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セタンタ『アラクラ』

 タルタミア。それはルード大陸北部にかつて存在した村の名前だ。昔から動物たちの楽園だった山間にある為か、村やその近隣は魔力を多量に含んだ土地になっており、鉱山を掘れば多種多様な魔石がごろごろと出るような──魔石の産地として有名な場所でもあった。


 少女◯◯◯もその恩恵に預かる一人であった。

 彼女の家は代々所有する大鉱山から採れる魔石の売上で裕福であり、そのお陰で少女は飢えとは無縁の生活を送ることが出来ていた。

 生まれた時から魔石に囲まれているこの村の人間は、総じて魔力や魔法への適性が高い。中でも少女◯◯◯は常人よりも遥かに高い適性を持っており、村長からも、──多少の持ち上げはあったろうが──魔法使いとして育てれば歴史に名を刻むほど。と称された程であった。

 両親もそれを信じ、また少女本人にもやる気があった為、彼女は麓の街であるにステンシアて魔法を学ぶことを許されていた。


 そのままであれば、少女は皆の期待通りに魔法使いへと大成したのだろうか。だが、そうはならなかった。

 ならなかったのだ。


(アリシア先生に褒められたの、お母さんに言ったら喜んでくれるかしら)


 十二歳の誕生日を迎えて少し経った頃だったろうか。

 その日、ウキウキとした気分で村へと戻った少女を待ち受けていたものは、朝とまるで変わった彼女の故郷であった。


「ぇ────」


 理解が追い付かないとか、そんな次元ではない。まるで意味が分からなかった。人。人がその辺に無造作に積み上げられている。

 動いていれば人間と理解出来ても、身動きひとつ取らずに転がされているそれらは出来の悪い人形の様ですらあった。平和に暮らしてきた彼女には死臭さえ分からない。だが、それが人間が嗅いでいい臭いでないことは、彼女も本能で理解していたのだろう。気付けば少女はその場にうずくまって口元を抑えていた。何一つ、理解することが出来ない。少女にとって見知った顔がいくつあろうとも、それが知人であるとさえ分からず彼女は地面に目を落としていた。


「おや。一人残っていたようだね」


 そんな地獄のような光景の中にいて、まるで日常のワンシーンであるかのように間延びした声を出す者がいた。少女が顔を向けると、積み重なった人間たちの上に座った男が、彼女を見下ろすように目を向けていた。


「だ、れ……?」


 そう呟くのが精一杯だった。それほどに、彼女の頭は混乱の極みにあったのだ。


「いや、助かるよ。この村の人間は優秀だと聞いていたのに、実験に使える人員が少なくてね」


 少女の問い掛けに一切答えることなく、男は苦笑しながらそう口にした。


「ファルクス!テメェが誰彼構わず殺すからだぞクソヤロウがぁ……ッ!」

「いやすまん兄貴っ!しかし立ち向かって来る奴等は皆戦士!戦士は殺すのが礼儀だろう!」


 そんな男の両側に、二人の別の男が立っていた。一人は、ファルクスと呼ばれた男。筋骨粒々、真ん中に揃えられ、まるで鎌のように鋭く尖った髪型をした彼は、この三人の中では一番立場が下な様子であった。

 そして、そんなファルクスに兄貴と呼ばれたもう一人の男。スキンヘッドの中央に弁髪を残す彼は、肥満体でありファルクスとは別の意味での大男だった。


「なんだとォ?」

「デビュロ。そこまでにしなさい」

「親父、しかしだなぁ」

「僕の言葉が聞けないのかい?」

「ぅっ……」


 怒りが収まらぬ様子の弁髪男に、オヤジ、と呼ばれた中央の男が声を掛けた。三人の中では最も強さを感じさせぬ筈のその男だったが、しかし彼の一言でデビュロと言われた弁髪男はその身をすくませた。


「今話をするべきなのはこちらのお嬢ちゃんだろう。違うかい?」

「そ、そりゃあそうだが……」


 三人の目が少女へと向けられる。思わず後ずさる少女。そんな彼女に男はふっと微笑んだ。


「怖がらなくてもいい。そうだな。君にもキチンと経緯を説明するべきだろう」

「親父ィ、こんなガキに話したところで時間の無駄じゃねぇかァ?」

「デビュロ。子供だからと侮るものではないよ」


 怪訝な表情を浮かべるデビュロに、男はあくまでも柔和な態度でそう告げた。


「子供であっても尊敬すべき相手もいれば、大人であっても話すに値しない輩もいる。年齢やカテゴリで相手を判断するのは愚か者、ということだ」

「……ちぃっ。わぁったよ……」


 デビュロが引き下がると、男は一息ついた後で改めて少女へと目を向けた。


「では挨拶を。我々はイケゴニア。次の仕事で魔石が沢山必要になった故、魔石がより多く採れると評判のこの村に来たんだ。村長には、魔石の十割と鉱山を全て差し出せば危害は加えないと交渉したんだがね。良い返事は貰えなかったので、この通り武力で押し通させてもらったのさ」

「何を、言ってるの……」


 男の言い分は、少女にとって何一つ理解出来るものではない。そんな混乱の最中、彼女の目は中央の男の足下へと向けられていた。

 彼が座る人形の様な人影。その姿に、服装にあまりにも見覚えがあったからだ。


「お、母さん……?」


 その衣服は、母のものと同じだった。朝自分を送り出してくれた母の笑顔を思い出す。今男の尻に敷かれて人形と化しているその苦悶の顔は、彼女の知る母とはまるでそぐわない。それでも少女は、それが母であると理解してしまった。


「お母さんっ!?」

「おや」


 少女の視線が足下にあることに気付いてか、男がおどけたような声を出した。


「君の母君かい?こちらの彼女は、最後まで抵抗を続けていてね。敬意を表して一番上に重ねたんだよ。いや、実に素晴らしかった」

「お母さんからどいて……」

「彼女、なかなかのポテンシャルだったから実験に使えれば良かったのだけれどねえ。ファルクスがつい殺してしまって」

「お母さんから離れろッッ!!」


 瞬間。少女の怒りがマグマの如く噴き出した。全身に魔力をみなぎらせると、雷の魔法を男へと放つ。


──アリシア先生、すみません……!ウィステリアお姉ちゃん、ごめん……!でも、でも──!


 魔法の師であるアリシアからは、他者への攻撃に魔法を使ってはいけないと常に教えられてきた。面倒を見てくれた姉弟子も、人を傷付ける為の魔法使用を快くは思わないだろう。しかし今の少女には、そのような綺麗事を守っていられる余裕はなかったのだ。

 ……尤も、アリシアとて少女の安全の為にそう教えただけに過ぎず、実際にこの局面に立ち会ったならば即座にその驚異の魔力を男たちへと向けていただろうが。


「親父ッ!」


 目にも止まらぬ雷撃だったが、目標である男に到達するよりも早く、その間にデビュロが割り込んだ。


「あばばばばばッ!?」


 強力な雷の一撃に貫かれて煙を吐くデビュロ。その背後からは、笑顔を浮かべたファルクスが飛び出した。


「ふっはははははッッ!!戦士か!良い!良いぞ!」


 その手にした鎌がぎらりと光る。それが少女へと振るわれんとしたその時、その場に凛とした声が響いた。


「待て。殺すな」

「────」

「ファルクス。先程言われたことをもう忘れたのかい?お前は殺しすぎだと叱られたんだろう?」

「そういう話なら、親父、心配はいらないぜ」


 驚いたように固まる少女の前に立って、ファルクスは誇らしげにそう口にした。


「もう終わってる。安心してくれ。命は奪っちゃいないぜ」

「────ぇ」


 その言葉に少女は、自身の手元へと視線を移す。──ない。


「ぁ、ぁぁぁ……」


 かざしていた両手の、手首から先がごっそりと消えていた。それこそ見えない程の速さで振るわれたファルクスの一撃が、少女の手を刈り取っていたのである。


「キャアアァァァァッッ!!!」


 少女が一瞬気付けなかった程の速さと鋭利な切り口に、傷口からもまるで今気づいたかのように遅れて血が噴き出し始めた。パニックになって泣き叫ぶ少女。

 やれやれ。と男は嘆息した。


「これじゃあ結局すぐ死ぬじゃないか。あまり変わらないように見えるがね?」

「はっははは!しかし親父、どうせ実験しても死ぬんだ。だったら少しくらいはいいだろう?」

「遊ぶな。といつも言っているんだけどね。いつになったら分かってくれることやら」


先程まであった筈の自身の両手が、今はもうそこにない。血塗れの手首を前に少女は半狂乱に陥っていた。


「いたいっ!ない、わだじのっ!手、ないぃぃぃっ!!」

「さて。時間はあまりないが、確かに実験に支障はない──、いや、むしろ好都合とさえ言えるか」


 そんな少女を微笑まし気に眺めると、男は懐から何かを取り出した。半透明でぐにょぐにょと蠢くそれは、スライムのようでもあり、人の手のようでもあった。


「これは、古代の魔道具でね。呪われていると曰く付きの品さ。丁度いい。コイツを手の代わりにしてあげよう」


 男はそう口にすると、痛みにぼろぼろと涙を溢す少女の前に屈み込んだ。

 優しい声色のまま、鮮血を噴く彼女の手首に触れ、そして手にした半透明のそれを押し付ける。


「ぁっ……」


 驚きと同時に、少女の悲鳴が静まる。確かに痛みは引いていた。噴き出る血が魔道具内部へと溜まると、ブウゥゥン……という音と共にそれが起動を開始した。

 訳も分からずそれをただ見つめている少女であったが──。


「──ぁっ……ぎィッ!?なに、が……、はぎゃあぁぁぁあぁあぁぁッッ!?」


 突然苦しみ出した少女は、膝を折ってその場に倒れ込むともんどりうって悶絶し始めた。

 そんな彼女の様を眺めて、うむ。と男は満足そうに頷く。


「おっと言うのを忘れていた。そいつは使用者から永久に魔力を吸い続ける食いしん坊でね。実験した他の人間はそれに耐えきれなかったんだ。君はどうかな?」

「はぎゃあぁぁぁあぁぁぁァァァァァッッ!!!」


 自身の命を根こそぎ吸い尽くすかの様な激しいドレインに体が跳ね回り、ビクビクと痙攣する。


「……へッ。やっぱり駄目だな。死ぬなありゃ」


 漸く雷撃から復活したデビュロが、怒りを込めた侮蔑の眼差しを少女へと向けてそう口にした。

 男が、笑う。


「まだ分からないよ」


「がはぁッ!?あ、はぎゃがあぁぁぁァァァァァッッッ!!?」


(命が、吸われ、るっ……!わたし、が……、ぜんぶっ、なく、なる……ッ)


「ぁ、か、か、ぁ、は……」


 魔力、ひいては生命そのものが、手先にある得体の知れない何かに吸いとられていく。

 気を抜けばすぐにでも死んでしまいそうなその状況で、しかし少女は踏みとどまっていた。


「────ほう」


その様子を眺めて、感嘆の声を上げる男。少女は死に物狂いで自身の新たなる手を押さえつけようとしていた。


(落ち着いて……っ!今私を殺せば、あなたはまたしばらくご飯が食べられないのよ!?嫌でしょ!?だから、落ち、着いて……!)


 彼女の呼び掛けが効果を発揮したのか、それは分からない。しかし結果として徐々に、少女の呼吸は落ち着きを取り戻し始めていた。


「はぁ、は……、はっ、は、ぁ……」

「……凄いな。デビュロ、ファルクス、見たまえ!あの殺人スライムを抑え込んだようだ。──はは。大したものだ」


 静かに、しかし興奮冷めやらぬ様子で男が声を出す。それには流石のデビュロも驚いたようで、「マジかぁ?」と目を見開いていた。


「ほうっ!凄いな!この女、強い……!コイツは大したものだ!」


 一方のファルクスも少女が生き残ることは完全に予想外だったようで、手を叩いて彼女の健闘を称賛していた。


「……すると、親父?」

「ああ」


 ファルクスの問い掛けに頷くと、男は青息吐息な少女の前へと屈み込み、優しく微笑んだ。


「今更だが、自己紹介させてもらおう。僕はフィルマ。君は今日から、僕らの家族の一員だ」

「は、ぁ、は……、ぐ……」


 最早喋る力さえ残っておらず、精一杯の意思表示として少女は男を──フィルマを睨みつけた。そんな彼女の態度を意に介した様子もなく、フィルマは笑う。


「はは。うん。そいつを両手に付けてその元気。これは確かに逸材かもしれないね」


 そう呟いて立ち上がると、フィルマは「そうだ」と何かを思い出したように口にした。


「家族になるのなら、名前をあげないといけないね。君は──そうだな」


 そう口にして、二歩、三歩とうろうろ歩きながら思案すると、フィルマは小さく頷いた。


「うん。アラクラ。これがいい。古代ルード語で、ハサミを意味する言葉なんだ。鋭い刃物のような君にピッタリだ」

「こ、ろ……して、や、る……」


 目の前の敵を見据えて最後にそう口にすると、そこでやっと少女は意識を失った。


「……死んだのかぁ?」

「いや。生きているよ。……ふふ。その殺意。実に楽しみでならないね」


 フィルマはそんな少女を見下ろすと、本当に楽しそうに微笑むのだった。


◇◇◇◇◇


「……夢。久し振りに見たわね」


 ゆっくりと目を開くと、アラクラは自身に言い聞かせるように一人ごちた。

 あの日以来、熟睡出来たことはない。そもそもが任務の為に、僅かな物音でも反応出来るよう訓練を受けたのだ。熟睡など出来る筈もないのだが。

 しかし夢を見たということは、それなりに寝てはいたのだろう。懐かしい光景だった。今となっては、遠い遠い昔の話。古い映画を見ているような、不思議な懐かしささえあった。


(復讐、か……)


 仇を討つには、あまりにも彼らと月日を重ねすぎてしまった。イケゴニアとしての十四年の年月は、タルタミアで生きた十二年を既に上回っている。

 フィルマへの怒りが消えたわけではなくとも、今の自分を全て捨て去ってまで彼を殺す意義が、アラクラには見出だせなかった。


「皮肉なものね……」


 目を細めるとアラクラはそう吐き出した。

 後に部下を使って調べさせたところ、彼女が世話になっていた街であるステンシアは、彼女がイケゴニアに拐われてから三年後に魔王軍の進行を受けて滅びたらしい。アリシアも、恐らくウィステリアも亡くなったのだろう。

 結果、全てを無くした自分だけが、生き残ってしまったのだ。


「──皮肉なものね」


 もう一度、そう繰り返す。その時ふと気配を感じて、アラクラは顔を上げた。路地の暗がりに人影などまるで見えないが、しかし彼女は誰かがいると確信して声を出した。


「ミセリア。戻ったのね」

「……うん」


 暗闇から聞こえる声は、どうにも歯切れが悪い。アラクラは眉をひそめた。


「その様子じゃ、上手くはいかなかったみたいだけれども」

「……そうだね。結論から言うと、失敗した」

「……理由は?」


 そこまで会話をすると、ようやく暗がりにミセリアが姿を見せた。納得がいっていない様子で首を捻ると、口布越しに声を出すミセリア。


「ボクは完全に不意を突いてナイフを放った。ミスはなく、手応えも完璧だった。けれど当たらなかった。弾かれたんだ。魔力の結界のような何かに」

「気付かれていた訳ではなく?」

「本人は気付いていなかったよ。それは間違いない。だからこれは、予め防御魔法が張られていたか何かだとは思うけれど」

「そう……」


 噛み締めるように呟いた後で、アラクラは小さく嘆息した。


「何れにせよ、遠距離からの暗殺は難しそうね。当初の予定通り、講演中を狙いましょう。向こうは私たちを知らない。チャンスは一度きりだろうけど、難易度は低いわね」

「…………」

「ミセリア……?」

「ん。いや、何でもない。ボクもそれでいいと思うよ」


 この時ミセリアは、相手と顔を会わせたこと。相手が自分たちのことを熟知していたこと。そしてデビュロのこと。報告すべき内容を何一つ口にしなかった。

 アラクラの顔は恐らく知られている。ならば高確率で暗殺計画は失敗するだろう。それを理解していながら、それでも報告することが出来なかった。


(今は、あの女を殺させる訳にはいかない)


 それこそが現在のミセリアの胸の内だった。


「決行は明日、ファルクスには勝手に動いてもらうわ。……ミセリア。貴女も分かっているわね?」

「──勿論」


 決意を秘めたアラクラの言葉に、ミセリアも頷く。

 そうしてイケゴニア三人による一大暗殺計画が今、動き出そうとしていた。


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