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第10話 愛ゆえに

 上下左右どこを見ても、その空間には白という色以外何も存在しない。境目すらも存在しないので、上下左右という表現すら適切なのか疑わしい。


 そんな無限の白の中に、ルミナスはいた。


「ここは…………?」


 彼女の意志で来たわけではない。

 

 気が付くとそこにいた。


 ここはどこなのか? なぜ自分がここにいるのか? 不明な状況を考えようとするが、上手く思考を纏めることが出来ない。


 頭の中が雲で満たされたような感覚があった。記憶も曖昧で、この空間に来る前のことが何も思い出せない。


「私は…………一体……?」


 困惑しつつ、それでも漠然と出口を探そうとする。しかしどこにも見つからず、物体も概念も何もない。


「ルミナス・オブスキュラス」


 不意に聞き覚えのある声に名前を呼ぶ。ルミナスは思いがけずハッとなり、声がした方向を振り返った。


「お前は誰のことをアイしている?」


 そこにいたのはグラムだった。顎を突き出してルミナスを見下しており、例のごとく嘲笑を浮かべている。


「……誰ですの、貴方?」


 ルミナスは目を細め、怪訝な顔をしてグラムを警戒した。


「クハハ、所詮はその程度というわけか」

「はぁ……?」


 この謎の白世界で、唯一色彩を持つ謎の男。いきなり現れたかと思えば、おかしなことばかり口にする。


 ルミナスは首を傾げ、黒目黒髪の男をもう一度見直した。


「ここはお前の魂の根っこ。精神世界、或いは心の中とも言える空間だ」


 言葉の意味をルミナスは理解できなかった。


 訳が分からないと言わんばかりに眉間に皺を寄せる。


「十年前、聖教会から派遣された浄罪執行者に殺されかけたお前は命からがらダイン帝国に逃げ込み、当時十歳だったガビル・ダインスレイヴに命を救われた」

「……え?」


 輪郭の定まらない光景の幾つかが白い空間に滲み出した。おもむろに始まったグラムの語りに呼応するように出現したそれらにルミナスは狼狽える。


「そこから後は下らん記憶ばかりだが……まぁ、とりあえず色々あってお前はあの男に惚れこみ、あの男もまたお前に惹かれたというわけだ」


 滲み出す光景の数はどんどんと増えていく。いずれも幼きガビルとルミナスが二人で過ごしてきた光景であり、どんな時も二人は笑い合っていた。


「誰……?」


 光景の数々を見たとき、酷い頭痛が起こった。


 痛みが突きつける謎の焦燥にルミナスは頭を抱える。


「さっきから何を言っているの?」


 あの男の子は誰だろう。私を見て、幸せそうに笑っている。

 

 ただそれだけの感想しか浮かばない。

 

 思い出せない。


「私は────」


 忘れてはいけないものを忘れてしまった気がする。それは絶対に忘れてはならない大切なものであったはず。


 なのに自分は、何を忘れたのかすら忘れてしまっている。


 自覚から湧き出した身の毛もよだつような喪失感がルミナスの全身を満たした。


「俺の魔法はあらゆるものを奪い取る」


 青ざめるルミナスにグラムは追い打ちをかける。悪辣に笑いながら、その右手をゆっくりと前に突き出した。


「だからよく考えたんだ。お前により深い絶望を与えるには、一体何を奪えばいいのか」


 汗ばむような、寒気を帯びた苦しみの温度。


「だから、もう一度だけ聞いてやろう」


 じんわりとした熱がルミナスの全身から湧き上がり始めた。

 

「お前は一体、誰のことをアイしていたんだ?」


 宣告と同時、ルミナスの全身を蝕んだ熱が脳へ向かって上昇し始めた。


 滲み出した光景の数々は途端に収束を始め、グラムの右手の中へ吸い込まれていく。


 果てしない喪失感と焦燥が爆発した。


「ま、まって!!!」


 昇って来た熱が水滴となって瞳から零れたとき、ルミナスは打ち出されたように駆け出していた。


「所詮、アイなどその程度。気付かぬ間に忘れるようなものに過ぎん。だからこうして奪われる」

「やめて!! 返して!!」


 しかし焦るあまり、足がもつれてしまう。バランスを崩したルミナスはその場で転んでしまった。


「私の()()!!」


 喪失感に縛られた足が上手く動かせない。這いずろうと試みながら、遠ざかる在りし日の光景にルミナスは必死になって手を伸ばした。


「クハハ、今更思い出したのか? だがもう遅い!」


 奪われたルミナスの記憶は凝縮されて結晶となった。グラムはそれを鷲掴みにして、ルミナスに見せつけるように持ちあげた。


「そして証明してやろう! 全てを制するのは暴力だということを!」


 歯をむき出しにして悪魔は笑い、乙女の記憶の結晶を握り潰そうとした。


 しかし次の瞬間、突如として悪魔の背後に現れた何者かがその心臓を剣で貫いた。


「……何?」


 予想外に悪魔は少し目を見開く。その一撃に呼応してか、白い空間は紙が破れるように自壊し始める。


「どうやって俺の魔法を解いた」


 白い世界が剥がれ落ちた帝王の私室の中で、グラムは特に動揺する素振りは見せず、ただ己を刺し貫いた男へ無感情な黒い眼を向ける。


「"破天荒"……!」


 グラムを刺し貫いた男────ガビルは若干の震えを帯びた低い声を発した。


「その悪魔の如き目を見て思い出したよ………! "魔族大戦"の撃鉄になった伝説の大魔族! 五百年前、突如人間界に現れたお前はこのミスティル大陸の半分を焦土に変えた!」

「お前には耳が付いていないのか? どうやって俺の魔法を解いたのかと聞いている」


 ガビルは自分を鼓舞するように剣を深く押し込んだ。


「チッ……」

 

 グラムは不快そうな顔をしてガビルを睨みつけた。睨まれたガビルは息をのみ、剣を引き抜いてグラムから逃げるように一歩距離を取った。


「どいつもこいつも、チクチク針で刺しやがって……」


 グラムはルミナスから視線を外してガビルに向き合った。ルミナスは虚ろな目でへたれこんでいる。


「魔法が解けたら大人しく逃げろよ。足が震えるほど俺が怖いんだろ?」


 図星を突かれたガビルは参ったような顔をして、冷や汗を流しながら震える息を吐き出した。


「その目は勝てないことを理解している奴がする目だぞ」


 貫かれたグラムの傷が急速に再生していく。


「答えろ人間。お前はなぜ、勝てぬ敵に戦いを挑む?」

 

 そこでガビルは目を閉じた。


 彼女と過ごしてきた幸せな歳月が流れ始める。


 燃料はその色彩、その匂い、その音。


 青年の瞳に勇気の火が灯された。


「愛ゆえに」


 淀みの無い声と共に剣を構えなおしたガビルの立ち姿にルミナスは瞠目する。


 それはグラムも同じであり、彼もまた瞠目せざるを得なかった。


「…………ハハ!」


 驚き戸惑ったような目をした後、至極楽し気な笑みを浮かべ始める。


「お前にとって、アイとはそれほどの物か?」

「かけがえのないものさ。僕と彼女の、無上の宝物だ。……だから、僕の彼女に手を出すな!!」


 その答えが微かに琴線を揺らす。


 グラムの眼が無邪気な子供のように輝き始めた。


「良いだろう!! ならば俺に見せてみろ!!」


 右手に持っていた結晶を雑に捨てる。無数の眼が開く黒い翼が、再びグラムの背に現れた。


「お前たちが崇拝するその愛が、俺という暴力を超える瞬間を!!」


 高揚に胸躍るグラムは一歩を踏み出す。


「────そこまでだ」

 

 その二歩目が踏み出されようとした刹那、転移魔法により現れたセバスがグラムの肩を掴んだ。


「約束の時間だ。こちらの準備は既に完了している」

「邪魔するな老いぼれ!! 今良い所なんだ!」

「姫様の命令が聞けぬと?」


 セバスの警告にグラムは舌打ちをする。不満気な顔をしながらその翼を引っ込めた。


「新手、か……?」

「お初にお目にかかります、ガビル陛下。我々はデュランより遣わされた案内人。まずは突然の訪問となってしまったことをお詫びさせていただきます」


 当惑するガビルの声を聞いたセバスはモノクルの位置を整えながら謝罪をする。


「デュラン………………そういうことか」


 ガビルの困惑が次第に納得に変化する。


「此度は女王陛下の招待状を持って参りました。つきましてはお詫びも兼ねて、両陛下をデュランへ案内させていただきたく存じます」


 静まり返った室内に、セバスの厳粛な声が響き渡った。

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