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14.何かむかつくんだけど

「Tシャツ六百八十円二枚、カーゴパンツ九百九十円、ジーンズ二千九百八十円、シャツ千九百円、スニーカー二千九百九十円、……あーもう、めんどくさい! 携帯は今充電中だし……ねえクマるん、計算機ない?」


 いい加減キレた。

 ポスティングされていたいかがわしいチラシの裏に書き連ねている長ったらしい筆算を放り投げて叫ぶと、買ってきたものをそれぞれの場所にしまっていたクマるんはため息でもつきそうな雰囲気で振り返った。


【計算機なんてぜいたく品、うちにはないですよ】


「あーもう、何であんたン家って必要なものまでないの? 計算機くらい大した金額じゃないんだから買えばいいのに」


【手計算でいいじゃないですか、別に】


「面倒くさすぎるって! あたし算数苦手だったし、いちいち筆算書くなんてさあ」


 クマるんはTシャツを抱きかかえてよろよろと歩きながら、何気ない調子でこう言う。


【暗算でできますって。一万二百二十円ですよ】


「は?」


 あってるのか今の。

 慌ててさっき放り捨てたチラシを拾い上げ、面倒くさい繰り上がりを繰り返して何とか計算し終えると、答えは一万百二十円。クマるんの答えとほぼ同じだった。


「えええええ……あんたすご。ほぼあってんじゃん。どうやってやったの? そろばんでも習ってたとか」


【そんな金ないですって……別に、概算で計算したところから端数を引いただけですよ。六百八十円は七百円、千九百円は二千円で計算して、そこから余分に加算した分を引けば】


「えー、すご。さすが南沢高在学者」


 クマるんは小さく鼻でため息をつき、呆れたようにあたしを見上げた。多分。


【それって小学生レベルですよ……あ、ちなみに繰り上がり一つ忘れてますよ、彩南さん】


「え」


 慌てて計算し直してみる。答えは一万二百二十円、クマるんの答えと同じになった。


「うそ……ショック」


【僕が計算しましょうか】


「いい。もうちょっとで終わるもん。つまり昨日使った総額は、えっと、昼飯代六百八十円と、美容院代四千七百五十円と、洋服代一万二百二十円と、携帯代四万二千四百二十八円と、食材代八百五十円だから……」


【五万八千九百二十八円】


 即答したクマるんを睨み付けつつ、その金額を急いでチラ裏にメモる。


「てことは、もともとあった二万九千三百二十九円に五十四万八千三百四十円を足した総額から、今回使った五万八千九百二十八円を引くと……」


【五十一万八千七百四十一円】


 よろけながらズボンを運ぶクマるんがそう言ったのは、あたしがようやく最初の金額を書き終えるかどうかといった時だった。


 ふ……ふん、なるほど。

 いかに不登校野郎とはいえ、だてに南沢高に行ってないってことか。

 

「やるじゃんクマるん。クマのくせに」


【元は人間ですから。そんなことより彩南さん、服はそれぞれにしまいましたよ】


「あー、全部しまっちゃダメだって。今日あんたが着る服は出しといてよ。今日もいろいろしなきゃならないことがあるんだから」


【しなきゃならないって……】


「仕事見つけるよ仕事」


 凍りつくクマるんを横目に、先ほどのチラシの余白にメモをしながら考える。


「米びつ見たらほぼ空だったし、味噌も切れかけてるし、肉や野菜は当然ないし。辛うじて乾燥ワカメが残ってたのは助かったけど、そんなんだけじゃどうしようもないよね。光熱費の徴収もあるはず。あんたん家って引き落とし? だとしたら、空っぽの口座に早くある程度のお金を入れとかないと、電気ガス水道止められちゃうし。携帯もさっさと買わなきゃだし。そんなことをやってるうちに、五十万なんてあっという間に底をつく。そうなる前に、定期的に金が入ってくる状況を整えないと」


【で、でも彩南さん】


「何?」


【公的扶助を受けるつもりなら、預貯金は増やさない方が申請が通りやすいんじゃないですか】


「それなんだけどさあ」


 ため息まじりに鉛筆を置くと、心なしか不安げにあたしを見上げるクマるんに目線を合わせる。


「あれから考えたんだけど、申請したとしても通らないどころか、施設送りがオチなのかなあって思ったんだよね」


 クマるんは黙り込んだ。身じろぎ一つせず、じっとあたしを見上げている。


「この家って持ち家でしょ。支払いは済んでるの?」


【……と思います。死んだ父親の父親が買った家だって聞いてますから】


「あと、生活を援助してくれそうな親戚とかじいさん婆さん、いる?」


 クマるんは斜め下に目線を落としてしばらく考えているようだったが、やがて小さく首を横に振った。


【思い当たりませんね……僕の母は、親と縁を切って父と一緒になったらしいんで、……父親の方はもともと両親とも亡くなっていたらしいですし】


「そっか。じゃあほぼ百パーセント施設送りだな。あのねクマるん、生活保護受けるには審査受けなきゃならない訳。ケースワーカーって人が来てさ、ほんとうに生活保護受けるしか生きる術がないかどうか、生活状況を根掘り葉掘り調べんの。持ち家があるなら、それは財産と見なされるから申請が通らない上に、あんたが未成年だってことがばれたら、残された道は施設しかないでしょ。それもまあ、生きる道のひとつではあるんだけど、問題は……」


【僕の……男性恐怖症、ですか】


 震えているようなクマるんの送信に、深々と頷いてみせる。


「施設は基本共同生活。同い年くらいの男と同じ部屋を割り当てられる可能性が高い。たまに個室を与えてくれる施設もあるらしいけど、大体は二,三人一緒の部屋に押し込められるらしいから。そうなったらあんた、地獄でしょ」


 その状況を想像しているのだろう、クマるんはカエルの帽子を細かく震わせながら頷いた。


「あたしにとってもそれは地獄だからね。あんたと暮らすだけでもいっぱいっぱいだってのに、もと女子高生が、なにを好きこのんでむさ苦しい男どもと共同生活せにゃならんのだ」


 ため息をついて言葉を切り、計算したチラシ裏に再び目線を落とす。


「だから、取りあえず生保は考えないでいってみよう。病気になったりケガしたりだとかでにっちもさっちもいかなくなったら、この家売るとか、それこそ死ぬ覚悟で申請するとか考えればいい。とにかく高校卒業までは何とかこのまま持ちこたえて、卒業資格を手に入れることを目標にがんばろう」


【高校卒業……そんなにまでしてこだわらなくてもいいんじゃないですか】


 その言葉に顔を上げると、柴崎泰広は固い表情で足元に目線を落としていた。


【そんな苦労をしてまでして卒業しなくても、すぐに働いて……】


「働けんの?」


 クマるんは言葉に詰まった。


「ていうか、働くは働くよ。たださ、高校は出といた方が絶対得なんだ。仕事の選択の幅も、その後の待遇も中卒とは格段に違う。しかもあんたは南沢じゃん。都立の名門だよ? 卒業しない手はないよ」


【学歴なんか関係ないです。本人の能力があれば……】


「甘い。甘すぎるよクマるん」


 シバサキヤスヒロの姿をしたあたしが、中身柴崎泰広なクマるんを上方からにらみ下ろす。


「それほど傑出した能力をお持ちなんですかあんたは。悪いけど、あたしにはそうは思えないね。あんたは普通。まあ、南沢に入れた分、普通よりちょっと得なくらい。でも、精神的には決定的に不利な部分を抱えてるわけで、平均したら普通以下だよ、生きやすさのレベルは。普通以下の人間は甘えてられないんだよ。自分の能力を冷静に見極めて、生き延びる術を確実に手に入れなきゃならないんだよ」


 生きるってのは甘くない。

 社会福祉がある程度行き渡った国で暮らしているとついつい忘れてしまいがちだけど、生物社会は基本的に弱肉強食だ。その上、運の要素がものすごくでかい。

 先天的に能力の高い者、たまたま経済的に恵まれている者はそう苦労せずともある程度の生活を保障されるけど、能力の低い者、困窮している者、肉体的に弱っている者、何らかのアクシデントに見舞われた者は必然的に苦労を強いられる。

 だからあたしは、シビアに生きる。

 甘い夢を無思慮に追いかけて、崖下に転落する人生なんかごめんだね。

 滑り落ちないようにかけられる安全ロープは何重にもかけて、着実に自分なりの頂上を目指す。

 それが、水谷彩南あたし流人生の極意。


「それにはまず、高卒資格は必須。しかもあんたは今もう三年じゃん。あと一年我慢すりゃ、夢の南沢卒業資格が手に入るんだよ。あんたねえ、ぜいたくだよ。これをみすみす逃すなんて。入学したくてもできなかった人だってごまんといるのに」


 いったん言葉を切って、身じろぎ一つせずあたしを見上げているクマるんに、ちょっと笑いかけてやる。


「あたし、実をいうとさ、南沢受けて落ちた人なんだ」


【え……】


「南沢に行って奨学金もらって国立大、みたいなコースを一時期夢見たことがあるんだ。自分の能力が低いってのは分かってたから、それこそ血の出る思いでがんばったよ。でもやっぱ、生まれつきの能力ってのにある程度規定されちゃうもんなんだよね。あたしには芝沢が限界だった。それで軌道修正したわけなんだけど、自分の能力のなさが悔しかったよ。だから、簡単にそれを捨てようとする人間の気が知れない。どんな甘ちゃんだよって思うよね。ああそうですか、学歴捨てても生きられる傑出した能力をお持ちで羨ましいですねってちゃぶ台ひっくり返したくなる。どうぞご勝手に、弱肉強食の世界でひとかどの者になれるもんならなってくださいねって」


 華やかな成功を収めている人間なんて本当に一握りだし、一握りだからこそ話題にもなる。実際問題、実力本位の世界に身を投じてある程度の成果を手に入れるには、既定のレール上を進むのにくらべて、気力、体力、精神ともに何倍も削られる覚悟が必要だろう。レールに乗っかっている人々が手に入れている普通の幸せを諦めて、それこそ血を吐いてでもその道を突き進む覚悟が必要なわけで、気軽に選択できる道じゃない。

 全く、そういうことを分かっているんだろうか、この男は。


「とにかく高校は卒業する。そのくらいのことができなきゃ、その先に駒を進められないんだから」


【……厳しいですね】


「言ったじゃん、人生ってゲームは半端ないって。でもさ」


【……でも?】


「あんたは一人で戦ってるわけじゃない。あたしっていう共同プレーヤーがいて、一人のときよりははるかに無理が利くようになってる。あんたがどうしても無理な時は、あたしがフォローすればいいんだから、そこんとこ忘れないでよね」


 クマるんはゆるゆると顔を上げ、黒いビーズの目玉であたしをじいっと見た。

 ……そんなに見んな。さすがに恥ずい。


「じゃさ、さっさと用意しよ。服を着替えるから、交代して、交代」


【わかりました】


 くすっと笑ったような感じの送信が頭に届く。

 ああもう、何かむかつくんだけど。

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