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35.何してくれてんの

 左右に揺れる視界におののきつつ意識を上方に向けると、引きつった顔で前方を見据える柴崎泰広の顔が、白いワイシャツに包まれた肩の向こうにチラリと見えた。


【ちょっとちょっと何してくれてんの柴崎泰広!?】


 その横顔を目がけて、可能な限りキツイ送信を叩きつける。


「何って……見たとおりです」


 柴崎泰広はかすれた声で答えを返す。


「あんなんじゃ、交代するしかないですよ」


【はあ? あんなんじゃって何? あたしはあたしなりに落とし前をつけたかっただけなのに、余計な口出ししないでくれる!?】


「いや、落とし前って……そんなことのために、ますます深い穴掘ってどうすんですか」


【そんなこととかよく平気で言ってくれるよね。あたしにとっては脳血管ブチ切れるレベルの屈辱だってのに。つかさ、あんたにはこの窮地を脱する策でもあるっていうわけ? 事態を丸く収める妙策でもあるってんなら許してやってもいいけど】


「……いや、ないです」


 速攻で否定された。


【無策のくせに交代したってこと? なにそれマジでいい加減にしてくれる? あのねえ柴崎泰広、こうなったらもう力で押し切るしかないの。下手に出たら負けだってのに、あんたみたいな気弱な人間が前に出たらこじれるだけだってのがわかんないわけ?】


「なこと言ったって、犯罪行為に走ってさらに泥沼にはまろうとしているのを止めないわけにはいかないですよ! 犯罪者になるくらいなら、パシリやらされてた方が百万倍マシですっ」

  

「何ブツブツ言ってんの?」 


 柴崎泰広はドキッとしたように言葉を飲み込んだ。

 意識を前方に向けると、側に歩み寄ってきていた佐藤夏波が、柴崎泰広を斜から睨み上げていた。組んだ左手の指先には、瓶底眼鏡が揺れている。

 柴崎泰広はあわてたように目線を足元に落とすと、しどろもどろに言葉を返す。


「あ……いや、別に、何でもない、です」


 あああなにその弱気な態度。そんなんじゃ付け込まれるって。だから交代しないでほしかったのに!

 柴崎泰広の態度の変化に違和感を覚えたのか、佐藤夏波は眉根を寄せ、探るように眺めまわしながら言葉を継いだ。


「あんたがこの間したことは、ケーサツに通報レベルの立派な犯罪。それは分かってるよね?」


「……はい。分かってます」


 あああああそんなビクついた態度じゃダメなんだってのにイライラするなあもう!

 佐藤夏波もイラっとしたのか、指先にぶら下げている瓶底眼鏡を細かく揺らし始めた。


「あたしも親とか警察にいちいち説明するのがめんどくさくて放置してたけど、こうして目の前に犯人がのこのこ現れたわけだし、あんたの態度次第では、通報するのもアリかなって思ってるわけ」


「……そうですね」


 佐藤夏波はかがみこむと、うつむいている柴崎泰広の顔をのぞき込んだ。


「してもいい?」


 突然の接近に柴崎泰広は息をのむと数歩あとじさり、佐藤夏波の顔から目をそらしながら小さくうなずく。


「い……いい、です」


 はあ? よくねえよタコ! なに言ってくれちゃってんのマジで!

 必死で抗議の送信をたたきつけてみるも、緊張のためか何なのか、柴崎泰広の意識は完全に閉じていて、あたしの送信が入り込むすきがない。あああもう、この状況を一人で何とかしようとか、対人スキルがマイナスレベルのあんたみたいな引きこもりの不登校児には不可能なんだって!

 佐藤夏波は眉根にきつくしわを寄せると、あとじさった柴崎泰広に歩み寄り、探るようにその顔をのぞき込んでいたが、ややあってぽつりと口を開いた。


「……ねえ、あんたって、マジでさっきまでのあんたと同一人物?」


――は?


「え?」


 その問いかけには柴崎泰広もドキッとしたのか、そらしていた目線を戻した。その途端、視界いっぱいに佐藤夏波のどアップがうつりこんできたので、さらにビビッたらしい。息をのんで飛び退った拍子に、背後の防護柵に思いきり背中をぶちあててしまった。

 ケツポケのあたしは金網とケツの間に挟まれてしまったが、必死で体をねじってその間から顔を出し、前方に立つ佐藤夏波の様子をうかがい見る。


――こいつ、まさかって、何か気づいてる?


 佐藤夏波は顔にかかった髪をかき上げつつ、うっとうしそうに肩をすくめた。


「ヘンにビクビクしちゃって、キモ。この間とは別人みたい。身バレしたのがそんなにショックだったってわけ?」


 うろん気な表情を浮かべつつ、自分の顔を再度ずずいと近寄せる。

 眼鏡なしとはいえ、ここまで間合いを詰められれば柴崎泰広の視力でも佐藤夏波の顔が見えるらしい。至近距離で上下する密度の濃い睫毛集団にごくりと唾を飲み込むと、慌てて顔をそむけた。

 その反応が楽しかったのだろう、佐藤夏波は珍しいおもちゃを手に入れた子どものように無邪気で残酷なほほ笑みを浮かべると、柴崎泰広の顎に白く細い指を添え、か弱い見た目とは裏腹な強引さで強制的にその顔を自分の方に向けた。

 それから、驚愕にひきつっている柴崎泰広の顔を、興味深げにまじまじと見つめる。


「……まあ、これはこれで面白いかも」


 佐藤夏波は呟くと、柴崎泰広の顔にかかっていた自分の伊達眼鏡を取り去り、今度は眼鏡なしの顔をためつすがめつ眺めやった。


「へえ……確かに眼鏡なしなら、少しは見られる顔かもね」


 呟いた、次の瞬間。

 佐藤夏波は、手にしていた瓶底眼鏡を空高く投げ上げた。


――え⁉

 

 柴崎泰広もあたしも、完全に虚をつかれた。

 佐藤夏波の手を離れた瓶底眼鏡は、青い空に緩やかな弧を描きながら防護壁を越え、小さな黒い点となって金網の向こうに消えた。


「もう変装の必要もないんだし、要らないよね、あんなキモくてボロい眼鏡」


――やりやがった。


 金網越しの青空から、柴崎泰広に視点を移す。

 柴崎泰広はぼうぜんと眼鏡が消えた中空に目を向けている。といっても、目の悪いコイツには、眼鏡が佐藤夏波の手から離れた瞬間くらいしか見えていなかったのだろうけど。


「あんたがあたしにしたことから考えれば、この程度の報いは受けて当然だよね?」


 忌々しい。やることなすこと忌々しすぎる。

 脳血管ブチ切れるレベルではらわたが煮えくりかえっているのに、しがない編みぐるみの身では、尻と金網の間に挟まれながら佐藤夏波の冷笑を眺めやることしかできない。何から何まで最悪すぎる。

 

「てことで、キモいボロ眼鏡とは今日でお別れね」


 そんなあたしの内心など当然のことながら知る由もなく、佐藤夏波はあっけらかんと言い捨てると、くるりと踵を返した。

 視線の圧力から解放されて、柴崎泰広は膝の力が抜けたらしい。防護柵に背中を擦りつけながらへたり込むので、尻に押し潰されながら金網にズリズリ擦りつけられたあたしは、腕とおなかがちぎれそうになった。


【ちょっとちょっとしっかりしてよ柴崎泰広、気ぃ抜いてる場合じゃないって! この程度で終わりのわけがないんだから】


「あ、一つ言っておくけど」


 正気を取り戻させるべく必死に叫んでいると、佐藤夏波の足が止まった。

 柴崎泰広もあたしも、息を詰めてその動向に注目する。

 佐藤夏波はくるりとこちらに振り向いた。遠心力でまあるく広がったスカートの裾の下から、無駄な脂肪のついていないすらりとした太ももがのぞく。


「この先、あたしには、いつでも通報する可能性があるってことは覚えておいてね」


 冷酷に通告しながら、邪気の欠片も感じられない天使のような笑顔を浮かべる。狙ってやってんだかなんだか知んないけど、やってることと見てくれのギャップが激しすぎなんだよおまえ。


「今日のところは眼鏡だけで許してあげる。なんか、急にしおらしくなっちゃってつまんないから。口封じのために強姦くらいしてくるヤツかと思って期待してたのに、ガッカリ」


 げ。読まれてた。てか期待って。

 

「つまんないから、ジワジワいくことにしたの」


 ……ジワジワ?


「握った弱みを簡単に手放したらもったいないからね。パシリとして役に立たなくなったり反抗したりしたときのために、カードは大事にとっておいてあげる」


 あーあ、やっぱりそう来たか。予想どおりの展開。というか、通報しないならそれ以外ないよね。あたしが逆の立場でもたぶんそうする。


「てことで、あんたはこれから、永遠にあたしの奴隷。ヘタに逆らおうとか考えない方がいいよ? 命令に背いたら、即座に警察に駆け込むから」


 冷然と言い放ちつつ、佐藤夏波はバラ色の頬を満足げに引き上げた。全く、腹が立つほど極上のほほ笑みだ。


「取りあえず最初の命令は、さっきも言ったとおり、もっとまともな眼鏡に変えること。今後はかかわりも増えるだろうし、ある程度見てくれにも気を使ってもらわないとあたしも困るから。これ、命令だかんね? しれっとクソダサい眼鏡かけてきたら即通報だよ? カッコいいのを選ぶのが難しければ、コンタクトにしといて。あれが一番無難だから。よろしくね」


 要するに、この女はシバサキヤスヒロの秘密というカードを握って、命令に絶対に背かない自分専用の奴隷としてこき使うつもりってことだ。

 心の中で、思わずニヤリとしてしまった。

 この女の外道ぶりには吐き気がするし、いまいましいのは確かだけど、即座に警察に駆け込まれなかったのはラッキーとしか言いようがない。猶予期間が与えられたようなものだから。表面的には従順な奴隷を演じながら、あいつの身辺を探って、形勢逆転の材料を探せばいいだけの話だ。

 ありがとう柴崎泰広。あんたが弱気なキャラを前面に押し出してくれたおかげで、佐藤夏波に隙が生まれた。あいつは完全にこちらを舐めてる。でも残念ながら、あたしはあの女には絶対に服従しない。虎視眈々と形勢逆転の機会を狙ってやる。

 わずかながら見えた光明にほくそ笑みつつ、形勢逆転の方策についてあれこれ考えを巡らせ始めた、矢先。


「いえ、別に、すぐ警察に行ってもらって構わないです」


 柴崎泰広のこの爆弾発言に、頭の中が真っ白になってしまった。

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