45.やっちゃおう!
さすがのあたしも、途方に暮れた。
ハンガーラックやトルソーや棚を無理やり押しのけて作られた空間に、乱雑に積み上げられた古くさい積み木やおもちゃ、絵本の数々。店の右隅に位置するこの場所にそういう空間を作れ、という笹本さんの意志だけはかろうじて伝わったものの、さてこれらをいったいどう置いて、それから押しのけたラックやトルソーをどう配置して、最終的にどんな雰囲気にこの店をまとめ上げるのか、全体像がまるっきり見えてこなかったからだ。
【……これ、いったいどうしろっての、全部使えってか?】
いかにも笹本さんの好みそうな古くさいアンティークドールを手に取ってみる。店のディスプレイとしては悪くないけれど、本当に子どもの遊び道具として役に立つかどうかは、大人っぽすぎて微妙なラインだ。
柴崎泰広もあたしと同様に途方に暮れた様子で口元に指を当てて考え込んでいたが、ふと思い出したように携帯を手に取って操作をし始めた。
「子ども用スペースって……どこもだいたい、平場、ですよね」
【なに柴崎泰広、この間の写真見てんの?】
柴崎泰広は頷くと、しゃがみ込んであたしに携帯の画面を見せた。
「この間、彩南さんが撮った子どもスペース……確かに色とか雰囲気は使えないんですけど、参考にすべきポイントは結構詰まってる気がするんですよね。例えば、床にペッタリ座れるような場所を作るとか、ある程度囲い込んで、安心して目を離せるようにするとか」
ほうほうなるほど、言われてみれば確かにどの子どもスペースも、平場で囲いがしてある気がする。
「この条件をこのスペースで、しかもここにある材料でクリアするにはどうするか……まずはそこから考えて、ある程度広さであるとか、位置であるとかを大まかに決めておいた方がいい。そうしないと全体の統一感がなくなるし、何から手をつけていいかも分からなくなる」
【……たまにはいいこと言うじゃん、柴崎泰広】
「それはどうも、お褒めにあずかりまして」
柴崎泰広は仕事仕様の黒縁眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げながら、イタズラっぽく笑ってみせた。
今日は茶系の落ち着いた同色系コーデをしているせいか、その笑顔は高三という彼の実年齢よりはるかに大人っぽく見えて、何だか知らないけどあたしはまたもやドギマギしてしまって、慌てて目線をそらして俯いた。
☆☆☆
そこから先は、もうほとんど柴崎泰広の独壇場だった。
大まかなイメージ画を、その辺にあった広告の裏にさすがもと美術部といった手つきでサラサラと描き、いらない物を片付けて必要なものを置いて、一時間もたたないうちに、店の一角に立派な子ども用スペースを作り上げてしまったのだ。
あたしはたまに小さな物を動かすのを手伝ったくらいで、その仕事ぶりをただただ口を開けて眺めているばかりだった。口ないんだけど。
【凄いじゃん柴崎泰広、こんな短時間で子どもスペースできちゃったよ!】
思わず嬉しくなって声をかけるも、柴崎泰広は眉根に皺を三本ほど寄せて腕を組み、難しい顔で出来上がった子どもスペースを見下ろしている。
「……気に入らない」
【え? どこが?】
慌てて出来上がったばかりの子どもスペースを見直してみる。
店の一番奥、隣のビルの隙間からちょうど日が射す一番明るい場所に、落ち着いた装丁の絵本やビスクドール、ちょっと古びたテディベアなどがきれいに並べられていて、木製の小さな可愛らしい椅子も二脚用意されている。
【すんごくステキに仕上がってると思うけど……】
「これじゃ、安心して子どもから目を放せませんよ。遊び場としても不十分です。遊び道具が少ないし、積み木も棚の上くらいしかやれるところがない」
【……まあ、確かに床に座れる形にできなかったのは痛いけど、笹本さんが用意した材料の中にそういう物がなかったんだから仕方がないよ。あたしはこれで十分な気がするけどなあ。お店の雰囲気ともマッチしてるし、笹本さんの意向に沿う形にはなってると思う。とりあえず、ここはこのくらいまでにして、先に店の中を片付けよう。でないと、お客さん呼べないよこれじゃ】
仕事に求められるのは、完成度ばかりじゃない。
もちろん完成度は高いにこしたことはないけれど、与えられた時間内に一定の作業を終えることもまた重要なポイントだ。柴崎泰広は細部に拘りすぎて、そのあたりがおざなりになりがちだ。それは彼の長所の現れでもあるけれど、短所でもある。うまくコントロールして生かしてやらないと。
柴崎泰広は店をグルリと見渡して、小さく頷いた。
「……そうですね、確かに、店の中を整えないとまずい。店の方を先にやって、時間があったらこちらのことを考えましょう」
弁当づくりなどの日常経験から、柴崎泰広自身もその辺は理解できているらしい。素直にあたしの意見を受けいれると、店内の整備に取りかかり始めた。
☆☆☆
【……あれ? 柴崎泰広、それ、そんなところじゃなかったよね】
「え?」
アクセサリーの並べられた箱を棚上の少しだけ高い位置に置こうとしていた柴崎泰広は、あたしの問いかけに振り返った。
【それって、確かこっちの陳列棚に置いてあったはずだよね。何でそんなところに?】
柴崎泰広は箱を置きながら何気ない調子で答える。
「あの位置じゃ、子どもの手が届くじゃないですか。また鎖を絡められたら売り物も傷むし、指輪を呑み込んだりしたらそれこそ大ごとになる。危険ですよ」
そう言うと、周囲をグルリと見渡す。
「かといって、高すぎる位置に置くと目につきにくいし手にとってもらえなくなる。五歳くらいの子どもには手が届かないけど、大人には余裕で見えるくらいの位置に置こうと思って」
へええ、コイツやっぱ頭いい。
先日のあの経験を生かして、細かいシチュエーションまできちんと予想できるってのは、頭がよくないとできないことだ。
思わず感心してしているあたしを横目に、アクセサリーを並べ終えた柴崎泰広は店を見渡しながらさらに驚くべきことを口にする。
「少し陳列する洋服の量を減らした方がいいかもしれないですね。全部置こうとすると通路が狭すぎて、もしベビーカーのお客さんが来たりしたら、身動きがとれなくなってしまう」
【やっぱあんたもそう思う?】
思わず嬉しくなって送信が上ずってしまった。
【笹本さんは「ベビーカーは畳んで入ってもらえばいい」なんて言うけど、赤ちゃんが寝てたら起こしてまでベビーカーを畳もうとは思わないし、そこまでして店に入るなんてよほど商品に魅力がなきゃ無理だよね。笹本さんは商品に自信があるらしいけど、世の中そんなに甘くないもん。誰でも気軽に入れる店作り、これってやっぱ基本だよ。そういう年代の人をターゲットにするならなおさら】
一気に送信してから、ビーズの目玉に精いっぱいの期待を込めて柴崎泰広を見上げる。
柴崎泰広も、心なしか楽しそうに口の端を引き上げてあたしを見下ろした。
「……やっちゃいますか」
【やっちゃおう!】
あたしは思わず楕円の腕を差し上げた。
柴崎泰広も、腰を屈めて右手を挙げる。
目と目を見合わせて頷き合い、ハイタッチよろしく楕円の腕先を柴崎泰広の手のひらにたたきつける。小気味いい音こそ響かなかったけど、なんだかやけにいい気分だった。
☆☆☆
病院から笹本さんが戻ってきたのは一二時過ぎ、ちょうど掃除の仕上げに取りかかろうとしていた時だった。
カランカラン、と、少々疲れたような鈴の音が響くと同時に、あたしはパタリとソファの上に倒れ、柴崎泰広はハッと息をのむと、ほうきを投げ捨てて笹本さんに駆けよる。
「笹本さん!」
「ああ柴崎泰広、ご苦労だったね。支度は……」
「あ、あの人は大丈夫でしたか⁉」
噛みつかんばかりのその勢いに、笹本さんは気おくれしたように言いかけた言葉を呑み込んだ。
「……あの人って、石川さんのことかい」
「名前は知りませんけど、救急車で運ばれた……」
笹本さんは深いため息を一つつくと、小さく首を横に振った。
意味深なその態度に、柴崎泰広の顔から血の気が引く。
「無事だよ」
「……は」
柴崎泰広は拍子抜けしたように呟くと、ずり落ちた眼鏡もそのままに、機能停止に陥った。
「胃洗浄で大騒ぎしている時にあの子の両親が駆けつけてね。もうすったもんだもめてさ。管理人はなにやってるんだってんで最後はあたしが責められて。結局あの子は故郷に帰ることになったよ。ま、親御さんの気持ちも分からなくはないけどさ」
笹本さんはまた一つ大きなため息をつくと、ギロリと目線を上げて柴崎泰広を睨む。
「……てなわけで、あたしは今すこぶる機嫌が悪いんだ。あんたの仕事ぶりを今から見せてもらうけど、言いたいことは言わせてもらうつもりだから覚悟しとくんだね」
「あ、……は、はい」
その言葉で再稼働した柴崎泰広は、慌てて先ほど投げ捨てたほうきのもとに走り寄る。
笹本さんは不機嫌そうな表情で店内に一歩足を踏み入れ……その目を大きく見開いた。
「な、……なんだいこれは」
柴崎泰広はほうきを動かす手を止めて、息を殺した。
あたしはソファの上で斜めになりながら、立ち尽くす笹本さんに全神経を集中する。
笹本さんは言葉もなくすっかり様変わりした店内を見渡した。
メイントルソーからアクセサリーのディスプレイまで全ての配置がかわっている上に、置かれている服の全体量が三分の二ほどまで減らされている。見通しがよく歩きやすい店の右隅には、小さな椅子が用意されたこぢんまりした子どもスペースが設けられ、透き通った天窓から差し込む光が、その場所を明るく照らし出していた。
「子どもスペースは、すみません。まだ完成ではありません」
笹本さんはぎこちなく首を巡らせて柴崎泰広に目をむけた。
柴崎泰広は一瞬首を縮めかけたが、覚悟を決めたように大きく息を吸い、その視線を正面から受け止める。
「あれでは二人しか座れませんし、たぶんお子さんは落ち着けません。平場でペタッと座れる空間にした方がいいと思います。ネットに、たぶんそういう用途の安価なカーペットがあると思うんで、時間をいただければ僕の方で調べておきます。敷き込みとか必要な作業も、僕がやりますんで……」
「子どもスペースはそれでいいと思う。あたしが驚いてるのは、店の方で……」
「お子様連れのお客様をターゲットにする以上、通路には十分なゆとりが必要です。そのために、すみません。これからの季節に合った物を厳選して、店に出す服の量を調節させていただきました。通路があまりにも狭かったんです。あれではせっかく入店してくれたお客様も、奥まで行くのを諦めて出て行ってしまわれると思ったので」
笹本さんは何を言おうとしたのか口を開きかけたが、それをいったん噤むと、もう一度店内をグルリと見渡した。
柴崎泰広は息を詰めてその動向を見守る。
笹本さんはゆっくりと店内に歩を進め、先ほど着せかけたばかりのメイントルソーの前で足を止めた。
「……この着付けの意図は」
トルソーに目をむけたまま、笹本さんがボソッと問う。
柴崎泰広はチラリとあたしに目線を送った。
大丈夫。あたしの送信通りに答えればいいから。
「これからの季節とターゲットの年齢層を意識して、夏のカジュアルスタイルを提案しました。小さなお子さんがいらっしゃる方は、動きやすく洗濯しやすいカジュアルスタイルの方が安心できます。ただ、単純にTシャツとダメージデニムだけでは子どもっぽいので、落ち着いた柄の上質なスカーフで襟元を飾り、夏らしい帽子をプラスしておしゃれ感を演出しました。小さなお子さんを抱き上げる時も安心なように、足元は高級感のあるウイングチップにして、動きやすさと大人っぽさに配慮しています」
あたしの送信どおりに説明し終えると、緊張したような顔で息をつく。
笹本さんは先ほどの姿勢のまま、難しい表情でメイントルソーをじっと見上げていたが、やがてゆっくりと踵を返すと、今度はアクセサリーコーナーに目をむけた。
「アクセサリーをここに移した理由は」
柴崎泰広はここぞとばかりに意気込んで口を開いた。
「ピアスや指輪は誤飲の危険性があります。お子さまの動きにばかり気をとられていてはお母さまもゆっくりお買い物ができませんし、われわれも落ち着いて接客ができませんから、ある程度安心して目を離していられるように、最初から手の届かない位置に上げました」
笹本さんは、店の裏手に目を向けた。
「陳列しきれない服はどうしたね」
「奥の倉庫にしまってあります。商品の入れ替えがしやすいように、種類ごとに分けて整理してあります。いつも新しい商品がお客様の目に触れるよう、頻繁に商品を入れ替えて提案していければと思います」
言い終えると、柴崎泰広はおずおずと笹本さんの表情を窺い見た。
笹本さんは先ほどから、眉根に三本皺を寄せた厳しい表情を変えていない。
あたし達的には必要と信じてやったことだけれど、やはりあまりにも一気に変えすぎたのかもしれない。今まで自分がこうと信じてやってきたことを新参者にことごとく覆されれば、仕事にプライドを持っている人であればこそ、筋が通っていたとしても不愉快になるのは道理だろう。
後悔の念が心を覆い始めた時、笹本さんがふいに口を開いた。
「掃除はどこまで終わってる」
「……え、あ、あとは床掃除と、アプローチだけです」
「あと一〇分もあれば終わるね」
「あ、はい。それは……」
笹本さんの意図を掴みかねて、柴崎泰広が口ごもる。
「あと一〇分で開店するよ」
「え……」
「そうしたらあんたは、接客の合間にさっき言ってたことを調べとくれ」
狐につままれたような表情で立ち尽くしている柴崎泰広をよそに、笹本さんはぶっきらぼうな口調で言葉を継いだ。
「取りあえずこれでやってみよう。集客状況と、売り上げと、あとは実際に入店した客の様子を見て、問題があるようなら変える。いいね」
そう言うと、思考のヒューズが飛んで凍りついている柴崎泰広に声を荒げて檄を飛ばす。
「分かったらさっさと掃除を始めな! あと八分で開店だよ」
「……え、あ、は、はい!」
その声で一気に現実に引き戻されたのか、柴崎泰広は即座にほうきを掴んでゴミを掃き始めた。
「あああああそんなにほこりを立てちゃダメだろう! ほうきはもっと、優しく丁寧に動かさないと!」
「は、はい、すみません!」
あたしはソファの上からそんな二人の後ろ姿を眺めながら、何だかもう嬉しくて嬉しくて、床を掃いてる柴崎泰広も、不機嫌そうにそれを監督する笹本さんも、みんないっぺんに抱き締めてしまいたいような衝動を抑えるのに必死だった。