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天滅  作者: 一一一
3/5

第3話「鉄は鉄によって研がれる」

いつも読んで頂きありがとうございます

鉄は鉄によって研がれる

Iron sharpens iron.

――箴言 27:17


イツキの名乗りが会議室の中央へ落ちたあと、数秒だけ誰も動かなかった。

刑罰部隊に配属される監督官が、初手で「何をしてもいいとは思っていない」と言う。その言葉の意味を、俺たちはすぐには測りかねていた。綺麗事なのか、警告なのか、それとも本当にそういう人間なのか。ここでは言葉より先に結果で判断する癖がついている。全員が同じことを考えていたと思う。


沈黙を破ったのは、会議室の扉がもう一度開く音だった。


白衣の裾が視界の端を横切る。

入ってきたのは、見覚えのある女だった。


九条澪。


律式研究所からの派遣研究者。細身の体を白衣の下へ収め、黒髪を後ろで緩く束ねている。前髪はきちんと整えられているわけではなく、忙しさをそのまま形にしたみたいに少しだけ乱れていた。彼女は誰に会釈するでもなく空いている席へ腰を下ろし、端末を起動する。青白い画面の光が頬へ反射した。


その視線が一度だけ室内をなぞる。

アリス、鬼塚、高野、マルコ。

そして最後に、俺の右腕の袖口で止まった。


ほんの一瞬だった。

だが、見間違えるには十分すぎるほどはっきりしていた。


あの目は、俺を「睦月」という人間として見ていない。

異常の有無を確かめるための対象として見ている。測る前の目だ。


右腕の内側が、微かに脈打った気がした。

俺は無意識に拳を握る。袖の下で何かが反応したのか、それともそう思い込んだだけなのか、自分でも判別できない。


佐伯部隊長が短く咳払いをした。

「説明は以上だ。以降は白石監督官の指示に従え」


イツキが一歩前へ出る。

義足の重い音が床へ落ち、その一歩だけで空気が締まった。


「戦力把握のため、先日に引き続き本日も模擬戦を行う。各員、演習場まで移動」


無駄のない指示。

拒否も確認も求めていない。ついて来られる前提の声だった。


会議室を出て、廊下へ出る。

削れた壁材の粉っぽさと、どこかで漏れている機械油の臭気が混じっていた。俺たちは二列とも一列ともつかない曖昧な並びで歩く。鬼塚が前寄り、アリスがその隣、高野は少し遅れ、マルコは最後尾。イツキは一度だけ振り返り、それから歩幅を緩めて俺の隣へ並んだ。


「一進」


昔と同じ呼び方だった。

監督官の声音ではない。路地裏で何度も聞いた、あの低い声だ。


「お前がここにいるとは思っていなかった」


俺はすぐに返事ができなかった。

言うべきことはいくらでもあるはずだった。久しぶりだとか、生きていたのかとか、どうして監督官なんかやってるんだとか。けれど、どの言葉も今ここで口に出すには間が悪い。刑罰部隊の作業服を着た俺と、監督官として歩くイツキの間には、幼い頃の路地ではなかった距離がある。


「……こっちもだ」


結局、それだけしか言えなかった。

イツキは短く息を吐き、ほんの少しだけ口元を動かした。笑ったのかもしれない。だが、次の瞬間にはもういつもの無表情へ戻っている。


「あとで確認する。今は目の前を見ろ」

「命令か」

「助言だ」


淡々としたやり取りなのに、不思議と胸の奥が少しだけ軽くなった。

イツキが昔のままではないことも、昔の延長が完全に切れたわけではないことも、その二つが同時にわかったからだ。


演習場は施設の外れにあった。

日が差し込みにくく、壁は剥がれ、床には古いひびが何本も走っている。正規軍が使う訓練場より明らかに手入れが悪い。俺たちに与えられる場所は、だいたいいつもそうだ。最低限、壊れなければそれでいい。壊れるのが人間の方なら、なおさら誰も気にしない。


中央へ並ばされる。

九条は壁際へ立ち、端末を操作しながら俺たちを眺めていた。数字を取る前の静かな顔。

イツキが全員を見回す。


「律式の仕組み、どこまで理解している?」


誰も答えなかった。


アリスが気まずそうに視線を泳がせる。鬼塚は鼻を鳴らし、高野は端末の縁を指でなぞった。マルコは祈りの姿勢のまま、ゆっくり目を伏せる。

俺も黙ったままだった。知っているのは使い方だけだ。発動しろ、止めろ、切れ味を落とすな、死ぬな。その程度。どうしてそれが可能なのかまでは、誰も俺たちに教えなかった。


「ですよね……」


高野が小さく呟いた。

自分から前へ出るのは珍しい。だがイツキが目で促すと、彼は観念したように息を吸い直し、端末を胸の前へ持ち上げた。


「……律式は、正式には『レプトン・クォーク・ゲージ共鳴システム』と言います」


画面へ指を走らせる。

空中へ投影された簡易図式が淡く揺れた。


「天使の残骸から抽出された未知粒子――エクス・ボソンを、人体に埋め込まれたナノマシンが媒介して制御する。簡単に言えば、意識を使って局所的に物理法則へ干渉する技術です」


鬼塚がすぐに顔をしかめた。

「簡単に言ってるか、それ?」

アリスが苦笑する。

「全然わかりやすくないです……」

「……わかりやすくすると、逆に嘘になります」


高野は真面目な顔のまま返した。

少しだけ場が緩む。説明する側に立つときだけ、高野は別人みたいに芯が出る。


「まず、アリスさん。第一位階のレプトン系。VSSに込める律式弾へ量子トンネリング効果を与えて、弾道を曲げられる。長距離精密射撃向きです。ただし、視神経と肩関節へ負荷が集まりやすい」


「やっぱり肩なんだ……」


アリスが小さく呟き、自分の右肩をさすった。

明るい表情は崩していないが、指先に入った力だけが本音を漏らしている。


「大丈夫か」

俺が聞くと、アリスは一拍遅れてこちらを見た。

「大丈夫です。たぶん」

「たぶんかよ」

鬼塚が笑う。

「でも、当てるのは私ですから」

その返しには意地があった。少しだけ安心する。


高野は次の表示へ切り替えた。


「鬼塚さん。第二位階のクォーク系。質量と密度の局所変動に特化しています。律式鎧と槌の併用で瞬間的な重量級打撃を可能にする。……その代わり、筋骨格への負担が極端に大きい」


「要するに、頑丈な俺向きってことだろ」

鬼塚はにやりと笑って、自分の肩を回した。

だが、その動きの最後で、わずかに痛みを逃がすような間が生じた。高野はそこを見逃さない。


「そうです。正確には、頑丈じゃないと壊れます」

「言い方!」

アリスが吹き出す。

鬼塚も肩を揺らして笑ったが、その裏にある疲労までは消えていなかった。


「次、俺です」


高野は言ってから、少しだけ気まずそうに目を伏せた。

自分の説明が一番嫌なのだろう。


「ゲージ粒子系。場の制御に特化しています。砲台の展開、シールド、照準補正……複数の演算を同時に回すので、末梢神経への負担が大きい。特に左手側から先に来ることが多い」


彼はそこで言葉を切り、無意識に左手の指を曲げた。

隠しているつもりでも、その癖はもう全員知っている。


「……無理すんなよ」

鬼塚がぽつりと言う。

高野は少しだけ目を丸くし、それから小さく頷いた。

「無理しないと、たぶん先に皆さんが死にます」

「お前、たまに怖えこと普通に言うよな……」


空気がまた少しだけ緩んだ。

そういう役目を高野が果たすとは、たぶん本人も思っていない。


「マルコさん」


表示が変わる。

マルコ・ロッシィは数珠を指で送りながら、静かに顔を上げた。


「同じく第二位階のクォーク系。ただし鬼塚さんとは逆で、攻撃ではなく維持と防御に寄っています。周囲の空気密度へ干渉し、防壁を形成する。……このチームの生存率が高い理由の一つです」


マルコは穏やかに微笑んだ。

「私がしているのは、祈りより遅い仕事ですよ」

「でも、いると助かる」

アリスが言う。

マルコは「そうなら幸いです」とだけ返した。

その言い方が、いかにも彼らしかった。


高野の視線が、最後に俺へ向く。

演習場の空気が少しだけ張る。九条の指先が端末の上で止まるのが見えた。


「……最後に、睦月さん」


端末の投影が切り替わる。

狂骨の簡易構造図と、俺の腕部データが重ねて表示された。


「律式刀剣三型『狂骨』。表向きはクォーク系の近接兵装。でも、睦月さんの場合はそれだけじゃない。骨髄直接共鳴型――違法処置を受けた制御系が、武器の出力と身体側を直結させている」


喉が少しだけ乾いた。

誰にも見られていないはずの場所を、数字でめくられていく気分だった。


「利点は、出力の立ち上がりが速いこと。欠点は、制御不能時の反動が使用者へ直撃すること。体温上昇、痙攣、感覚過敏……普通の制御系よりリスクが高い。九条さんが前回の測定で止まったのは、その値が無視できない域へ入り始めているからです」


「……それ、使い続けて平気なのか」


自分で聞いたつもりはなかった。

気づいたら口から出ていた。


高野は答えに詰まる。

九条がそこで初めて口を開いた。


「平気かどうかと、使う必要があるかどうかは別問題です」


静かな声だった。

だが、その言葉は妙に冷えた刃物みたいに響いた。


「睦月さんの系統は、通常兵装より立ち上がりが早い。その代価があなた自身に返ってくるだけです」

「随分簡単に言うな」

鬼塚が低く言う。

九条は視線も向けない。

「複雑に言い換えても、結果は変わりません」


場が凍りかけたところで、イツキが割って入った。


「十分だ」


それだけで、空気が一度切り替わる。

イツキは全員を見回し、最後に俺へも視線を向けた。


「自分の律式だけわかっていても死ぬ。チームの癖と限界も覚えろ。お前たちは一人で生き残れるほど、まだ強くない」


反論する者はいなかった。

悔しいが、その通りだったからだ。


九条が端末を操作し、壁際へ一歩下がる。

「では、測定を兼ねて模擬戦に移行します。各自、発動準備を」


鬼塚が肩を鳴らし、アリスがケースへ手をかける。高野は端末を持ち直し、マルコは数珠を握り直した。

俺は狂骨の柄をなぞる。冷たいはずの感触が、掌の中で少しずつ体温を奪っていく。


死なないために強くなれ。

イツキの意図は、まだ全部は読めない。

だが一つだけ確かなことがあった。これから始まるのは、ただの訓練ではない。誰がどこまで壊れずに立っていられるかを測る、選別に近い時間だ。


俺は息を吐き、演習場の中心へ一歩踏み出した。

体の深いところで、まだ言葉にならない何かが静かに目を覚ましつつあった。

ここまで読んで頂きありがとうございます

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