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10.責任を持ちなさい☆

 そう思ってはみたものの。


【おいしいものって……コンビニおにぎり、ですか】


「うるさいなあもう」


 おにぎりを頬張りながら、隣に座るクマるんを横目でにらむ。


「あたしだっておしゃれなカフェとか入ってゆっくりしたかったよ、誰のせいだと思ってんの」


 そうなのだ。

 あれから「おいしいもの」とやらを求めて町中うろつき回ってみたものの、店に足を踏み入れようとするなり腰のあたりからクマるんの息を呑む気配が伝わってくるもんだから、入りたくてもなかなか入れない。どういう店なら大丈夫なのかと尋ねると、明るく見通しがきいて圧迫感がなくてなぜだか女性店員が多い店とか言い出す始末。行き慣れたスーパーやコンビニは大丈夫とのことだったので、探すのも面倒だしおなかも限界に近かったから、結局、繁華街から少し外れたところにある公園でコンビニお握りを食べる、という何ともわびしい結果に落ち着いた。しかし女性店員て何。どういう条件設定だ。

 でもまあ、天気のいい日でよかった。暑くもなく寒くもなく、枝葉の隙間からこぼれる日差しと、ときおり頬をなでる乾いた風が何とも心地いい。

 木製ベンチの背もたれに寄りかかって空を見上げると、青い空の一角を、飛行機雲が斜めに切り取っていくのが見えた。


「ま、気持ちいいから許すか。この公園、弁当食べんのにうってつけなんだよね」


【来たことがあるんですか】


「うん、バイトの行き帰りとか、よくここで弁当食べてたから」 


 ウエストポーチから外してもらい、隣にちょこんと腰掛けているクマるんは、そんなあたしを体をねじるようにして見上げた。


【そういえば、僕、彩南さんのこと何も知らないですよね】


「え?」


 何なんだ? いきなり。


【僕のことはあれこれ話したような気がするんですけど、彩南さんのことは芝高に通ってたってことと、比較的近所に住んでたってことくらいしか……】


「あたしのことねえ……」


 頬袋満杯で咀嚼しつつ、中空に目線を投げてみる。


「あんま、話したくないなあ。これからの生活には関係ないじゃん、今までのあたしなんて」


 飯の固まりを飲みくだしてから、あたしを見上げているクマるんの顔を覗き込み、にっこり笑ってみせる。


「死んじゃったんだし」


 クマるんはそんなあたしを身じろぎひとつせず見つめていたが、ややあって、遠慮がちな送信をよこした。


【……確かめなくていいんですか】


「確かめる?」


 重そうな首をこっくりと上下させる。


【彩南さんの家族が今どうしてるかとか、友だちがどうしてるかとか……】


 家族。

 友だち。

 NGワード。


「いいよ、そんなの」


 即答したあたしを見つめるクマるんの目に、困惑の色がよぎった。気がした。


「気になるような家族も友だちもいないからさ」


 クマるんはあたしの次の言葉を待つように、黙ってあたしを見つめている。

 でも、これ以上話すつもりはないから。


「そんなことより、これからのことの方が問題だって。当座のお金は手に入ったからいいとして、この先の人生は長いよ」


【……かどうかは分かりませんけど】


「短いと思ってて長いより、長いと思ってて短い方がマシ。とにかく、定期的に金が手に入る手段を講じないことには始まらないよ」


【定期的に金が手に入る手段、というと】


「公的扶助もしくは仕事」


 クマるんは体をねじった不自然な姿勢であたしを見上げたまま、射すくめられたように動きを止めている。


「折良く世間は黄金週間に突入だし、ちょうどいいよ。この間にバイト先の一つや二つ決めて、平日には役所に行って、利用できそうな公的扶助がないか調べてみよう。OK?」


 返事はない。凍り付いたように動かない。また気でも失ってんのかこのクマは。


「それさえ決まれば、心おきなく高校にも通えるし」


【高校……】


「そう、高校」


【行くのは、彩南さんだけですよね】


「いんや、あんたも」


 沈黙が流れた。

 木々の間から漏れる雀のさえずりが、公園の静けさにわずかな彩りを添えて響いている。


【……僕は無理ですって】


「まあ確かに、いきなりは無理かもしんないね。だからこそ、黄金週間に社会復帰のリハビリをがんばるわけだ」


【リハビリ?】


「そ」


 最後のひとかけらを口に放り込み、お茶を一口。うーん、しみるw


「買い物したりバイト探したり区役所行ったり、黄金週間の間も何かと出かける機会はあるよね。あたしが中心になってやりはするけど、そういうのにあんたもいっしょについてきて。特にバイトの面接。あたし、まだあんたのことを完全に分かってる訳じゃないから、履歴書との相違をなくすためにも絶対についてきてほしいんだ。そんな感じでいろいろやってるうちに、クマるんであたしと一緒に行動するくらいなら、普通にできるようになると思うよ、たぶん。っていうか、なってもらわないとあたしが困る」


【何で困るんですか】


「だから言ったじゃん。バイトでも高校でも、今までのあんたとの相違が……」


【バイトはともかく、なんで高校にまで行かなきゃならないんですか】


「それも言った。高校には行っといた方が、なにかとつぶしが……」


【必要ありません】


 かなり強い調子でぶった切られた。

 隣に座るクマるんは、黒いビーズの目玉であたしをじっと睨みつけている。気がする。


【高校に行った方が将来的に楽って言いますけど、あんな地獄みたいな思いをするくらいなら、僕は将来的な楽なんかいりません。ていうか、僕みたいな人間には将来なんかないし、楽に生きる資格もないんですよ。いいじゃないですか。僕みたいなのは死ねばいいんです。学校に行かれない、店にも入れない、働けもしないゴミなんだから】


「決めつけるねえ。やってみなきゃ分からないじゃん」


【やってみましたよ、何度も! それでダメだったから言ってるんです】

 

「まあ、あんたが一人で生きるだけだったら、そうやって諦めようが腐ってようが別にどうでもいいんだけどさ」


 お茶をもう一口。うーん、染み渡る。


「残念ながら、この体は今、あんた一人のものじゃないんだよ」


 ゆっくりと首を巡らせ、あたしを見上げるクマるんのビーズの目を真っすぐに見つめ返す。


「つまり、逃げずにいっしょに立ち向かってもらわないと困るってこと」


 クマるんは身じろぎ一つせず、あたしをじっと見上げて動かない。


「まあ、逃げたくなるのも分かるよ、あたしも昔はそうだったから。でも、逃げても仕方がないんだよ。結局どこまでも追いかけてくるから。運命っての? 徹底的に身勝手で理不尽で不公平なヤツがさ。だから、あたしは逃げるのをやめて戦うことにした。で、戦うからには絶対に勝つ。どんな小さなチャンスでも最大限生かして、利用して、手に入れられる最高の幸福を追求してやるってね」


 考えてもみてほしい。

 あんたの状況より、あたしの状況の方がはるかに悲惨なんだってことを。

 自分本体は死んで、恐らくすでにこの世にはない。

 自分とは全く異なる人物、しかも、生きていくのに不利な条件がごっそり与えられているような人物とともに共生しなければ生きられない。


 こんな状況で生きようと思うヤツ、普通いないよね。

 でも、あたしは生きる。生きてやる。

 これがあたしなりの、運命に対するアンチテーゼ。

 こんなあたしを生み出した、神様に対する反逆。

 

「それにさ」


 にっこり笑って、隣に座るクマるんに手を伸ばす。ギョッとしたように身を堅くしたクマるんに構わず持ち上げて、目の前に持ってくる。


「これはあの時、あんたが選んだことなんだよ?」


【選んだって……】


「言ったよね、あんた。三途の川で、あたしによろしくお願いしますって。自分の言葉にはしっかり責任を持ちなさい☆」


 クマるんの頭を人差し指でつついてにっこり笑ってみせる。でもまあ、今のあたしすなわちシバサキヤスヒロは、あんまり美しい笑顔を浮かべられてはいないのだろうけど。

 クマるんはそんなあたしを身じろぎ一つせずに見つめながら凍りついている。


「今日はこのあと、手に入れた元手をもとにして、さっそく携帯の契約をして、美容院で身なりを整えて、面接に耐えられる程度の洋服手に入れて帰るからね」


【け、携帯? ……美容院?】


 面食らった調子で繰り返すクマるんの鼻先を、人差し指でちょんとつつく。


「そ。携帯がなきゃ情報収集も仕事探しもできないし、この汚い顔と身なりじゃ、面接に行ったところでホームレスと間違えられるのがオチだからね。あたしの行きつけの美容院、混んでなければ飛び込みでも入れてもらえたはず。美容師さんの腕も確かだから、ヒゲもきれいにして、眉も整えてもらおう」


【び、び、美容師さんて……だ、男性、ですか】


「そうだけど。なんで?」


 クマるんはあたしの顔から慌てて目線をそらした。


【あ、……いや、その……】


「大丈夫。あんたはウエストポーチにつけたまんまロッカーに入れられるだけだから。狭いし暗くて悪いけど、そこで待ってて。とにかく、最低限それくらいのことはやっとかないと、これから生活成り立ってかないんだから」


 黙り込んでいるクマるんをベンチに下ろすと、天使(悪魔?)笑顔で笑いかけ、ひとことひとこと強調するように、ゆっくりと最後通告。

 

「よ ろ し く ね」


 クマるんが生唾でも呑み込んだような雰囲気であとじさった、その時だった。


「いろいろたいへんだったけどさ、元気出して、夏波ななみ


「ありがと。でも、マジで全然大丈夫だから」


「えー、ヤバくない? あたしだったら、ショックで一週間くらい学校休んじゃうかも」


 突然、道路の方から語尾伸ばし気味の甲高い声が響いてきたので、あたしは慌てて居住まいを正し、ベンチに立っていたクマるんはパタリとベンチに倒れ込んで人形と化した。

 公園に入ってきたのは、制服姿の女子高生三人連れだった。グレンチェックのスカートに小豆色のボウタイ、白いベストを身につけ、三人とも似たような肩くらいのミディアムヘアと白のソックス、通学カバンには大振りのマスコットをぶら下げている。雰囲気が一緒なので、背の高さが五センチくらいずつ違っている他は見分けをつけるのが結構難しい。

 女子高生たちはあたしが座っているベンチに腰掛けたかったらしいが、シバサキヤスヒロの汚らしいスエット姿を見て忌々しげに顔をしかめると、公園の奥にある幼児用遊具の方に歩いていった。

 女子高生達の位置が十分に遠くなったあたりで、クマるんをポーチに取り付けながら小声で問いかける。


「ねえクマるん、あの制服って、もしかしてさ」


【……南沢、ですね。多分】


「やっぱり」


 もう一度彼らを眺めて、鼻でため息。憧れの南沢高通学者のわりに、いまいちそういうオーラが感じられない。てのはまあ、あたしが無駄な憧れを抱きすぎてるせいもあるんだろうけど。

 あたしの視線を感じたのか、女子高生達がチラリと不快そうな目線を投げてきたので、慌てて視線を中空に向けた。

 女子高生達は挙動不審なあたしを警戒しながらも、先ほどの会話を継続しだした。


「あたしたちに気を使って、必要以上にがんばらなくてもいいんだよ。泣きたい時は泣いていいんだし、落ち込みたかったら落ち込んでも」


「ありがと。幸音のそういう優しいとこ大好き。でも、マジで大丈夫だから気にしないで。父親が死んだっていったって、あたしにとっては家に金を入れてくれる存在がいなくなったってだけの話だから。まあ、金が入ってこなくなることは心配だったけど、勤務中だったから労災も下りるらしいし、保険金も入るし、あたしが大学出るくらいの金は何とかなる見通しだから、今はもう安心してる感じかな」


「……マジで? 夏波、強すぎ。ヤバくない?」


「泣いてたってしょうがないしね。いなくなった人間のことなんて、さっさと思い出に風化させるのが精神衛生上一番いいんだよ」


 うっそ、ヤバすぎ、マジウケる、などという嬌声が静かな公園の空気を切り裂くように響きわたる。

 響いてるんだけど、脳の中枢にまでは届かない。

 彼らの会話をドラマの中の出来事のように感じつつ、中空に投げた視線を固定した姿勢で、あたしはなぜだかしばらく動けなかった。

 ポーチに取り付けられたクマるんが、心なしか心配そうにあたしを見上げる。


【彩南さん……】


「行こっか、クマるん」


 声をかけてもらったおかげで訳の分からない呪いが解けた。ゴミを全部まとめると、クマるんの返事を待たずにポーチを担ぎ上げて公園を出た。

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