第20話 悩みの種
リンゴの味を知ったグラムは、毎日のようにリンゴを買いに商業区へ足を運ぶようになった。
シャルロットの命令を遂行している時以外は常にリンゴを食べて時間を過ごすようになった。ひたすらリンゴを食べては、全て食べきるとまた買いに出かけることを繰り返す。
そんな日々が二年も続き、やがてグラムとシャルロットが出会ってから三年の時が経過した。デュラン王国は三国同盟締結を機に異次元の立て直しを見せ、今や農業大国として成り上がった。
その成長速度は奇跡と形容されるほどだったが、三年も経過すると一旦の落ち着きを見せ、安定期に突入した。
異常寒冷による食糧難は依然として世界に猛威を振るっている。
日毎に餓死者が増えていく悪夢の中、シャルロットはリンゴのような耐冷性持つ小麦や芋を研究開発することを世界に宣言した。この動きに同盟国であるダインとベオウルフも同調し、三国は共同研究チーム『APS』通称アップルシードを発足した。
デュランのリンゴに救われた諸外国は研究に一縷の希望を見出し、自国の学者や研究者たちをデュランに派遣することでこれを支援した。
APS《アップルシード》はシャルロットらの想定をはるかに上回る規模に膨れ上がり、ついには三国同盟の合意の元、世界の農業を支えることを理念とする史上初の国際機関として独立した。
APSのシンボルマークであるリンゴの樹のコートを背負う者たちこそ台風の目であり、彼彼女らの本部があるデュランもまた同様である。なれば世界の命運を握るのはデュランと言っても過言ではない。
突如発生した小さな小さな流れに世界はうねり、それはやがて時代という名の大きな潮流となるだろう。
未だ変動し続けるその流れの中でも一つだけ、確かに言えることがある。
「よもや《《禁断の果実》》ではなかろうな…………」
聖教会の総本山。
バルゼノン教国の教皇グレゴリウスが動き出した。
♢
ある雪の日、グラムはシャルロットの命令によって王城を追い出されていた。
「…………」
追い出されたグラムは広場のベンチに一人腰掛けている。傍らにはバスケット一杯に買い占めたリンゴ、それをただひたすらに黙々と食し、グラムは時間を潰していた。
「……暇」
リンゴを咀嚼しながら、グラムは少し前の出来事を思い返す。
「────グラム様、緊急です」
発端はシャルロットの言葉だった。いつものように買ってきたリンゴをシャルロットの私室で頬張っていたとき、深刻な顔をしたシャルロットが話しかけてきた。
「ランニングに付き合えという話なら断る。俺のリンゴタイムを邪魔するな」
「今日は違います。とにかく食べながらでもいいので話を聞いてください」
「…………何の用だ」
グラムはむすっとした顔をして、リンゴを食べながらシャルロットに目を合わせた。
「今すぐ出て行ってください」
シャルロットはただ一言そう告げた。
「は?」
「出て行ったあとは城に近寄らないでください」
「なんで?」
グラムは一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
「…………すみません、言葉足らずでしたね」
「何があった? お前にしては、また随分と珍しい凡ミスだが」
「実は困ったことになりまして…………」
シャルロットの弱り目がリンゴを齧るグラムの姿を映し出す。
「聖教会が魔族を強く敵視していることは覚えていますね?」
「浄罪の劫火とやらで国が亡びるのだろう? あの老いぼれが言っていた」
グラムはセバスの顔を思い浮かべながら答えた。
「その聖教会の総本山、バルゼノン教国の最高権威であるグレゴリウス教皇が、明日デュランに来訪することになったんです」
その言葉にグラムは片眉を上げる反応を示した。
「どうも『デュランの劇的な復活劇の裏には魔族との契約があるのではないか?』という噂が聖教会の中で囁かれているらしくて……噂の真意を確かめるべく、APSの視察という名目で教皇直々に…………」
「まぁ、当然の話だな」
困り果てるシャルロットに対し、グラムは他人事の様に納得した顔をする。
「なので教皇が滞在する三日間、グラム様は王城に近寄らないでください。こちらの方で動きがあったらセバスに連絡させますので────」
かくしてグラムは、王城を追い出されるに至る。
しとしとと雪が降る寒空の下で、広場にいるのはグラム一人だけだった。
「…………独り、か」
途方もない寂寥がグラムを襲う。それは初めて経験するものではなく、むしろ何度となく味わって来た苦味である。
その苦味に顔を顰め、グラムは口の中のリンゴを呑み込んだ。それでも苦みを拭えず、次のリンゴに手を伸ばそうとしたが、バスケットの中にはもうリンゴは残っていない。
「…………」
────やることがない。
グラムは茫然と曇り空を見上げた。
周囲を見渡しても人はおらず、風も凪いで静寂だけが満ちた世界が広がっている。
「…………この閑散ぶりでは、どの露店も閉まっているだろうな」
独り言を言いながら、グラムは空っぽのバスケットに目を向けた。見ているとまるで自分も空っぽになったような気がして、グラムは乱雑にバスケットの蓋を閉じた。
「俺は、こんなところで何をしている………!」
奇妙な焦燥と苛立ちがグラムの心の中で募っていく。それはただただ、雪の様に積って大きくなるばかりだった。
(いや、落ち着け……焦ることなど何もないはずだ。失った魔力も着々と回復している。まだ上限の半分にも満たんが、この調子なら五年も掛からない)
冷静を取り戻すために自分に言い聞かせる。
────だからなんだ?
それが却ってグラムの焦燥を加速させる。
腹の底から虚しさと屈辱がせり上がって来た。
(魔力は着々と回復している、だからなんだ?)
膨張する焦燥の中で、グラムは我に返った。
(俺が人間界にいるのは……魂を失うリスクを無視して契約を交わしたのは、平和を謳う弱者を嘲るためだ! それ以上でもそれ以下でもない! 魔力の回復はそのついででしかなかったはずだ!)
思い出したのだ。己の目的を。
気に食わない存在を嘲笑うためならば、命など二の次。
全ては己の愉楽のためだけに。
だからこそ契約を交わしたはずだった。
(それがこの体たらくだ……一体いつから、俺は都合の悪い事実を認めずに言い訳する浅ましい男に成り下がったのだ!)
湧き上がる怒りは腑抜けた己に対して向けられる。
(最近はあの女を嘲るどころか、理路整然と言い返されるばかり……これでは、セラスの時とまるで同じではないか!)
俺は俺だ!
俺は強者だ!
俺はグラムだ!
グラムは自分に言い聞かせた。
(失くした俺を取り戻す……取り戻さなくてはならない!)
決意を固めたその刹那、グラムは絹を裂いたような少女の悲鳴を耳にした。
「…………ぁあ?」
グラムは少し遅れてから反応する。悲鳴が聞こえたのは王国の外れの方からで、丁度王城とは真逆の方向だった。
「"千里眼"」
グラムは魔法を発動する。魔力により強化されたグラムの魔眼はあらゆる建造物を透過し、目標を探知した。
視界に映し出されたのは、小さな子供に襲い掛かる三人の大人のシルエットだった。
「クハハ、面白そうなことをしているじゃないか」
グラムは魔法を解き、ニヤリと嗤う。
「憂さ晴らしには丁度いい」
そしてグラムは立ちあがった。
同時に感情が高ぶったせいか、その背中に隠された《《二対》》の黒き巨翼が飛び出していた。




