フォスターの宿屋『夜の密会』
『今夜、皆が寝静まったら俺の部屋に来てくれ。 レオン』
見間違いかと思い見返したが、小さな紙にはやはりそう書かれている。
「────っ!」
驚きのあまり、俺は咄嗟に紙を隠すように握り込んでいた。
だ、誰かに見られてないだろうな!?
こんなメモの存在がメンバーの誰かに見付かろうものなら俺はその場で縛り首である。
ま、まさかこれは、夜伽のお誘い……!?
────ではないことは確かだろう。レオンがどれだけ誠実な男かは、誰よりも彼を操作してきた俺がよく知っている。
しかし、それでもこうして呼び出されたということは、ヒロインズには言えない話があるということなのだろう。
……もしかしたらレオンは、未だ俺のことを疑っているのかもしれない。う~ん怖いなぁ……。ま、まあいきなり切りつけられるようなことはないと思うけど……。
フォスターは規模としては小さい部類に入る、こじんまりとした町である。しかし宿場町という肩書きもあり、宿屋の数だけはやたら多いことが特徴である。
レオンが今回選んだ宿は、その中でも中規模のものだった。俺たちに割り振られた部屋は三部屋で、レオンが一部屋、後は女子たちで二人部屋と三人部屋に別れる。という内訳である。
女子側から不満の一つも上がりそうな内容だが、間違いを防ぐ、というレオンの確固たる意思と、流石に一人一部屋は取れない。という経済的理由から皆も納得しているらしい。まあ、あれだけ酒場で暴れた後だもんな……。
俺としては女子と相部屋なぞ役得でしかないのだが。
そういった訳で、その日の部屋割りは、A部屋がレオン、B部屋がリューカとスルーズと俺、C部屋がウィズとバレナ、ということに落ち着いた。
皆が寝静まった後、というミッションに緊張していた俺であったが、どうやらそれは杞憂だったらしい。スルーズはべろべろに酔っていた為、明日の支度を済ませるとさっさと眠ってしまったし、リューカはなにやら書き記しているようだったが、終わり次第床に就いて一分後には寝息を立てていた。
自身の背丈に見合うベッドがないとのことで、床に布団を敷いているリューカの姿を眺めながら、俺は部屋に備え付けのシャワールームへと移動する。
マジもんの中世だったらこんなモノないんだろうけど、日本のゲームだからなー。助かる助かる。
酒場で盛大に吐いてしまった身としては、とにもかくにも体を綺麗に洗っておきたかったのである。
「……これが俺、かぁ」
と、そこで俺は姿見を見付け、改めてこの世界における自分──ミーナと対面することとなった。
こちらの世界に来てからというもの、色々な事がありすぎて自分についてゆっくりと確認する機会がなかったのだ。
「どう見ても女、だよなぁ……」
肩口まで伸びた栗色の髪に、白い肌。少しあどけなさの残った、均整の取れた顔立ち。
そこに立っているのは、紛れもない美少女であった。良くも悪くも、そこに元の俺を感じさせる要素なぞ一ミリもない。
──しかし。
「……………………」
無言で、服を下ろす。鏡に写る裸は、顔と同じ白い肌をした少女のものである。
無駄な肉の少ない華奢な体に、そこそこはある胸。外見だけ見たなら俺のストライクゾーンに入る身体なことは間違いないんだが……。
何の感慨も沸かないなぁ。
なのである。おこがましいことに、俺の頭はこの俺とは似ても似つかぬ美少女を自分であると認識してしまっているらしい。
女体になってドキドキ、なんてシチュエーションを少しは期待していただけに、ガッカリしたことは間違いない。
そっと、俺は自身の頬を両手で撫でる。
「ミーナ。なあ、お前はこの世界で何がしたいんだろうな」
鏡に写る少女に問い掛けるも、答えは返ってはこない。俺はふん、と鼻を鳴らすと鏡から目を外し、体を洗う作業に従事するのだった。
あー、代えの服も欲しいなぁ……。
◆◆◆◆◆
コンコン……
「あの、ミーナ、です……」
夜遅くになって、俺はレオンの部屋の前にいた。
そわそわと周囲を伺い、早くドアを開けてくれと焦りが募る。
仕方ないだろう。人目を気にしながら勇者様の部屋にこっそり入ろう等と、この状況をバレナ辺りに見られたら打ち首獄門は免れないのだから。
「開いてるから入ってくれ」
女子部屋からの距離は結構あるが、いつ誰に見られないとも限らない。そわそわとドアの前で足踏みしていると、部屋の中からレオンの声が聞こえて俺は慌てて中へと足を踏み入れた。ドアを閉めてしまえば一先ずは安心だろう。
とりあえず命の危機は去ったと一心地ついたところで、俺はレオンの部屋の狭さに驚いた。
物置か?ここは。広さは女子部屋の三分の一くらいしかないのではないだろうか?
ベッド以外にはほとんどスペースのないその部屋の奥に、レオンは座っていた。
「ん?ああ、狭くて悪いな。ベッドの上使ってもらえるか?」
キョロキョロと困惑して周囲を見渡す俺に、レオンが声を掛ける。
まったくこいつは。と俺は嘆息した。
一人だけ一部屋使えて贅沢だとかそんな話じゃない。レオンは自分だけは最安値の部屋を取っていたのだ。
こんなことをしておいて、それを誰にも告げず恩も着せず、当たり前のようにしてやがる。
身も心もイケメンというのは、彼のような奴のことをいうのだろう。
ゲームではこの辺の細かい描写は省かれていたので、改めてレオンという男の凄さに触れ、俺は驚嘆するばかりであった。
「……失礼します」
そう小さく呟くと、案内された通りにベッドの上に上がり、ちょこんと座る。
うーーん、なんだろうな。このむずむずする感じ。
友達の家に初めてお邪魔した時の緊張感に似ていると言えば分かりやすいだろうか?
妙にかしこまった姿勢で座っている俺を見てはにかんだ後、レオンはゆっくりと口を開いた。
「ミーナ。改めて言うけど、本当にありがとうな。君のお陰で俺たちみんな助かった」
「そ、そんなに何度も言わないで下さい。大したことはしてないんですから……」
頭を下げるレオンに、俺は慌てて首と手を横に振る。
謙遜ではない。事実俺がしたことと言えば、クエハーという偉大なゲームの知識を借りてその通りに動いて貰っただけなのだ。敵を倒したのはレオンたちだし、そう何度も俺の手柄のように言われると、逆に申し訳ない気持ちになってくる。
「そんなことないんだがな……」
と、小さく口にした後で、レオンは俺の顔へと目を向けた。
────え?なに?
じっと顔を見られ、何とも言えぬ気恥ずかしさに襲われて俺は俯いた。
「あ、あ、あの……?」
「──そうだな。回りくどいのは性に合わない。だから単刀直入に聞かせてもらう」
「え?あ、は、はい」
こちらを見つめながらのレオンの言葉にやや面食らったものの、俺は顔を上げて頷いた。
ここまでのやり取りと彼の真摯な態度を受けて、レオン・ソリッドハーツという人間への警戒心が薄れていたのだろう。だから次の彼の言葉に、咄嗟に対応することが出来なかった。
「ミーナ、お前、どうして正体を隠してるんだ?」
と、レオンはまるで何でもないことのようにそう口にした。
ショウタイを、カクシテる。
意味も分からず言われた言葉を頭の中でリフレインさせていた俺だったが、数秒の後にその意味を理解し、
──正体を隠してる!?
そして戦慄した。
こ、こいつ……ッ!?俺の正体を知ってる!?な、なんで!?
レオンの言葉の意味することは、つまりそういうことだろう。理由はどうあれ、彼は俺が何者であるか知っているのだ。
――――いや、
そうだとも限らない。例えばレオンが俺の正体を魔王軍のスパイだと決め付けている可能性だってある。
その場合はこの場で処刑か、はたまた拷問か。何れにしても俺にろくな未来が残されていないことは確かだろう。
「ぁ、ぁ、の……ぁ、あぁ、ぇ、と……」
上手く考えがまとまらず、言葉も出ない。
ここから逃げようにも、俺とドアの間にはレオンがおり、無理矢理の脱出は難しいだろう。
思えば彼が部屋の奥に俺を案内したことも、罠だったのかもしれない。
……けど、それを知って彼はどうするつもりなんだ?
この世界に俺は明確な異物だ。だとすれば、排除すべきとして俺を殺すのか?
────それとも。
嫌な考えばかりが頭をよぎる。何にせよ間違いない事実は、この場の俺の命運は、レオンによって握られているということだ。
レオンに襲われたなら、俺には抵抗出来る術がない。
他人に命を握られていると考えた時、全身からどっと汗が噴き出した。
──恐い。恐い。恐い……。
「な、なんの……こと、です、か……?」
恐怖から口をぱくぱくとさせていた俺だったが、数秒掛けてようやく言葉を絞り出した。
「わ、わたし……、べつに……」
「それだよそれ」
「ひっ」
急に指を突き付けられ、情けなくも小さい悲鳴を上げてしまう俺。
そして俺が何か口にするよりも早く、レオンが口を開いた。
「お前のその喋り方、素じゃないだろって言ってんだ」
「────へ?」
その言葉の意味が理解出来ず、俺は思わず間の抜けた声を上げてしまう。え?喋り方?
そんな俺の戸惑いを余所に、ずんずんとレオンは話を進めていく。
「最初会った時はもっと砕けてただろ。その後ずっとかしこまった感じになってるけど、お前の素はあっちの方だろ?」
「へ?え?はえ?しょ、正体ってそういう……?」
「他に何があんだよ」
しょうもなっ!なんだよ俺命の危機感じちゃったじゃんかよ。もう少しで泣きながら命乞いの土下座するところだったわ!
どうやらレオンの言う正体とは、俺の口調に関するものだったらしい。確かに最初飛閃剣を見た時に我を忘れてはしゃいだりしたけどさぁ。ちっ、覚えてたのか……。
「い、いや、それは、その……」
命の危機は勘違いだったようだが、それにしても俺の本性がバレるのは色々と面倒な気がして、俺は口ごもった。くそ、まだ心臓がバクバクしてるわ……。
あわよくばレオンが気を利かせて、このまま話を流してくれれば良かったのだが──、
「……なんだ、違うのか……?」
なんでそこでシュンとしてるんだよ!寂しそうな顔すんじゃねぇ!あーもう!
「はぁ~~~~」
深く深くため息を吐き出すと、俺はその場にどかっとあぐらをかいた。
「しょーがねーなぁ。そーだよ。これがオレの素だ」
勢い余ってぶちまけた後で後悔の念に駆られる俺だったが、言ってしまったものは仕方ない。腹を括って俺はレオンへと目を向ける。
「──で、それを突き止めてどうするつもりだよ?パーティ追放か?」
啖呵は切ったものの、相手がどう動くか分からないだけに内心ドキドキ状態であった俺だったが、そんな俺にレオンは「おいおい」と笑い掛けた。
「口調で追放するんならバレナだって追放だろ。そうじゃねえよ。俺はむしろ、今のお前と話がしたかったんだ」
「むぬ……」
相変わらずよく分からないことを言うレオンに、俺は首を捻る。
こっちの俺?なんで?……っていうかコイツもキャラ変わってね?さっきまでもうちょい紳士じゃなかったか?
「いや、なんでだよ。普通はおしとやかな方がいいんじゃねーの?」
「んー。なんつうか、今のミーナはこう、話してて気が楽なんだよ。昔隣の家に住んでたダニエルと話してる感じを思い出すというか……」
「いや誰だよダニエル」
……要するに、男友達と接してる感覚って言いたいのか。まあ中身が男だから間違ってはいないんだが。
「あいつらだって良い奴らだし、立派な仲間だけどさ、やっぱり女子相手は気ぃ使うというか」
「……オレも女子なんだが?」
「それはマジですまん。でもなんか、今のミーナ相手は楽なんだよな。隣のダニエルが」
「ダニエルはもういいっつの!」
盛大に突っ込みを入れてから、場の空気に流されたのだろうか。俺もレオンも、堪えきれずにその場で笑い合っていた。
「なんだよダニエルさっきから」
「いや、俺の幼なじみがすまん」
ああ、何となくだけど、レオンの言っていることが分かる気がする。こうして馬鹿なことを口にしては他愛ないことで笑い合い、遊びに来ても互いに干渉せずに銘々が好きなことをして、それでも楽しいと思える関係。
それが、男友達というやつの距離感なのだ。彼はこの息の詰まる旅の中でずっと、こんな時間を欲していたのかもしれない。
ひとしきり笑った後で、レオンはぽつり、と俺に本音を溢した。
「お前が飛閃剣を凄いって言ってくれた時、予想外の反応に面食らったんだけどさ。でも嬉しかったんだよ。今までそんなこと言ってくれた奴はいなかったからな」
「そうなのか?一般目線で見たらあれは凄いと思うけど」
「何か他の女子たちとは違う空気を感じてさ。もしかしたら友達になれるんじゃ、なんて思ったんだけど、急に大人しくなっちまうんだもんな。ガッカリだったわ」
コイツ滅茶苦茶言ってくるな……。ガッカリとはなんだガッカリとは。あれは俺の決死の異世界デビューだったんだぞ。
「しかし友達が欲しいって、レオンには彼女たちがいるじゃんか。そっちとくっつきゃいいじゃん。ハッピーライフだぞ」
……むしろお前が望めばハーレムくらい簡単に作れるだろ。
レオンにくっついていたウィズの姿を思い浮かべて、俺は面白くなさそうに鼻を鳴らしながらそう口にした。
なんのかんの言ったところで、友情<彼女だからなあ。と、恋人が出来たと報告があってから付き合いの途絶えた友人を思い出す。
悪いな。モテないひがみってやつだ。
「それは、違えよ」
しかし、レオンは俯きながら俺の言葉を否定する。
「あいつらの好意は、それなりに分かってるつもりだ。有難いことに、こんな俺を好きでいてくれてる。嬉しいよ。……俺だって男だ。手を出したくなる時もある」
そう言って俯き気味に両手で頭を抱えると、「さっきはヤバかった……」と付け加えるレオン。やはりおっぱいか!おっぱいには勇者すら抗えないのか……!
「――――けど」
頭から離した両手を見つめると、レオンが小さく口を開く。
「けどよ。それで誰か一人に応えて、他のみんなはどうなる?そのままパーティを続けましょうってなるのか?」
「それは…………」
分からない。ゲームでも、ヒロインルートに入るのは終盤だし、結ばれるのはそれこそ魔王城直前だからなぁ……。
「俺が手を出しちまった結果パーティが解散になったら意味ねーんだよ。魔王を倒して今の世界を変えること。それ以上に優先することはねえ……。あいつらには悪いけどな……」
「レオン、お前……」
彼の信念を理解すると、俺は息を飲む。なるほどそりゃ死ぬ以外にハーレムルートがない訳だ。レオンという男は何処までも誠実で、ハーレムなんぞに元より興味はなかったのだから。
なんつーかコイツ、本当に格好良い奴だったんだな。
「スゲーよお前。やっぱり」
「んなことねえよ。ただ臆病なだけだ」
「だからこそだ」
ゲームでも、レオンは常に格好良いキャラクターとして描かれている。だがそれは、必殺技が強いとか、決め台詞だとか、ゲームとしての格好良さであった。だからこうして本人と対峙してその信念と触れたことで、俺は彼を、改めて格好良いと評価していた。
そうしてしんみりとした空気の中、黙っている俺たちであったが。
「……それで、ここからが本題なんだが」
ややあって、レオンがぽつり、と口にした。
え?今までの本題じゃなかったん?
「なんだよ?」
ベッドの上から身を乗り出す俺に、恥ずかしそうに鼻の下を掻いた後で彼はこう口にする。
「新しい技の名前なんだが、こう、上手いのが思い付かなくてな……」
「……………………」
先程までの会話との温度差が激しすぎて風邪引くわ。
レオン曰く、新しい技を思い付いて特訓中なのだが、良い名が思い付かずに困っているとのこと。
……確かに、必殺技の名前は大事だけどさ。
「……どんな技なんだ?」
「敵を上空にかち上げた後、地面に叩き付ける技だ。空地撃とか考えてみたんだけど、今一つでな」
敵を持ち上げて落とす技?そんなのゲームでもないような……?旋空斬か?いやあれは打ち上げて上空で斬り結ぶ技だし。
じゃあオリジナル技か!その名付けなんて無茶苦茶重要じゃねーか!
クエハーの技の名前を決めていたのは、ゲームデザイナーのタナベ氏。彼に恥じぬ、レオンらしい名前を考えねば……!
と、そこまで考えて、俺はかねてより疑問に思っていたことを思い出した。
「なあレオン。お前の技なんだけど、それ東の言葉だよな?なんでだ?」
中世ヨーロッパがモデルであろうクエハーにも、和や中華の要素は登場する。刀だったり着物だったり、はたまたチャイナドレスだったり。尤もそういった事柄は全て、東の大陸の技術、との一言で片付けられているのだが。
その中でレオンの持つ攻撃技の名前は、全て単漢字を組み合わせたようなものとなっている。
飛閃剣や閃光剣など、これまで彼が使用した技を見てもそれは明らかだろう。なのでこれらが東の大陸に関係あるのは確かなのだが、ゲーム中や解説本においてもその理由については特に語られていなかったような気がする。
「ん?ああ」
俺の言葉の意味を理解してかレオンは頷くと、
「俺の師匠が東の大陸の人間だったんだ。……もう死んじまったけどな」
と口にした。……いやちょっと待て滅茶苦茶重要そうな要素なのに初耳なんだが?
あれか?本編からは泣く泣く削った裏設定的なやつ?
「厳しい人だったよ。親父の知り合いだったらしいんだが、親父たちが殺されてからは俺の親代わりになってくれてさ。俺の技は大体師匠の受け売りなんだ」
ええ!?いやこんな大事なキャラ消しちゃダメだろ!?何考えてるんだマジで。
クエハーのゲーム冒頭は、両親の墓参りしてるレオンが魔王討伐の決意を固めて両親に報告し、仲間を集める為に首都セタンタに向かう所からスタートする。
報告もしてもらえない可哀想な師匠……。
「とにかく、じゃあレオンの技については、師匠あってのことって感じなのか」
「ああ。東の言葉についても少しは分かるぞ。師匠に教えてもらったからな。空が、“くう”、で海が“かい”、だろ。それから牙が”が“だったか?それで俺なりに考えてはいたんだが……」
格好良い言い回しが浮かばず、俺を頼ってきた、ということらしい。
「ミーナは世界学者ってくらいだし、東のことも分かるんだろ?何かアドバイスをくれないか?」
「むう」
レオンの言葉に、小さく唸る俺。
そりゃ勿論分かるし、アドバイスすることは簡単だ。……何なら既に思い付いた名前だってある。
しかし、うーん。これは少しプレゼンが必要だな……。
「分かった」
「お。それじゃあ……」
「ちょいまち」
すぐにアドバイスを貰えると思っているレオンを手で制すると、俺は目を細めて眉間に人差し指をあてがった。
さながらそれは、眼鏡の人間がずり落ちた自身の眼鏡を上げ直すような仕草と言えるだろうか。
そんなインテリポーズを取りながら、俺は営業スマイルと共に精いっぱいの女子声を作って口を開いた。
「勇者さま。それでは少しお勉強致しましょうか」
「うわ…………」
「別にいいだろ!気分的な奴だよ」
引いたような目をするな。一応カテゴリーは女子なんだぞ俺だって。
「ええと、では勇者さま。東の言葉で、“龍”、というのはご存知ですか?」
「それは分かる。ドラゴンのことだろ?」
「そうです。この龍が空へ舞い上がる言葉を昇る、と捉え、東では“昇”と表現するんです」
「昇る?」
どうやら俺の想定通りの部分に引っ掛かったらしく、レオンが首を捻る。
「いや、ドラゴンは飛ぶものだろう?昇るってのはどういう意味なんだ」
「はい。それでは解説しましょう」
眼鏡くいっ、のポーズを取りながらそう口にする俺であったが、レオンから割と強めに「やめろ」と言われたのでやめた。
「東の大陸に住むドラゴン、龍は、こちらの種とは違い翼を持ちません」
「じゃあ飛べないのか」
「いいえ。飛びます」
「は?」
「龍は翼を持たず、まるで蛇のように細長い体をしています。そしてその体をうねらせながら、空を泳ぐように浮遊すると言われているのです」
言葉の意味合いは似つつも、ドラゴンと龍はほとんど別種の生き物に近い。俺も実物なんざ見たことはないけどさ。
「その龍が空に浮かび上がる様子が、さながら木に昇る蛇の様だと捉えられ、“昇”の文字が与えられたんです」
「なるほど。そう聞くと納得だ。……しかし翼を持たず蛇のようなドラゴンというのは、本当にドラゴンなのか?メギドスネークの見間違いとか……」
「はい次いきますね」
レオンの横やりを、俺はさっと回避して話を進める。
龍の説明までしていては、時間がいくらあっても足りやしない。
「次は、“虎”。これは魔物のタスクタイガーのことを指します」
「タスクタイガー……。凄く狂暴だったあれか……。随分と手こずらされたよ」
虎そのものの説明をするのは面倒だしややこしいので、虎には申し訳ないが似ている魔物で代用した。どうやら少し前に戦った相手らしく、レオンは眉間にシワを寄せて苦々しく呟いている。
俺としては虎と戦って勝ってるお前が恐いんだが……。
「え、ええと。最後は、“猛”。これはたけだけしい。という意味で、荒々しい様、獰猛な様子を表しているんです」
「ふむふむ?」
急に四つの言葉を紹介されても、そりゃ意味が分からないだろう。頭に疑問符を貼り付けているレオンに、俺は口調を戻しつつ、更に説明を重ねる。
「猛々しい虎の如き一撃が敵を空へと打ち上げ、そして空へと昇る龍が神の如き一撃で敵を地に落とす技。──つまり」
俺は真っ直ぐにレオンへと目を向けると重々しく口を開き、そしてその名を告げた。
「猛虎昇龍撃ってのはどうだ」
「 」
その時のレオンの顔を、俺は忘れることはないだろう。
「お、お前……、そ、そんな……」
頭上な雷が落ちたような衝撃を受けた後、頭を手で押さえると酷く狼狽しながら口を開くレオン。
「そんな神の如き名前がこの世にあったなんて……」
「語感も意味合いも良すぎる……。あり得ないだろなんだその名前」
「かっこよすぎるだろ……。天才か?いや、天才か……?」
……流石に誉めすぎでは?
あまりの狼狽えぶりに逆に心配になる俺であったが、本人曰くあまりのかっこよさにショックを受けたらしいレオンは、ついに涙を流して拝み始めた。
「ありがとうありがとう……。俺、お前を仲間にして本当に良かった……」
「ここで!?ここでそれ言っちゃうの!?もっと大事な場面で言ってほしかったんだけど!?」
とにもかくにもレオンは技名をいたく気に入ってくれたらしく、俺と固い握手を交わすと、早速明日から特訓に入ると意気込んでいた。
「まあ、気に入ったなら良かっ――」
「ほ、他にも!他にも東の言葉を教えてくれ!」
「うわ近い近い近い!分かった!分かったから!」
しかし彼の興奮はそれだけでは収まらなかったらしく、結局俺は夜通し勇者さまからの質問攻めに会うことになる。
勇者レオンってやつは、俺が思っていたよりもずっと強く、恰好良く、けれど本当は精一杯背伸びしたガキだったのかもしれない。――けど、俺は今までよりもずっと、彼のことを好きになったように思う。今日は、そんな一日だった。
まったくしょうがねーなあ。これから、たまにでも遊びに行ってやるとするか。




