セタンタ ソフィアのラボ『講演に向けて』
ブラウン商会、そしてモグリフ教授とのひと騒動があった翌日のこと、俺は宿屋で目を覚ました。
(んあー……。昨日は大変だったなー)
ぼんやりとした頭でそんなことを考えている俺だったが、はた、とある事実を思い出してその顔を引きつらせた。
「ぁ゛……、そうだ三日後に講演があるんじゃん……」
──三十分やる。好きに話せ──
対決の時のモグリフの言葉を思い出し、自然とため息が漏れた。
「がー!話すテーマすら決まってないのに三日後とか無理だろ!……いや、昨日の話だから二日後か……?余計無理だぁ!」
そう喚くと、俺は乱暴に髪をくしゃくしゃ弄る。講演自体が問題なのではない。この二日で一から内容を決め、資料を作り、発表をするというのが問題なのだ。時間が足りないどころの騒ぎではない。
とにかくなんか食べてから──って重っ!?
ベッドから降りようとして、ずしりとした股ぐらの重さに驚いた。
「ええ……?」
確認してみると、なんともはや。赤くなったスライムがぶくぶくに膨らんでいたのである。
……あぶねー。これは限界ギリギリでは……?
ヨロヨロとトイレに向かうと、脱いだパンツを逆さまにしてスライムを便座の中に落とす。漏れ出た血はスライムが残らず吸い取った為か、パンツにはまったく血が付いている様子はない。
ぼちゃん、と便座の水溜まりに落ちたスライムは、じわりと水に溶けて赤く広がり始めた。
これもスライムの特性の一つだ。許容限界量の水を吸収することによってその組織が崩壊を起こし、溶けてしまうのである。
……血を吸うだけ吸って、水に捨てれば消えてなくなるとか、こりゃまた便利なもんだな……。
トイレを流し、ぼんやりと消えていくスライムを眺めている俺だったが、ふと、何やってるんだろうな。という思考が頭をよぎった。
ブラウン商会はレオンにとって必要なイベントであったが、今回のこれは明らかに違う。言わばこれはミーナのイベントなのだ。何というか、あまりにクエハーを逸脱し過ぎてはいないだろうか?
魔王討伐とかけ離れ過ぎていないだろうか?
「……駄目だよな。やっぱ」
そう一人ごちると、ソフィアに渡されていた代えのスライムを装着して俺は部屋を出るのだった。
「おはよー」
階下の食堂には、例によって皆が既に集まっていた。挨拶するこちらに目を向けると、それぞれが言葉を返してくれる。
「おー」
「はよー」
「おはよう」
「おはようですわ」
「おはよ。よく寝れたか?」
心配してくれているレオンに、「寝れたよ」と返す。「色々あったからな」とレオンは笑っていた。
「しかし講演とは大変だな。出来るのか?」
「……それなんだけどさ」
どう切り出そうかと思っていたところをレオンから話題に出してくれたので、俺は話に乗ってこう口にした。
「──断ろうと思ってるんだ」
皆が驚いたようにこちらを見る。レオンも神妙な顔になると、小さく口を開いた。
「……やっぱ、講演はキツいからか?」
「……いや、話そうと思えば話せるよ」
準備期間二日はあまりにも鬼畜設定だが、死ぬ気で頑張れば三十分話す程度の内容は用意出来るだろう。故に、問題はそこではなく。
「でもオレたちの目的は魔王討伐だ。確かにデルニロの時みたいな切羽詰まった状況ではないけど、王様に信頼された勇者パーティーがこんな関係のないことで何日も時間を使うのは違うだろ」
現に目に見えていないだけで、ラスティア近辺は今でも魔王軍の脅威に曝されているのだ。それを勇者パーティーが、こんなところで油を売っているのはあまりにも呑気が過ぎるのではないか。そう思えて仕方がないのだ。
「……お前自身はどうなんだよ。やりたいの?やりたくねーの?」
「……オレは……、まぁ、やってみたいとは思うよ。……でもそれは」
「じゃあいいじゃねーか。やってみりゃ」
「レオン!」
投げやりにも聞こえるその言葉に噛み付くも、返ってきた言葉は俺にとって予想外なものであった。
「あのな。ミーナ。言っとくが俺たち、別に王に信頼なんてされてないぞ」
「え?」
「精々、面白いものを見せてくれる道化師がいいところだろ」
「え、いやいや何言ってんだよ。魔王討伐を信頼してない奴等になんて頼まないだろ」
ゲームでだって王様は「お前に任せた」って武器とか託してくれたし、何より金銭的な支援もしてくれてるじゃないか。信頼されてないってのは無理がある。
「そりゃ王だからな。最低限の格好はつけるさ。……けどな。ミーナ、考えてもみろ。本気で魔王軍を滅ぼしたいのなら、勇者一人を放り出すか?騎士団と連携させて、戦争の前線に駆り出すだろ」
「え、そ、それは……」
「仲間集めも勇者本人に任せ、好きに動けと言ってるんだ。つまりな、俺たちは宣伝に使われてるんだよ。王から任命された勇者一行っていう、有名人が各地を回って王の威光をアピールしてるのさ」
「ええ……?で、でもさ……」
「昔は違ったのよ」
言われても納得出来ず、尚も食い下がろうとする俺に横合いから誰かが口を挟んだ。顔を向けると、ウィズが真面目な表情でこちらを見つめていた。
「昔は、王様だけでなく、貴族も勇者たちの支援をしていたらしいわ。きっと政治で優位に動きたい思惑もあったのだろうけど。……でも今は違う。貴族は私たちに関心なんてないのよ」
「…………」
急に世界学者も知らない話が飛び出して困惑する俺であったが、それでも最低限の反論はしてみることにする。
「魔王軍との戦いで世界がこれだけ疲弊してるんですから、貴族だって他者を支援する余裕がなくなっちゃっただけじゃないですか?」
「勿論それも理由の一つとしてはあるけれど……」
「先代の勇者が、王の期待を裏切るような真似をしたかららしいぞ」
ウィズの言葉を受けて、レオンがそう口にした。……先代の勇者……?また、俺の知らない話だ。
「先代勇者……?レオンは知ってんの?」
「え?サースレオンのことか?ミーナ、世界学者なんだから当然知ってるだろ?」
は?なんちゃらレオン?なんだ?今なんかレオンの進化系みたいな名前が聞こえたような……。
「な、名前はな。でも詳しいことは調べてる最中なんだ。知ってる限りでいいから教えて貰える?」
俺の言葉を受けてレオンたちは顔を見合わせた。そうして小さく頷くと、「俺も、父さんから聞いただけなんだがな」と前置いて、レオンは口を開いた。
「……父さんが子供の頃、ファティスにすっげー強い旅人が来たんだと。名前はサースレオン。一躍有名人になったサースレオンは、ある日先代の王に呼ばれてセタンタに出向くとそのまま勇者に任命された。王様としては俺みたいに各地を回って顔を広めて欲しかったみたいなんだが、なんでもそのサースレオン、たった一人で速攻魔王城に突撃したんだとさ」
「ええ!?そ、それでどうなったんだ?」
「魔王が健在なんだぞ?火を見るより明らかだろ。サースレオンは負けたんだよ。王様にしてみりゃ、任命した直後に死なれて、とんだ赤っ恥って訳だ。勇者に期待しなくなるのも無理のない話だな」
「んんん……そんなことが……。にしても、二代揃って勇者の名前にレオンが入ってるってのもすげー偶然だな」
「あー、それは」
俺の言葉にレオンは気恥ずかしそうに頬を掻くと口を尖らせた。
「父さんがさ、そのサースレオンにあやかって俺にレオンって名前を付けたんだとさ」
「ええ!?そ、そうだったの!?」
驚く俺とは対照的に、周囲の皆はうんうん、と頷いている。え?え?知らないの俺だけ?
「仲間が増える度にするからなその話。もう聞き飽きたっつの」
「お、俺だってしたくなかったわい!ミーナは聞いてこなかったからいいかなって思ってたのに……」
と思いきや、バレナの話を聞くにどうやらレオンはこの話をメンバー毎にしている様子。俺にしなかったのは、俺がサースレオンを知らずレオンに質問をしなかったからか。
皆が知っているということは、サースレオンの伝説はこの世界における常識なのだろう。
しかし俺は知らなかった。これまでクエハーに触れてきて、こんな根幹に食い込んでいそうな設定を、名前を、存在を俺はまるで知らずにいたのである。恐らく、今までのどの媒体においても、サースレオンの名が出たことはないだろう。
だが、冒険に関係ないからと削られたブラウン商会にだって名残はあった。ゲーム上に出てこないレオンの師匠にも設定はしっかりとある。その上で、先代勇者という美味しいポジションのキャラクターについて何も残されていないというのは、あまりに不自然なのではないだろうか?
「サースレオン……」
その存在に俄然興味を抱きつつ、俺は小さく呟いた。
「とにかく、色々言ったがつまりだな。俺たちはそこまで期待されていない故に、好きに動くことが許されている訳だ。デルニロを倒した功績もある。だからこの町に何日いても問題ないってこと」
「じゃあ……」
期待に思わず顔が綻ぶ。そんな俺にレオンは笑顔を向けながらこう口にした。
「講演、やりたくない訳じゃないんだろ?俺たちも楽しみにしてるからさ」
「へ、へへへ……。参ったなそりゃ」
そんなことを口にしながらも、その顔には隠しきれない嬉しさが滲んでしまう。ハードルは高くとも、モグリフ教授に三日後と言われた時からワクワクを抑えきれずにいたのだ。
これで、講演を阻害する大きな理由はなくなったと言っていいだろう。とすると、次に考えるべきことは。
「えっと、そうしたらみんなに聞きたいんだけど、オレの話で、なにが聞きたい?」
そう。題材をどうするかが問題なのだ。語れることは多くとも、それを全て捲し立てればいいという話ではない。三十分しかないのだ。話すべき内容は厳選する必要があるだろう。俺がそう告げると、皆は顔を見合わせてざわついた。
「俺としては、魔物の話が聞きたいな。ほらミーナ、竜の里で詳しく語ってただろ?ああいう感じにさ」
最初にそう口にしたのはレオンである。彼が言っているのは、里に行く前に戦ったエンペラーコンドルや、シュバルツ戦でのデスクロウについて俺が解説したことだろう。確かに魔物の生態についてはそれなりに話せる自信はある。
「私は、植物──いえ、魔法についての話が聞きたいわね」
レオンに次いで、口元に手を当てながらそう口にするのはウィズであった。確かに魔法などの詳細は頭の中に常に入っている。こちらも話しやすい内容といえだろう。
「わたくしお料理の話が聞きたいですわ!実際にその場で食べれるような!」
「おめーはただ食いたいだけだろが」
「んまぁ!」
「あーしは世界の酒の話!」
「……アタシは別にいいかな。浮かばねぇし」
残る三人も銘々に意見を口にする。バレナはさておき残り二人の意見も考慮すると……、
「魔物、魔法、食べ物、酒……って、バラバラかよ!」
意見を参考にしようにも、またこの中から一つに絞らなければならない訳で。これなら自分で考えた方がまだ楽だったかもしれない。
「う~ん……」
ぐちゃぐちゃ考えていても、このままでは何もまとまらないだろう。そういう時は気分転換に限る。俺はテーブルに乗せられたサンドウィッチを手に取ると、半分にちぎって口に詰め込んだ。
「ん。うま。……ごちそうさま。じゃあちょっと出掛けて来る」
「ん?そんな急いで、どこ行くんだ?」
「ちょっとソフィアんとこ」
それだけ言うと足早にその場を退散した。
「……アイツ、友達作んのうめェな」
退散した故、そんな風に呟いたバレナの声は俺には届かないのだった。
◆◆◆◆◆
「…………すみませーん。ミーナですけどー……」
ソフィアの研究所へと直接赴いた俺が戸を叩くと、ややあって、パタパタと音が聞こえてきた。
「お。ミーナぁ。待ってたよ」
ドアを開けてそこにソフィアの姿を見ると、俺はひどく安堵して息を吐き出した。
「良かったぁ。早く来すぎたかと思って」
出発した後で、ソフィアが何時から研究所にいるのか聞いていなかったことに気付いた俺だったが、勢いでそのまま来てしまったのだ。もしもいなかった場合、近くをうろうろしてダニエルに見つかるのも気まずいので、一度撤退する羽目になっていたであろう。居てくれて良かった。
「まあね。いつもはこの時間いないんだけど、今日はミーナが来ると思ったから」
「わわ。そうなの!?ごめんね?もっとちゃんと時間決めておけば良かった」
「まあまあ。仕事もあるし、それはいいのよ。むしろ普段が遅いって怒られてるくらいだから」
「そ、そうなの?」
「それで、成果は?」
ソフィアがワクワクした様子で聞いてくる。俺はこくり、と頷いた。
「いやそれが、──めちゃめちゃ良かったよ!」
「うぉっしゃあ!」
拳を握って喜ぶソフィアに、俺も顔を綻ばせた。
「服もベッドも一切汚さず、血も塊みたいなやつもぜーんぶ吸い取ってくれたのよ。それで膨らんだスライムをトイレに落としたら、溶けてなくなったって訳」
「ええ……?スライムすっご……。なんで?」
「んと、それは──」
俺はソフィアにスライムの特性を説明する。生きているスライムならば余分な水分は排出出来るのだが、死んだスライムはそれが出来ない為に水分が周囲にあればいくらでも吸収してしまうのだ。そしてそれが細胞の許容量を上回れば細胞は破壊され、ただの水分の塊になってしまうのである。
「だから調子に乗って何日も付けてたら、突然破裂して大惨事!ってことにはなっちゃうかも」
「いや、一日凌げれば十分でしょ。これは凄いものが出来ちゃったんじゃ……!?」
俺とソフィアは顔を見合わせると、笑いながらハイタッチするのだった。
◆◆◆◆◆
「ん?相談?」
ひと騒ぎを終え、俺たちはテーブルを挟んで向かい合っていた。テーブルにはソフィアが淹れた紅茶が置かれている。たまに研究所に集まることもある為か、ダニエルやルーカスが紅茶の茶葉やコーヒーの豆を置いていくんだとか。
「趣味じゃないんだけどねー」なんてソフィアは苦笑していたが、出てきた紅茶は蜂蜜の香りがほのかに漂い、存外に美味かった。
「二日後の講演についてなんだけどさ」
俺の言葉を受けて、ソフィアは「ああ」と手を打った。
「ね!ミーナの知識量にも驚いたけど、モグリフから指名されるとかビックリしちゃったわよ。で、何話すの?」
「相談ってのはそれ」
ため息とともに俺は自身の不安を吐き出した。
限られた時間の中で何を話せば良いのか、未だ決めかねているのだと。
「折角の機会だもの。いい講演にはしたいんだよ。でも何を話したらいいか……。話せる内容はいっぱいあるんだけどさ」
「ふーん」
ソフィアは口元に指を当てて思案すると、
「難しく考えることはないんじゃない?」
と口にした。
「え?」
「私はミーナがどれだけのことを知ってるかなんて分からないから専門的なことは言えないのよ。でもさ、これだけは気を付けた方がいいってのはあって」
そう口にして自身の長い銀髪をかきあげると、一呼吸おいてソフィアは再度口を開いた。
「自分の話ね?私はさ、どうしても技術屋、クリエイターとしての目線に立ちがちなのよ。でも話を聞くのは消費者な訳じゃない?だから、彼らの目線に立って考えなくちゃいけないわけ。こんなことも出来るぞ!こんなものも作れるぞ!じゃなくて、どんなものを作ったら喜んで貰えるか。それが大事な訳だ」
「……うん」
顔の横にぴっ、と人差し指を立てると、ソフィアは笑顔のままこう口にした。
「ミーナのそれも一緒よ。どんな話をするにせよ、何を話すべきか。というよりは、何を話したら喜んで貰えるか。を考えなくちゃ」
「────」
ソフィアの言葉は、ずしりと俺の腑に落ちた。そうだ。喜んで貰えたなら、それでいいんだ。
「──うん。うん、そうだよ。そうだよね」
そうひとりごちると、俺は勢いよく立ち上がった。
「ごめんソフィア!話したいこと浮かんだかも!」
「うん。楽しみにしてる。あ、じゃあ予備のスライム持ってってよ。まだまだミーナにはモニターしてもらわないと」
「んあ……、あ、ありがと……」
ソフィアからのおみやげを受けとると、俺は研究所を飛び出した。
(やりたいことは思い付いた。……でもそれには、全面協力がいるな……)
そう口にすると、俺はパーティーメンバーと話をすべく、皆が集まるキング亭へと急ぐのであった。




