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26.頼むね、クマるん

 神谷さんがご近所の奥さま連中を引き連れて賑々《にぎにぎ》しくご来店になったのは、掃除を終え身支度を調えて一息ついた直後だった。

 鈴の音も高らかに入店した神谷さんは、「いらっしゃいませ」と言おうとしたあたしを一目見るなり、背後に立つご友人らしきおばさまに機関銃のごとく畳みかける。


「この子よこの子、新しいバイトさん。ちょっと見てよほら、滅茶苦茶かわいいでしょ?」


 神谷さんの後ろから現れたのは、大柄で運動神経抜群そうな奥さまと、手芸なんかちまちまやっていそうな小柄で丸っこい奥さまという、対照的な二人組だった。勢いに押されて一歩あとじさったあたしに二人並んでにじり寄り、首を上下に振りながらためつすがめつして眺め、それから同時にはああと大げさなため息をつく。


「ホント! あの人に似てない? ほら、芸能人でさ、帰国子女の……」


 大柄奥さまの言葉に、小柄奥さまがせわしなく首を上下に振る。


「分かる分かる、水縞くんでしょ? あたしもそう思ってたとこ。ねえねえあなた、ちょっと、眼鏡取ってみてもらえない?」


 いったい何なんだこのパワーは。

 初対面の人間に対する態度かこれ?

 とはいえ相手は客。角は立てたくないので、ご要望どおり眼鏡をとって見せる。

 途端に、悲鳴めいた甲高い叫び声が切り裂くように響き渡った。


「きゃああああ、似てる似てる! でも、ちょっと背が足りないかな? ねえねえあなた、背、何センチあるの?」


 眼鏡をかけ直しつつ、大柄奥さまの質問に答えるべく尻で揺れるクマるんに小声で問う。

 

「く……クマるん、あんた背、何センチ?」


【え、えっと……去年の五月に測った時は確か、百七十センチでしたけど】


 クマるんも相当ひいているらしく、どもり気味だった。送信なのに。


「百七十センチです」


「ああらそう。じゃあがんばって、あと十センチ伸ばしてちょうだい。それであなたも水縞くんよ」


 ほほほほほほ、と、白粉おしろいくさい高笑いが店内の調度品を震わせて響き渡った。


「何だい、今日はずいぶんとお早いご来店だね」


 レジ奥の定位置から笹本さんが不機嫌満開の声を発するも、神谷さんらは慣れっこらしく、「そりゃあねえ」「ねえー」と意味ありげに顔を見合わせてくすくす笑う。


「笹本さんのところに若くてステキなバイトさんが入ったなんて聞いたら、それはもう行くしかないじゃない」


「冷やかしはゴメンだよ」


「分かってるわよぉ。野村さんも清水さんも、柴崎くんにお洋服を見立ててもらいに来たんだから。この間見立ててもらった服、大好評でね。いったいどこで買ったのって聞かれたんで、柴崎くんのことを話したの。そうしたら二人とも、ぜひ見立ててほしいって言って」


 ねー、と言いつつ顔を見合わせ、それから三人同時に首を巡らせ、やけに真剣なまなざしをあたしに向ける。

 雰囲気に気圧されて、思わずもう一歩あとじさってしまった。


「「「お願いね、柴崎くん」」」


 三人同時に言い放ったその勢いに有無を言わせぬ圧迫感を覚え、思わず救いを求めて笹本さんに目を向けるも、笹本さんは諦めきったような表情で小さく首を振っただけだった。



☆☆☆



 勧められるままトップス三点とボトム二点、帽子にスカーフをお買い上げになった奥さま方は、免罪符を手にしたとばかりにさっそくソファに陣取って、「今おいくつ?」「どこに住んでるの?」「ご両親は何をなさってるの?」「彼女はいるの?」等々、あたしの淹れた麦茶を片手に、仲人顔負けの身上調査を開始した。

 ソファ脇にたたずんで曖昧な笑みを浮かべつつ、仕方なくクマるんに事実を確認しながら質問に答えるうち、一人で生計をたてている事情にまで話が及んだ。これに関しては笹本さんにも公言しているし、ことさら隠すいわれもないので簡単にいきさつだけ話したところ、「えええ⁉」と予想以上に驚かれ、「本当に!?」と必要以上に疑われ、しまいには「かわいそうに……」とハンカチで目頭まで押さえられる始末。鬱陶しいことこの上ない。

 当然、自殺未遂のことも男性恐怖症のことも話してはいないものの、尻っぺたにぶら下がるクマるんからは先ほどから、不満げなオーラをひしひしと感じる。とはいえ、この人たちは間違いなくこの店の常連。マイナスの気持ちは一切表に出してはならないのだ。

 押しつけがましく繰り返される同情の言葉に心もち目線を落とし、微妙に影をまとったほほ笑みで曖昧に応えているうちに、厚めのファンデで塗り固められた頬に満面の笑みを浮かべた奥さま方は、一時過ぎ、ようやくご満悦のご様子で店をあとにした。

 軽い鈴の音とともに店の扉が閉まると、先ほどまでの喧噪がウソのような静けさが、湿って薄暗い店内に満ちる。


「ご苦労さん」


 テーブルを片付けていると、ふいにレジ奥に座る笹本さんが言った。意外だった。思わずコップを片付ける手を止めて笹本さんを見たが、笹本さんは手元の書類に目線を落としていて、あたしの方を見てはいなかった。


「いえ」


 短く返してテーブルを拭き、コップを三つまとめて持つ。


「うちの店は今、ああいった客が中心なんだ」


 流しの方に行きかけたあたしを引き留めるように笹本さんが言葉を重ねたので、店の入口で足を止め、作業を続ける笹本さんの広い背中に目を向けた。


「二十五年前にこの店を始めた当初から、ずっと固定客が張り付いている状態でね。まあ、あたしの選ぶもんと感覚が合ってるんだろうけど、最近、このままじゃまずい気がしてきたんだ。あたしも年を取るし、彼らも年を取る。でもこの町は若いもんが中心だ。新しい客層を開拓しないと、確実に取り残されてしまう」


 相づちのうちようもなく黙っているあたしに、笹本さんはそこで初めてチラリと目を向けた。


「だからバイトを入れようと思ったんだ。もちろん肉体労働が年齢的にきつくなってきたってのもあるけど、それよりは、うちの店が若い連中の目にどんな風に映るのか興味があってね」


 なるほど。そうだったのか。

 今日は五月三日、この町を訪れる人の数は普段より多いのにもかかわらず、確かにおばさま三人組が店のソファを占領している間、新規の客は誰一人として来なかった。開店準備こそ忙しかったが、これなら笹本さん一人でも十分切り盛りできる範囲だろう。


「……ま、この店はあたしの趣味みたいなもんだから、正直そんなに収益を期待している訳じゃないがね。生活費だけなら、家賃収入で十分まかなえるし」


「家賃収入?」


「ああ。うちの二階と三階はアパートだから。あたし一人が食べて行くには、それで基本的に十分なんだ」


 そうなんだ。だから店の雰囲気も、売り上げ一辺倒な感じがしなかったんだ。

 頷いているあたしを横目に、笹本さんは心なしか悲しげなため息をついた。


「だから、このまま状況が好転しなければ、年内に店を畳もうと思ってるんだよ」


「ええ⁉」


 手にしていたコップを取り落としそうになり、慌てて抱え直す。


「ほ、……本気ですか?」


「ああ。あたしも年だし、最近、自分の買い付けにも自信がなくなってきたしね」


 ちょっと待ってそれは困るマジで困る。こんなに(あたしたちにとって)条件のいいバイト、どこを探したって見つからないよ。


「そんなことはありませんっ」


 思わず裏返った声で叫ぶと、笹本さんは目を丸くして顔を上げた。


「笹本さんの買い付けた服、あた……いえ、僕はすごくいいと思います。神谷さん達に僕がコーディネートできたのも、流行のツボをきちんと押さえた、しかも着やすくて仕立てのいい服がそろっていたからです。笹本さんの目は確かです。この店に客が入らないのは、たぶん、適切なプレゼンテーションが成されていないからですよ」


「プレゼンテーション?」


 狐につままれたような表情で繰り返す笹本さんに、深々と頷いてみせる。


「お客さんは通りを歩きながら、自分に合う服が置いてある店かどうかをウインドウのガラス越しにチェックしています。その時、訴えるべき客層に向けて適切なプレゼンテーションが成されていれば、お客さんは興味をそそられて店に入ってくるはずですから」


 ニヤリと口角を引き上げた笹本さんは、頬づえをつき、どこか楽しそうにあたしを見た。


「それじゃあ、あんたはどんな客層に向けて訴えるべきだと思うね? あたしもそれが知りたいんだが」


「そ、それは……今すぐにはお答えできないですけど」


 思わず言いよどむと、笹本さんはやっぱりとでもいいたげに鼻で笑って肩をすく

めた。

 何それ当然じゃんそんなこといきなり言われても適当に答える訳にはいかないし!

 腹の底から、持ち前の負けん気がムクムクと頭をもたげてくる。 


「帰りまで待ってください」


「え?」


 コップを抱えて決然と言い放ったあたしを、笹本さんはいかにも驚いたような顔で見つめ直した。


「それまでに答えを出します」


「へええ」


 にんまりと両頬を引き上げ、振り袖のような脂肪を揺らして腕を組む。


「そうかい。それは楽しみだねえ」


 心から楽しそうにそう言うと、笹本さんは再び手元の計算書に目線を落とし、


「今から一時間、休憩とってきな。二時から勤務だよ」


 そう言い捨てて、再び作業に没頭し始めた。



☆☆☆



【どうするんですか?】


「どうしようねえ……」


 五月晴れの空が眩しい昼下がりの公園。ベンチに腰を下ろして、右手にお握り、左手にお茶を持ちながら、絞り出すようなため息をつく。

 隣に座るクマるんは、黒光りするビーズの目玉でそんなあたしを心配そうに見ていた。


【絶対にのせられたんですよ、彩南さん】


「分かってるって。何回も言わなくていいよもう!」


 思わず大声を出してしまってから、慌てて周囲を見回す。公園で遊んでいた子どもたちが、動きを止めてこちらを見ている。ヤバイヤバイ。そしらぬ顔でお握りをひと口。


【にしても彩南さん、プレゼンテーションなんて言葉、よく知ってましたね】


「え? 前に言わなかったっけ。あたし服飾関係の仕事に興味があって、いろいろ調べてたから」


 再び遊具で遊び始めた子どもらを眺めやりつつ、麦茶を一口。


「とにかく、あの店に合う客層を見極めればいい訳でしょ。笹本さん、案外センスがいいから、買い付けてある品物はわりと若い人でもいけると思うんだ。でも、ただ若い人向けに発信しても、他の店との差別化が図れないし、……」


 おにぎり片手にブツブツ呟き続けているあたしを、クマるんは黙って見上げていたが、ふいにこんな送信をよこした。


【あの店のある所って、下北山で言うと割に山の手ですよね】


「山の手?」


 ポーチによりかかって座るクマるんは、重そうな首をこっくり上下させた。


【駅の反対側には劇場もあるしライブハウスもあるし飲み屋も多いし、夜中までにぎやかで若い人の姿が多い。でもこっち側って、すぐ側に住宅地があるせいかわりと落ち着いているし、歩いている人の種類も、あちら側とは少し違う気がします】


 なるほど。言われてみれば確かにそうだ。


【特徴をはっきりさせたいなら、調べてみるといいかもしれない】


「調べる?」


【あの店の前を、実際にどんな人が通っているのか、……まあ、今日は黄金週間まっただ中なんで平日の客層とは少し違うかもしれないけど、何らかの指針にはなるかもしれない】


「いや、でもさ、調べるって言ったって、接客とかしてたら通行人調査なんて無理だし」


【僕がしますよ】


 数秒間の思考停止。

 口に入っているご飯をかみ砕くのも忘れてクマるんを見つめる。


「え? 僕が、……って?」


 クマるんはあたしの視線から逃れるように、ビーズの目玉をあさっての方に向けた。


【いや、だから、通行人調査……どうせ暇だし、携帯から外してもらって目立たないところに置いておいてもらえれば】


「でもさ、あんたさ、生きたくないからやる気ないとか言ってたじゃん」


【え? ……あ、いや、やる気は特にないんですけど、……】


 言いよどんで、決まり悪そうに顔をそむける。

 向こう向きの両耳の間に、木漏れ日がチラチラと揺れている。

 思わずクスっと笑みがこぼれた。

 食べかけのお握りを膝に置いて居住まいを正し、軽く頭を下げる。


「頼むね、クマるん」


 クマるんはおずおずと首を巡らせると、大きな頭をこっくりと縦に振った。

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