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40.もらっちゃいなよ

 気の抜けたチャイムが鼓膜を震わせると同時に、柴崎泰広は教科書とノートをわしづかみにして机の中に突っ込んだ。

 入りきらずに飛び出した教科書が、Cの字に折れ曲がった状態でバサリと床に落ちる。


【あーあ、教科書折れちゃったじゃん。何焦ってんの】


「焦ってなんかいませんただ単に早く行きたいだけで」


 てか句読点ないし。


【どこに? 今から弁当だよ】


「だからその弁当を食べる場所に早く行きたいだけで」


【もしかして……西ちゃん?】

 

 柴崎泰広は無言で拾った教科書を机の中に押し込み、カバンから弁当を取り出した。


【いいんだよ別に今から交代しても。あんたあれからずっと柴崎泰広のまんまじゃん。西ちゃんと関わるのキツいんじゃないの? あたしがその役引き受けるよ?】

 

そう。朝の一件以来、柴崎泰広はずっとシバサキヤスヒロの中にいる。


 交代から三時間が経過しても、柴崎泰広は交代を求めてこなかった。どころか、交代を申し出てもなぜだかすっぱり断られてしまった。こんなことは初めてだ。どういう風の吹き回しだろう。取りあえず、西ちゃん対応という自分のお役目は果たしたいような気がするのだけれど。

 柴崎泰広は問いかけに答えることなく椅子を鳴らして立ち上がり、ぞんざいにあたしつき携帯をケツポケに突っ込む。

 弁当を手に取り一歩足を踏み出した、刹那。


「どーこ行ーくのー? しっばさっきクーン」


 柴崎泰広の眼前に、横合いからヌッと西ちゃんの顔が突き出された。

 

「……!」


 呼吸を止めてのけぞった柴崎泰広は、背後の机をなぎ倒してひっくり返った。けたたましい音が教室中に響き渡り、ケツポケのあたしは尻につぶされ平べったく変形する。

 尻と床の間からやっとのことではい出して見ると、クラス内にいた生徒の大半が動きを止めて振り返り、無様な柴崎泰広の姿に失笑している。ああ。


「なに滅茶苦茶おののいてんの? 漫才じゃねえんだからさあ」


 流れ出た机の中身に埋まってぼうぜんとしている柴崎泰広に、西ちゃんはクスクス笑いながら右手を差し出した。

 柴崎泰広は差し出された右手を血走った目で睨みつけると、自力でヨタヨタと立ち上がる。

 すげない態度にめげることもなく、西ちゃんは机を元通りにする柴崎泰広を楽しそうに眺めやった。


「なーおまえ、アヤカちゃんじゃない方?」


「……そうです」


「何か怒ってんの?」


「別に怒ってないです」


「そっかなあ。机ぶっ倒すほどおののいてるし」


「いきなり顔出されたら誰でもびっくりします」


「あの驚き方は異常でしょ」


「ほっといてください」


 白く汚れたズボンをはたく柴崎泰広の背後に音もなく忍び寄り、耳元に口を寄せて呼気たっぷりにささやく。


「なー、アヤカちゃん出てこねえの? 俺アヤカちゃんと弁当食いたいんだけど」


 柴崎泰広は全身の体毛を一本残らず逆立てると、突き出された顔をえいとばかりに払いのけ、瓶底眼鏡の縁をギッと光らせた。


「絶 対 出 し ま せ ん」


 一語一語やけにはっきり区切りながら吐き捨てると、踵を返して後ろ扉に向かう。


「そんならしょーがないから柴崎につき合ってもらおっかなー」


 どこかおちゃらけたその言葉を完全無視して、後ろ扉に手をかける。


「あれれ? 約束って確か、守るためにあるんだよなあ、し・ば・さ・き・クン」

 

 ケツポケにぶら下がるあたしからは、西ちゃんの顔がよく見える。

 のんびりした口調とは裏腹な鋭い視線が、柴崎泰広の背中にザクザク突き立っている。ヤバい。


【柴崎泰広、このまま行くとヤバいって。あいつマジだよ】


 送信にピタリと動きを止め、柴崎泰広はユルユルと振り返った。

 西ちゃんは顔の下半分で笑いながら、底光りする視線をじっと柴崎泰広に注いでいる。

 柴崎泰広は身じろぎひとつせずにその視線を受け止めていたが、やがて観念したようなため息をつくと、踵を返した。



☆☆☆



「今日の数学も、おまえ凄かったなー。小テスト満点、おまえ一人だったらしいじゃん。ウジ村のあの顔、超笑えたし」


「……」


「にしてもおまえってさ、不登校だったのって二年の頃からだろ。どうやって勉強追いついてたわけ? まさかフルで自学自習?」


「……」


「お、柴崎卵焼き上達したじゃん、焦げてねえし」


「……」


 終始無言。

 西ちゃんの投げかけをことごとく無視し、黙々と地味な日の丸弁当をつついている。全く、何かひとことくらい返してやればいいのに。

 向かい側の席に座った西ちゃんは、かたくなすぎる柴崎泰広の反応に困ったような笑みを浮かべると、自分の弁当箱を開け始めた。

 それにしても、西ちゃんが手にしているお弁当の包み。ファンシーなピンクのチェック柄がなんとも可愛らしくて、なんとも顔に似合わない。きっとお姉さんか妹のを間違えて持って来ちゃったんだろう。

 西ちゃんはその包みを開けて、中に入っていた箸――これまた淡いピンクのファンシーな箸だ――を手に取ると、まるで品定めでもするかのように柴崎泰広の弁当をじっと見た。

 と思ったら次の瞬間、ピンクの箸を電光石火の早業でひるがえし、柴崎泰広の弁当箱からおかずを一つ、海辺のトンビさながらに奪い去った。


「……!」


 目をまるくして固まる柴崎泰広をよそに、奪い取った卵焼きをぽいっと口に放り込む。


「あ、柴崎甘いの好きなんだー。うまいうまい」


 ニコニコ顔の西ちゃんを柴崎泰広は恨めしそうに睨んだが、小さくため息をつくと、無言で食事を再開した。

 西ちゃんはその顔を眺めやると、柴崎泰広の弁当箱に自分の弁当からつまみ上げた黄色っぽいものをポンと投げ入れた。

 柴崎泰広は驚いて弁当箱の中を見つめ、それから困惑したように西ちゃんを見て、箸でその物体を持ち上げる。

 それは、卵焼きだった。

 と言ってもただの卵焼きではないようで、卵焼きの切り口からはジャガイモやらベーコンやらピーマンやらの具材が色とりどりに顔を出している。スパニッシュオムレツとかいうヤツだろうか、見るからに手のかかった一品だ。

 卵焼きを持ち上げた姿勢で固まっている柴崎泰広に、西ちゃんは目線を自分の弁当箱に落としたまま、何気なくこう言う。


「お返し」


 柴崎泰広は不愉快といわんばかりに顔を歪めると、西ちゃんの弁当箱に戻そうとでもいうのか、箸で挟み上げているそれを差し出そうとした。


【いいじゃん柴崎泰広、もらっちゃいなよ】


「え……」


 送信に取りあえず動きは止めたものの、柴崎泰広は三本も眉間に縦ジワを寄せ、めいっぱいの不愉快さをアピールしながら机の上に座っているあたしを見やる。

 

【これ以上関係悪くしてどうすんの。毒が入ってる訳でもなし、くれるってもんはありがたくもらっておきなよ】


 ていうかそれ、かなりおいしそうだし。

 中空をさまよっていた柴崎泰広の箸は、やがていかにも不服そうに自分の弁当箱に戻った。


【ねーねー柴崎泰広、食べてみてよそれ。超うまそうじゃん】


 柴崎泰広はうるさそうに眉をしかめて見せたが、彼自身もそれなりに興味があったらしく、素直に卵焼きを口に運んだ。

 扇形の先端をかじり取った途端、瓶底眼鏡の奥の目が限界ギリギリまで見開かれる。


【え? 何? まずいの?】


 柴崎泰広はぼうぜんと箸の先につままれた卵焼きに見入っていたが、やがてポツリと呟いた。


「……うまい」


「マジで?」


 様子をうかがっていたのだろう、西ちゃんはその言葉が呟かれた途端、かじっていたインゲンを放り出してパッと表情を輝かせた。


「だろだろだろ? 結構手がかかってんだからそれ。よかったー、早起きしたかいがあったなー」


 え? 何その発言。

 柴崎泰広も首をかしげて眉根を寄せた。


「なーなー、よかったらこっちのマリネも食ってみてよ。結構いけると思うよ」


 ウキウキと自分の弁当箱を差し出す西ちゃんに、柴崎泰広がおずおずと問いかける。


「あの、これ作ったのって……西崎さんのお母さん、ですよね」


「え? いや、これ全部俺の手作り」


 柴崎泰広もあたしも目を点して凍りつき、数秒後、二人同時に……と言っても、あたしは送信でだけど……素っ頓狂な叫び声を上げて仰け反った。


「【ええええええええっ⁉】」


 思わず、柴崎泰広と一緒になって差し出されている弁当箱の中身を覗き込んでしまった。

 インゲンとジャコの和え物に、トマトときのこのマリネ、大根とツナの煮物に、先ほどの卵焼きが、彩りよく整然と並んでいる。


 これマジで全部この男が作ったっての!?


「俺さー、昔っから料理好きなんだ」


 何気なく言葉を継ぐ西ちゃんの声は、煮物をモグモグやりながらだったせいか、少しくぐもっていた。


「怪獣ごっことかレンジャーごっこより、なぜかおままごとのが好きな子どもでさー」


 それから、機能停止に陥っている柴崎泰広ににっこり笑いかける。


「ついでに言うと好きな色はピンクで、好きなキャラはマイペロで、好きな食べ物はケーキで、好きな動物は猫。どお? 少しは安心した?」


「……安心って」


「なかなかに中立的な存在でしょ、俺って」


 柴崎泰広はぼうぜんと箸を止めたまま、西ちゃんを見つめて動かない。


「てかさ、こーゆーことで男とか女とか規定されちゃっても困るんだよな。料理嫌いな女もいるし、ピンク嫌いな女もいるし。俺はたまたまそーいうのが好きってだけなのと」


 西ちゃんの言葉がプツリと途切れた。

 訝しげに眉根を寄せた柴崎泰広の目線と、西ちゃんの熱すぎるまなざしがクロスする。

 

「……おまえみたいな雰囲気のヤツが大好きってだけで」


 そのまなざしに瞬間冷凍された柴崎泰広の手から、箸がポロリとこぼれ落ちた。


「なーなー柴崎、その眼鏡かえろよ。あ、コンタクトのがいいか。すんげー雰囲気変わると思うけどなー」


 西ちゃんはペロリと上唇を舐め、ずずいと体を前に乗り出す。


「いいいいいいい嫌です絶対に」 


 その圧に押され、柴崎泰広の椅子が耳障りな摩擦音とともにあとじさった。


「なんで? その眼鏡完全に壊れてんじゃん」


「ぼぼぼぼぼ僕お金ないんです。眼鏡買う余裕なんかあるわけがないし」


「まともな親なら何とかしてくれるって。そんな眼鏡じゃ危険だしさ」


「いや僕親いないんで」


「は?」


 西ちゃんの前進がピタリと止まった。

 柴崎泰広はホッとしたように体勢を立て直すと、ずり落ちた眼鏡の鼻根を押し上げる。


「親いないって何? どゆこと?」


「いや……父親はずいぶん前に死んで、母親はつい先日、男作って家を出て行ったもんで」


「ええええ⁉ マジで?」


 西ちゃんのひっくり返った大声に、教室で弁当を食べていた生徒たちの目線が一斉に注がれる。


「し、静かにしてください」


 柴崎泰広は焦りまくって西ちゃんをなだめた。

 西ちゃんはようやく椅子に腰を落ち着けたものの、それでも興奮冷めやらぬ様子で言葉を継いだ。


「はああああ、人は見かけによらないもんなんだな。おまえがそんな苦労人とは思わなかった」


 感心しきって頷いていたが、突然何に思い至ったのか、弾かれたようにその顔を上げる。


「……と待て。てことは、今おまえン家に住んでんのは、もしかして……おまえ一人ってこと?」


「は? ……はあ、そうですけど」


 西ちゃんは椅子を鳴らして立ち上がった。

 柴崎泰広は息をのんで首を縮め、それから怯えたように西ちゃんを見上げる。


「……柴崎。週末、おまえン家行っていいか」


「……へ?」


「今週末おまえン家行くから」


 押し殺したような声で紡がれる恐ろしい言葉に、柴崎泰広の頬からみるみるうちに血の気が引く。


「ダダダダダダダダメです絶対に」


「いーじゃんケチ。一緒に勉強しようぜ、勉強」


 机に両手をつき、覆い被さるようにしてグイグイ顔を近寄せてくる。 

 柴崎泰広はその迫力に押されるように背を反らせながら、掠れて裏返った声を絞り出した。


「むむむ無理です僕週末バイトなんで」


「バイト?」


 西ちゃんの前進が止まったので、柴崎泰広はホッとしたように呼吸を整える。


「生活費稼がないといけないんで」


「生活費?」


 柴崎泰広はこっくりと頷いた。


「食費とか光熱費、自分で払ってるんで」


「マジで? それってほぼほぼ自活じゃん。すげえなおまえ」


 西ちゃんは裏返った声で叫ぶと、興奮したようにあとを続ける。


「てことは、学費とかも自分で払ってんの?」


 柴崎泰広が戸惑ったような目線をあたしに送ってきたので、西ちゃんに気づかれない程度に小さく頷いてみせる。


【きつそうなら、奨学金申請するかもって言って】


「しょ、奨学金の申請も視野に入れてます」


「へえええええ!」


 西ちゃんはまたまた感心したようにため息をついた。


「てことは、大学も奨学金で行くつもりってことか。マジですげえな」


「え……」


 その言葉に、あたしも柴崎泰広も、はたと動きを止めた。


 大学。

 その道を、あたしは既に諦めてる。だから、その選択肢の存在を今までは全く考慮に入れていなかった。

 でも。

 口を半開きにしている柴崎泰広を、チラリと見やる。

 こいつには、決して無理な選択じゃない。  


「行けるわけがないですよ、親もいないのに大学なんて」


 苦笑まじりのその声に、はっとわれに返った。

 見上げた柴崎泰広の頬には、困ったような笑みが浮かんでいた。


「え? でもおまえ、あんなに頭いいのに」


「高校ならともかく、大学なんて財政的に無理ですよ。だいたい、やりたいこともないのに行ったってしょうがないじゃないですか」


 西ちゃんは浮かしていた腰を座面に落ち着けると、頬づえをつき、探るように柴崎泰広を見た。


「やりたいこと、ねえの?」


「ないですねそんなもの。強いて言えば早く死にたいくらいで」


「ふーん……」


 西ちゃんは、じっと柴崎泰広を見つめた。

 その視線の圧迫感に耐えきれなくなったのか、柴崎泰広がおずおずと問いかける。


「な……何ですか?」


「え? いや、……もったいねえなって思ってさ」


 再び箸を動かし始めながら、西ちゃんは何気ない口調でそう言った。

 何を言いたいのか分からなかったのだろう、柴崎泰広は不思議そうに首をかしげてから、弁当の残りをつつき始める。

 あたしは、柴崎泰広の長い睫毛を見つめながら、心臓もないし呼吸もしてないクセに、なぜだか胸が苦しいような気がして仕方がなかった。

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