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12.誰か来てよマジでヲイ

 カーテンを開けた柴崎泰広が、上がりきっていないスエットパンツを引っ張り上げながら試着室から一歩踏み出す。

 あたしをつかんでいる男子高校生が、カーテンがひかれた音に気づいて振り返る。

 柴崎泰広と、男子高校生の視線がピッタリと重なった。


――あー、助かった。


 あたしはほっとして、すんでの所で動かすところだった楕円の腕の力を抜いた。あんなヘタレなヤツとはいえ、生きて動いて相手とコミュニケーションがとれる分、今のあたしよりはマシなのだ。

 しかし、生きて動いて相手とコミュニケーションがとれるはずの柴崎泰広は、試着室から片足を出した中途半端な姿勢で固まったまま、いつまでたっても相手とコミュニケーションをとる様子がない。動く気配すらない。


【なにやってんの柴崎泰広? 早くこの男にウエストポーチ返せって言ってよ】


 返事もない。

 まさか、あいつ……。

 冷たい汗が背中を流れ落ちる。気がする。汗腺ないけど。

 と、あたしをつかんでいた男子高校生の方が、柴崎泰広の熱い視線に何かを感じたのだろう、自分から声をかけてきた。


「このウエストポーチ、おまえの?」


 柴崎泰広のこわばった顔が、男子高校生の肩越しに見える。


「だめじゃん、こんなとこに転がしといちゃさあ。とられちゃっても文句言えねーよ?」


 男子高校生がウエストポーチを柴崎泰広に差しだす。よかった。思ったよりまともなヤツで助かった。

 だが、それでも柴崎泰広のリアクションは皆無。

 男子高校生は怪訝そうに首をかしげると、反応を促すように右手でつかんだポーチを再度突きだす。振動であたしはくるりと一回転し、柴崎泰広と正面から相対した。

 見ると、柴崎泰広は返事をするどころか、突き出されたポーチに押されるように一歩後じさり、試着室から踏み出していた足を再び試着室内にしまい込んでしまった。

  

【ちょっと、何やってんの? ありがとうとか何とか言って、さっさとポーチ受け取んなよ】 


 強めに意識を送ってみるも、柴崎泰広は男子高校生をまじろぎもせず見つめながら、ゴクリと生唾を呑み込んだだけだ。


「いらねーの? おまえんじゃないってこと?」

 

 いい加減面倒くさそうに言うと、男子高校生は前髪をかき上げながら柴崎泰広を斜からにらむ。ヤバイ。ほら早く、違うとか何とか言いなって。 

 男子高校生の視線が、柴崎泰広の瓶底眼鏡をロックオンする。

 刹那。ただでさえ大きなその目が、さらに大きく見開かれた。

 

「……あれ? おまえ、もしかして」


 髪をかき上げる手を止め、身を乗り出すように男子高校生が一歩前進する。

 柴崎泰広はそれに押されるように一歩、試着室の奥へあとじさる。 

 ……もしかしてって?

 

「もしかしてさあ、おまえ」


 男子高校生は柴崎康弘のあとに続き、試着室内に足を踏み入れる。

 柴崎泰広はそれに押されるように、脱ぎ捨てられたジーンズを踏みつけ、奥にある鏡にピッタリ背をつける。

 男子高校生は、右手にあたしをつかんだまま、左手をドンと鏡につくと、自分よりわずかに背の低い柴崎泰広にずずいと顔を寄せた。


「おまえ、……柴崎じゃね?」


 その時、男子高校生と柴崎泰広の距離、およそ五〇センチメートル。

 思い切り狭い空間に、他人と密着。

 このシチュエーション……ヤバイかも。

 そう思った瞬間だった。


「うぐ!」


 柴崎泰広は頬をパンパンに膨らませて両手で口を押さえると、男子高校生を肩で押しのけ、裸足で試着室を飛び出した。



☆☆☆



「なあ、おまえ、柴崎なんだろ?」


 ブロック塀に両手を突いてゼイゼイ肩で息をしていた柴崎泰広は、背後に立つ男子高校生をちらりと横目で見やった。

 足元には、大量のゲロの山。あーあ、せっかく食べたお握り全部出しやがった。もったいない。


「おまえさ、四月にほんのちょっとだけ登校したことあったじゃん。そん時、隣の席だったんだよ俺。覚えてねえ? でもさー、しばらく見ねえうちにずいぶん雰囲気変わったな。最初全然分かんなかったし。何かあったわけ? 休んでるうちに、最終解脱しちゃったとかw」


 男子高校生はゲロの山に頓着する様子もなく、あたしがぶら下がっているウエストポーチを小脇に抱えて一方的に喋りまくっている。 

 二人の様子を少し離れたところから見ていた友人らしきもう一人の男子高校生は、腕時計にちらりと目線を走らせた。


「なー西ちゃん、そいつダチ? 俺さー、そろそろ塾行かなきゃなんねーんだけど」


「あ、わりぃわりぃ。先帰っててくれよ。何かこいつ、具合悪そうだからさ」


「わかったー。じゃな」


 男子高校生……暫定的に西ちゃんと呼ぶことにする……は、駅方向に去りゆく友人に軽く手を挙げると、再び柴崎泰広に向き直った。


「おまえ、具合わりいんだろ? 何だったら、送ってってやるよ」


「……い、いいです」


 柴崎泰広が目線を左右に泳がせながら初めて返事らしきものを返すと、西ちゃんはズボンのポケットに手を突っ込み、肩をすくめて少し笑った。


「だってさあ、ゲロ吐いて顔とかも真っ青じゃん? 俺、どーせ塾さぼったから九時過ぎまで家に帰れねえし、暇だし」


 ふいに、柴崎泰広が勢いよく顔を上げた。突然の行動に目を丸くした西ちゃんを険のある目で睨み付けながら、先ほどまでのオドオドした様子がウソのように高圧的な態度で、機銃掃射のごとく言葉を吐き連ねる。


「塾を休むとかありえませんね。今日という時間を有効活用する上で、あなたにとっての最善は大人しく塾に行くことですよ。将来的に役に立つ、年会費も月謝も有効活用できる、親の期待も裏切らない。その上、僕を送って行くとか正気ですか? 僕なんかと関わるのは、あなたにとって何のメリットもないどころかデメリットの方が大きいですよ。キモい不登校野郎に関わったなんてクラスの皆さんに知れたら、これまであなたが学校で築いてきた立場が崩壊すること請け合いですから!」


 三途の川で見せたあのクソ生意気な態度そのままに、理屈とも言えないような理屈を一気に捲したてると、目線を落として肩で息をする。

 

 ああ。なるほど。

 こいつって、いっぱいいっぱいになるとこういう自己防衛をするんだ。

 合ってるか間違ってるか分かんないようなへりくつをとにかく並べ立てて、相手を混乱させて黙らせるという。

 いかん。笑っちゃいそうだ。いや、表情変わんないから焦る必要もないんだけど。


 西ちゃんはポカンと口を開けてそんな柴崎泰広を見ていたが、やがて苦笑めいた笑みを浮かべると、軽く頭を下げた。


「悪い、もう一回言って」


「え」


「勢い良すぎて何言ってんだか分かんなかった。悪いけど、ワンスモアプリーズ」


「……」


 当然のことながら自分が何を言ったのか覚えていない柴崎泰広は、唇を引き結んで黙り込んだ。

 西ちゃんはそんな柴崎康弘を見ながらいたずらっぽい笑みを浮かべると、どこか楽しそうに肩を竦めた。


「塾へ行くのが最善とかなんとか言ってたけど、必ずしもそうとばかりは言えねえんじゃねえの? 塾通いの心理的圧迫感に耐えきれず心の病になるかもしんねえし、塾に行く途中、車にひかれてあの世行きになるかもしんねえし。おまえと絡んでるとこ見られたらどうのってのも、心配ねえよ。おまえはあのクラスになってから、三日しか登校してねえはず。しかも全部、昼休み待たずに早退してる。クラスのヤツらは誰もおまえのことなんか覚えてねえし、キモいとも何とも思ってねえから」


 柴崎泰広は返す言葉もないらしく、唇を引き結んで凝固したままだ。


 へえ。驚いた。

 やるじゃん西ちゃん。負けたね、柴崎泰広。


 敵ながらあっぱれと感心していると、西ちゃんは意味ありげな笑みを、その健康そうに日焼けした頬に浮かべた。


「それに」


 一度足元に目線を落とし、それから上目遣いに柴崎泰広を見る。


「俺にとっては、おまえを送る方が得になる」


 へ?


「おまえってさあ、眼鏡取るとむちゃくちゃかわいくね?」


 は?


「髪形変えたから、さらに凄まじいことになってんじゃね? ……ちょっと取ってみ?」


 見ると、西ちゃんは歓喜とも興奮ともつかぬ異様な光を両眼にたぎらせながら、唇の端に残酷な笑みを浮かべている。


 これって、まさか。

 俗に言ういわゆるひとつの……あれ?


 柴崎泰広は喉を鳴らして唾を飲み込むと、一歩あとじさった。って、ゲロ踏むぞ。

 と、柴崎泰広は引きつった顔で西ちゃんをにらみ据えながら、ブロック塀に向かっていた踵の方向を少しだけずらし、背中を路地の奥に向けた。

 西ちゃんはやけに肉感的な赤い舌でペロリと上唇を舐め、じりじりと柴崎泰広との間合いを詰めていく。


 いやいやいや、ちょっと待て。

 清純なもと十六才女子高生が見ていい場面じゃないだろ、これ。

 誰か来てよマジでヲイ。


 こんな時に限って路地を通る人の姿はなく、西ちゃんと柴崎泰広は互いに熱い視線を交わし合ったまま、じりじりと暗い路地の奥へと進んでいくのだった。 

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