セタンタの宿屋 キング亭『邂逅』
講演会から一夜明けた翌日のこと。
俺はキングのベッドの上で爽やかに目を覚ました。
「ん~っ!いい朝~!」
拳を掲げて体を目一杯伸ばすと、若干の痛みと共にえもいわれぬ心地好さが体の芯へと響く。
昨日から大分出血量も減っており、そろそろスライムともお別れだろうか。
……そーいや、これがクエハーのゲームだったら、
ミーナ LV17 ♀
しょくぎょう:世界学者
HP:85
MP:10
そうび
レザーアーマー
干しスライム
とか表示されているんだろうか?……なんかやだな。それ。
──と。体を起こしてすぐ、俺は部屋の片隅にある大きな箱に目を止めた。
……そうだった。買って貰ってたんだよな。えへへ。
講演会を無事に成功させたお祝いに何か買ってやるとレオンに言われ、俺が頼んだのがこれであった。俺の背丈と変わらないレベルの箱を開け、振動など与えないようにそーっと中を覗くと、そこにはまるでウエディングケーキを思わせる脅威の六段重ねのクリームケーキが鎮座していた。
「わあぁ、これこれ……!」
先日ブラウン商会で分けてもらったそれよりも更に豪華、更に巨大。ミルフェボン特製、ハイパーグレートスペシャルデラックス桃デリシャスケーキがそこにあった。
──後でみんなで食べよーっと。
それを満足気に眺めた後で蓋を戻すと、俺は部屋を後にする。
まさかこれが俺とハイパーグレートスペシャルデラックス桃デリシャスケーキとの今生の別れになるなど、この時の俺は知る由もなかった。
◆◆◆◆◆
「おっはよー!」
「ん。おう」
「おは~」
「おはようございます」
「おはよ」
元気に挨拶すると、バレナ、スルーズ、ウィズ、レオンが順番に挨拶を返してくれた。相変わらず皆早いなぁ。と思いつつ、あれ?と首を傾げる俺。
「リューカは?」
「あいつはまだ寝ぼけてたぞ。寒いと起きるのが億劫らしい」
既に起こしに行ったらしいバレナがそう口にする。なるほど、ドラゴンもやっぱり変温動物なんだなぁ。等と感心しつつ、「そうなんだ」と呟く。
「それより、だ。ほれ。これこれ」
と、レオンが俺の前にどん、と片手サイズの革袋を差し出した。
「へ?……おっも……」
ぎっしりと中身の詰まったそれは想像以上に重く、想定していた力では持ち上がらなかったので驚いた。よっこらと手元に寄せて中身を確認すると、そこには大量の銀貨が詰め込まれて輝いている。
「うわっ、すごっ……」
「講演会の参加費だよ。なんとか教授が……」
「モグリフ教授」
「そう。そのモグリフ教授が半分はミーナの取り分だって、ダニエルに預けてたみたいでな。渡してくれたんだ。朝イチでスルーズに計算してもらったから、間違いはないと思うぞ」
「…………」
銀色に輝く硬貨の入った袋を眺めると、俺は小さく嘆息してその口を閉めた。
「……ありがたいけど、これは受け取れないよ」
「な、なんでだよ?」
「……だって教会の講堂だぞ?あんなの借りるの無茶苦茶高かっただろうし、ただ乗りさせて貰って報酬まで受け取れないよ。……ダニエルさんが貰うべきだ」
俺がそう口にすると、その場の皆が驚いたように目を見張った。特にレオンは、怒ったように目を細めている。
「お前な。謙虚なのは美徳でもなんでもないぞ?だいたいミーナが受け取らなかったら、受け取ったモグリフ教授の立場がなくなるだろうが」
「う……、それは……」
「貰っとけよ。頑張った証だろ」
バレナにそう言われても、俺は首を横に振った。
「……分かったけど、受け取るにしても、パーティー資金にしようよ。みんなで頑張った証だし」
第一、頑張り云々言い出したらウィズが全額貰うレベルの大活躍してるからね?
「……それでいいの?」
「というかそうして貰った方が嬉しいので」
ウィズにそう問われ、俺は頷いた。そっかそっか。とレオン。
「ミーナがそう言うならいいけどよ」
そう呟いた後でふんすと鼻を鳴らすと、レオンはふと思い付いたように口を開いた。
「……それなら、だ。ミーナ。講義についてなんだが、またやるつもりはねーか?」
「また?」
急に何を言い出すのか。目をぱちぱちとさせる俺。
「そりゃ楽しかったし、まだまだ話せることは沢山あるよ?やりたいかやりたくないか。と聞かれたならやりたいよ。……けど、やっぱりいいや」
「……理由は?」
「いくら時間に余裕が出来たと言っても、オレたちは魔王討伐の旅を続ける勇者一行なんだぞ。……オレはそう見られなくとも、みんなはそうだ。それを、オレ一人の為にいつまでも停滞させるわけにゃいかないだろ」
俺の言葉に、ざわざわとするみんな。中でもバレナは、レオンへと顔を向けるとこう口にした。
「──レオン。いいからもう聞いちまえよ」
「ん……」
「?」
何の話か分からない俺は、頭に疑問符を乗せてレオンへと顔を向ける。レオンは腕を組んで難しい顔をしていたが、「そうだな」と嘆息するとこちらに顔を向けた。
「今の話にも絡んでいることだが、この際ミーナに聞いておきたいことがある」
「……え。な、なに……?」
ブラウン商会を経て、俺の嘘は既にバレていると思っていいだろう。何を言われるのかと身構える俺に、レオンはこう口にした。
「ぶっちゃけお前、魔王城の場所とか分かる?」
「ぇ────……」
全く明後日の方向からのアプローチに、そうきたかー。と声を出す俺。
「いや、考えたんだよ。各町を巡って少しずつ近付く方法より、場所が分かるならリューカに乗ってひとっ飛びで行っちまった方が楽だし早いよなって」
それで、可能かどうか俺に聞いてきたのだろう。流石にこの状況では適当なはぐらかしは通用しないだろう。彼らは俺の出自を疑う為ではなく、あくまで魔王討伐の旅を終わらせる為に質問してきているのだ。
息を飲むと、俺は小さく頷いた。
「そうだね。……知ってる。知ってるよ」
「──!じゃ、じゃあ……!」
「知ってるからこそ、直接行っても無理なことも知ってる」
一瞬色めき立った面々だったが、次いで放たれた俺の言葉に困惑の色を隠せずにいた。
「無理……?なんでだ?」
「魔王城は結界に覆われていて、それを解除しない限り存在を見付けることさえ出来ないからだよ」
そう。中盤以降はリューカに乗って空を移動出来るようになるので、RTA勢として魔王城まで一気に飛んでいったことは当然ながらある。しかし魔王城があるべき場所はただの毒沼になっており、必要なイベントをこなすまでは見ることも叶わなかったのだ。
ちなみに本編中に聞ける話によれば、古代魔法の中には結界を解除出来るものもあったらしいのだが、今はその魔法そのものが失われてしまっているとか。
「……結界は魔王軍の四人の幹部がそれぞれ護っており、彼らを倒すことで初めて解かれる……。って言われてるらしい。オレも聞いた話でしかないし、実践した人もいないから、本当かどうかは定かじゃないけどな。……何にしても、今焦って突撃しても、魔王城に入れないどころか見付からないとは思うよ」
「なるほどそういう事情か。奴等の出所が分からないってのは、これまでも言われてきたことだからな。納得しかねーわ」
「で、これがさっきの話と何の関係があんの?」
腕を組んで頷いているレオンに、俺は口を尖らせた。勝手に納得されても困るんだよな。
「ん。つまりだな。リューカに乗ってさっさと魔王城襲撃計画は無理だったってことで、やっぱり地道に行こうぜ作戦になるわけだろ?」
「あー、うん」
「そうするとだな。王様に貰った軍資金じゃ足りないわけだ」
「そうなんだ?」
意外とケチ臭いのか王様?いや、まあリューカの日々の食費を全額請求したら、王家が干上がっちゃうか……。
「そこでさっきの話になるわけだが」
ははあ。読めてきたぞ。つまり。
「……つまり講義の収入がパーティー資金になるなら、もうちょい稼いでくれないかってことだな?」
「うぐ。身も蓋もねえな。……まあ、つまりそういうことなんだが」
「まったくしょーがねーなー。そういうことならやるしかないじゃん」
弛みそうな頬を抑えながらそう口にすると、「マジか」とレオンも声を上擦らせた。
「いや、そうして貰えると助かるわ。ありがとな」
「いやいや、いいっていいって。……じゃ、ちょっとアイデア出しに散歩行ってくる」
「おう」
無表情を意識しながら席を立つと、そそくさとその場を退散してキングの外──庭へと移動する。
見上げる程の大樹がそびえるその庭にて、俺は身を屈めると握った拳を震わせた。
「~~~っしゃ!」
先程はニヤけそうになるのを堪えるのに必死だった。流石にみんなの前ではしゃいだら怪しいし。
でも、本当に嬉しかったのだ。俺は戦闘面では役に立てないし、お荷物になり掛けてたから。こうしてしっかりと皆の力になれる役割を与えられたことが嬉しくてたまらないのである。
「がんばるぞ~!」
自身に気合いを入れた後で「ふう」と一息つくと、俺は近くの大樹を見上げて声を掛けた。
「おーい。クロー」
俺が外に出たのは、何も喜びを表現する為だけではない。もう一つの理由がこれであった。
「ちちちちち……」
俺の呼び掛けに応えるように、黒い小鳥がどこからか飛んできた。
「元気してた?ほら、生米貰ってきたよー」
慣れた様子で肩に止まる小鳥は、首を捻ると差し出された手のひらの上にある米を器用に啄み始めた。
「がっつかないの。ほらほら」
セタンタに来た翌日の朝に出会った黒い小鳥は、どうにも俺になついてしまったらしく、服の中に入ってきたり肩に止まってみたりと、ことあるごとにくっついてくるようになったのである。
本当はよくないのかもしれないが、俺を好いてくれるその小鳥があまりにも可愛くてついつい構ってしまうのだ。
「ういやつめ。うりうり」
「ヂヂッ」
「あ、ごめん」
そんな風にクロと遊んでいた俺だったが、ふと、クロが訝しむように頭を上げた。
「クロ?どした────」
不思議に思った俺が尋ねようとしたその瞬間。
──ギィンッ!
目の前に飛来した何かが、俺の耳元を通り抜けて背後の壁に突き刺さった。
「ひゃあぁッ!?」
思わずその場に経たり込む俺。見ると、それは短剣のようだった。
──投げナイフ!?命を狙われた?なんで俺が……!?誰に──、いや、これは、確か────。
絶体絶命の危機を前に、頭をフル回転させる。思い出せ。そうだ。あれは、あの子が仲間になった直後……!
◆◆◆◆◆
「……本当に、いいの?ボクは君たちと何度も敵対した。仲間にするメリットなんて……、ない……」
「メリットとか、そういうことじゃねーんだよ。ミセリア。俺はお前の力が必要だと思った。それだけだ」
「ま。諦めろ。レオンがこう言い出したらなに言っても聞きやしねーから」
やれやれ、と肩をすくめるバレナにそう告げられ、ミセリアは小さく息を吐き出した。
「──分かった。精々力になれるよう尽力するよ」
「っしゃ!決まりだな!……俺はレオン。レオン・ソリッドハートだ。そんでこっちが──」
「バレナでしょ?そしてリューカ、ウィズ、スルーズ。分かってるよ」
「えっ」
紹介する前から全員の名を言い当てたミセリアに驚くレオン。
「な、なんで分かった……!?」
そう問うレオンを相手に、ミセリアは事も無げにこう言ってのけた。
「知ってるよ。君たちのことはずっと見てたから」
「見てた……?」
「うん。キングに泊まった時はあの大きな木の上から一晩中君たちの様子を観察してたよ。だから寝相から何から分かってる」
「……ゆ、勇者サマ。この子、この子本当に仲間にして大丈夫かな?」
「あ、ああ。うん……」
『【クエスト・オブ・ハート】第四章。イケゴニア決戦編エピローグより抜粋』
◆◆◆◆◆
──そうだ!ミセリア!木の中に潜んで観察していると言ってた……!つまりこれは彼女の攻撃!?……他に思い当たらない以上、そうだと見て間違いないだろう。ならば俺はどう動くべきか……。
逃げる?……いや、そうじゃない。既にここはゲームのクエハー世界とは違ってきているんだ。だとしたら、この場で俺に出来ることをしなければ。
決意を固めて息を飲むと、震える脚を抑えながら俺は大樹の前に立ち上がった。
このまま手をこまねいていれば、彼女は撤退してしまうかもしれない。俺に出来ることは、矢継ぎ早に手持ちのカードを切るだけだ。
「ミセリア!ミセリアなんでしょ!?」
俺は木に向かって大きく声を掛けた。風が葉を揺らし、紅葉が靡く。──反応はない。
ここでもし俺がミセリアと邂逅を果たせば、彼女を取り巻く環境はゲームのそれとは大きく変わっていくだろう。……だが、それで構わないと俺は思う。
以前はイベントの流れを変えることは出来ないと思っていた俺だが、自身の行動如何でそれが崩せると竜の里で気付かせてもらったのだ。だから、彼女の運命を変えようと動いている。
ミセリアは、レオンに夜襲を仕掛けて返り討ちに遭った後、何度か戦いを挑んではやられ、仲間であるイケゴニアのメンバーも全員喪った後に勇者パーティーに加入する。
プレイヤーに気負わせない為かゲームではそこまでの悲惨な状況が嘘のように軽いノリでメンバー入りするのだが、彼女の状況に立ってみれば、そんな辛いことはないだろうと予てから思っていた。
だから、変えられるものなら変えたいのだ。
「ミセリアーっ!!」
もう一度呼び掛けるも、やはり反応はない。それはそうだろう。彼女がこの程度で隙を見せるような三流暗殺者なら、レオンが仲間に勧誘する筈もない。
しかし、まったく動揺していない訳でもないだろう。暗殺対象から名を呼ばれ、今の彼女は混乱のただ中にいる筈。なればこそ、ここで畳み掛ける……!
「ミセリア!私は貴女のことを知ってる!イケゴニアのことも、貴女があるじと呼ぶフィルマのことも……!そして、貴女が知らないフィルマの本当の目的も!」
イケゴニアのボスであるフィルマの名を知る人間は、組織のメンバー以外にはほとんど存在しない。これだけ言えば、動揺して反応を示すのではないかと思ったのだが。
──反応、なしか……。
動かない。俺へのナイフの投擲に失敗したことで、早々に撤退してしまったのだろうか?
……それならそれでいい。が、俺にはミセリアがここにいるというハッキリとした予感があった。
大丈夫だ。ワイルドカードを切る準備は出来ている。
「ミセリア。私は貴女が絶対に欲しがる情報を持ってる。だから聞いて」
そう口にした後で俺は息を吸い込むと、再度口を開いてこう告げた。
「────“デビュロは生きてる”。私は彼の居場所を知ってる」
ざあ、と、風が葉を揺らし、紅葉が靡く。──やはり反応はない。
……いない、のかな……。
「なん、なんだ。お前は……」
「っ!」
木の上ではない。地上から聞こえた声に、慌てて視線を下げた。俺の見つめる先に、黒装束、そして黒の当て布を口に巻いた小柄な少女の姿がある。
「ミセ……リア……」
銀色のショートヘアに、アメジストの瞳。肌にぴったりとした袖のない上着に、動きやすさを高めるためのショートスカート。そう。眼前の彼女こそがクエハー五人目のヒロイン、ミセリアその人であった。
ミセリア。会いたかった。ずっと会いたかったんだ。君と話したいことだって、沢山あるんだよ。
「なんなんだと聞いてるんだ!お前はッ!どうして、お前がデビュロの名を……、いや、主まで……」
こうして相対して分かるその強さ。プレッシャー。勇者パーティーの皆も当然強いが、このミセリアからも彼女らに勝るとも劣らない強者のオーラを感じる。彼女がその気になれば、俺など一瞬のうちに殺せるだろう。
暗殺者である彼女に正面から睨まれていながら、しかし俺は先程よりも勝ち気な目をミセリアへと向けていた。
俺が恐かったのは、有無を言わさぬ二刀目の投擲で殺されること。しかしそれはないだろうと踏んでいた。何故って、第一投目は完全な不意打ちだったからだ。俺は全く相手に気付いてすらいなかった。ミセリアの腕ならば、俺を殺すことは可能だったはずだ。しかし彼女は外した。つまりあれは攻撃ではなく、威嚇だったのだろう。
それならば、問答無用の二投目が来る確率は低いと考えたのだ。そして今、俺の読み通りに彼女がいる。こうして眼前に出てきてくれた以上、今の彼女には少なくとも俺を即死させる意思はないのだろう。ならばこちらは、あくまで余裕を崩さないように見せ掛けねばなるまい。
「何と言われても、私の言葉は変わらないよ。デビュロの居場所を知ってるのは私だけ。知りたかったら、私の忠告を聞いて」
「……忠告、だと?」
「ミセリア。イケゴニアと手を切って。フィルマは貴女のことを駒としか見てないよ」
「──ふざけるなッ!!事情通だろうが何だろうが、貴様の言葉を聞く道理はない!!」
激昂した後で、ミセリアは冷静さを取り戻したかのように表情に能面を張り付けた。
「ボクのことが分かると言ったね。だったら、今から何しようとしてるかも分かるかい?」
言いながらミセリアはゆっくりとこちらへ歩き出す。俺も表情を変えずに返答する。
「動けないように拘束して、能力で記憶を読む、かな」
「────!」
信じられないものを見るように、ミセリアの目が見開かれる。俺はその場に佇んだまま、両腕を広げて彼女を待ち受ける。
「──いいよ。やってみれば」
「ぐ……、貴様ぁぁぁァァァッッ!!」
恐怖を払うように声を上げると、ミセリアは走り出す。俺は肩に止まる小鳥を掴むと、空へと投げ放った。
「ヂヂヂッ!?」
「クロごめん!危ないからちょっと離れてて!」
そうして視線をミセリアへと戻すと、たった一瞬のうちに彼女は俺の眼前まで距離を詰めていた。
は、速──、
「あぐッ!?」
俺がそう思った瞬間には、この体は昏倒して空を見上げていた。
視界に映るミセリアは、俺の上に乗って四肢を押さえているようだ。なるほどこれでは身動き一つ取ることは出来ない。
「お前が誰であろうと関係ない。記憶さえ覗いたなら殺す」
「だから、やってみろよ」
自分でも驚く程にドスの効いた声が出ていた。思わず身動ぐミセリアだが、次の瞬間には彼女の能力である【記憶の閲覧者】を使用し始めたようだ。
これは、ミセリアが持つ固有の特殊能力であり、簡潔に言えば彼女が生物に触れている間、相手の記憶を読み取ることが出来るというもの。それも、本を速読するが如く、短時間で自身の脳に記録することが出来るのである。
「…………」
「…………」
お互い無言のまま十数秒の時間が流れ、
「な────」
「んだ、こ、れ…………」
先に音を上げたのは、ミセリアの方であった。
◆◆◆◆◆
その女に最初に抱いた感覚は、言い様のない気持ち悪さだった。
絶対に外さぬ自負のあった投擲に失敗したことが最初。身を潜めてやり過ごせばそれでこの場は終わるかと思っていたのに、あろうことかあの女は、この木に向かって名前を呼んだのだ。それも、メンバー以外の誰にも伝えたことのないボクの名前をだ。
それだけでもおぞましさに身の毛がよだつ。だのに女は、イケゴニアの面々、果ては主の名前まで言ってのけたのだ。
ここまで詳しいとするならば、主に近しい人間だったのだろうか?それが不要になったから切り捨てる。という事情なら、なるほど納得出来ないこともない。
ここまでは、何を言われようとその場を動くつもりはなかった。自身の名を知るこの女は危険だが、諦めて引き返そうとした瞬間を狙えば今度こそ仕留められるだろう。そう思っていたのに。
「“デビュロは生きてる”」
あの女は、こともあろうにそんな言葉を吐いたのだ。
デビュロ。イケゴニアの長男役にして、姉さんの仇であった男。ずっとずっと殺したくて、その日の為にずっとずっと我慢して付き従っていたのに、ある日勝手に死んだ男。
──アイツが、生きてる……?
真実である確証など何もない筈のその言葉が、ボクの血を一瞬で沸き立たせた。アイツを殺せるなら、殺せるというのなら……!
気付いた時には、ターゲットの前にむざむざ姿を現してしまっていた。女はボクの能力さえ知っていた。本当に、主の側近だったりしたのだろうか?しかし、それにしては一切の強さを感じさせないのが逆に不気味だ。
ボクがこうして能力を使うことすら、女の手の上のような気がして気持ちが悪い。しかしそれでも、やらない選択肢はない。
ボクは女を押し倒すと、記憶の閲覧を開始した。
~~~~~~
講演会、モグリフ、ダニエル、ブラウン商会、王城、セタンタの街。
しっかりと色付いた映像が、頭の中に流れていく。
この辺は、つい最近の記憶だろう。ここじゃない。
シュバルツ、ギーメイ、竜の里、祭りの夜、丘の上の景色、サラ、ラグリア牧場、魔神デルニロ、ダリオ、フィーブ。
この辺でもない。もっと、もっと……。
ドーザ、幽霊船、ジークス、フォスター、ギルディア、エルムの森、
随分と訳の分からない記憶だな。まったく勇者連中ってのは……。でも今までの記憶の中にデビュロはいない。仕方ない。もっと遡って────、
その瞬間、闇がボクを包んだ。
「っ、あ……!?」
違う。これは、闇じゃない……!
クエハー 電車 駅 バス 自転車 車 スマホ パソコン テレビ リモコン Wi-Fi 充電器 イヤホン 会社 学校 家 アパート マンション スーパー コンビニ ドラッグストア 病院 薬局 銀行 ATM 郵便局 お金 財布 カード クレジットカード 電子マネー お弁当 冷蔵庫 電子レンジ トースター 洗濯機 クエハー 掃除機 エアコン 暖房 扇風機 トイレ お風呂 シャワー 歯ブラシ タオル 服 靴 靴下 コート 傘 カバン 鍵 時計 カレンダー メモ ペン ノート プリンター メール 電話 会議 仕事 上司 同僚 バイト 給料 休み 休日 旅行 映画 音楽 クエハー ティッシュ ハンカチ トイレットペーパー シャンプー リンス 石けん 洗剤 ラーメン コンビニ弁当 エレベーター エスカレーター 信号 横断歩道 クエハー スマホケース 定期券 運転免許証 印鑑 領収書 レシート クエハー ポイントカード スタンプカード タイムカード 名刺 資料 コピー機 ホッチキス 付箋 消しゴム 付せん テレワーク クエハー イヤフォン マイク カメラ クエハー 郵便 クエハー RTA クエハー 縛りプレイ クエハー スチル解放 クエハー クエハー ハーレムルート クエハー クエハー クエハー クエハークエハークエハークエハークエハークエ……
「う、うわあぁぁぁぁっ!?」
◆◆◆◆◆
「なん、なん……、だ。いま、の……」
ミセリアは、顔に手を当てながら苦しそうに呻いていた。その両鼻からは鼻血がダラダラと流れている。
中世ヨーロッパ風味なこの世界の人間に、ありとあらゆる全てが未知であろう現代人の記憶を流し込んだらそりゃパンクするのは当然だ。
ふらつくミセリアを突き飛ばすと(ごめん……!)俺はその瞳をじっと見つめた。荒い呼吸を繰り返しながら、ミセリアも黙ってこちらを見つめ返す。その瞳には、先程よりも明確な畏れの色が浮かんでいた。
──さぞ気持ち悪いだろうね。俺の存在が。……でも今は、それでいい。
「なんだよ大きな音立ててよー」
騒ぎを聞き付けたのだろう。キング亭の入り口よりバレナの声が聞こえると、ミセリアはその場から飛び退いていた。
撤退するつもりだろう。無論、俺もそれを追うような真似はしない。──ただ。
「ミセリア!私の言ったこと、ちゃんと覚えておいてね!」
消え行くその背に、手土産とばかりに声を投げ掛けた。ミセリアは特に言葉を返すこともなく、次の瞬間には煙のようにその場から消えていた。
「お~いどうしたー?」
「あら?大丈夫ですの?」
消えたミセリアと交代するかのように、バレナやリューカ、他の皆がその場に姿を見せた。地面に座り込んでいる俺の姿を見付けると、心配した様子で声を掛けてくる。
「汚れてるじゃない。何かあったの?」
「あはは……。じ、実は──」
俺が事情を伝えると、皆驚いたように目を開いていた。
「はぁー!?でかい木だからと見上げてたら後ろに引っくり返って痛かっただぁ!?人騒がせな!」
「ミーちんそれはアホの子だよ……」
「んもう。驚かせるんですから」
「ま、まあ大事がなくて良かったわ」
散々な言われようである。……まあ俺もレオンに同じことを言われたらこんな感じの感想を抱くだろうから順当なのだが。
呆れて退散する女子たちの後ろについていこうとすると、それまで何も言っていなかったレオンが背後から声を掛けてきた。
「ミーナ」
「……なに?」
「一人で何とか出来そうなのか」
「────」
一瞬言葉に詰まるも、その言葉の意味を理解して俺は息を飲んだ。
ああ。レオン、見てたのか。
「……うん。何とかする」
「そか。なら言うことはねーな」
伸びをしながらあっけらかんと告げた後で、そうだ。と言うべきことを思い出したのだろう。レオンは再度口を開いた。
「見守るが、もしお前が命の危機だと判断したら、俺は躊躇いなく相手を殺す。……それだけは、覚えておいてくれ」
「──うん。分かった」
つい今しがたも命の危機であったことは伏せ、俺は小さく頷くのであった。
◆◆◆◆◆
さて、色々とあったが俺はキングの自室へと戻ってきた。
(とりあえずみんなでケーキでも食べて、次の講演会の相談でもするかな)
疲れたこともあり、ハイパーグレートスペシャルデラックス桃デリシャスケーキへと想いを馳せる俺であったが……、
「ケーキちゃんケーキちゃん────え?あれ……?」
ない。どこにもない。ぐるりと周囲を見渡しても、ケーキは箱ごとその姿を消していた。
「────ない」
見落としはない。そもそも、あんな大きな箱を見落とす筈もない。
「ない!ない!なぁ~~~~い!!」
そう、これこそが。クエハーには存在しない、最もくだらない事件の幕開けであった。




