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17.早く何とかして早く!

「だから僕なんかが駅に行かない方がよかったんですよ!」


【は? 何言ってんの? それとこれとは話が別……っていうか、なんであんたにあたしが怒られなきゃならない訳? 逆ギレじゃん!】


 罵り合いつつも柴崎泰広は走っていた。今のわれわれにとって、携帯は貴重な投資であり生命線だ。何としても取り戻さなくてはならない。焦り方を見るに、柴崎泰広もそのへんはあたしと考えが一致しているらしかった。


「落とした場所って、コンコースですかね」


【多分ね。あんたがゲロ噴いてタオルで口拭いた時に落としたとしか思えないもん】


 あたしがあたしだった頃には感じたことがないくらいのスピードで、グングン背後に流れ去る風景。こいつ案外足速いじゃんなどと思っているうちに、あっという間に坂を駆け下り、商店街を抜け、駅階段が近づいてきた。

 目前に迫り来るは、つい三十分ほど前に三百六十五歩のマーチ逆バージョンをやらかしたあの階段。一段目に、柴崎泰広の右足がさしかかる。

 どうするかな。

 息をつめて様子をうかがっていたあたしは、あぜんとした。

 段上に右足をのせた柴崎泰広は、そのままよどみなく左足を差し上げ、一段とばしで一気に階段を駆け上がったのだ。

 

 何こいつ。

 何だったのさっきの逡巡は?

 こんな簡単にできるようになる程度のことだったわけ!?


 腹立った。正直。

 でもまあ、目の前に必死にならざるを得ない状況があるからこそなのかもしれない。ということは、こういう必死の状況に絶えずさらされ続けていれば、その勢いで心の病を吹き飛ばせる可能性があるんじゃないだろうか。しかもこれからの生活は恐らく、必死にならざるを得ない状況の連続なわけで。

 なあんだ、思ったより早く解決できそうじゃん。

 などと思っているうちに階段をのぼりきった柴崎泰広は、上り口で立ち止まってキョロキョロとあたりを見回した。


「吐いたのって、どこでしたっけ」


【そこそこ、エレベーター脇。ほら、ゲロの跡が残ってんじゃん】


 居心地が悪そうな表情を浮かべる柴崎泰広とともに、木屑のようなものをふりかけられて茶色く固まった吐瀉物跡周辺をくまなく探索するも、携帯らしき物品は見あたらない。


【窓口に行って聞いてみよう、運がよければ届けられてるはず】


 目の前には相変わらず必死にならざるを得ない状況が存在し続けている。さっきの駅階段と同様、軽々とクリアしてくれることを確信しつつ、本当に何気なくその言葉を投げかけた、刹那。

 柴崎泰広は血の気が一気に引いた顔面を硬直させると、目線を落ち着きなく左右に泳がせながらあとじさった。


「ま、……窓口、ですか?」


【うん。窓口……ってあんたさ、何? まさかまた、ゲロ噴きそうとか言う?】


「あ、いや……、で、でも……窓口には、駅員が」


【そりゃいるよね、駅員の一人や二人。つか、いなきゃ窓口の意味がないし】


「駅員って、かなりの高確率で、男、……ですよね」


【いや、そんなことないんじゃん。最近は鉄道各社も競って女性を採用してるし、女性運転士も女性車掌も普通に見かける時代だし……って、男だろうが女だろうが聞かないことには携帯が戻ってこないんだって! ほら、何でもいいから、早いとこ窓口に行くよ!】


 もう、いい加減にしてほしい。

 他人に見られていないことを確認してから腕を思い切りけっ飛ばす。

 だが、早く早くといくら急きたてても、一歩進んでは立ち止まり、一歩進んでは周囲を不安げに見回し、また一歩進んでは進めた足を後ろに引っ込めながら、柴崎泰広はわずか八メートルほどの道のりを、信じられないほどの時間をかけながら牛歩戦術で進んでいく。

 ようやく窓口まであと二メートルの位置まできたところで、柴崎泰広は足を止め、口の端を引きつらせながらゴクリと唾を飲み込んだ。

 太ったおばさんが一人、窓口脇で旅行かなにかのパンフレットを読んでいる他は、窓口周辺に人の姿はない。


【ほら、誰も並んでないからすぐ聞けんじゃん。行きなって】


 背中を力いっぱい蹴り飛ばすと、柴崎泰広はよろけるように一歩窓口前に押し出され、焦りまくりながらポーチごとあたしを両手でつかんだ。


「な、何すんですか! 彩南さ……」


【シーッ! でかい声を出さない!】


 慌てて口を閉じた柴崎泰広に、窓口脇のおばさんがちらりとうろん気な目線を送ったが、すぐに目線を外すと、別のパンフレットを探すのだろう、重そうな体を揺すりながら少し離れたところにあるパンフレット置き場の方に歩いて行った。


【全く、余計注目されるようなことしてどうすんの……】


 おばさんの無反応さにほっとしつつ、何気なく柴崎泰広に目を向けて、はっとした。

 横向きの柴崎泰広の、紙のように真っ白な頬と、浅く異様に速い呼吸。

 額にびっしりと浮かんだ汗の滴が、その頬を伝って幾筋も流れ落ちていく。

 ……しょうがないなあもう。


【わかった。窓口の人がどんな人だか、あたしが先に見てきてあげるよ。情報があらかじめあれば、心の準備もできるよね?】


 世話が焼けるが、携帯が戻ってこないとあたしも困る。何としてでもやり遂げてもらわないと。


【窓口前に棚があるよね。あの棚に、さりげなくポーチごとあたしを置いて。あそこからなら、窓口の中が見えるから。人の前に立つわけじゃないし、そのくらいならできるよね?】


「わ……わかりました」


 柴崎泰広はしばらく逡巡していたが、やがて覚悟を決めるように目をつむり、あたし付きポーチを持ち直す。

 次の瞬間。

 気がつくと、あたしはポーチといっしょに空をとんでいた。

 

 は????

 何やってんのバカ! 放り投げるヤツがあるか!


 ポーチは取りあえず緩やかな放物線を描き、窓口脇に設置されている棚を目指している。

 だが、着地点と目される地点には、あろうことか、さきほどパンフレットを物色していたおばさんのものであろう、黒いポーチが置かれている。


 ああああああああ、ぶつかる!


 衝突を覚悟して意識を閉じかけるも、よく考えればあたしに痛覚なんかない。息を詰めて様子を見守る。

 ウエストポーチは壁にたたきつけられ、際に沿ってずるずると滑り落ち、運良く棚の上に着地した。ホッとしたのもつかの間、あたし達のポーチに押し出されるような格好で、もともと置いてあったおばさんのポーチが棚から落ち、重い音を立てて床に転がってしまった。

 

 あー、落としちゃった……ごめんね、おばさん。


 後ろ向きでパンフレットを物色中のおばさんの背中に手を合わせると、さっそく窓口方面に意識を凝らす。窓口内がなんとか見えることに感謝しつつ意識を尖らせると、視界に、肩のあたりで茶色っぽいウエーブヘアを一つにまとめたかわいらしい女性駅員の姿が映り込んだ。


【大丈夫! 女の人だよ女の人! 男の客とか来ちゃう前に早く窓口に行って!】


 柴崎泰広はぱっと表情を輝かせると、それでもいくぶん慎重な足取りで窓口に向かった。おそるおそる窓口を覗き込み、遠慮がちに「あの、すみません」と声をかける。

 相手が女性なので、オドオドしながらでも要件は無事に伝えられているようだ。女性駅員が席を立ち、奥に何か取りに行く。柴崎泰広がチラリとあたしを見て、指でOKサインを作った。どうやら、届けられていたらしい。

 ああよかったと安心した途端、一気に力が抜けた。ポーチの上にのせていた体がズルズルと滑り落ち、ポーチ上から落ちてぶら下がる。

 ストラップに体重を預けると、風でも吹いたのだろうか、ゆっくりと体が回転した。


――そういえば、床に落ちたおばさんのポーチはどうなったかな。


 回転しながら意識を足元に集中すると、うちらのポーチととてもよく似た黒いポーチが床に転がっているのが見えた。そのポーチにも、何かがくくりつけられている。それはどうやら、あたし(クマるん)と同系統の編みぐるみらしかった。しかもやたらと似ている。あたし(クマるん)同様、全長は三〇センチ程度、その上、緑色の帽子まで被っている。ただ、それはどうやらクマではなくて犬の編みぐるみらしかった。

 似たような趣味に思わず共感を覚えつつ、パンフレットを漁るおばさんに目線を移すと、お目当てのものが見つかったのだろう、手元のパンフに目線を落としたながら、こちらに向かって歩いてくるのが見えた。

 手にしているパンフレットから目線を上げないその様子に、ふっと嫌な予感が過ぎる。

 柴崎泰広はというと、駅員さんから携帯を受け取り、何かの書類に必要事項を記入しているところだった。目の前のことを処理するのでいっぱいいっぱいなのだろう、背中を丸めて書類に覆いかぶさり、こちらのことなど気にかける様子もない

 取りあえず状況を送信だけでもしておこうと意識を集中しかけた時だった。

 ふっと体が浮いた。


――え?


 嫌な予感、的中。

 おばさんはパンフレットから目を離さないまま、当然のようにあたしのくくりつけられたポーチをその丸太のような肩に担ぎ上げ、重い体を揺すりながら改札方面に歩き出した。


【ちょっとちょっとちょっとちょっと柴崎泰広、何とかしてっ!】


 美人の駅員さんに書類を渡そうとしていた柴崎泰広は、うるさそうに眉をしかめて首を巡らせ、おばさんに拉致られるあたしとポーチを見て……かっきりと凍りついた。

 その時にはもう、太ったおばさんは自動改札をのっそりのっそりくぐり抜け、上りホームに向かって歩き始めていた。


 早く何とかして早く!


 だが、柴崎泰広は氷像のごとく固まったまま、ぼうぜんとその場に立ち尽くしているだけだ。をいをい、フリーズしてる場合じゃないだろもう!

 マジで背中を冷たい汗が流れ落ちたかと思った。汗腺ないのに。 

 そんなあたしの焦りなど知る由もないおばさんは、相変わらずパンフレットから目線を上げないまま、のっしのっしと巨体を揺すりつつ、上り三番線ホームへの階段を下り始めた。

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