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セタンタ ブラウン商会『エール二杯の約束』

挿絵(By みてみん)

 レオンたちが訪れ、ミーナが逃げ、何故か世界学者対決が開かれ、おやつパーティーに幕を閉じたその一日は、正に激動の一日だったと言えるだろう。

 その日の夜、時間にして二十時を回った頃だろうか。

 夜間であるにも関わらずブラウン商会の戸を叩く者があった。

 はぁ。とため息を吐きながら、ダニエルは事務室で書類を片付けるルーカスへと目を向ける。


「……ルーカス。だからこんな時間まで仕事するのは良くないって言ってるんだよ。商会がまだやってるって勘違いされちゃうじゃん」

「出なきゃいいんすよ。だって営業時間じゃないんすから」


 ルーカスの言い分も尤もだが、そういう問題かなぁ。とダニエルは首を捻った。そんな訳で表の客は無視する運びになったのだが、直後事情は変わることとなる。


「スルーズですー。忘れ物しちゃいましてー」

「スルーズさん!?ちょ、ちょっと待って!」


 怪訝な表情を浮かべるルーカスとは対照的に、ダニエルは慌ててドアを開けに走った。彼には珍しく、不注意で足を机の角にぶつける程である。


「あいたた……。はいはい。何を忘れたの?」


 ドアを開けて出迎えると、果たしてスルーズが一人でそこに立っていた。てっきりレオンと一緒だと思っていたダニエルは更に驚かされる。セタンタはグリンバルド王国で一番治安が良く、確かに女性がひとり歩きしても安全だと謳われている。しかし、それは昼間に限っての話だ。いくら憲兵が民を守ってくれるとは言っても限度がある。人口が多い分、良くない輩も多いのだ。


「ええ?一人?……あ、いやいや、とにかく入って入って」


 商会の前の道とは言え、こんな夜分に女性が一人で外にいるのは危険だ。慌てて招き入れるダニエルに、スルーズは優雅に一礼した。


「ありがとうございます。失礼しますね」


 クイズ対決の解説時とはまるで違う淑やかな態度に面食らうも、話を聞こうとするダニエル。するとスルーズは、くす、と微笑みながらこう口にした。


「忘れ物、というのは少々語弊がありましたかね。やり残したことがあって来たんです。──宣教師としての仕事をしに」

「……ええと、神を広める布教活動、的な?」


 ダニエルの言葉に、ルーカスが怪訝そうに眉根を寄せる。そんなことの為に夜にわざわざ来たのかコイツは、とでも言いたげだ。


「いいえ。教会の神父が如く、迷える人々を導くのも宣教師の使命なんですよ。会長さん、悩んでたみたいだったからさー」


 後半、急に態度が砕けて先程のスルーズに戻っていた。困惑するダニエル。


「悩んでた?僕が?」

「うい。吐き出したいことあるっしょ?スーちゃんが聞いてあげるぜっ!」

「…………」


 何を急に馴れ馴れしい。とスルーズを睨み付けるルーカス。会長にはこの喧しい宗教女を一刻も早く追い出して欲しいと願いつつ、直接関わるのは面倒なので無言を貫いていた。


「いやいや。改めて懺悔することなんてないよ。……それに君、レオンのパーティーメンバーじゃない」


 苦笑しながらダニエルはそう口にする。レオンに伝えられたら困る、というニュアンスを含んだその言葉に気付いたのか、スルーズは「大丈夫だよ」と笑った。


「問題なしなし。あーし、誰にも話さないからさー」


 胡散臭さしか感じないその言葉に、しかし目を丸くしたのはダニエルだった。

 人は嘘を吐く時、何処か挙動が不自然になる。髪を触るなど特有の癖がある人もいるし、よくあるのは声がうわずったり目が泳いだり……不自然な程に身体に力が入ってしまう人もいる。大人の顔色をうかがいながら育ったダニエルはそういったことを観察するのが癖になっており、自然と人の嘘を見抜いてしまうようになっていた。

 時折、罪悪感もなく息をするように嘘を吐く人種もいるが、話をよく聞いていればそれも見抜ける。頭の回転が人より速く、世界中を旅したが故の知識量と経験が成せる業だった。

 しかし、目の前の彼女はそのどれにも当て嵌まっていなかった。彼女の澄んだ声には衒いも迷いもなく、琥珀色の瞳は真っ直ぐにこちらを見つめている。

 毒気を抜かれたようにきょとんと、ダニエルは呟くように口にした。


「え。本当に黙っててくれるんだ。……そっか……」

「……会長?」


 ダニエルの様子がおかしいことに気付いたルーカスが声を上げるが、ダニエルはまるで聞こえていないようにぶつぶつと呟いている。


「それじゃ、ちょっとだけ聞いてもらってもいい?……応接室でいいかな」

「ちょ、会長!?」

「ルーカスはもう仕事やめなね?……スルーズさん。その、今はイレーネもソフィアもいないから、二人きりになっちゃうけど大丈夫?」


 僕は構わないけど、レオン以外の男と二人きりになるのは不快じゃない?

 今度はそんな意図の込められた言葉であった。スルーズがその真意を理解したかは分からないが、彼女はくすくす笑うとこう告げた。


「告白も懺悔も、他人を入れたりしないよ。大丈夫大丈夫」

「……それなら、まあいいか。じゃあ、ちょっとこっちに」

「会長!?会長──!!」


 急に訪ねてきた女を迎え入れてしまった我らが会長にショックを受けるルーカスが、あくまで小声でダニエルを呼ぶも、小声なので当然届かず、二人は応接室へと消えてしまう。人見知りが仇となってしまったがもう遅い。


(あ、あの女~!!)


 後には、神聖な商会に土足で踏み入り会長を連れ去ったと憎しみを募らせるルーカスが一人残されるのだった。


◆◆◆◆◆


「うわー!こうして見ると広ーい!」

「さっきは大所帯だったからね」


 勇者パーティーと商会メンバーを合わせて同じ場所に七人が入っていたことを思えば、今は随分と広く感じるのだろう。


「ええと、何から話したもんかな……」

「──あのー会長さん」


 応接室に来たはいいものの、どう切り出すべきか悩んでいるダニエルに、はしゃいでいるスルーズが声を掛けた。


「え?」

「あれ。さっきから気になってたんだけど」


 その指が示唆する先には、白く四角い箱のようなものが置かれている。「ああ、あれ」とダニエル。


「あれは、魔導冷蔵庫だよ。周囲がどんなに暑くても中に入れたものを冷やしてくれる優れものでね。商談でのデモンストレーション用に置いてるんだ」


 言いながらダニエルが前面の扉を開けると、そこには数本のエール瓶とワインなどの各種酒瓶、紅茶のポットなどがずらりと並んでいた。


「ふぉぉっ!?」


 彼女にとってそれらは、宝石よりも価値のあるものである。思わず目を輝かせるスルーズ。


「ね、ねえねえこれ飲んじゃダメ~?言い値で払うから!」

「……それ宣教師の台詞?っていうか酔ってたらちゃんとした話なんて出来ないんじゃないの?」


 笑いながらそう言うダニエルに、心配ご無用!とスルーズは胸を張って見せた。


「相手によるけどさ、少しくらい酔ってた方が、本音を引き出せることもあるんだよね。あーしはそういうタイプの宣教師なの」

「聞いたことないなあ。でも僕は──」


 飲まない。と、そう口にし掛けてダニエルはいや、と小さく首を横に振った。


「……飲まなきゃ言えない本音もある、か……。成る程、それはある種の真理かもしれないね」

「うん。素面でいると、プライドとか常識とか役職とか、その人を形作る色々なものが邪魔をするんだよ。そういうの、懺悔の前では邪魔だからさ」

「……じゃあ、一緒に飲んでもらってもいい?……そうだね。僕も多分、酔わなきゃ言えそうにないからさ」

「喜んで」


 朗らかに笑うスルーズに、ダニエルは見惚れていた。そうして冷蔵庫から冷えたエール瓶が取り出されると、これまた冷えたジョッキに注がれていく。


「はー!ジョッキも冷やしてるんだ!?」

「そうだね。その方が、より冷えたエールを楽しめるんだって気付いたからさ」


 こんなところをルーカスに見られたら怒られるだろうなあ。そんなことを考えながら苦笑するダニエル。そうして二人でジョッキを手に取ると、それをコツンとぶつけ合った。


「乾杯」

「かんぱーい!」


 ぐいぃ、と一気にエールを煽ると、スルーズは「うっはぁぁぁ」と感嘆の声を上げていた。


「なにこれ最っっっ高!!」

「うちの発明家が作ったんだ。そう言って貰えると彼女も喜ぶよ」


 対するダニエルは半分ほどを時間を掛けて飲むと、ことりとジョッキを置いて口を開いた。


「――それで。聞いて、もらえる?」


 短時間で酔いが回る筈もない。ダニエルは、酒を飲んだという行動そのものを自身が喋る契機としたのだ。


「────どうぞ」


 上目使いにそう返されてたじろいだものの、ダニエルは頷くと改めて口を開いた。


「今日、レオンに怒られてさ。あんな風に言われたの、初めてだからビックリしちゃった。くだらないこと以外で、あんまり言い争いとかしたことなかったから」

「うん」

「あ、いや、これじゃ不親切か。えっと、……僕さ、先日レオンから手紙を貰って、嬉しかったんだけど……」


 ぽつり、ぽつりと、記憶の糸を手繰り寄せるようにダニエルは話し始める。


「内容は、フィーブを救ったこと、ドラゴンの子が仲間にいること、そして新しくパーティーに入った女の子についてだった。……正直、また女かって思ったのが最初」

「うん」

「ミーナさんのことなんだけどさ。手紙には――レオンにしては珍しく、彼女のことが詳細に書いてあった。凄く気に入ってるんだなって思う反面、不安になることもあってさ」

「うーんと、手紙を貰ってどう思ったの?」

「え?…………えっと……」


 今まで静かに相槌を打っていたスルーズから急に尋ねられ、ダニエルは面食らったように目を白黒させた。


「どうって……、そりゃ、心配だったさ。レオン、その子に騙されてるんじゃないかって思ったし。……それで、僕なりに彼女の素性を調べあげて、やはり嘘を吐いているんだと分かったんだよ。──だから」


 自身が悪役となってでも、その少女をレオンから引き剥がさねばと思った。万一少女が魔王軍の一味だったとしても、自分が襲われるだけで何とかなるなら、それがレオンの助けになると信じていたのだ。


「……けど、レオンはそんなこと百も承知な上で、彼女を仲間として認めていた」

「うん」

「レオンから言われたんだ。結論ありきで目が曇ってるって。商会メンバーからも言われた。虐めるなって。……ハッとしたよ。僕がやってたことは、ただのイジメでしかなかったんだ」


 俯きながらダニエルはそう口にする。スルーズに見守られる中、彼は意を決したようにエールを飲み干した。


「──ぶはっ。……そう、そうだよ。虐めたんだよ僕は!だって気に入らなかった!会う前から、嫌いだったんだから……!」

「──どうして?」

「…………それは……」

「嘘を吐いて勇者レオンに近付いたから?」

「っ!そ、そうだよ!それで──」

「それだけじゃないよね」

「ぇっ」

「幼馴染みのレオンが彼女に特別に心を許しているように見えた。だから嫌だったんでしょ?」

「────っ」


 心を見透かしたようなスルーズの言葉を受けて、ダニエルの手が止まる。本人の中で葛藤があったのだろうか。空のジョッキを持ったまましばし固まった後で、ダニエルは静かにため息を吐き出した。


「…………そうだよ」


 それは、ようやく引き出された彼の本音だった。


「だってレオンが魔神を封印出来たのその子のお陰だとか滅茶苦茶褒めてるし!前は僕の近況とかもっと聞いてくれたりしたのに元気にやってるか?の一言だし!折角レオンと四年ぶりに会えるって言うのに、そればっかりがノイズみたいにちらついて嫌だったんだよ!」


 それに、と言葉を区切るとダニエルはレオンとの再会を思い返して口を開いた。


「レオン、他の女の子を待たせて、バレナとその子を連れて来たんだ。それって、少なくともバレナレベルに信頼してるってことじゃん!……だから余計に嫌でさぁ!…………あ」


 微笑んで話を聞いてくれるスルーズもまた、勇者パーティーの一人である。その事に気付いたダニエルは、今の発言は彼女に失礼だったのではないかと恐縮した。


「……ごめん。変なこと言っちゃって」

「ううん。全然。……それで、周囲から色々言われて、気持ちは変わったの?」

「…………いや」


 小さく首を横に振ると、ダニエルは恐る恐るといった様子で上目使いにスルーズへと目を向けた。ブラウン商会の会長でありながら、その姿はまるで叱られた子供のようでさえあった。


「悪いけど、良い印象はまだ持てないかな……」

「なるほどね」


 ダニエルの結論を受けて、スルーズが嘆息する。


「つまるところ、勇者サマにとっての一番――唯一無二だったポジションを奪われそうなのが嫌ってことでしょ?」

「っ!そんなんじゃない!」


 声を荒げるダニエルに、しかしスルーズは涼しい顔でこう続けた。


「えー。そんなダニエル・ブラウン様に、レオン・ソリッドハート様から言伝てを預かっております」

「──え?……へ?」


 驚きのあまり、素頓狂な声を上げてしまうダニエル。レオン?言伝て?と単語だけが頭の中をぐるぐると巡っている。


「あの、それ……」

「ダニエルへ」

「わあぁもう言うの!?まだ心の準備が……!」


 手をぶんぶん振って混乱しているダニエルを前に、スルーズはお構い無しに言葉を続ける。これは実際、ダニエルの元に行くと公言した際、レオンから伝えるよう頼まれた内容だ。


「『ダニエルへ。ファティグマの話が二十話は溜まってる。近日中に纏めてもらいたいから覚悟しとけ』だってさ」

「────」


 口をぽかんと開けたまま呆けていたダニエルであったが、ややあって「ええ~!?」と両頬を押さえて声を上げていた。


「ちょっとちょっとちょっとォ!?二十冊分って!もーレオンどんだけ作ってるのさ~!」


 困ったような声を出しつつ、その表情は言い様のない嬉しさに溢れていた。


「そんなの一日掛かりだよ。仕事の予定調整しなきゃじゃん!あ、でもそれで僕が抜けるのは流石にみんなに申し訳が立たないし……。あ、そっか!みんなでファティグマの朗読をする日を作ればいいんだ!」


 ナイスアイデアだとはしゃぐダニエルに、釣られてスルーズも微笑んでいた。


「悩みは、晴れた?」


 スルーズの声にハッと我に返ると、ダニエルは気恥ずかしそうに顔を伏せた。


「……ぁ、ぅ、うん……。……そうだね……」


 なんとも現金なもので、レオンから求められていると理解した途端にそれまでの悩みが煙のように消え失せてしまったのである。我ながらなんと単純な思考回路だろう。と嘆息するダニエル。


「……凄いな。本当に晴れちゃったよ」

「本当に勇者サマのこと好きなんだねぇ」

「……っ」


 スルーズに言われて、ダニエルは言葉を詰まらせる。逡巡した後で、彼は小さく頷いた。


「──うん。そうだね。……ずっと、一緒に過ごして来たんだ。レオンは僕にとって、特別だよ」


 遠くを見つめるように顔を上げた後で、「そうだ」とダニエルは口にした。


「あんな風に怒られたのは初めてって言ったけど、そういえばレオンに殴られたことはあるんだよ」

「えっ!?なにその話!?詳しく詳しく!」

「分かった分かった。──もう、四年になるかな……」


 スルーズにせがまれて苦笑するダニエル。静かに吐息を吐き出しながら、彼はレオンと別れた日、その前日のことを思い返していた。


◇◇◇◇◇


 ファティスが襲撃され、壊滅状態に陥って後。両親を同時に喪ったレオンは、ダニエルの母であるローザに引き取られ、ダニエルと三人で暮らしていた。

 ローザは二人を分け隔てなく育ててくれたが、レオンが二人に対して小さな壁を作っていることを、ダニエルは何となく気付いていた。……だからこそ、レオンが家を出て傭兵になると言い出した時も、別段驚きはなかった。来るべき時がきたんだな。と、そう思っただけだった。


「じゃあ、僕も一緒に行くよ」


 深く考えていた訳でもなく、そんな言葉が口をついて出た。レオンの助けになりたかったのだ。


「……いいのか?」

「勿論。一緒に頑張ろう」


 二人なら、何処でも大丈夫。その時はそう思っていたのだが……。




「また貴様かダニエル!」

「ぁすっ、すみ……っすみませんっ!」


 息切れして地面に倒れ込んでいるダニエルの元に、教官の怒鳴り声が降り注いだ。もうこれで何度目だろうか。周囲も、呆れたような目を彼へと向けている。


 傭兵になると簡単に口にしたはいいが、その道はダニエルにとって茨の道であった。魔物と戦う基礎を鍛えるという名目で、六十キロの荷物を背負ったままで十キロメートルの走り込み、そして荷物を降ろさずに木刀を使用しての剣戟を行うのである。

 更に休みなく課される過酷な筋力トレーニングも相俟って、たったの一日でダニエルは疲労困憊になっていた。

 それでもやらない選択肢などなく果敢に挑んだ彼であったが、二日目の走り込みの途中で遂に動けなくなってしまったのである。


「クズが!貴様は人間の屑だ!貴様が成し遂げるまで皆を待たせるのだぞ!?申し訳ないとは思わんのかッッ!!」

「は……、は、ぁ……、も、申し訳、ぁ、あり……」

「聴こえるように言えッッッッ!!!!」

「申し訳ありませんッッッッ!!!!」


 まるで断末魔のような声だった。

 一発で喉を潰しそうな声を出させられた後で、ダニエルが走り込みを終えたのは他の皆が剣戟を終えた一時間後のことであった。


「ファティスからは三人来ているが、貴様が飛び抜けて無能だな。女以下とは情けない己の愚図さを理解したなら、さっさと故郷に帰ることだ」


 教官からそう言われ、ふらつきながら相部屋に戻ったダニエルを待っていたのは、レオンだった。


「……なあ、ダニエル……」

「僕は、逃げたりしないから。……絶対に負けるもんか」


 言わんとする言葉を遮って、ダニエルはそう告げた。レオンの言葉に答えるというよりは、自身に言い聞かせる意味合いが大きかっただろうか。もしかすれば、半ば意地になっていたのかもしれない。

 傭兵になりたいというダニエルの同期は四十人程いたが、初日でその半数がいなくなり、二日目にも八人が逃げ出していた。

 自身はそれとは違うのだと、頑なに残留を誓うダニエル。しかし、運命の三日目。


「また貴様がラストだ!愚図が!無能が!」


 何度もへばりながらも訓練を終えたダニエルは、昨日同様に教官になじられていた。

 周囲からの白い目にも耐え、何を言われても謝って我慢すればいいと思っていたダニエルだったが、次の言葉を受けてその目を見開いていた。


「馬鹿すぎて、何度言われても分からんらしいな。では言葉を変えよう。貴様が屑なのはな、貴様を産んだ親が屑だからだ。社会のゴミだからだ。ゴミの子供はゴミなのだ。分かったか」

「──今なんて言った」


 自身もゾッとする程に低い声が、その口から出ていた。面喰らった表情を浮かべた後で、「いい度胸じゃねえか」と教官はその顔を引きつらせた。


「言いたいことがあるらしいなゴミ屑。いいだろう今この場で言ってみろ」

「だったら言ってやるよ。母さんを──」


 その瞬間、横合いから突き出た拳がダニエルを思いきり殴り飛ばした。


「がぶふッッ!!?」


 荷物棚に突っ込むと、それをなぎ倒してダニエルの体は荷物に埋まっていた。朦朧とする意識で目を向けると、そこには教官と対峙するレオンの姿があった。


「申し訳ありませんでした!俺からよく言って聞かせますので!!」

「──フン。ならば貴様が罰を受けろ。夕食は抜き、腕立て伏せ千回だ」

「──はい」


 動けぬままにそのやり取りを眺めて、ああ、とダニエルは思った。どうしようもなく、気付かされてしまった。


 これは、縮図だ。僕が意地を張れば、レオンがそれを庇って痛みを受ける。僕が現状を続けようとする限り、それはエスカレートしていくだろう。

 力になるどころじゃない。このままなら遠からず、きっと僕はレオンを死なせてしまう。



 そうしてその夜、やっと戻ってきたレオンを、ダニエルが部屋で待ち構えていた。


「レオン」

「……まだ起きてたのか。ダニエル、さっきはすまなかっ──」

「ごめん。僕、傭兵になるの諦めるよ」


 またもレオンの言葉を遮って、ダニエルはそう口にした。驚くレオン。


「無理だって、ようやく気付いたんだ。ごめん。迷惑ばかり掛けて」

「そっか。その方がいいな」


 ダニエルの言葉を驚いた様子で聞いていたレオンであったが、目を細めて笑顔を作ると安堵したようにそう口にした。


「だってここじゃ、お前の大人に溶け込んでやり込める話術も、天才的な発想力も、何一つ生かせないだろ。ダニエル、お前はここにいちゃダメなんだよ」

「ありがと。……次はせめて、自分の得意を生かせることを探してみようと思うんだ。……どれくらい掛かるかは分からないけど」


 そう告げるダニエルに、レオンは屈託のない笑顔を向けた。


「いいじゃん。じゃあ、次会うのはお互いもっと立派になってからだな」

「ええ!?それまで会えないの~!?寂しいじゃん」

「だはは」


 口を尖らせるダニエルを、レオンは笑う。


「別に側にいなくたって、繋がってんだろ俺達は」

「またそういう聞こえのいいこと言って」


 物理的に寂しいものはどうしようもないじゃん。そう言うと、「しかたねーなー」とレオンは頭を掻いた。


「じゃあこうしよう。俺は会えない間にファティグマ神話の続きを沢山考えておくから。会った時にダニエルがそれを纏めてくれよ」

「え~!?ファティグマ!?」


 随分と久しぶりに聞く名前である。ファティス襲撃後は、そんな空気にもなれず自然と二人の話題から消えていたのに。


「レオン、ファティグマのこともう忘れちゃったのかと思ってた……」

「そんな訳ないだろ。ずっと言い出せなかっただけだ。何なら既に二章程は考えてある」

「えー!!!早く言ってよぉ!!」


 先程までの鬱々とした様子が嘘のように、ダニエルはその瞳をキラキラと輝かせていた。レオンがファティグマを忘れていなかった。事実としてはただそれだけなのだが、まるで子供の頃に戻ったようにダニエルは彼自身の明るさを取り戻していたのだ。


「っていうかそれ、僕が大変なだけじゃない……?」

「気付いたか」


 舌を出すレオンに、もー、とダニエルは口を尖らせる。レオンはそんなダニエルを笑いながら、


「でも、やるだろ?お前なら」


 と、悪戯な笑みを浮かべたまま口にした。そう言われてしまえば、ダニエルはため息を吐く他ない。


「勿論やるけどさ。レオン、文字書き教えたよね?僕一年頑張って付き添ったよね?」


「ダニエル。俺達は離れても繋がってるんだぜ」

「話をやり直さないの!」


 言い合って、二人は腹の底から笑い合った。煩いと隣の部屋からどやされてもまるで気にならないくらい、その場の空気は暖かい希望に満ちていた。


「じゃあ、お互い頑張ろうな」

「うん。レオンも元気で」


そうして二人は、そっと互いの拳を合わせるのだった。


◇◇◇◇◇


「それで、翌朝すぐに僕は傭兵見習いをやめてファティスに戻って、なんやかやあって今こうしてるって感じかな」

「はあぁぁ。そりゃ大変だったねぇ……。凄いなぁ。そっかぁ……。人に歴史あり。ってやつだね」


 話を聞き終えて、スルーズは感嘆の声を上げていた。ねー。と頷くダニエル。


「レオンってやっぱり凄いよね」

「いや、ダニエルさんも凄いよ。自分を省みて、しっかり今に生かせてるんだから」

「全然凄くないよ。僕はカッコ悪いだけ。だからこれは商会のみんなにもほとんど話してないんだ。……あの、内緒にして貰える、よね?」


 言いながら段々と不安になるダニエルの様子をくすくす笑いながら、スルーズは「言わない言わない」と手をぱたぱた振っていた。


「でもレオン、ファティグマの話を考えるって約束、ずっと守ってくれてたんだよね」

「そういえば勇者サマのそのファティ、グマ?好きも、ずっと昔からなのね」


 ダニエルの言葉を受けてそう口にするスルーズであったが、彼女が口にしたファティグマという単語に、ダニエルは目を丸くした。


「え!スルーズさん、ファティグマ知ってるの!?」

「あ、いやぁ、勇者サマに熱心に布教されたけど、断ったっていうか……」


 正直めんどいし……。と言い掛けたスルーズだったが、先程までの話を聞くに、ファティグマは二人にとってとても大切な存在のようなので余計なことを言わぬよう口をつぐんだ。


「……なるほど。宣教師が他の神を信奉する訳にはいかないもんね」


 それを聞いて神妙な顔を浮かべるダニエルは、スルーズに都合の良い勘違いをしている様子である。なので、あえて訂正はしないスルーズなのであった。


(神話とか言ってたけど、ファティグマって神なんだ……。いや、どうでもいいんだけど……)



 さて、ひと心地ついた所で、ダニエルはふう。と息を吐き出した。


「お陰で、不安は晴れたみたい。レオンとミーナさんには、改めて謝ることにするよ」

「ん。良かった。じゃあ、もう大丈夫だね」


 スルーズは笑顔でそう口にすると、二杯目のエールを飲み干して静かにその場に立ち上がった。当然のことだが、ダニエルの悩みを聞くために彼女はこの部屋にいるのだから、それが解決したならばここにいる理由はないのである。

 焦ったのはダニエルだ。


「あ、あのさ……!」

「え?」


 気付けば、スルーズを呼び止めるように声を上げていた。キョトンとする彼女に、ダニエルは口を開く。


「一つだけ聞かせてほしいんだけど。……どうして、ここまでしてくれるの?」


 レオンから言葉を貰っているくらいだ。偶然ではなく、ダニエルの悩みを聞くために来たのだろう。だが同時に、スルーズがどうしてそこまで動いてくれるのか、ダニエルには分からなかった。


「ん。会長さんが悩んでそうだったからだよ。言ったでしょ。悩みを聞いて教え導くのが宣教師の仕事。あーしは仕事をしに来たんだって。……それが半分」

「──半分」

「うん。もう半分は友達の為。ミーちんのこと誤解されたままだとなんか腹立つからさ。あの子はいい子だよって、伝えに来たの。……大丈夫。あーしが保証するから。あの子はきっと勇者サマの力になってくれる存在だよ」

「……そっか。その為に……」


 スルーズの行動に打算はない。本気で彼女はミーナの名誉の為に動いたのだろう。それを心の何処かで羨ましいと思いつつ、ダニエルは頷いた。


「──うん。分かった。スルーズさんがそこまで言うのなら、僕もミーナさんのこと、信じてみるよ」

「うん。お願い」


 どことなく終わりに向かっている空気に寂しいものを感じつつ、ダニエルは「そうだ」と声を出した。


「……えっと、いくら払えばいい?」

「え。払うって、別にいいよ」

「良くないよ。スルーズさん、宣教師としての仕事って言ってたじゃない。仕事に対価を支払うのは道理でしょ」


 彼女の行動によってダニエルの心は晴れたのだ。ならばそれは立派に仕事を果たしたということに他ならない。ダニエルがそう言うと、スルーズは照れたように頭を掻いた。


「いや、ホントにいいんだって。頼まれてもいないのに、あーしが自分の為にやったことなんだから。──じゃあ勇者サマのお友達割引で百パーセントオフってことでどう?」

「……僕、こう見えて商人なんだよ?きちんとした働きには正当な対価を払うのが僕の仕事。このまま無償でスルーズさんを帰したら名が廃るってもんだよ」

「うーん……、でも……」


 払いたいというダニエルと、貰わないというスルーズ。どうしたものかと頭を巡らせた末に、ダニエルはそうだ。と手を打った。


「じゃあさ、また飲みに来てよ」

「え?」

「しばらくは忙しいだろうから、魔王討伐を終えた後でさ。いつでも大歓迎だよ。来てくれたら、冷えたエール二杯くらいなら出せるから」

「ええっ!?そ、それはすんごい魅力的なお誘いかも……!」


 今度はスルーズが目をキラキラと輝かせてそう呟いていた。どうやら冷えたエールというのは彼女にとってあまりにも魅惑の一品であるらしい。


「ちょっとエールの為に魔王退治頑張っちゃおうかな」

「エールの為に倒されるの?魔王」

「まあそうなってしまうのもやぶさかではない」

「なにそれー」


 そう言って顔を見合わせた後、どちらともなく二人は笑っていた。


「よし、それじゃあ決まりね。いつ来てもらってもいいように、ちゃんと用意しておくから」


 ややあってダニエルがそう口にすると、「えへへ。ありがとー!」と喜んだ後で名残惜しそうにスルーズが口元に指を当てた。


「んやぁ。あっという間に終わっちゃったねぇ」


 その仕草にドキリとしつつ。「また来てよ」とダニエルは笑う。


「いつでも大歓迎だからさ」

「──うん」


 微笑んでまたねと立ち去ろうとするスルーズに、ダニエルも慌てて立ち上がった。


「待って待って……!危ないから送ってくよ。いくらセタンタでも夜道に女性一人は危ないから」


 今度はきょとんとスルーズが目を丸くして、声を上げて笑い出した。


「だいじょぶだいじょぶ!あーし、こう見えて強いし!」


 楽観的なスルーズの返事に、ダニエルは瞬いた。


「駄目だって。それで万が一のことがあったら僕がレオンに怒られちゃうよ」


 だからさ、助けると思ってお願いとダニエルが頼み込む。 


「えー?それ怒られるのあーしじゃない?……でもまあ、それじゃあしょーがないかー。月でも見ながらご一緒にお散歩でも?ジェントル」

「いや散歩っていうか……、あはは。なんかおかしいね」


 スルーズの返答に、二人で笑い合って。


 そうして、エール二杯の約束と引き換えに不思議な二人の会合は終わりを告げ、ブラウン商会は再び静かな夜へと戻っていくのだった。

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