セタンタ 聖堂 『決戦セタンタ ~その3~』
「は、はっ、は……ぁ……」
荒い呼吸を整える暇もなく、その二人は走っていた。
「やだぁこわいぃ」
「だいじょうぶ。だいじょうぶだ」
それは十歳にも満たない少年と少女だった。兄妹だろうか?少年が自分より一回り小さい少女に声を掛け励ましている。
「は、は……、ここまで、来れば……」
安心だ。そう口にしようとして、しかしその先の言葉は失われてしまった。何故って、
ゴルルルル……
低い唸り声を上げながら、体長三メートルはあろうかという猛獣が二人を付け狙うように迫っていたのである。
その両肩から輝く石を生やした猛獣は、絵本の中でジュエルベアーと呼ばれていたものだ。大人たちから、エルムの森に入った子供はジュエルベアーに食べられる。と言い聞かせられていたことを少年は思い出す。
「ぁ、ぁ……」
そこまで無我夢中で走り続けてきたせいだろうか。二人はその場にぺたんと尻餅を着くと、全く動けなくなってしまったのである。
「うぇぇぇん。にーちゃぁぁん……」
「だ、だいじょうぶだから……」
ジュエルベアーは完全に二人を標的に距離を詰めている。妹を庇うように抱く少年だったが、彼もまたがちがちと歯を鳴らしていた。
そうしてついに狙いが定まったのか、ジュエルベアーが二人に向かって飛び掛かる。
「うわあぁぁぁぁぁッッ!」
彼らの一秒先の悲劇は、本来ならば避けようのないものだっただろう。爪か、牙か。恐るべき巨大の一撃が、子供たちの命を刈り取っていた筈だ。──しかし、そうはならなかった。
「【閃光剣】!」
声と共に風が駆け抜けると、恐るべきジュエルベアーの頭が胴体からずるり、とずれた。
「えっ」
少年が驚いた声を上げた次の瞬間には、その首は完全に胴体から離れ、ジュエルベアーは糸の切れた人形のようにその場に倒れ伏していた。
目を白黒させながら、この場に現れた誰かへと目を向ける少年。
「悪いなクマ公。お前に罪はないのかもしんねえけど、俺は人間の味方なんでな」
青い鎧を身に纏った茶髪の青年は、二人へと振り返ると微笑んだ。
「──恐かったな。もう大丈夫だ。俺が、勇者レオンがなんとかしてやる」
青白く輝く剣を鞘へと戻すその姿をぼんやりと眺めると、遅ればせて少年は自身が助かったことを理解した。
「よがっだぁぁ……」
妹と抱き合いながら安堵の涙を流す少年を見つめた後で、彼に目線を合わせるとレオンは口を開く。
「コイツみたいな恐い動物が、町の中に沢山いる。君たちはとにかく建物の中に隠れるんだ。自分の家が遠いなら、どこか近くの家に入れて貰うこと。──さぁ、行くんだ」
「う、うん!」
背を押されて、妹の手を引きながら走る少年。その姿を見送ると、レオンは立ち上がってふっと息を吐き出した。
「やれやれ。こりゃ骨が折れるぞ……」
アラクラ襲撃と時を同じくして、セタンタの街は軽いパニックに襲われていた。
タスクタイガーにブラックウルフ、そしてジュエルベアー。突如として街中に猛獣が現れ、一斉に暴れ始めたのだ。
それならば未曾有の大混乱に陥ってもおかしくないところ、何故軽い混乱程度で済んでいるのか。それは──。
「第一部隊整列!ファイアーボール!放て!」
『はぁッ!』
号令と共に十人以上の魔法使いが整列すると、一斉に火球を放つ。まるで弾幕のように撃ち出されたそれらはブラックウルフの群れへと命中し、その体を焼き焦がした。
「ギャイィィン!!」
「よし!止まった!第二部隊、拘束魔法放て!」
『はッ』
後方で魔方陣の準備を済ませていた別の十人が、ファイアーボール部隊と入れ替わるように前へと進み出ると、サイトバインドの魔法を放つ。悶絶している狼たちは光の鎖に縛られ、あっという間に身動きを封じられていた。
「──よし!状況修了!」
そう。まるで予期していたかの如く。猛獣の出現と同時に宮廷魔導師団が現れ、総出で対応に当たった為に被害は最小限に抑えられたのだ。
「回収部隊、コイツらを森の入り口に捨ててこい!街には入らない筈だ」
基本的に、どれだけ腹を空かせていても動物たちが街中に侵入することはない。人間たちの縄張りは危険だと理解しているのである。故に今回の戦いにおいて宮廷魔導師団は、極力相手を殺さず無力化することに努めていたのだ。
「よし!次に行くぞ!」
(まさか本当にこんな事態になるとは……。あいつらには感謝しないとな)
レオンとダニエルの進言がなければ、猛獣どもへの対応も後手に回り、市民に大きな被害が出ていたかもしれない。彼らはヴィクトールを説得したその足で、駐屯騎士団をも動かしたという。
「全く大したもんだ」
次の指示の傍ら、ヴィクトールは小さく呟くと、二人への感謝を胸に抱くのだった。
◆◆◆◆◆
イケゴニアは配下の面々を使い、セタンタの街中に猛獣を解き放ったらしい。故にあちらこちらが戦乱の渦に巻き込まれていた。
ヴィクトールが耳にした噂通り、駐屯騎士団も鎮圧の為にその剣を振るう。そしてその戦闘の最前線には、ブラウン商会受付嬢であるイレーネの姿もあった。
「はぁッ!」
襲い来るタスクタイガーを相手に一歩も引かず、その爪の一撃を剣で受け流すと、反す刃でその鼻っ柱を斬り付ける。
「ゴギャアァァッッ!」
急所にダメージを受けたまらず引き下がるタスクタイガーだが、薬で凶暴化させられているらしく次の瞬間には鋭い咆哮と共にイレーネへと襲い掛かる。正に一進一退の攻防が続いていた。
非戦闘員で構成されたブラウン商会における唯一の戦闘要員がイレーネである。同郷でありその強さを知っているダニエルが、受付嬢兼守衛として彼女を雇ったのだ。
「ふんぬッ!」
「ゴギャァァァッッ!」
すれ違い様に前足を斬られ、タスクタイガーが悲鳴を上げる。その強靭な筋肉により切断には至らなかったものの、深手を負わすことは出来たようだ。しかし凶暴化したタスクタイガーはそれでも足を止めることなく眼前の敵を睨み付けていた。
「ゴォォォッッ!!」
そうして何度目かの咆哮を上げると、タスクタイガーはイレーネ目掛けて渾身の力で突進した。これまで同様に紙一重で回避してカウンターを入れようと動くイレーネであったが。
「!?」
驚き、目を見張るイレーネ。勢い込んでいた筈のタスクタイガーが、彼女の眼前でピタリと静止していたのだ。そして瞬時に爪を振り上げ、イレーネ目掛けてそれを振り下ろす。
(まさか、フェイント!?ぐっ、回避は──間に合わない……っ!)
タスクタイガーは、その獰猛さもさることながら高い知性を持つことでも知られる獣である。この短い攻防の間にイレーネの戦闘パターンを学習したのだろう。咄嗟のことで動きの変更が間に合わず、イレーネは鋭い爪の一撃を剣で受け止めるしかなかった。
「ぐ、くぅ……ッ!」
気を抜けば一瞬で潰されてしまいそうな力を受け、苦悶の声を上げるイレーネ。しかし彼女の誤算はそれだけではない。身動きの取れぬその状況で、眼前の相手とは別の咆哮が背後より響いたのだ。
(新手……!?)
動けない獲物を仕留めようともう一体のタスクタイガーが迫って来たのだ。横合いから突進するその姿を目の当たりにしても、今のイレーネに対処する余力はない。
「しま────」
やられる──!そう思った次の瞬間、吹き飛んだのはもう一体のタスクタイガーの方であった。
「づぉりゃあァァァッッ!!!」
弾丸のように放たれた飛び蹴りが、タスクタイガーの巨体を吹っ飛ばしたのである。
「────!」
「ゴアッ!?」
イレーネと、彼女と打ち合うタスクタイガーの両者が、驚いて目を向ける。タスクタイガーをぶっ飛ばしてそこに立つのは。
「バレナっ!」
「よ、イレーネ」
そう。彼女もよく知る幼馴染みだった。激戦の最中であるというのに、街で知人と再会したような気軽さでバレナはイレーネに片手を上げる。
「なんだお前こんな奴に苦戦して。鈍ってんのか?」
「はぁ!?そんな訳ないでしょ!?」
真っ赤になりながら、イレーネは今まで拮抗していた筈のタスクタイガーを片手間に跳ね上げる。
「というか、私本業は受付だからねっ!?」
「ゴアッッ!?」
がら空きになった胴体に蹴りを叩き込むと、タスクタイガーはもんどりうって倒れ込んだ。ヒュウッと口笛を吹くバレナ。
「へっ。そんな攻撃しといてよく言うわ」
「っさいわね。アンタからぶっ倒すわよ!?」
「ぉ、やるか!?」
視線が交錯し、バチバチと火花散らす。数秒間見つめ合った後で、二人は小さく噴き出すと互いに背を向けた。
「ま、アンタを倒すのは最後にしてあげるわよ」
「そりゃこっちのセリフだっつうの」
互いに唸り声を上げるタスクタイガーを視界に入れると、じりじりと後退してついにその背を合わせる形となる。二体の虎に挟まれ絶体絶命とも言えるこの状況で、しかし二人は不敵に笑っていた。
「だったらこんな猫さっさと倒してやるわよ!」
「望むところだッ!るあぁッッ!!」
そうして二人は互いの敵へと走り出す。ファティス中の少年たちを震え上がらせた、『東のバレナ、西のイレーネ』が復活したのである。
◆◆◆◆◆
「傷を負った方はこちらに!押さないで順番に!」
宮廷魔導師団や駐屯騎士団が戦う街の中央広間にて、建物の影になった部分にスルーズがいた。小さなテントを設け、怪我人たちに回復魔法を施し続けているのだ。
そのお陰もあって、通常なら戦線離脱を余儀なくされるであろう怪我人も、たちどころに元気を取り戻して戦線へと復帰することが可能となったのである。
しかし、怪我人は何も戦闘要員に限った話ではない。猛獣に襲われた一般人も次々に担ぎ込まれ、スルーズはひっきりなしの対応を余儀なくされていた。
「……………………」
数十人を回復させた所で、その体がぐらりと傾いた。
「あの?」
「ん、……くっ」
地面を強く踏みしめて倒れそうになる体を支えると、スルーズは自身の頬を強く叩いて気合いを入れ直す。
「や。何でもないし。さ、じゃんじゃんいこっか!」
そうして魔力ポーションをがぶ飲みすると、彼女は人々への治療を続けるのであった。
◆◆◆◆◆
「ったく。暴れすぎだっつうの」
「それは、ハァ……、アンタでしょ……」
ややあって、地面に座り込んで荒い呼吸を繰り返すイレーネと、立ったままそんな彼女をからかうバレナの姿があった。
「っていうか、アンタ、タフすぎ……。なんでまだ動けるのよ……」
「そりゃ現役で勇者パーティーの前衛だからな。受付嬢よりは動けるだろーよ」
軽口を叩き合って笑う二人。彼女らの大暴れもあって、付近のタスクタイガーたちは全滅していた。これで安泰かと思われた矢先、バレナは通りへと目を向けて固まっていた。
騎士団が慌ただしく行き交うそこに、一人の男を見付けたのだ。
「──アイツ、アイツはっ!」
「バレナ……?」
「テメェ!そこで止まりやがれ!」
遠巻きに指を指された件の相手は、「ん?」と振り返った。
「……なんだ、またお前か」
まるで尖った鎌の一振りのように固められた前髪をした、金髪の男。長身で筋骨粒々なその出で立ち、そして騒ぎの起きる街中を堂々と歩いている様は、この状況においてかなりの異彩を放っていると言えよう。
そう。彼こそがイケゴニアの一人であり、以前フィーブにてバレナを打ち負かした男、ファルクスであった。
バレナに声を掛けられたファルクスはフン、と鼻を鳴らすと面倒そうに頭を掻きながら振り返る。
「……勇者レオンはどうしたっ。俺は奴と戦いたくてこうしてうろついている訳だが」
「……ここにゃいねえよ。動物の躾で忙しくてな。……ありゃテメェの仕業か?」
「おおとも」
バレナの言葉に、ファルクスは自信満々に胸を張る。
「街で騒ぎを起こすのがこの俺の使命でなっ。勇者レオンと戦いたいこともあり噛ませてもらったのだ!」
ここまで内情をペラペラと喋るこいつは、暗殺組織の中でも相当の問題児なのではないかと思わないでもないが、逆に言えばそれを許されている程の実力者であるとも言える。
そもそもが先の戦いでバレナはファルクスの全力を引き出すことすら出来ず、結果は完敗であった。
「黙って聞いてりゃベラベラと……!」
「バレナ、コイツは……?」
イレーネがよろよろと体を起こしながらバレナに問う。バレナはギリギリと歯を軋ませ、「敵だ」と一言口にした。
「今確認した通り、この街の騒ぎを引き起こしたのがコイツらだ。暗殺組織イケゴニアの奴だ」
「そう。じゃあ、野放しには出来ない、わね……!」
そう口にするが早いか、イレーネは剣を構えてファルクスへと走り出していた。
「あ!おい!? やめろ馬鹿!」
バレナの制止も聞かず、振りかぶった剣の一撃をファルクスへぶち込まんとするイレーネであったが、
「ほう!武器を持って挑むか!ならば相応の力で応えよう!」
そんなイレーネの姿を眺めてか、ファルクスもまた動き出していた。自身の背に両腕を回すと、そこから一対の鎌を取り出したのである。
(両手持ちの鎌……?それなら、リーチの差で勝てる……!)
武器のリーチ、という観点で見れば、圧倒的にイレーネに分がある勝負である。
鎌で受けるのならばその鎌ごと切り裂くまで。勢い込むイレーネはしかし、
「がッ!?」
次の瞬間、その四肢から血を噴き出してその場に崩れ落ちていた。
(触られてもいないのに……なんで……)
「イレーネ!?」
「ぐははっ!これぞ俺の秘技!不可視の斬撃よ!その女は何をされたのかも分かるまい」
一度ファルクスと戦ったバレナには理解出来る。恐らくは風魔法だろう。以前は腕に纏わせていたそれを、鎌を通すことでまるで刃の如く薄くして打ち出したのだ。風を含む魔力の刃が、見えない連撃となってイレーネを切り裂いたのだろう。
楽しそうに解説した後で、「ではとどめを──」とイレーネに手を伸ばそうとしたファルクスは、しかし強い殺気を受けてその場を飛び退いていた。
「てめぇ……」
「むうっ、また貴様か」
飛び込んできたバレナを睨み付けるファルクス。呆れたように眉根を寄せながらそう口にすると、鎌を背に戻していた。
「意気込みは立派だが、正直貴様は底が知れている。俺は勇者レオンとやりたいのだ。貴様にはコイツと遊んでいて貰おう」
その代わりに腰にぶら下げた壺のようなものを手に取ると、ファルクスは鼻を鳴らしながら蓋を外す。
「調子に乗ってんじゃねぇ!」
無論そんな悠長な行動を許す筈もなく。隙を見せているファルクスへ突進しようとするバレナであったが、ファルクスが放った壺から煙が噴き上がるとその場に足を止めていた。
「な──あ……?」
まるで煙幕のように視界を覆い尽くす白煙。片腕で顔を庇うバレナは、煙が晴れてそこに現れた存在を前に言葉を失っていた。
『グ、ル……、ゥルルル……』
低く掠れたような唸り声を轟かせ響かせ、巨大な四足の猛獣がそこにいた。ミーナが見れば、ライオンのようだと表現しただろうか。いや、彼女はその生き物の名を知っている。
「ミラリスが今回の為にと譲ってくれてなッ!マタンゴア、だったか!?どうだかっこいいだろうっ!」
ライオンを二倍にしたような体躯、しかしその体の半分はその表皮がグズグズに溶け、土色をした茸のような物体がボコボコと付着していた。まともな人間であれば、生理的嫌悪感で直射するのも厭われるような怪物がそこにいたのである。
「──上等だコラ」
しかし魔神を相手に一歩も引かなかったバレナが、それしきの相手に怯む筈もなく。
イレーネを抱き抱えたまま、彼女はその瞳に闘志を燃え上がらせるのであった。




