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セタンタ ブラウン商会『ブラウン商会に行こう!』

挿絵(By みてみん)

 晴れやかな朝。小鳥が歌い、紅葉に色付いた木々がほのかな風にその葉を揺らしている。

 昨日と同じ景色の筈なのにこんなにも違って見えるのは、俺の心持ちが昨日とはまるで違うからだろうか。

 痛みと不快感、そして不安から解放された朝は、今までのどんな朝よりも幸せだった。……いや、女って大変だわコレ。まあ、先伸ばしにした地獄がもうそろそろ帰って来ちゃうんだけども。


「ん~……っ」


 体を伸ばすと同時に、自然と声が漏れる。そうして何気なく外を眺めていた俺だったが。


(これで窓辺に小鳥でも来たら、どこぞのプリンセスみたいだな……。なーんて)


 そう思った直後に小さな黒い塊が勢いよく窓に張り付いた時には、流石に驚きを禁じ得なかった。


ビダンっ!

「わあぁっ!?」


 恐れおののく俺であったが、窓に張り付いた小さな塊は、それ以上何もしてくる様子はないらしい。恐る恐る観察してみると、何とそれは小鳥の形をしていた。


(鳥の、雛かな?)


例えばデスクロウの幼鳥とか?いや、魔物に幼少の姿はなかった筈だ。黒い小鳥の魔物なぞ聞いたこともないし、とするとこの世界にいる鳥の仲間なのだろうか。


「……だ、大丈夫?」


 だとすると、窓にへばりついてずるずると下がっていくその姿は普通ではないような気がする。窓に気付かず突っ込んでしまったのではないだろうか?いわゆるバードストライクというやつだ。

 落下して窓縁に倒れ込んだ小鳥がいたたまれず、俺はそっと窓を開けるとその体を手のひらに乗せた。

 あまりにも小さくか弱い命がそこにあることに怖さを抱くも、俺は口を結ぶと一つの決意を固めた。


「大丈夫。大丈夫だよ」


 大好きだったにも関わらず、動物アレルギーで触れ合えなかった南信彦。

 この小鳥が自分の所に来てくれたのは、偶然ではないのだと思った。

 動物好きの名誉に懸けて、この小鳥を救うことこそが今課せられた己の使命なのだ。


「絶対、助けてあげるからね」


◆◆◆◆◆


「ミーちんさぁ、あーしのこと便利屋だと思ってない?」

「緊急時には回復魔法が一番効果的なんだよ。ほんとごめん、騒がせ賃は払うから。あと毎日ウィズにエール冷やさせてるくせに偉そうに」

「うぉい!なんか最後強烈なやつ混ざんなかった!?」

「細かいことはいいから早く!」

「あ、う、うん」


 俺の真摯な訴えに、スルーズも心動かされてくれたらしい。俺の手のひらに横たわる小鳥へと手をかざすと、


「【ヒール】」


 と癒しの魔法を行使した。緑色に見える魔力が小鳥を包み込み、その体へと注がれる。ややあって黒く小さな小鳥は、何事もなかったかのようにその身を起こしていた。


「わあぁ。良かった~!スルーズありがと!後でお金は払うから!」

「いーよ別に。それよりその鳥──」

「ごめん急いでるから!」


 何か言い掛けたスルーズを強引に振り切ると、俺は自分用の個室へと戻った。窓が開いたままのそこには、外からの風が流れ込んでいる。


「もう大丈夫だよ。ほら、行きな」


 小鳥を乗せたままのその手を、俺は窓の外へと差し出した。


「今度はぶつかるなよな」


 そう笑い掛けると、小鳥はこちらへ顔を向けて首を左右に捻り、そして。

 そのままこっちを見つめていた。


「え?いや、行っていいんだぞ?」


 律儀なやっちゃ、と思いつつ、ちょんちょんと指で押してやる。指の端へと押し出される形になった小鳥は今度こそ。


 手のひらの中央へと戻った。


「えー!?」


 飛び立つつもりがないのだろうか。それともまだ翼を動かせないとか?……いや、スルーズのヒールならば怪我は完全に治っている筈だ。


「もう。甘えん坊だなぁ」


 優しく包むようにその体を掴むと、窓縁にそっと下ろす。


「じゃ、元気でな」


 そうして室内まで離れると、小鳥もようやく観念したのだろう。チチチ、と鳴きながら飛び立ち──、


 旋回して室内に飛び込んで来た。


「うわあぁぁぁぁ~!?」


 驚きのあまり思わず尻餅をついてしまった俺の肩に舞い戻ると、まるで笑っているかのように小鳥は「チチチ」と口早に鳴いた。これには流石の俺も困るというものだ。


「いや、嬉しいけどっ、ダメなんだって」


 小鳥にどんな意図があるかは分からないが、嫌われていない──警戒されていないことは確かだろう。動物好きとしてそんな喜ばしいことはないのだが、それでもこの小さな生き物を俺たちの旅に連れていくことは出来ない。それは間違いのないことだろう。

 確かに俺は非戦闘員だが、それでも先日のシュバルツのようなこともある。いざという時に守りきれる保証はないのだ。


「……ごめん。気持ちは嬉しいんだけどさ。やっぱりダメなんだよ」


 こうなったら多少強引にも外に逃がそうと小鳥を捕まえ──、

 そう思った瞬間、ひゅぽっ。と小鳥は俺のシャツの口から中へと逃げ込んだ。


「へっ?ちょっ!?」


 慌てて手を突っ込むも、小鳥は器用に逃げ回る。そしてそれがどんな効果を生むかというと、


「ちょ、やめ!ひゃあぁぁぁんっ!?」


 自身が出したとも思えない声に、思わず口を両手で押さえてしまった。な、なにこれぇ!?


「やめてぇぇ!わ、わかった。分かったからぁ!」


 その後もふわふわの体で這い回られ、俺が根負けするまでそう時間は掛からなかった。

 おおミーナよ。小鳥に負けるとは情けない。


◆◆◆◆◆


 そうして暫く格闘した後で、俺は小鳥を連れ立ったままキング亭のロビーへと向かった。そこには既に他の面々が揃っている。


「よーミーナ。大丈夫だったか──って、なんだその鳥」

「いや、実はさ……」


 こちらを見て目を丸くするレオンに、はははと苦笑いを浮かべる俺。仕方なくこれまでの経緯を説明することに。


「──って感じで懐かれちゃってさ。全然逃げないんだよ」

「へえ。面白そうじゃん」


 そう笑いながら口にするのはバレナである。


「何なら躾けて狩りでも教えるか?そしたらちったあバトルに参加出来るかもな」

「もー!小鳥だよ?猛禽類じゃなさそうだし」

「モーキン?」

「あ、いや、こっちの話」


 猛禽類とは、現代で狩猟ハンティングを行う肉食の鳥の総称である。獲物を捕らえる為の鋭い爪、鉤型に曲がったくちばしなどが特徴で、日本では主にタカやワシ、ハヤブサ、フクロウ、チョウゲンボウなどがいる。

 俺にまとわりついている小鳥はくちばしも爪も小さく、明らかに肉食の鳥ではないだろう。


「そか。じゃあ非常食にでもすりゃいいんじゃね?」

「もう!またそーいう……」

「んまあ!なんて酷いことを言うんですの!」


 バレナの軽口に文句を言おうとした俺だったが、それよりも強く反応したのはリューカであった。


「血も涙もない人だとは思っていましたけれど」

「思ってたのかよ」

「それでもこんな、こんな──」


 じいっ、と正面から小鳥を見つめるリューカ。


 その口の端からヨダレが垂れた。


「ピーッ!?」

「ひゃいん!?リュ、リューカ!」


 慌てて服の中に逃げ込んだ小鳥に、思わず俺は変な声をあげてしまった。「ち、違うんですの!」とリューカ。


「その子があまりにも美味しそ──可哀想だったもので!」

「それ以上近寄るな!」

「がーーーーん!」


 語るに落ちるとはこのこと。ガルル、と威嚇する俺に、次に声を掛けたのはウィズであった。


「でも、実際どうするの?私たちの冒険に連れていくということは、その子を危険に曝すってことなのよ?」

「分かってます。だから逃げて欲しかったんですけど……。まあ、野外で危なくなったら逃げるかと。なんせ鳥なので」


 先程の旋回を見るに、飛行能力に問題がある訳ではなさそうだ。ならば今はこうしてくっついているが、餌付けしなければそのうち逃げ去るだろう。寂しいが、無責任に野性動物に手を出してはいけないのだ。

そういえば、スルーズがいやに静かだな。

 そう思って目を向けると、何か言いたそうにしているスルーズと目が合った。しかし、数秒の後に彼女は目を逸らしてしまう。


「……ス」

「こほん。あ~、そろそろいいか?」


 口を開こうとした俺に重なるように、レオンがそう告げた。皆の視線を集めると、話を切り出すレオン。


「ひとまず鳥は置いておいて、だ。今日の予定なんだが──」


 そこまで口にするとレオンはこちらへと顔を向けた。


「昨日のこともあるしな。ミーナ、出掛けられそうか?しんどいならここで休んでてもらうのもアリだと思うが」

「ん~……」


 考える。今朝起きたときのような体調なら何の問題もないのだが、本日はこれから昨日のあのクソな状態に逆戻りすることが確約されているのである。出掛けたい気持ちはあるのだが、逡巡した後で俺は小さく首を横に振った。


「ごめん、ちょっとやめとこうかな……」


 昨日の状態を思うと、寝込む、まではなくとも部屋でじっとしていた方が良いだろう。俺の言葉に、そうか。とレオン。


「そうしたら悪いが、ミーナは留守番だな」

「あ。待った」


 と、そこに口を挟んだのはバレナであった。


「一人で残らすのは可哀想だろ。そしたらアタシも看病で残るわ」

「え、ええ?悪いよそんな……」

「いいから。お前は安静にしてろ」


 バレナはこんなへろへろな俺を気遣ってくれているらしい。迷惑は掛けたくないのだが、それ以上に彼女の心根が嬉しかった。


「しょうがない。分かった。バレナとミーナは留守番な」


 結局そういう話にまとまった。レオンと他の面々はこれから外出するらしい。

 少し気になって、俺はレオンに尋ねた。


「……で、どこ行くの?」

「ん?ああ。ブラウン商会だよ」

「ブラウン商会ィ!?」

「うおっ!?」


 あまりの衝撃に自分でも信じられないくらいの大声が出てしまった。だってブラウン商会だぞ!?ブラウン商会。

 これまでにも少し触れては来たが、ブラウン商会について今一度解説しよう。


 ブラウン商会については、クエハー完全攻略ガイドのコラムに記載がある。何でも、魔王討伐後、グリンバーナ王国に限らずルード大陸全土におけるシェア四割を占めることとなる大商会らしい。ただしその実状については一切の情報がなく、これも以前説明したことではあるが、クエハー本編におけるブラウン商会は、イベントも何もないモブ施設も同然なのだ。

 建物に入ると、青い髪の受付嬢から、


「アポイントはお取りですか?会長は外出中です」


 と告げられ有無を言わさず門前払いにされる。何度入っても同じであり、それ以上のことはない。ただそれだけの施設なのである。

 ちなみに室内にはもう一人誰かのグラフィックがあるが、例によって追い出されてしまう為話し掛けることさえ不可能だったりする。

 そんなブラウン商会に、レオンたちは行くという。


「あ、ごめんオレも行くわ。マジマジ。行きます」

「はいぃ?今だって行かないって」

「るせー!行くったら行くんだよ!」


 いきなり前言を撤回したことで驚くレオンだったが、そのことで誰より焦ったのはバレナであった。


「へ?ちょ、おま……」

「だ、そうだが。バレナ?」

「ぐ、ぬ……」


 レオンに顔を向けられて露骨に目を逸らすバレナ。俺の看病で残ると宣言した手前、俺が行くならバレナが行かない理由はなくなるのである。しかしこの反応、他に行きたくない理由があるかのような……?


「わぁったよ!行きゃあいいんだろ行きゃあ」


 レオンは名前を呼んだだけであったが、言葉の奥の何かを察したのだろう。観念したようにホールドアップしながらバレナはそう口にしたのだった。


「クソ、面倒なことになっても知らねーかんな!?」


◆◆◆◆◆


 野鳥がギャアギャアと喚き、赤や黄色に毒々しく色付いた木々が目に痛い。乾燥した秋の空気の中を、俺はとぼとぼと歩いていた。


「ミーナ、本当に大丈夫か?」

「だ、大丈夫~」


 冷や汗をかきながら、しかし何事もないように笑って答える。しかしその実体調は絶不調であった。

 今朝の爽やかさが嘘のように、腹は昨日のぐるぐるに逆戻り、少しずつ漏れ出す血の不快感に貧血のふらつきも加わって最悪である。ちなみに黒い小鳥は服の隙間に入り込んですやすやと寝ている。まったくいい気なものだ。


うぐぐ……。くそ~……


 恨みがましい目をスルーズに向けるも、当のスルーズは口笛を吹きながらどこ吹く風である。俺がスルーズに批難の目を向けるのは、出発前のやり取りに理由があった。


◇◇◇◇◇


「へ?祝福?」

「頼む~。ブラウン商会で粗相する訳にはいかないんだよ~。お金も割増しで払うから~」


 拝むように懇願する俺を見て何を思ったのか。スルーズはふんす、と鼻を鳴らすとただ一言。


「やーだね」


 と口にした。


「へ?」


まさか断られるとは思っておらず面食らう俺に、目を細めて詰め寄るスルーズ。


「言ったでしょ。あれはあくまで裏技なの。体にどんな悪影響があるか分かんないんだから気軽にやるべきじゃないの。女はすべからく経験すんだから諦めな。赤ちゃん出来なくなったらどうすんの」

「そ、それは……、や、中身はおっさんだし、別に出来なくても……」


 彼女の発言は理解出来るし、自身の我儘であることも自覚している。それでも、あの苦痛にまだ慣れていない俺はすがりたくなってしまったのだ。


「あ゛?」


 そんな思いから口を滑らせたら、今まで見たこともないような表情でガチ切れされた。なんか色々言われた気がするが、とにかくこわかった。まあ今のは明確に俺の失言なので反省するが。


「お、おいミーナ泣いてんじゃねえか。やめろこんなとこで」

「次同じこと言ったら絞めるかんね」

「ひゃ、ひゃい……」

「やめろっての」


◇◇◇◇◇


 バレナに取り押さえられるスルーズに睨まれながらとぼとぼと歩いていると、そのうちレオンが声を上げた。


「そろそろ着くぞ」


 その声に顔を上げると、目の前に見知った建物を見付けて思わず俺は声を上げそうになった。朱色の屋根が特徴的な石造りの大きな建物は、間違いない。ブラウン商会だ。

 あの、ノーイベントだったブラウン商会に。設定のみが開示されたブラウン商会にいよいよ関われるのだ。先程までの不景気は何処へやら、俺は目を輝かせてレオンに続いた。


「失礼しまーす」


 レオンと、どうしても行きたいとごねた俺が代表者として入り口の扉をくぐると、入り口正面のカウンターについている女性が微笑んで口を開いた。


「いらっしゃいませ。アポイントはお取りですか?」


あ、ああぁぁぁぁ!

アポイントの人だあぁぁぁぁッ!!


 特徴的な空色のセミロングに、白いブラウス。間違いなく彼女こそ、ゲームで何度となくプレイヤーを追い返した受付嬢だ。本物初めて見た!え!めっっちゃ美人なんだが!あと巨乳なんだが!?


「えっと、アポイントは取ってないんだが、ダニエルには事前に手紙を……」

「会長は外出中です。アポイントがないのでしたらお引き取り下さい」

「ええ?い、いや……」


リアル門前払い来たあぁぁぁぁ!!すげー!!


 困惑しているレオンとは裏腹に、俺は終始大興奮であった。特にこの辺りはゲームでの説明が少ない分、一つ一つの情報があまりに貴重なのである。

 嬉しい気持ちはさておき、このままではゲームよろしく門前払いでおしまいである。それどころか、ゲームと違ってしつこく食い下がれば憲兵を呼ばれかねない。どうしたものか……。


「なーにうだうだやってんだ?お前ら」


 と、痺れを切らしたのだろう。俺たちの後ろに外で待機していたバレナが顔を覗かせた。


「いや、ダニエルいないらしくてさ」

「あ?じゃあ帰ろうぜ。他に用事なんてねーだろ」

「し、しかし……う~ん……」


 レオンとバレナ。二人がそんなやり取りをしている最中、


「──バレ、ナ……?」


 そんな声が、別の場所から聞こえてきた。


「あ?」


 声に反応してバレナが顔を向けた先にいるのは、ブラウン商会の受付嬢である。彼女の顔をまじまじと見つめた後で、「ぇっ」と小さく声を出すバレナ。


「お、お前、……イレーネ、か……?」

「やっぱりバレナなの!?」

「イレーネ!?」


 互いを見て驚き合う二人。二人はどうやら旧知の間柄のようだった。……えっ。なにそれ知らないんだが?


「お前、何でここに?傭兵になったんじゃねえのかよ?」

「……色々あったのよ」


 俯き、吐き捨てるようにそう口にした後で、イレーネと呼ばれた受付嬢は再度バレナへと目を向けた。


「っていうか、アンタこそなんでここにいる訳?」

「なんでって、そりゃお前魔王討伐の旅してっからだよ」

「魔王?」

「っていうかよー」


 バレナの発言がよく理解出来ないのだろう。眉根を寄せるイレーネ。そんな彼女と困惑しているレオンを巡に見ると、バレナは小さくため息を吐き出した。


「お前らだって昔馴染みだろうが。なんでどっちも気付かないんだよ」

「昔、馴染み……?」

「そう、なのか……?」


 言われて互いを見つめるレオンとイレーネ。そしてしばしの時間の後で、二人とも同様の反応を示した。


「?」

「?」


「いや分かんねーのかよ!?」


流石バレナ、ナイスツッコミ。あと俺もその話知らないから詳しく。詳しく。


「ほらアタシらよくバチバチにやりあってたろうが。忘れたのか!?」


 バレナに追い詰められ、こめかみに指を当てると遠い記憶を探るレオン。細い糸を必死に手繰り寄せれば、ぼんやりとその光景は浮かんできた。


「…………ん、ぁ、あ~……。そういえば、いたような……?バレナと、よく喧嘩してる女子、だったよな……」

「イレーネな」

「……イレーネ、イレーネ!ああ、思い出したぞ!バレナとよく喧嘩してた!」

「そのまんまじゃねえか」

「バレナと二人で赤鬼レッドオーガ青鬼ブルーオーガとか呼ばれてた、あのイレーネか!」

「え。なにそれ……こわ……」

「ほーん?それは初耳なんだが?お前そんな風に見てたの?」

「お、俺じゃなくて男子連中だよ!」


 藪をつついてしまったようで二人から睨まれるレオンは、「それよりも」と慌てて話を変えた。


「そっちはどうなんだ。イレーネは俺のこと思い出したのか?」

「まあ、何となくね」


 この場で騒いでいる現状を好ましく思わないのか、鼻白んだ様子でイレーネは小さく口にした。


「バレナの子分でしょ?確かボコボコにしたらなついて付いてくるようになったから仕方なく従えてるって、バレナが言ってたもの。未だに子分やってたとは驚きだけど」

「は?」


 レオンが凄まじい形相をバレナへと向ける。バレナは首がねじれそうな程に明後日の方向へと頭を向けていた。


「お前そんな風に見てたのか?おいバレナ」

「こ、子供の頃の可愛い嘘っつーか……」


 今にもこの場で争いが起きそうな空気であったが、そこに別の方向から声が聞こえてきた。


「イレーネさん、どうしたんすかー?」


 声の方向へと顔を向ける。そこには、書類の山があった。いや、紙の束が喋っている訳では決してなく。その向こう側にいる誰かの声のようだ。

 よく目を凝らすと、ちらりと薄い砂色の髪が覗いた。おや、あの色は確か……。

 クエハーの太い糸を手繰り寄せ、俺はすぐに思い出す。そう。あれは間違いなく──、


ブラウン商会にいるもう一人の謎の人だ!


受付嬢イレーネに追い出されてしまう為に中を詳しく調べることの出来ないブラウン商会。それでもイレーネに呼び止められている間だけは内部の様子がちらりと見えるのである。

 その際俺は、書類の山に囲まれた砂色の髪をした誰かがいることを確認している。

話し掛けることはおろか、近付くことさえ出来なかった謎の人。それがこうして喋っている所を見れるなぞ、感涙もの以外のなにものでもないだろう。


「なんかトラブルっすか?」

「いえ、ルーさん」


 謎の人に声を掛けられて、イレーネは小さく首を横に振った。


「ちょっと昔馴染みに声を掛けられて驚きましたが、アポイントはお取りではないようなので今お帰り頂く所です」

「んだと!?お前帰れたぁどういう意味だ!」

「どこからどう聞いてもそのまんまの意味でしょ!」


 ぎゃあぎゃあと言い争いを続ける二人の横で、レオンがハッとしたように声を出した。


「思い出した!ニシンのイレーネにイワシのバレナだ!確かそう呼ばれてた!」


 どうやらずっと二人の子供の頃の通り名を思い出していたらしい。今の話の流れからは完全に明後日の方向だ。しかも言われた二人の反応を見るに、今回も微妙な感じだけど。


「いや魚かよ」

「わざとやってる?」


 得意顔のレオンに、二人の冷たい声が突き刺さる。「え?そんな筈は……」と尚も食い下がるレオンに、次なる声は外から聞こえてきた。


「西のイレーネ、東のバレナだよ」

「それだ!」


 背後からの声に振り返ったレオンは、あっと目を見開いた。

 癖の強い黒髪に、生き生きとした緑の瞳。かっちりしたシャツに空色のネクタイを締め、洒落たベストを着た小柄な青年が肩を震わせて笑っている。


「もー。いつまで経っても覚えないね、レオンは」

「ダニエル!」


「久しぶり、レオン。元気そうで良かった」


 そう口にする、ともすればレオンよりも幼く見える顔立ちの青年こそが、ブラウン商会会長であるダニエルだという。

 拳を突き出したダニエルに、名を呼ばれたレオンが駆け寄ると、強く拳を合わせる。


「っし!」


この友情の挨拶をかわすのは子供の頃以来のことだが、まるで昨日まで続けていたかのように二人ともが自然と動いていた。


「あたた。もー!また力強くなったんじゃない?」

「そりゃ、鍛え続けてっかんな」


 手をぱたぱた振って笑うダニエルに、レオンも見せたことのないようなとびきりの笑顔を見せていた。


……この人が、ダニエル……。


 ダニエルは、俺にとっても印象深い名前だ。何しろ出会ったばかりの頃のレオンが俺のことを、ダニエルに似ていると称したのだから。それ以来ちょくちょく名前の出るダニエルのことが、気になって仕方なかった。

 レオンの幼馴染みにしてブラウン商会の会長を務める男。

 謎多きダニエルと遂に対面する時が来たのである。


「ダニエル、紹介するよ。こっちがミーナで、こっちがバレナだ」

「おい」

「いやバレナは分かるでしょ」


 レオンが二人からツッコミを受けている隣で、この場唯一の初対面である俺は慌てて、


「よ、宜しくお願いします」


 と頭を下げた。レオンのやつ、なんかはしゃいでんな。


「ルーカス、イレーネ。彼は僕の友人でね、アポイントもほら、ちゃんと取ってあるよ」


 ダニエルはそう口にすると、手にした手紙をひらひらと振って見せた。フィーブ出発前にレオンが出したというやつだろう。


「……そうだったのですね。大変失礼致しました」

「さて」


 そう口にするイレーネに笑顔を見せると、ダニエルは入り口の横に立ち、レオンに外に出るよう促した。


「レオン。他のみんなを待たせたままだと良くないでしょ。呼んでおいでよ」

「あ、そうだな!おーい!」


 ダニエルの言葉に力強く頷くと、レオンは少し離れた位置で待機しているリューカ、ウィズ、スルーズの三人を呼びに走っていった。


……忘れてたんじゃあないだろうな?


 そんな友人の慌ただしい様子を見届けて微笑むと、ダニエルはこちらへと顔を向ける。


「ええと、ミーナさん、だっけ。話は手紙で聞いているよ」


ああ、俺が代筆したやつだ……。


 複雑な心境に笑顔がひきつり掛けるも、


「あ、はい。レオンさんにはお世話になっています」


 とお辞儀は忘れずにすることが出来た。いやはや、ゲームにもいなかった会長相手は緊張するなぁ……。


「うん」


 笑顔を貼り付けたままダニエルが入り口を潜ってこちらへと近付く。……あれ、距離、近いな?

 思っていたよりも至近距離まで踏み込まれて、思わず顔を逸らしてしまう俺。えと、この人、どういう、つもり……?

 そうして俺の耳元に顔を寄せたダニエルは、


「僕の親友を騙して、何が目的なのかな?──嘘つきの世界学者さん」


 そう、小声で囁いたのだった。


「────え?」


────え?


今回から関わることとなるブラウン商会につきましては、よーぜふ氏作の

「ブラウン商会物語」がなろうで連載中ですので、興味がありましたらご一読お願いいたします。

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