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11.どうよこの変わりようはw

「いかがですか」


 最後の調整を終え、カットクロスを外しながらそう言うと、ワイルドヘアと個性的なスタイルがクールな美容師さんは自信たっぷりにほほ笑んだ。うーん、いつもながら大人の魅力全開です。いかがもなにもありません。


「結構です」


「ありがとうございます」


 ありがとうはこちらのセリフです。こんなキモオタをよくぞここまで変えてくださいました。

 もう一度、鏡に映るシバサキヤスヒロの姿に目を移す。

 軽く毛先に遊びを加えたセンターパートのマッシュヘア。元来のサラサラした髪質と柔らかな髪色が映えて、何ともおしゃれに決まっている。

 これで、この瓶底眼鏡じゃなければねえ……嘆息。

 眉を整えてもらうとき、眼鏡なしの顔を拝むチャンスとドキドキしながら瓶底眼鏡を外したものの、外した途端に世界が乳白色にぼやけて何が何だか分からなくなってしまった。全く、どんだけ目が悪いんだか。健康優良視力保持者だったあたし的には信じられない現実だ。

 柴崎泰広いわく、度のきつい眼鏡はレンズ代がかさむらしいので、収入に余裕が出ないと購入は難しい。取りあえず生活に支障がないなら、しばらくはこれで我慢するしかない。


 それにしても。

 首を巡らせ、ぐるりと店内を見渡す。

 またここに来られたんだ。

 水谷彩南としてではないけれど。


 白とアースカラーで統一された落ち着いた空間に、マニアチックな洋楽が低音量で流れる店内。美容師さんはいつもと全く変わりなく人当たりのよい笑顔を浮かべながら、飛び込みの客であるシバサキヤスヒロに、親身になってアドバイスをしてくれた。あたしが髪形を変えるのを迷っていると、あれこれカタログを見せながら相談に乗ってくれたのと同じように。そうしたら何だか、今ここに座っているのは水谷彩南で、もしかしたらあたしは死んでなんかなくて、いつものように髪形を変えに下北山に来ているだけのような気がしてきて、思わず鏡に目を向けるのだけれど、その途端視界に汚らしいスエットとTシャツに身を包んだ瓶底眼鏡姿が映り込んで、がっくりうなだれるというのを繰り返していた。


 ただまあ、別に、水谷彩南に戻りたいともあまり思っていないのだけれど。

 水谷彩南だろうが、シバサキヤスヒロだろうが、あたし的にはそう大差ない境遇のように思えるから。


 それにしても、どうせ生まれ変わるんなら、もっと条件のいいところに生まれ変わりたかったぜちくしょう。社長令嬢とかモデルとか超才女とか超運動能力保持者とか、いっそのこと異世界で無双とかだったら最高だったのに、どうしてこんな昔のあたしと大差ないような生育環境の、大差ないような容姿レベルの、精神的にははるかにヘタレな、しかも男の所に来なきゃいかんのだ。


 まあ、それが運命なら甘んじて受けるよ。

 そこからどう這い上がるかが、あたしの腕の見せ所だ。

 見てろよ身勝手で不公平で理不尽な神様。絶対に見返してやるからな。


 ということでまずは手始めに、見てくれ改造に着手したのだ。

 見てくれは、ある程度たやすくレベルアップできる優れものだ。

 人は大抵、見た目で他人を判断する。ゆえに、まずこの見てくれレベルを上げておくとものごとがスムーズに運びやすい。これは、男も女も変わらない。

 流行を取り入れて他者と同化することにより、相手に「自分と同じ」という安心感を与え、同時にそこにわずかな差異を加味して一目置かせる。これでおおかた、見てくれのレベルは何もしない時と比べて数段アップする。元が良くても悪くてもアップするけれど、当然のことながら元がいい方がアップの幅は大きくなる。

 それにしても、シバサキヤスヒロの見てくれレベルの上がり方は半端ない。今までよほどほったらかしだったんだなこいつ。 


「それでは、お疲れさまでした」


 美容師さんはにこやかにほほ笑みながら、ロッカーから取りだしたクマるんつきウエストポーチを手渡してくれた。  


「クマるん、どうよこの変わりようはw」


 クマるんの驚嘆を確信しつつささやきかけるも、ポーチにぶら下げられたクマるんは無反応。例によってはるかな無意識の旅に出ているらしい。

 ガッカリしつつも笑顔で会計をすませ、シバサキヤスヒロ名義でカードもこしらえてもらって、足取りも軽く美容室を後にした。



☆☆☆



 クマるんが目覚めたのは、あたりが薄闇に包まれ始めた頃、安価ながら雰囲気のある古着が路上にまで所狭しと並ぶ店先で、Tシャツをあさっていたときだった。


【どわぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ】


 状態のいいTシャツを探そうとラックを覗き込んでいたら、頭に悲鳴めいた意識が響き渡ったので驚いた。動揺した拍子にキープしていたTシャツがハンガーとともに滑り落ち、派手な音を立ててアスファルトの路面に散らばる。


「うっわ、ちょっと、……」


 思わず非難しかけたものの、店内にいる客が不審そうに目線を送ってきたので、慌ててそ知らぬふりで落としたTシャツを拾い集めているうちに、彼らは興味を失って自分の買い物に戻っていった。


「ちょっと、いきなり叫ばないでくれる!?」


 床にかがみ込んだ姿勢で吐き捨てるようにささやくと、クマるんは驚愕に打ち震えているような、たどたどしい意識を送ってよこした。


【あ、彩南さん、これは、いったい……】


 これ?

 ああ、頭のことね。


「どうよクマるん、この髪形」


【……いや、なんですかこの変わりようは】


「変わりようって……別に色も入れてないしパーマもかけてないよ。一番手入れが楽で、あんたの顔形に合うのはこれなんだってさ」


【ええええええええ……】


 クマるんはおののきながら、恐る恐る楕円形の腕をあたしの方に伸ばしてくる。


「大丈夫だって。ごくごく一般的な髪形にしただけだもん。ワックスも買ったし、スタイリングも全然難しくないと思うよ」


 説明の間中、【えええええ……】という微弱な意識が通奏低音さながらに響き続けている。


「いや……おののきすぎでしょ。見てくれを整えるのはある意味他人に対する礼儀だよ。今まで、あんたはそういうのをおざなりにしすぎだったんだって」


【そ、……そんなもんなんでしょうか】


「そんなもんよ」


 クマるんは諦めたように楕円形の腕を下ろすと、がっくりとうなだれた。変なヤツ。喜びこそすれ、何で落胆せにゃいかんのだ。


「それよりさ、今、必要最低限の私服をそろえてんだけど、ちょうどよかった。ジーンズ一本とカーゴ一本、試着してほしいんだけど」


【え?】


「試着」


 クマるんは機能停止に陥ったロボットさながらに動きを止めていたが、やがて怖ず怖ずと楕円形の腕を曲げ、自分を指すようなしぐさをしてみせた。


【……僕が?】


「他に誰がいるっての」


【え、いや、だって、試着っていったら、店内に……】


「むふふふー、それこそが、あたしがこの店を選んだ理由なのだ」


 得意満面でビシッと人差し指をある場所に向ける。ゆっくりと首を巡らせたクマるんの、【あ】という呟きが頭に届く。

 そこにどどんと鎮座ましましていたのは、大きく開け放たれたの扉の向こう、店に入ってすぐの場所に設置されている試着スペースだった。簡易な設備とはいえ、ちゃんとカーテンも着いていて、目的は十分に達せられる。


「あそこなら試着可能でしょ。試着しなくちゃ裾の長さとか合わせられないし、上ならまだしも、あたしのままで下を脱ぐ訳にいかないからね」


【そうですね、確かに……】


 クマるんは感心しきったように何度も頷いている。


「じゃ、さっさと交代しよ。もう暗くなってきちゃったし、帰りも歩くんでしょ。急がなきゃ」


【分かりました】


 クマるんはうなずくと、楕円形の腕をあたしに差し出した。あたしも右手を差し出してその腕をつかむ。

 ハンガーラックの根元にうずくまり、編みぐるみと手を握り合っているあたしを、店から出てきた二人連れの客が薄気味悪そうに見ていたが、彼らは今どきの若者らしくむやみに深入りせずそのまま歩き去ってくれた。ありがとう無関心な風潮。


【ふう】


 クマるんに憑依するのは久しぶりだ。さすがに、人間であるシバサキヤスヒロの体を操作するよりは集中力がいるけれど、体を激しく動かす必要さえなければさほどの不都合はない。


「はあ」


 柴崎泰広は柴崎泰広で、久しぶりの自分の体に戸惑っているらしく、さかんに頭を振っている。てか、スタイリング崩すな。


【じゃ、試着よろしく】


 ジーンズとカーゴを抱えた柴崎泰広は緊張した表情でうなずくと、大きく息を吸って覚悟を決め、某有名大家族マンガのエンディングさながらに、試着室が歪みそうな勢いでカーテンの中に飛び込んだ。

 中に入った柴崎泰広は安心したように息をつくと、手にしていた荷物を置いてスエットパンツに手をかけ――。 


【ちょちょちょちょ、待って!】


「は?」


【は? じゃない! あたしを連れて試着室に入っちゃ交代した意味がないって!】


 キョトンとした表情で首をかしげ、小脇に抱えたままのウエストポーチに目を向けた柴崎泰広は、ようやくあたしが言っていることを理解したらしい。みるみるうちに耳の先まで真っ赤になった。


【ウエストポーチごと外に置いて! 取られそうになったら言うから】


「わ、分かりました」


 柴崎泰広はポーチをつかむと、カーテンの隙間から試着室の外に放り出した……いや、「置いて」ってあたしは言ったんだけど?

 一メートルほど空を飛んだポーチは開きっぱなしの店舗入り口から外に転がり出、あたしは地面にたたきつけられポーチに二回つぶされた。

 あいたたた、乱暴だなもう! いや、痛覚ないけど、気持ち的に。

 人通りが途切れたことを確認してからそっと起き上がり、足を前に投げ出して、ポーチに寄りかかって座る。

 この町は夜に活気づくので、昼間よりかえって人通りが多くにぎやかだ。右から左から、ひっきりなしにさまざまな衣装でわが身を飾り立てた若者どもが通り過ぎていく。個性的でありながら没個性的でもある彼らは、見ているだけでもけっこう楽しい。グレーのジャケットに黒いパンツを合わせてミリタリーブーツを履いたツンツン頭のお兄ちゃんは化粧までして気合い十分。唇にまでピアスを光らせた前下がりショートのお姉ちゃんは、超短いショートパンツからすらりとのびる白い足が滅茶苦茶きれい。あっちから歩いてくる二人連れは、なぜか申し合わせたようにマキシロングのスカートにサンダル。そういえば、友だち同士ってどうして同じような格好してる人が多いんだろう。あたしだったら、絶対同じにならないように考えるけどな。


「あれ? こんなとこにバッグ落ちてんじゃん」


 そんなことを考えながらぼんやりとマキシロングな二人連れを見送っていたら、突然背後からこんな声が響いてきて総毛立った。いや、毛はないんだけど。

 

「マジ? 爆弾でも入ってるとか」


「なわけねーだろ。誰かの落としもんだって」


 声の主は若い男らしい。振り返って確認したいけど、いかんせん今のあたしは編みぐるみ。動いたりしたらそれこそ大ごとになってしまう。とにかくまずは、試着室のあいつに状況を知らせないと。

 

【柴崎泰広! ちょっと、出て……うわっ!】


 送信の途中で、いきなり体が宙に浮いた。


「どうすんの?」


「店に届ければいんじゃね? 何これ、クマついてるし」


 男の手に体をつかまれ、無理やり上に引っ張られた。頭頂部にくくりつけられたストラップがちぎれんばかりに引き伸ばされる。痛いって! 気持ち的に。

 そんなあたしの心の叫びなど当然のことながらスルーして、その男は自分の顔の前に持ってきたあたしをしげしげと眺めた。

 無造作にスタイリングされた黒髪のツーブロック。動きのある毛先とくるくる動く大きな瞳が好奇心旺盛で活発な雰囲気を醸し出している。校章の入った白いワイシャツにグレンチェックのズボン。どこぞの高校生らしい。

 ……しかし、この制服。どこかで見覚えがあるような。

 その男はしげしげとあたしを眺め回してから、バカにしたように鼻で笑った。


「何これ、間抜けヅラ」


 何やて。ピキ。


「てか、カエルの帽子とかダサくね?」


 ダサい? ピキピキ。 


「これ落としたヤツの趣味ヤバくね? ウケるwww」


 友だちに同意を求め、ケラケラと笑う。

 何こいつ。ムカつくムカつくムカつく。

 怒りレベルがついに振り切れ、楕円形の腕を今まさに動かそうとした、その時。

 試着室のカーテンが開いた。

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