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41.それで本当にいいんだろうか

【人だらけですねぇ……】


 老若男女さまざまな人で埋め尽くされたコンコースを流れに合わせて進んでいると、半ばぼうぜんとしたような送信が脳神経を震わせた。何度目だろう。


「何クマるん、さっきから同じ事ばっかり。新宿くらい来たことあるでしょ」


【え? ……いや、初めてです】


「マジで?」


【マジで】

 

 ケツポケで左右に揺れながら、クマるんは小さく頷いたようだった。

 学校が終わるやいなや電車に飛び乗ったので帰宅ラッシュにはまだ早い時間だけれど、新宿駅は終日込み合っている。電車から吐き出されたおびただしい数の人間が一斉に改札を目指す様は、確かに恐怖を感じさせる光景かも知れない。なによりコイツは、つい最近まで電車にすら乗れない体だったわけだし。


「恐かったら意識閉じてていいよ」


【……はあ】


 頷きつつも、クマるんは意識を開き続けているようだった。恐怖より興味が優っているらしい。少し前のコイツなら考えられないことだ。進歩したよなあと思わず感心。

 改札を抜けると、クマるんが顎を上げてあたしを見た。


【ところで、どこへ行くんですか】


「まずはめぼしい百貨店かな。百貨店の子ども用品売り場に行けば、遊び場スペースみたいなのは必ず設置されてるから。どんなものをどんな風に置いているのか、写真に撮っとけば参考になると思う」


【……そんなこと、やっとけって言われましたっけ】


「言われてないよ。必要もないかもしれない。笹本さんがもう下準備くらい終わらせている可能性もあるから。ただ、自分の方でもある程度イメージを固めておかないと、この先仕事を進める上でまずいじゃん」


 あの時、あたしが笹本さんに提案したのは「子ども連れでも楽しく買い物ができる店」づくり。

 その方向性については、既に笹本さんとの合意はとれている。あとは、そのために何をどう整えるか、ということをつめるだけだ。 

 店の構造上の問題点については、笹本さんにあの時点で気がついた部分だけは伝えた。それをどう改善するかについては、正直結構なお金が絡んでくることなので現時点では手の出しようがないかもしれないけれど、取りあえず、実際に子どもが多く出入りする店ではどんな工夫をしているのか、資料を集めておこうと思ったのだ。

 町中の小さい店ではそうした工夫はスペースの関係上ほとんど見ることができないけれど、大手百貨店の子ども用品売り場なら何らかの設備はあるはずだ。


【たかがバイトとは思えない熱のいれようですよね】


 ケツポケで揺れながら、クマるんが苦笑まじりの送信をよこした。

 返そうとした言葉が、喉の奥に引っかかって出て来なくなった。


 そのとおりだ。

 あたしはこの仕事を、たかがバイトとは思っていない。

 

 大きなガラス張りのエントランスから、高級ブランド店が軒を連ねる百貨店に入り、エレベーターホールに向かう。

 このエレベーターは駅入り口から離れているので、利用者は少ない。到着したエレベーターから乗っていた人が降り、空っぽになったエレベーターに一人で乗り込んだ。

 分厚い扉が、互いに重なり合いながらゆっくりと閉まる。


「……ねえ、クマるん」


 右に移動していく階数表示を視界の上端に捉えながら、ケツポケから携帯を取りだして目の前にかざした。


【何ですか】


「あんたの言うとおり、あたしはこのバイトをただのバイトとは思ってない。あの店を繁盛させて、できるだけ長く続けたいと思ってる」


【それは当然ですよね。今のところ僕らにとって一番都合がいい仕事なわけですから……】


「できれば一生」


 黙り込むクマるんの黒光りするビーズの目玉を、じっと見つめる。


「あたしがこういう仕事に就きたかったって話は、したよね」


【……はい】


「笹本さんとこのバイトが決まった時、あたし滅茶苦茶嬉しかったんだ。夢がもしかしたら叶えられるかもしれないって。男嫌いのあんたにとっても都合のいい職場だし、だったらあんたの命の砂が尽きるまで、笹本さんのところを足掛かりにして、ずっとこの仕事で食べていければって、そう思ってがんばってた。……でも」


 静かに右へ移動していく階数表示ランプ。

 クマるんは無言だった。

 当然のことながら表情一つ変えずに、じっとあたしを見つめている。


「あんたはそれでいいのかなって」


 キンと、軽やかな音が響いた。

 エレベーターの上昇が止まり、重々しく扉が開く。

 階数表示ランプは「九」で停止している。目的の階だ。

 クマるん付き携帯を右手に、エレベーターを降りた。

 明るい店内をゆっくり移動しながら、ささやくように言葉を継ぐ


「あたしがよくても、あんたはどうなんだろうって……だってこの先、この体を使って生きるのは、あたし一人じゃない訳で」


【いいですよ別に構わないです】


 言いかけた言葉を呑み込んだ。


「いいって……」


【僕は基本的に死にたいんですから、この先の生き方にあれこれ口を出せるわけがないじゃないですか。生き方は、生きたい人が決めるべきです。僕はそれに従って、命の砂が尽きるまでじっと待つだけです】


「……あんた、ホントにそんなんでいいの?」


【いいですよ】


「やりたいことって、マジでなんにもないの?」


【ないです】


「ときどきはあんただって、あたしがやってる仕事をしなきゃならないことも出てくるわけだよね。それも構わないの?」


【構わないです。そのくらいは働かないと、ただ飯食わせてもらうわけにもいかないし】


 黄土色の編み目をじっと見つめる。

 とぼけた表情のクマるんには、当然のことながら何の表情も現れていない。でも、もし今交代したら、彼の顔には、何らかの表情が現れてるんじゃないだろうか。

 一瞬、交代してみようかと思ったけど、やめた。

 今からキッズコーナーの写真を撮影する仕事が控えている。交代してしまったら、その撮影場所や撮影ポイントをいちいち口頭で伝えなければならなくて非常に面倒だ。仕事を教えるという意味で交代するのもありかもしれないけれど、自分がやりたいと思っているわけでもない仕事の話なんか、いくらしたところでたいして頭に入っていかないだろう。自分がそういう人間だから余計にそう思う。


 でも。

 携帯の先で無表情に揺れるクマるんに目線を送る。

 そんなんで、本当にいいんだろうか。


 あたしはあたしであって、柴崎泰広ではない。

 あたしが死ぬ前に思い描き、目指していた人生の道筋。

 それが達成されれば当然あたしは嬉しいし、あの時あの三途の川で、どんな形にせよもう一度生きるチャンスを手にできてよかったと思える。

 でも、柴崎泰広は。


『僕はそれに従って、命の砂が尽きるまでじっと待つだけです』


 それで本当にいいんだろうか。

 

『いや、……もったいねえなって思ってさ』


 キッズコーナーの撮影をしている間中、柴崎泰広の送信と昼間の西ちゃんの言葉が、入れ替わり立ち替わり頭の中を巡った。



☆☆☆



 めぼしい百貨店の子ども用品売り場をまわり、駅近にある海外アパレル店のキッズコーナーをカメラに収める頃には、あたりは薄暮の様相を呈してきていた。 


「結構撮れたかな」


 携帯カメラの画像を確認しながら呟くと、腰のクマるんは揺れながら頷いたようだった。


【七,八カ所まわりましたから、十分じゃないですか?】


「だね。ていうか、この姿でああいう行為するのは相当に厳しいってことも分かったし。男ってのもある意味たいへんだよね」


 周囲の目をまるっきり気にせず携帯で写真を撮りまくっていたら、キッズコーナーで子どもを遊ばせていた親から店員に苦情がいったらしく、注意を受けてしまった。一応事情を話して分かってはもらえたものの、その後は親に不審がられないよう人気のないのを見計らって写真を撮るように心掛けた。ヘタをしたら不審者として通報されるところだったかもしれないと思うとゾッとする。


「にしてもさ、キッズコーナーってどこもファンシーな雰囲気だよね。笹本さんの店にあんなの持ってきたら、浮いちゃいそうな気がするなあ」


【……ですね。あの人の店は大人っぽくて落ち着いた雰囲気ですもんね。パステルカラーの遊具とは徹底的にあわないです】

 

「お、クマるんでもそういうこと分かるんだ」


【でもとは何ですかでもとは。これでも中学時代は美術部所属だったんですから】


「……やっぱあんたって、オタク的要素満載だね」


【ほっといてください!】


 軽口を叩きつつ、エスカレーターで一階に上がる。

 大人の女性向けに品揃えされたこの階は、これからやってくる夏にピッタリのワンピースやショートパンツ、色とりどりのTシャツが所狭しと並んでいて、ファッション好きを自認するあたしにとってはたまらない光景が展開されていた。


「うわぁ、ウキウキするなあ。ちょっと見てってもいい?」


 ふんわりとした素材感のワンピースの下がっているラックに直行しようとした途端、クマるんの慌てたような送信がその動きを遮った。


【ちょちょちょちょっと待ってください彩南さん、その外見で女もののワンピースを見るのは怪しいですって】


「え?」


 キョトンとした表情で立ち止まるあたしの姿が、手前に置かれていた鏡に映っていた。

 女にしては短すぎる髪に、顔には分厚い瓶底眼鏡。身に付けている制服はどう見ても男子学生用の白のワイシャツとチェックのズボン。右手に提げているのは、マスコットひとつぶら下がっていない無味乾燥な通学カバン。

 そこに立っているのは特段目を惹くものもない、そのへんによくいる冴えない男子高校生の姿だった。


「……そうだね」


 頭に上っていた血が一気に引いて、寂しいような空しいような気分に襲われながら、踵を返しかけた時。


「柴崎?」


 どこかで聞いたことのある声が、鼓膜にチクリと突き刺さった。

 この声。

 聞いた途端に胸の底からじんわりとイヤーな気分が広がってくる、この鈴を転がすような美声は。

 背後に尖った視線を感じつつ、ゆっくりと首を巡らせる。

 

「何やってんのあんた、こんなところで」


 佐藤夏波が形の良い眉を寄せ、小首を傾げて立っていた。 

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