第一話「暖炉の前で」
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炎が、青白い指先を照らした。
エルナ・フォン・ヴァイスは、宝石箱をひっくり返した。
金の指輪。サファイアのブローチ。真珠を連ねたネックレス。どれも一つ残らず、暖炉の中へ。
ぱちぱちと、宝石が爆ぜる音がした。
「……」
何も感じなかった。
かつては泣いた。怒った。抱きしめて眠った。逃げようとした。
でも結果はいつも同じだった。
死。
方法が違うだけで、終わりは変わらない。
だから今回は、何もしない。
ただ、軽くなりたかった。
死ぬ前に、全部手放したかった。
それだけだ。
次に、文机の引き出しを開けた。束になった手紙。セドリックが婚約した最初の年に送ってきたもの。今となっては笑える話だ。あの頃の彼は、こんなにも優しい言葉を書けたのだ。
「……燃やしましょう」
独り言を言う習慣だけが、どの人生でも残った。
誰も聞いていないとわかっていても。
手紙の束が、ゆっくりと炎に飲まれていく。インクの焼ける匂い。羊皮紙が丸くなって、黒くなって、消える。
「エルナ様、王太子殿下がお見えになりました」
扉の向こうから、侍女の声がした。
エルナは振り返りもしなかった。
「お通しして」
声に、何もなかった。
喜びも、恐怖も、怒りも。
ただ、早く終わればいいと思うだけ。
百回目の人生は、ようやく終わりに近づいている。
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セドリック・ヴァン・アルトワ王太子は、扉を開けた瞬間に足を止めた。
暖炉が、赤々と燃えていた。
その前に立つエルナが、何か——紙の束を、投げ込んでいた。
「……何をしている」
「身辺整理です」
振り返ったエルナの顔を見て、セドリックは奇妙な感覚に囚われた。
何かがおかしい。
いつもと違う。
いつものエルナは——婚約者の突然の訪問に、顔を赤くするか、気丈に微笑んでみせるか、どちらかのはずだった。
しかし目の前の女は、セドリックを見ていなかった。
見ているのに、見ていない。
まるで、そこに誰もいないかのように。
「……話がある」
「婚約破棄の件ですね」
「なぜそれを——」
「今回で百回目ですから」
意味不明な言葉だった。しかしその声があまりにも穏やかで、あまりにも虚ろだったから、セドリックは奇妙な既視感に眩暈を覚えた。
「何の話だ」
「いいえ、なんでもありません」
エルナはかすかに首を傾けた。
「殿下。今すぐ死刑台へ向かいましょうか? その方が、お互いの時間の節約になります」
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セドリックの手が、わずかに震えた。
なぜだ。
なぜ俺は——この言葉を、知っている気がするのだ。
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次話へ続く
100回目の朝。今まで大切にしてきた「愛の証」をすべて燃やすところから、彼女の最後の物語が始まります。
怒りすら湧かない、ただ「身軽になりたい」というエルナの虚無感が、少しでも伝われば幸いです。
セドリックが感じた「奇妙な違和感」の正体とは。




