セタンタ ブラウン商会『ブラウン商会 会長 ダニエル・ブラウン』
「ウィズと申します。えっと、何回かお手紙を代筆させていただきました。レオンのお友達にお会い出来て光栄です」
「リューカですわ。どうぞ宜しくお願い致します」
ダニエルに向かって恭しくお辞儀をする二人。レオンがリューカについて捕捉する。
「リューカは、昔俺たちが世話したドラゴンの子なんだ。手紙で言ったろ?」
「わあぁ!やっぱりそうなんだ!?」
その言葉に目を輝かせるダニエル。
「レオンってばバレナと取ってきた適当なキノコ食べさせようとするもんだからさ。選別するの大変だったんだよね」
「まぁ!そうだったんですの?」
「えーと、そんなこともあったっけなあ?」
「レオンらしいなぁ。……それであの、ドラゴンの姿見せてもらえたりしない……?」
少し気恥ずかしいのか小声でそう口にするダニエルに、「いやいや」とレオン。
「俺の十倍くらいでかいからな。商会吹っ飛ぶぞ」
「あ、それは無理だ。ごめん」
「ふふ」
少し残念そうに苦笑するダニエルを見て、微笑んだのはリューカであった。
「確かに元に戻ることは出来ませんが、これくらいでしたら」
そう口にすると同時に、彼女の鎧スカート後方から、にょき、と緑の外皮に覆われた太い尻尾が現れた。
変身能力のコントロールをマスターしたことによって可能となった技のようだ。
「う、うわぁぁぁ!本物だぁ!?さ、触ってもいい?……あ、いや、ごめん!良くないよねそういうの。つい……」
「構いませんわよ。はい」
「わあぁ!ありがとうございます!は、はぁぁこれは凄い……!大人の竜ってこんな感触なんだ……」
リューカの尻尾に触らせてもらい大興奮のダニエル。彼の発言についてレオンが捕捉する。
「いや、リューカは中間くらいだな。竜の里に行ったけど、リューカのばあちゃんはもっと岩みたいに硬かったぞ」
「竜の里!?詳しく聞かせて!」
「ああ、あれは──」
ダニエルに話を始めるレオン。あの食い付き様からして長くなるだろうな。一方バレナは、彼女の知り合いらしいイレーネと喋っていた。
「お互いよく生きてたもんだな」
「……そうね。本当にね」
「親御さんは元気か?昔肉とか焼いてもらったんだよな」
「……死んだわ。両親共にね。……病気だったのよ」
「……わりぃ」
「いいわよ別に。……っていうかアンタ、そういうの気に掛けられるようになったのね」
「あ?どういう意味だ?オイ」
時おりヒリついてはいるが、関係は悪くないらしい。
「あの~、勇者サマ?」
終わる気配を見せない竜の里の話に業を煮やしたのか、紹介をお預けにされたスルーズがレオンの腕を引いた。
「ん?あ、悪い。紹介まだだったな」
レオンもそれに気付いたらしく、竜の里の話はまた後でな。と伝えると改めてダニエルに向かって口を開いた。
「で、彼女が宣教師のスルーズだ。女神アリアの教えを広めて回っているらしい」
「スルーズです。宜しくお願い致します」
彼女のことだから、「とりまシクヨロ~」とでも言いそうなところ、初対面の相手にはしっかり礼節を弁えていたりする。
頭を下げるスルーズのことを、ダニエルは惚けたように眺めていたが、すぐに気を取り直して、
「こ、こちらこそ宜しくお願いします」
と返した。大人しくしている分にはスルーズは超絶美女だからなぁ。無理もないか。
俺はといえば、そんなやり取りを少し離れた場所からぼうっと眺めている。
「…………」
その頭の中には、先程ダニエルに言われた
言葉がぐるぐるとリフレインしていた。
──僕の親友を騙して、何が目的なのかな?──
──嘘つきの世界学者さん──
確かに世界学者の話も、ラスティア出身と語ったことも全て嘘ではある。しかしこれでも、見破り難い嘘にはしたつもりだ。
情報社会たる現代ならともかく、この世界で裏を取ることは実質不可能に近いのだ。だから魔力による証明書に全幅の信頼が寄せられている。
……嘘つきの世界学者さん、か……。
ダニエルが、カマを掛ける為にそう口にしたのであろうことは分かる。ひょっとしたら新参者をからかっているだけなのかもしれない。しれないのに。
どうしてこんなにも心がざわついているのだろうか。
「じゃあ商会の案内は僕がするから、ついて来て」
とりあえず皆の方は商会内見学ツアーをする方向で話が纏まったらしい。
俺も後に続き、ブラウン商会を見て回ることに。
……まあ、何はともあれ中に入ることすら許されなかった商会の見学が出来るならいっか!
「まずはここ、受付から。ここでイレーネがアポイントを取っているかチェックをするんだ」
そうそう。そんでゲームではアポイント取れないから永久に入れないっていうね。
「そして受付の隣にあるのが、商会事務室。僕も主にここで仕事をしているかな」
皆を引き連れて数歩進むと、ダニエルが解説を始めた。書類の山に囲まれて熱心に書き物をしていた砂色の髪の青年を見つけると、自然な足取りでその横へと立つダニエル。
「紹介するね。彼は副会長のルーカス・スペンサー。普段はここに常駐してて、主に経理を担当してもらってる」
名を呼ばれたであろう青年は、顔を上げてこちらをちらりと見ると、これ幸いにと小さく頭を下げた。それで挨拶を済まそうという魂胆だったのだろうが、それを見越したダニエルがルーカスと呼ばれた青年へと笑顔で声を掛けた。
「……ルーカス?ちゃんと自己紹介して」
「……っす」
渋々その場に立ち上がると、ルーカスは困ったような笑顔を作って改めて頭を下げた。
「ども。ルーカスっす。実家とは絶縁してるんで、苗字は忘れて下さい。…………よろしくっす」
伸ばしたのを適当に括ったしっぽ髪が、会釈と同時にぴょこんと揺れる。白いシャツにサスペンダー、茶色のズボンとかっちりとした服装で清潔感はあるのだが、ダニエルと違って服装に頓着がないのだろう。折られた袖口のうっすらとしたインクの染み、何よりうず高く積まれた書類の山が彼の仕事量を物語っていた。
「もー、ルーカスは。……彼にはこの商会の経理を担当してもらっているんだけど、正直この商会で一番仕事出来るのはルーカスだと思ってるんだよね」
「ちょ、会長何言ってるんすか」
「だって事実だし。ずっと職場に居て帰らないのが困ったところだけど」
「そりゃまあ、ここが俺の家っすから」
「違うからね!?僕早く帰ってっていつも言ってるよね!?」
二人のやり取りを見るに、ダニエルが一番気を許しているのが、このルーカスという青年なのだろう。話を聞くに、つまりはワーカーホリックか。
──いや、重要なのはそこじゃない。今俺が感動すべきなのは、あそこに座ってた謎の人の名前が分かったことだ。なるほどルーカスって名前だったのかー!しかも苗字持ちとは!
この世界観において苗字とは誰もが持っているものではない。苗字を持つ方法は二つあり、一つはウィズの様に貴族や大きな商家の生まれであった場合。そしてもう一つは、本人または先祖がレオンの様に王に功績を認められ、苗字を授けられた場合である。
ルーカス青年がそのどちらなのかは分からないが、こうして商会にいる点、読み書き計算が出来る点(ルード大陸においては貴重)を鑑みるに、恐らく彼は有名な商家の生まれなのだろう。ゲームでは一切触れられてないけど。
「それじゃあ次は応接室を──」
ダニエルがそう口にし掛けた所で、商会入り口にドタドタと足音が響いてきた。
何だろうと振り返った入り口に、まるで飛び込むように入ってくる影が。
「たっだいまで~す!」
現れたのは、レオンやダニエルと同い年くらいの若い青年であった。
ダークブラウンの髪に明るいスカイブルーの瞳。レオンよりも若干背は高いだろうか。
彼の姿を見て目を細めたイレーネがため息混じりに口を開く。
「お帰りなさい。はぁ、なんというか、タイミングが良いですね」
「イレーネさーん!」
オリバーと呼ばれた青年が、イレーネの言葉に反応してその表情を輝かせる。一見すればハンサムでモテそうな顔立ちに見える彼なのだが、続く発言がそれら全てを台無しにしていた。
「はい!オリバーです!貴女のオリバーが帰って着ましたよ!」
「は?誰の何?」
「ああっ!急に難聴!でもそんなクールな貴女も素敵です!今夜飯でもどうです?」
「夕食を食べる用事があるのでお断りします」
「はぁッ!毎度お馴染み流れるようなお断り!完っ全に脈のない素っ気ない対応!いっそ清々しくさえある!まあでも一人ご飯もオツですよね。分かります分かります。……孤高、それは自由。──って女神の大群がいる!?」
いきなり現れて何を言っているのか分からないが、ひたすらテンションの高いオリバーとやらは、ひとしきり言いたいことを言った後でやっとこちらの存在に気付いたらしい。
何やら釣り上げられた魚のように口をパクパクとさせている。……女神の大群ってなに?
「か、会長……!こ、これは……!?」
「オリバー、お帰り~。こちら、僕の古い友人とそのお仲間の方々だよ」
「会長こんな美人の知り合いいたんですか!?」
「いや、そういうことでは……」
バレナにちらりと視線を向けた後で首を捻るダニエルだったが、レオンへと頭を戻すと、確かに。と頷いた。
「レオンは誰もが認める美形だもんね!」
「おいてめぇ今のはどういう意味だ」
「ちょっと!さっきから何なのよアンタ会長に突っ掛かって」
「あ?なんだぁ?やんのか?」
ダニエルに突っ掛かかるバレナと、ダニエルに突っ掛かかるバレナに突っ掛かかるイレーネとで争いが起こりそうになるも、それを制したのはレオンであった。
「悪い。騒がせてる。俺はレオン。レオン・ソリッドハートだ。こちらの会長さんとは古い付き合いでね。セタンタに来たついでにちょいと顔を出させて貰ったんだ」
「お、おお……。どうも、オリバーです。ブラウン商会の配達担当、させてもらってます」
レオンの言葉に毒気を抜かれたのか律儀に返事をするオリバーの様子を見て、ダニエルが後に続く。
「ああごめん。僕からの紹介がまだだったね。こちらはオリバー。ブラウン商会の配達担当で、うちで一番足が速い。……まあ、見ての通り生粋のセタンタっ子だね」
「ああ……」と頷くその場の皆。
そう。セタンタは別名自由恋愛都市。ゲーム内でもレオンがしょっちゅう女性から声を掛けられていて、恋愛事情はかなり大らかという設定があったはずだ。つまり……性別を問わず彼のようなナンパ野郎が多い街なのだろう。うん。
紹介を受けた後で、オリバーはダニエルにそっと耳打ちする。
「ところで会長、あの中身も外もイケメンなヒト、誰なんですか?会長の知り合いなんすよね?なんか名前聞いたことあるような気ぃしますけど……」
「ええ?有名人だよオリバー。知らないの?勇者レオン」
「そりゃ勇者は知ってますけど……、って、勇者レオンッッ!?」
「うわうるさっ!」
小声でのやり取りが、いつしか誰にも聞こえる大声に変わっていた。オリバーの言葉を受けたイレーネも、驚きに目を見張る。
「ゆうしゃ……?──勇者!?じゃあバレナ、アンタ、勇者パーティなの!?」
「なんだよ。悪いのかよ?」
「い、いや、別に……」
ばつが悪そうなイレーネ。このセタンタにおいて、勇者の存在は特に有名である。それ故にまさかその有名人が目の前に現れるという事実に驚きを禁じ得ないのだろう。
だろう筈、なのだが。
「あ、そうなんすか。それよりオリバー、いつものヤツは?」
ルーカスは微塵も興味がないらしく、オリバーの持ってきたらしい何かを気にしている様子であった。
「あっ、そうだった。ルーさん、例のブツ、いいのが手に入りましたぜ」
「おっ、まじっすか」
恐らくいつも通りのやり取りなのだろう。鼻を鳴らしながら二人の側まで歩み寄ると、ダニエルは苦笑した。
「やれやれ、まーた闇取引してる~。オリバー、検閲していい?」
「どうぞどうぞ、上物っすよ」
商会で例のブツとか言い出すと洒落にならないのだが、ダニエルもにこやかなのだし、まあ悪いものでもないのだろう。そうしてにこにこと差し出された包みを開けると、それは果たして上質な珈琲豆であった。
「ああ、これこれ。良い薫りっすねぇ」
「なるほど。これはカフェ海猫亭の深煎り豆だね」
「……何で毎回わかるんですか会長は」
一通り味見してるからね。と理由になってないような回答を口にした後で、ダニエルはふと思い付いたように口を開いた。
「そうだ。丁度いいし、これをお客様用…に……。……うん、やっぱり紅茶の方がいいかな」
レオンたちに上物のコーヒーを提供させようとしたダニエルであったが、ルーカスがとんでもなく悲痛な顔を浮かべた為にやめたようだった。
ルーカスさんのことは信頼しているという体で語っていたダニエルであったが、なんというかこの会長、ルーカスさんに甘くない?
「じゃあイレーネ、八人分の紅茶をお願いしてもいいかな?」
ダニエルはそう口にすると、受付左手のドアを開いた。
「丁度紹介するつもりだったんだけど、オリバーが帰ってきたから仕切り直しで。こちらがブラウン商会の応接室になります」
紹介されたその部屋は事務室よりも一回り広く、小綺麗に整頓されていた。部屋の奥には水車小屋の絵が飾られており、「ん」とレオンが声を上げる。
「あの絵の場所、なんか見覚えあるな……」
「分かった?ファティスで昔よく遊んでた場所だよ。ファティス出身の人から売ってもらったんだ」
「なるほど。それでか」
「はん」
見覚えはバレナにもあったらしく、目を細めて眺めた後で、彼女はわざとらしく鼻を鳴らしていた。
「あんま覚えてねーな。ガキの頃の事なんて」
バレナの態度に、ダニエルがわざとらしくため息をつく。
「ふぅん、そう。ところでバレナ……頭の悪さって記憶力にも出るらしいよ」
「おい今のはガチの暴言だろ!?」
「──覚えてるくせに」
ダニエルにそう含み笑いされると、バレナもそれ以上噛み付く気が失せたらしく、部屋奥のソファーへと乱暴に腰を落とした。
「じゃあルーカス、オリバーはここでレオンたちの話を聞いてて。僕も用事を済ませたら行くからさ。みんなには今イレーネに紅茶とアップルパイを用意して貰ってるから」
「アップルパイ!?」
その名がリンゴの美味しいデザートを示すものだと知っているリューカが、鼻息荒く部屋に飛び込んだ。
「ど、どこですの?どこどこ?」
「いやこれから出るって……、話聞けよ……」
「アッ、失礼致しましたわ……」
「失礼します」
「シクヨ……、こほん。失礼致します」
ウィズ、スルーズも後に続く。その頃にはあまりに普通なダニエルの対応に、先程の警告は何かの間違いだったのかなと思い始めて皆の後に続こうとする俺だったのだが。
「ミーナさん。君は別。一人で着いてきて」
そう耳打ちされ、改めて身震いした。ダニエルはオリバーに何かを告げると、応接室とは逆の方向へと歩き出した。
「ぁ、ぅ……」
イヤだが、言うことを聞かなければどうなるか分からないのが恐ろしい。ゲームにはいない存在故に、俺にとってのダニエルはその全てが未知数なのだ。
ダニエルに従って受付奥のドアを潜ると、そこは石作りの薄暗い部屋になっていた。蝋燭の明かりを灯すと、部屋の中央に置かれた椅子に腰掛けるダニエル。
「この部屋は商品保管室になっていてね。劣化を防ぐ為にも陽の光を通さない造りになっているんだ。まあ立地的にも陽光は届かないんだけども。……座って」
ダニエルの対面には、もう一席椅子が設けられている。こんな薄暗い商品保管室で会議をする必要はないのだから、俺と話をするためにわざわざ用意されたものなのだろう。
「……失礼します」
そう口にすると、俺も椅子に座る。眼前のダニエルは朗らかな笑顔を張り付けたまま、その醸し出す空気はまったく笑ってはいなかった。
……誰だよコイツが俺に似てるとか言った奴!まっっっったく似てねーじゃねーか!
ほの暗い明かりに照らされたダニエルが、静かに口を開く。
「ええと、ミーナさん。君のことはレオンからの手紙で聞いてるよ。……といっても代筆なんだけども。今までの手紙のどの字体とも違うから、ひょっとしてあれは君自身が書かされたのかな?」
うぐ。……鋭い。まるで全てを見透かされているような目が恐ろしくてたまらないが、今はまだ雑談の範疇の筈だ。俺もびびっている内心を極力出さないように注意を払いながら、恐る恐る口を開いた。
「あ、はい。そうなんです。レオンさんに書いてほしいと頼まれまして。自分のことを書くのは何か恥ずかしかったんですけども」
「なるほど。それじゃあ話が早い。手紙にはこう書かれていたね。ラスティアから逃げてきて、世界学者を目指している。と」
「は、はい」
俺が頷くと、ダニエルは鋭く目を細めた。
「嫌じゃなければその辺について詳しく聞かせてもらえないかい?ラスティアからはいつ頃逃げてきたのかな?」
あ。これは。と思った。眼前の青年はどうやら、俺の話を眉唾だと疑っているらしい。しかしこちらとて、詳しく聞かれる可能性を考慮していなかった訳ではない。いつか追求された時の為に設定は固めておいたのだ。
「ええと……、半年前、です。その後は各地を転々としていて……」
「なるほど。じゃあこの世界学者を目指しているっていうのは?」
「それは……、父が世界学者を名乗っておりましたので、私もゆくゆくはそうなりたいと」
「君、戦う力はあるの?」
「いえ……、お恥ずかしながら全くの非力で……。なので戦闘には参加せず、専ら知識担当です」
「ふうん。勇者パーティにはどういう経緯で?」
うう……、何か嫌だな……。
まるで職員室で教師から詰問されているような感覚だ。しかし答えなければ終わらないのだから、どのみち逃げ場はないのだが。
「ぇっと、魔王軍との一戦に居合わせて、何とか切り抜けることが出来たんですけど。その後でレオンさんから誘われて、私も世界学者を目指す身として世界を回りたいと思っていたので、協力させて頂いております」
ここまで言ってしまえば、まあ大丈夫だろう。我ながら完璧な理由付けでは?等と思っていたのだが。
「妙なんだよね」
と、眼前のダニエルは首を捻りながら口にした。
「確かにそれなら行く宛のない君がパーティに参加する理由も分かる。けど、それはあくまで一般パーティだったら、の話だ。世界一過酷だと言っても過言じゃない勇者パーティに入る理由には、弱すぎるんだよね。まして君自身に戦う力はないっていうなら尚更」
「いや、それは……」
まさか突っ込まれるとは思っておらず、焦る俺。しかしまだ大丈夫だ。と自身に言い聞かせた。大丈夫。ここからいくらでも言い含められる筈。
「まあそこは重要じゃないか。レオンが誘った訳だしね。問題は、レオンが認める程の知識を、君がどうやって得たのか、だ」
「ぇっと、それは、父から教わったものなんです。父は世界学者を目指していたらしくて」
知識の源泉を問われて、俺は世界学者と口にした。しかし当初レオンたちに語ったそれとは少し変えている。
父親が世界学者、ではなく、世界学者を目指している、という細かい設定変更である。
世界学者が唯一無二ならば良かったのだが、何かこの世界に存在する肩書きらしいので、こうしておいた方が当たり障りなく無難であろう。
これぞ、社会人の受け流しスキルである。
「へえ。有名人だったの?」
「あ、いえ……。近所の方に知られていたくらいですかね……」
「なるほどね。……ああ、そうだ。良いものを見せてあげるよ」
と、世界学者の話には興味がないのかさらっと流すと、急にダニエルが両手を合わせて笑顔を浮かべた。
「さっきも言ったけど、ここはブラウン商会の商品保管室でね。普段扱っているモノなんだけど……」
言いながら席を立つと、近くの机に置かれていた一枚の紙を手に取るダニエル。
「これ、分かるかな」
「これは──」
そして見せられたその中身に、俺は目を見張った。
「地図、ルード大陸の……地図……」
それは、グリンバーナ王国を含むルード大陸全土が記された詳細な地図であった。この世界で初めてお目に掛かった地図に驚いたこともあるが、それだけではなく。
──俺、この地図知ってるぞ!?攻略本のピンナップページに収録されてたやつ!あまりのかっこよさに、何度も真似して描いたやつだ!
そう。それはクエハーフリークにとっては実にお馴染みとも言える地図だったのだ。まさかブラウン商会の品だったとは。
「すっご!え!凄いですね!こんな詳細な地図……」
「あはは。ありがとね。そ。それは僕が大陸中を歩いて描き上げた地図──を商会の絵師に仕上げて貰ったものさ」
笑いながら何でもないことのように口にするダニエルに、俺は目が点になる。え?今歩いてって言った?この人?
「歩、いて……?」
「そ。歩いて。ルード大陸はそこまで大きくはないからね。三年もあれば周れたよ」
日本にも歩いて地図を作った偉人がいた筈だが、その人は日本地図の測量に確か十四年の歳月を費やしていた。……三年て。
「誉めてもらえるのは嬉しいんだけど、本題はそこじゃなくてね。つまりこの地図を作るために、大陸中を周ったってことさ。当然、ラスティアにも」
「っ……」
思わず息を飲む。……落ち着け。大丈夫だ。これはただのカマ掛けだ。だって、
「で、でも、ラスティアには今は、入れない、ですよね……?」
なのである。今や魔王軍との戦争の最前線となってしまったラスティアは、要塞都市ラスティアにその名を変えて外部からの侵入に最大限の警戒をしているのである。当然、旅人であろうと町人であろうと、一度外に出てしまえば二度と街に入ることは叶わない。来る者は拒み、去る者は追わずといった状況なのだ。
クエハーでも、レオンが町に入れたのは勇者としての知名度、そして魔王軍と戦える強さを彼らの前で見せたからであり、勇者ではないダニエルがラスティアに入れたとは、とても──、
「そうだよ、本当はね。──けど商人ってのはずるい存在でね。彼らが喉から手が出る程欲しがる物と引き換えに、特別に町に入れる許可を貰ってしまったりするのさ」
悪戯っぽく微笑みながら、ダニエルはそう口にする。その言葉の意味を理解したその瞬間、どっと冷や汗が噴き出した。
「ぁ、ぇ、あ……」
「手紙を貰った後でラスティアに行く機会があったから、片っ端から聞いて回ったんだ。おかしいよね?誰一人として、ミーナなんて娘も、世界学者も知らなかったんだからさ!」
「っ、は、ぁ……」
息が詰まる。ダニエルはもう分かっているのだ。明確にこちらの素性を嘘と見抜いた上で、まるで真綿で絞め殺すようにじわりと追い詰めていたのだろう。
「それらを踏まえた上でもう一度聞くけど、ミーナさん。君はラスティアのどの辺に住んでいたんだい?」
「ひっ、ひっ、ぁ、そ、れ、は……、っ、」
顔を上げることが出来なかった。いや、まともに呼吸が出来ているかさえ怪しい。そんな俺の様子を眺めて、ダニエルは小さく嘆息した。
「はぁ。もういいか……。ミーナさん、無理に答えなくていいよ。君が嘘をついているってことは、ここで話を始めた時から分かってたから」
「な、ぇ、……?」
「職業柄かな。僕、特技と呼べるものを一つだけ持っていてね」
先程同様に悪戯な笑みを浮かべると、ダニエルは目を細めてこう口にした。
「僕さ、人が嘘吐いてるの、分かっちゃうんだよね」
「う、そ……?」
「……そう言った意味では、君は今まで会った中でも最悪の部類だろうね。だって一つも本当のことを言ってないんだから。──僕が一番嫌いなタイプだよ」
いつしか彼の目は、微塵も笑っていなかった。ただひたすらに冷たい目が、こちらを射抜いている。
「けれど狡猾だ。ラスティアを故郷にしたのも、町に入れないから故だろ?詮索されない理由付けとしては申し分ない。世界学者についても、先程の言い回しは実に巧妙だった。父が世界学者を目指している、か。それなら無名であっても問題ないもの。……まったく凄いね。……反吐が出る程に」
そうして細めたその目をゆっくりと開くと、ダニエルは正面から俺を見据えてこう告げた。
「お前の狙いはなんだ?何の目的で勇者レオンに近付いた?──答えろよ」
有無を言わさぬ視線に捉えられ、俺は身動きすら出来ずにいた。
「それ、は、ぁ、は、ぁぁ、ぇ、と、ぇぁ……」
どうしようどうしようどうしようどうしよう!?何か言わなきゃ、何か、何か
何か言わなければと思っても、まともな言葉さえその口からは出てこない。
「わた、私、そん、な……」
違う。と否定することが俺には出来なかった。今でこそ皆を救うんだ等と崇高な道標を見付けたつもりの俺だが、最初からそうだった訳じゃない。エルムの森で勇者レオンとそのパーティに出会った俺は、皆に怪しまれたくないと思って、それで出自を誤魔化したんだ。ただ、それだけの理由で、だ。
「ひ、ひっ、ぁ、ひっ、ぅ、ぅ」
口を開いても満足に呼吸が出来ず、俺はその場にへたり込んでしまった。話が進展しないことに苛立ちを募らせたのか、ダニエルは目を細めてその場に立ち上がった。
「僕はさ、何者かって聞いてるんだけど。さっさと答えてほしいな」
言い回しこそ柔らかくなったものの、その言葉に含まれる圧は変わらない。
だめ、何とか、息、しないと。
けれど、どう答えればいいのか分からない。スルーズにそうしたように、ありのままを話せば、彼は納得してくれるのだろうか?
こんな荒唐無稽な話を?駄目だ、うまく頭が回らない。
俺が勝手に窮地に陥っていたその時、ドアの向こうにその声は聞こえてきた。
「ダニエルー。ミーナそっちいないか?」
「……レオン」
ダニエルがその名を呼ぶと、ドアが開いてレオンが顔を覗かせた。すぐにこちらを見付けたらしいレオンが、ダニエルを睨み付ける。
「おい。これはどういう状況だよ。ダニエル」
「……オリバーにはちゃんと話すように言ったんだけどな」
「ああ。言われたよ。ミーナは体調不良だから奥で休ませてるって。けどウィズから、「ミーナが近くの部屋に連れ込まれたまま出てこないから心配」と言われてな。こうして見に来た訳なんだが──」
レオンの目付きが、更に鋭くなる。
「もう一度言うぞ。どういう状況だ?これは」
「……ふう。仕方ないなあ。じゃあ、もうレオンにも聞いてもらった方が良さそうだ」
レオンに凄まれても、ダニエルは態度を崩すつもりはないらしい。焦ったのは俺である。
──レオンに、話す?……俺のことを?全部、嘘だったって?そんなこと、そんなことしたら──。
「ご、めんなざ、ぃっっ」
気付けば俺は、レオンを押し退け部屋の外へと飛び出していた。
「おい!?ミーナ!」
「……追わなくていいよ。レオン。……それよりも、話があるんだ」
そんな二人の声を背中に受けながら、夢中で駆け出す俺。
みんなの所に行く?あり得ない。駄目だ。何処か、誰もいない場所に行かないと。
俺が下した結論は、商会の外へと逃げることだった。行く宛がある訳でもない。ただ、ここではない場所に行きたかっただけだ。そうして走り出して、
足がもつれて俺はその場に盛大に倒れ込んだ。
「あうっっ……」
当然、視界は横倒しになる。何とか起きようと思ったのだが、あれ、脚に力が入らない。
「は、ぇ……?」
どうにも、意識もふわふわしていたらしい。誰かに「大丈夫?」と聞かれたような気もするし、「大丈夫」と答えたような気もするが、そのままずぶずぶと、俺の意識は水底に沈む沈没船が如くブラックアウトしていくのだった。
◆◆◆◆◆
「ミーナ、ずっと俺たちのことを騙してたんだな」
周囲に何も景色のない黒い世界で、レオンの蔑んだような目が俺へと向けられていた。
「ま、待って!違う、違うの!」
「違わないだろ。お前みたいな嘘つき、仲間には必要ないよ」
必死に追いすがろうとしても、俺の言葉はレオンに一蹴され、そして彼は俺から離れていく。レオンは立ち止まっている筈なのに、俺は走って近付いている筈なのに、
二人の距離はどんどん遠ざかっていく。
「お願いレオン!私が悪かったから!だから待ってぇ!」
私の言葉もいよいよ彼には届かず、そしてレオンはその指をこちらに突き付けた。
「ミーナ!お前を勇者パーティから追放する!!あ、でも猛虎昇龍撃の件は感謝してるから」
◆◆◆◆◆
「わあぁぁぁッッ!?」
がばっとその場に跳ね起きると、俺は見知らぬ部屋の中にいた。
早鐘を打つ胸を押さえながら、荒い呼吸を調える。
「……夢、か……」
いつの間にか眠っていたらしい。とすると、先程のは悪夢か。その割にはレオンの人の良さが隠しきれてなかった気がするが……。
「あ。起きた?良かった~」
と、横合いから声を掛けられて俺はびくりと身を震わせた。そちらに顔を向けると、ダークブルーの瞳がこちらを見ていた。俺と同い年くらいの女の子だろうか。銀色のセミロングが太陽の光を浴びてキラキラと輝いている。
「商会の前で倒れてるもんだから、慌てちゃった。具合はどう?動けそ?」
「ぁ、ぇっと……」
自身の状況やらここは何処やら、確認したいことは多々あれど、最初に言うべきことは言わねばと、俺は口を開いた。
「ありがとうございます。お陰で助かりました」
「いいっていいって。無事で何よりだよ」
「私、ミーナといいます。……あの、貴女は?」
「私?」
俺の言葉を受けて、にかっと笑顔を浮かべると、その少女はブイサインと一緒に口を開いた。
「私はソフィア!宜しくね!ミーナ!」
そう。これが、俺とソフィアとの出会いだった。
ブラウン商会につきましては、よーぜふ氏作の
「ブラウン商会物語」がなろうで連載中ですので、興味がありましたらご一読お願いいたします。




