第26話 理解
冬が明け、草花が待ち望んだ春が訪れた。新雪は麗らかな日差しによって融け始め、そこかしかに染み入る雪解け水はこれから芽吹く新たな生命の糧となるだろう。
「……」
空が白み始めようとする頃、グラムは何かに誘われるようにして暗い王城の廊下を一人歩いていた。カツカツと歩を進める孤独な音が廊下に響き、その音はある方向を迷いなく目指し続ける。
やがてその音はある部屋の前で止まった。
グラムはそこで立ち止まり、三秒ほど沈黙してからその木製の扉を開いた。
そして部屋の中を見た瞬間、グラムは溜息を吐いた。
「無様な姿だな、老いぼれ」
部屋に入ったグラムの抑揚のない声が響く。
その視線の先にはベッドの上に横たわるセバスの姿があった。
「……まさか、ここでお前が来るとはな」
思わぬ来客にセバスは少し驚いたような顔をする。
かつてグラムと激戦を繰り広げたその男の肌は、今や見皺だらけ且つ青白く、声にも力が感じられない。
グラムは確信した。
「野生の勘という奴か?」
「まぁ、似たようなものだ」
セバスの最期は、今日であるということを。
♢
「俺の口から答えを聞くまで、お前は死なないはずではなかったのか?」
グラムは非難するような声でセバスに問いかけた。
「嘘を吐いたつもりはない……俺は、確かに生きるつもりで言った」
「その結果がこの様か」
「ハハハ……耳が痛い話だ」
自嘲するようなセバスの笑みを見たグラムは裏切られたような気分になり、失望した顔でセバスを見下した。
「なぁグラム。今の俺を見て、何を感じた?」
それを悟ったのか、セバスは問いかけた。
「……特に」
グラムはただ短く、そう答える。
「だろうな……お前は、そういう奴だ」
「抜かせ、お前に俺の何が分かる」
その瞬間にセバスは目を開き、濁った瞳でグラムの顔を見た。
「俺には分かるぞ。お前はただの童だ」
グラムは眉をひそめ、不満を露にする。しかし思う所があるのか、黙ってセバスの言葉の続きを待った。
「いつだったか。俺はお前のことを獣だと言ったが……共に時間を過ごすうちに、それが間違いだと気が付いた」
「………」
「お前はただ図体がデカいだけだ。ただ力が強すぎるだけだ。本当のお前は……独りぼっちを怖がる、寂しがり屋のただの童だ……本当は、自分でも気付いているのだろう?」
グラムは肯定も否定もせず、沈黙する。
「だが、お前は強すぎた」
セバスは息を吐いた。
「お前と同じか、それ以上の力を持つ者など……人間はおろか、魔族ですらいなかったはずだ……そうだろう?」
「まぁ、そうだな。魔界にも、俺より強い奴は一人もいなかった」
グラムが肯定すると、セバスは声を震わせ、ただ一言こういった。
「可哀想になぁ……」
「!!」
瞬間、グラムの中で蘇る記憶があった。
『哀れな人…………だからこそ我々のような弱者と共存できなかったわけですが』
かつてセラスにも、同じようなことを言われた。
「お前が強すぎる。そのせいで、誰もお前のいる場所に到達できんのだ。俺も、恐らくは姫様もな……。お前を理解するには、我々は弱すぎる」
「止めろ……もうそれ以上何もいうな」
蘇る記憶と共に生じた痛みに、グラムは手で頭を押さえる。セバスの言葉を聞くほど、痛みと記憶は鮮明になって行く。
次第に鼓動は早まり、グラムは胸を締め付けられるような苦しみを覚えた。
「お前もまた同じだ………我々を理解するには、お前は強すぎる」
「止めろ!!」
言葉を止めないセバスに苛立ち、グラムは声を荒くした。
「今すぐ口を閉じろ! もう何も言うな!」
「ハハ……図星だったか?」
「違う!!」
グラムは首を横に振る。
次にグラムが口に出すはずだった言葉は、「同情するな」という拒絶の言葉のはずだった。
「────俺は、お前らと同じだ!!」
しかし口から飛び出したのは、グラムが誰にも明かしたことのない本音だった。
或いはグラム自身でさえも、自分がそんな本音を抱いていたことを知らなかったのかもしれない。
「俺はただ生きているだけだ!! お前らが普通に生きているように、俺もただ、普通に生きているだけだ!!」
止まらない、止められなかった。
止めてはならない気がした。
止めてしまうと、本当の自分を見失ってしまう。
漠然とした不安がグラムの感情を暴走させた。
「同じだ!! 何もかも、全くもって同じはずだ!! ……それをお前ら弱者は、力を理由にして俺を勝手に除け者にしたんだ!! だから、俺が世界を力で推し量るようになったのは……全てお前らのせいじゃないか!!?」
怒りとはまた違う。
腹の奥底から込み上げてくるその灼熱の感情の名を、グラムはまだ知らない。
「力が強くて何が悪い!! 普通に生きて何が悪い!! それだけで除け者になると言うなら、今生きてる奴らは全員除け者になるはずだよな!!?」
思いつく限りの言葉を並べ、感情を吐き出す。
生まれて初めてする体験だった。
「ハァ…………ハァ…………!」
慣れないことをしたせいか、グラムは疲弊し、息を切らした。
激しい感情をぶつけられたことで、セバスは初めて、グラムという男が持つ本質を理解することが出来た。
「今まで、すまないことをしたな」
故にただ、謝罪することしか出来なかった。
「ただ、怖かったんだ。お前の持つ力が、我々は怖くて仕方なかった」
今言葉を述べるセバスの瞳には恐怖などない。既に、グラムがただの暴力の化身ではないことを知っているから。
その代わりにあるのは哀れみ、後悔、心配。
それらが混ざり合って出来た負い目だ。
「~~!!」
それが殊更にグラムのプライドを傷つけた。
「弱者は皆……自分より強い存在が怖くて仕方ないんだ。だからこそ皆、お前を怖がるのだ……」
己の内側で暴れる感情を制御しきれず、グラムは歯を食い縛った。
「まこと、力は呪いよな……お前に力が無ければ、もっと幸せに生きられたろうに」
セバスはそこで言葉を止め、息を吐く。
「しかし、世界にはお前を怖がらない者もいる」
「!」
その言葉にグラムは強く反応する。
『おじさん!』
不意にエヴァの顔が瞼の裏にチラついた。
「今、頭の中に誰を思い浮かべた?」
「……誰も」
「意地を張るな。あの丘の上の小屋に住まう少女だろう?」
グラムは目を閉じ、俯いた。
「あの娘は、お前の力を知らぬ。知らぬゆえに、恐れないのだ」
「……」
「お前が他者と共存することを望むのであれば、あの娘を大事にするんだ。そうすればお前を苦しめる力の呪いも、いずれは消えるだろう」
グラムは俯いたまま手で顔を抑えた。
それは、涙が出たからではない。
「俺は、どっちだ?」
ただ途方に暮れたからだ。
「いつからか俺の中には、俺が二人いる」
「二人か」
「元からいたのは俺を除け者にした弱者に復讐することを望む俺だ。だがいつからか、俺の中に、弱者と共存することを望む俺が生まれていた…………どっちが、本当の俺だ?」
セバスは微笑み、優しい声で答えた。
「どっちもお前だ」
「……どっちも?」
グラムは顔をあげて聞き返すと、セバスは頷いた。
「個人的な感情で言えば前者であって欲しいが…………後者もまた、お前であることに変わりはない。まぁ、要するに、どっちもお前の本音ということだ」
「俺の、本音か」
「そうだ。お前の本音だ。どちらか一つを切り捨てる必要はない。とにかく自分とよく向き合え。俺から言えるのはそれだけだ」
グラムは失笑した。
「大層な遺言だな」
「最期くらいはいいだろう?」
言いたいことを言い切ったからか、セバスは満足したように目を閉じ、ベッドに深く体重を預けた。
「セバス、お前は何年生きた?」
「八十年だ」
「やり残したことはあるか」
「ない」
グラムは「良かったな」と、小さく呟いた。
「あぁ、でも待ってくれ。一つだけ、後悔があるんだ」
不意にセバスが目を開けると、その青白い手を天井に伸ばした。
「言ってみろ」
「姫様の未来を、見届けられなかったことだ」
悔しさを滲ませたセバスの声が響く。
「なぁグラムよ。最期に一つ、頼みたいことがある」
「……なんだ?」
「俺の固有魔法を、受け取ってくれないか」
グラムは瞠目した。
「それはなぜだ?」
「……分からない。だが、こうするべきだと思った。俺の魂が、そうしろと叫んでいるんだ」
天井に伸びたセバスの青白い手がグラムに向く。
「だから、頼む。この老いぼれの最後の願いを、叶えてくれ」
縋りつくような声にグラムは何も言わず、差し出されたセバスの手を掴む。
刹那、緋色に光る魔方陣が二人の下に現れた。
それは凡そ二秒ほどで消滅した。
「ありがとう」
グラムは礼を言った。
「礼など、言うな。お前と俺の仲だろう?」
「……そうか」
セバスは笑い、また目を閉じた。
「あぁ…………声が聞こえる」
目を閉じたセバスが呟いた。
「エリーゼ様の声が聞こえる……また、目玉焼きを失敗なされたのですか?」
グラムは何も言わない。
声を掛けても、もうセバスには届かないと気づいていた。
「ハハハ……全く、しょうがない人だ」
セバスは呆れたように息を吐く。
「今、逝きます────…………」
今日は快晴。開いた窓から吹く微風は心地よく、小鳥もさえずる小春日和。部屋に差し込む日差しは柔らかくセバスを包みこむ。
眠るには、丁度いい季節であった。
「…………」
永い眠りについたセバスを見届けたグラムは、静かに部屋を立ち去った。
次回、新章です。
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