあるんだけどさ」
鈴木ってのはさっきの男のことだろうか。でもまあ確かに、柴崎泰広が担ぐよりは、西ちゃんが担いだ方が見るからに安定感がある。
柴崎泰広もヘンな意地をはっている場合ではないと思い直したのか、不服そうに手を引っ込めると、踵を返して駆けだした。