セタンタの宿屋 キング亭『血の呪い』
◇◇◇◇◇
「ノブさぁ。悪いんだけどナプキン買ってきてくんない?」
「ナプキン?ハンカチならどっかしらにあるでしょ」
「違う違う。生理綿花」
「はぁ!?」
藪から棒に告げられて、俺は顔をしかめた。
リビングでテレビを見ている最中のことである。自分で行けよ。と目で訴える俺に、姉である杏子はソファにもたれたままこう告げた。
「や、いつも多目に買ってるつもりだったんだけど、うっかり切らしちゃっててさ」
「いやだから、理由とかじゃなくて。自分で行けばいいじゃん」
「行けるなら行ってるっての。あんね、ノブ。生理ってのは大怪我みたいなもんなのよ。血ぃなくなるし、体も動かなくなるし、無性にイライラするし、やる気もなんも無くなるの」
ソファにしなだれ掛かりながらそう口にする姉の姿は、どう見てもダメ人間のそれであった。発言を要約しても、面倒だからお前行ってこい。と言っているようにしか思えない。
改めて「いやだ」と告げると、「ああそう」と返ってきた。
「薄情者。……じゃあいいわ。自分で行くから」
「はいはいいってらっしゃい。最初からそうしろって」
手をパタパタ振って追い払うジェスチャーをすると、姉から恨みがましい目が飛んできた。
「その変わり、あんたに呪いを掛けてやる」
「は?呪い?」
「あんたが女になったら、あたしより無茶苦茶重い生理になるように呪っといたから覚悟しな」
姉の言葉に面食らうも、すぐにただの冗談だと理解して俺はその言葉を鼻で笑ってのけた。実現不可能な呪いなど、ただの戯れ事でしかないのだ。
「へえへえ。どうぞご自由に」
そうしてテレビを見つつ、横目に席を立った姉を見送る俺。
「っ」
その時僅かによろめいた彼女が一瞬気になったものの、すぐに意識はテレビへと戻るのであった。
◇◇◇◇◇
「ん……」
目を開いたそこに見えるのは、白い天井とこちらを覗き込む誰かの姿であった。
「ミーナちゃん、大丈夫?」
誰か、は次第にウィズの姿形となって俺に心配したように声を掛けてくる。……あれ。俺どうしたんだっけ。
「……ウィズ、さん……」
「良かった。意識はハッキリしてそうね」
「……すみません、私……」
理由は分からないが、どうやら倒れて迷惑を掛けてしまったらしい。申し訳なさそうに俯く俺に、ウィズは微笑んだ。
「いいの。私がしたくてしたんだもの。……多分ミーナちゃん、貧血ね」
「貧血……?」
「あれだけ血を流したんだもの、無理もないわね」
「あれだけ…………ぇ?……わぁっ!?」
言われて、下着が綺麗なものに変えられていることに気が付いた。何でも、大流血で赤く染まっていた為にウィズが換えてくれたとのこと。申し訳なさと恥ずかしさで顔から火を噴きそうである。
「お、起きたんか」
「良かったですわ~」
近くにはバレナとリューカもおり、どうやらこちらを心配してくれていたらしい。ますます申し訳なさが募る。
「……すみません、こんな……」
「それでミーナちゃん、話の続きなんだけれど」
優しい声色でそう口にした後、ウィズは言葉を選ぶように俺に問い掛けた。
「今までも、こんな風に……、血が出ることはあったの?」
つまるところ、生理はあったのか。と問われているのだろう。俺は静かに首を横に振る。
「いえ、初めて……、です」
少なくともこの世界に来てから今日に至るまでは、そんなことはなかった筈だ。……そういえば、今って俺がエルムの森でレオンに出会ってから、丁度一ヶ月くらいなんだな……。
そんな思い出に浸っている俺を前に、ウィズは優しく微笑んで口を開いた。
「そうなの……。初めてでこんなに大量に出る、というのは珍しいけれど、そういうこともあるのでしょうね。……あのね、ミーナちゃん。これは、生理って言ってね、女の子なら誰でもあることなのよ」
「あ、すみません。生理は分かります。自分に来たことがなかったので、ちょっとびっくりしちゃったけど……」
「そうなの?それなら話は早いわね。今回が初経だとして、多分これからは毎月こういった事が起きると思うわ」
あくまでも優しく、俺が落ち着けるようにとゆっくり喋ってくれるウィズの気遣いが身に染みる。
「お前十七歳だっけか?その歳で初めてたぁ。珍しいな」
一方のバレナは鼻の頭を掻きながら、いつも通りのぶっきらぼうさであった。
「そうなんですの?」
「その五年前くらいには来てるもんだろ?……って、ドラゴンに言っても分かんねーか」
「んまあ!竜差別ですわ!」
賑やかないつもの二人を眺めながら、しかし俺の心は穏やかではいられなかった。
ウィズとバレナ。二人の言葉を受けて、ある恐ろしい考えが浮かんでしまったのだ。
ウィズは、初めてで大量に出血するのは珍しいと口にした。
バレナは、十七歳で初めて生理が来るのは珍しいと口にした。
そのどちらも、俺が特異体質だから、という理由ならそれでいい。もしも違ったとしたら?
この出血が、初めてではないとしたら……?
俺はこの世界で生まれ育った訳じゃない。ある日気付いたらこの姿でこの世界にいたというだけなのだ。
それを俺は、この世界におけるアバターのようなもの、と考えた。俺という人間のガワが、女の子になっちゃった。という認識だ。
その認識が、俺の勘違いだったら……?
つまりアバターなどではなく、この世界に生きる少女の体に俺という意識が憑依してしまったのだとしたら……?
想像して、血の気が引いた。
何故って。もしそうだとすれば、俺は見ず知らずの少女の体を我が物顔で操って、あわや殺し掛けたことになるからだ。勝手にレオンに恋をしてしまったことも、もしもこの体の持ち主がいたならば冗談じゃないと思うだろう。
「とにかく、今日はここに宿を取ったから。動けるようになるまではゆっくり休んでね」
「……はい。ありがとうございます……」
それだけ告げるとウィズたちは部屋を後にして、その場には俺一人が残された。
……結局真相なんて、女神アリアに聞かなきゃ分かんないよな……。
ここにきて己の存在に疑問符が浮かんでしまったが、悩んでいても仕方がないと気持ちを切り替えることにした。女神のいる泉は魔王城の近く。まだまだ北に進んだ先の話なのだ。
(……窓からの景色は、駐屯騎士団の宿舎が見えるな。それに手前にある大きな木は……。神聖樹だな。じゃあここは宿屋キングか。奮発したなー)
宿屋キングは、セタンタにおいても一番の快適さを誇る高級宿屋だ。泊まれば体力全回復は言わずもがな、至れり尽くせりされている描写が挟まり、店を出る時には回復アイテムのジュースも貰えるという実に豪華な仕様となっている。ただしその分値段も激高、というか回復量とアイテム代を足しても割りに合わない金額なので、通常プレイでこの店を利用するのは、怖いもの見たさの一回が良いところだろう。
しかし恐ろしいことに、この宿屋に泊まると百分の一の確立でとある隠しイベントが見れるのである。
俺なんかはそれを見るためにここに二百回泊まるという苦行を達成したことあるけどな!(ドヤッ)
内容?レオンがヒロインの風呂を偶然覗いちゃうっていうベタなあれよあれ。イベントスチルも一人ずつ書き下ろしなのに実質見せる気ないの、ほんとクエハーは狂ってるよなー。(誉め言葉)
ちなみにキングの隣にはクイーンの宿屋もあるんだけど、そちらは特筆すべき内容はない普通の宿屋だ。
「…………」
風に揺れて葉を揺らす神聖樹を眺めながら、俺は半身を起こしたままぼふっ、と枕を背もたれに寄り掛かった。
「……あの葉が全部落ちたら、私の命も終わるのね……」
「……ミーちん何してんの?」
「うわあぁぁぁっ!?」
横合いから声を掛けられて、俺は思わず座ったままその場に跳び跳ねていた。
咄嗟に顔を向けたその先には、腰に手を当てて眉根を寄せたスルーズの姿がある。
「いや何してんのホント」
「いっ、いいだろ別に!演劇の練習だよ!」
耳まで赤くなるのを感じながら、ぎゃーすかと吠える。調子に乗ってふざけた瞬間なので気恥ずかしさも最高潮だ。
「そっ、それよりスルーズこそ!お見舞い来てくんなかったじゃん。他のみんなは来てくれたのにさー」
話題を変える意味合いも込めて俺が口を尖らせると、スルーズはとびきりの笑顔を浮かべ、
「ミーちんの血まみれのパンツ洗って祝福掛けてたんだけど」
「すいませんっっっしたッ!!」
◆◆◆◆◆
「で、“女の子”を体感した気分はどーよ?ミナミくん?」
「……とりあえず今は最悪、かな……」
ベッドサイドの椅子に腰掛けたスルーズの問いに、忌憚のない言葉で返す俺。彼女は唯一俺の素性を知っている相手故に、こういった込み入った話も出来るのだ。
「……そうだ、スルーズ」
「ん?」
「さっきウィズたちの話を聞いて思い付いちゃった仮説があるんだけどさ……」
ふと思案して、女神アリアに一番近いであろう彼女に話を振ってみることにした。議題は勿論、俺の憑依の可能性、だ。
「……って感じなんだけど……」
「なるほどねぇ。その身体はもともとあった誰かのものかもしれない、か」
「……うん。そう考えると、なんか怖くて……」
「ん~……」
気のない返事の後で、こちらを頭の先から爪先まで舐めるように眺めるスルーズ。……そ、そんなじっくりと見られると恥ずかしいんだけど……。
「とりあえず、心配することはないんじゃない?」
一通り観察した後で、スルーズはそう結論を出した。……えっ。なんで?
「なんでって、だって魂が君の一つ分しか見えないし。……あーしが他人の魂見れることは知ってるっしょ?」
「うん。戦乙女の能力だよね?」
クエハーにおけるスルーズは、戦乙女と呼ばれる別世界の神の娘が、異世界転移した存在だった筈だ。それ故に他者の魂の輝きを測ったり、常人を上回る筋力を持っていたりするのだと。
そう、思っていたのだが。
「う~ん。ちょっち違うかなぁ」
「え?違う?」
「うん。確かに前世の記憶?みたいなのはあるし、同い年の子よりやたら力が強かったり、魂の色が見えたりはするんだけど、それでもあーしはこの世界で生まれ育った人の子だよ。……まあ、産みの親のことは知らないんだけどさ」
当のスルーズが急に公式設定と違うことを言い出すものだから、俺は大混乱してしまった。え?そりゃゲームのクエハー世界そのものじゃないことは知ってたけど、こんな根幹から違うの!?
なまじっか自身が異世界転移してきた(と思っている)だけに、スルーズもそうなのだと思い込んでしまっていた。
「えええ……。ちょま、ええ!?」
「そんなに驚くこと?」
「いや驚くでしょ!そりゃ今の話を聞いたからって急に何か変わることはないと思う……けど……」
でも待って。じゃあスルーズエンドどうなるの?レオンが魔王と相討ちになって、スルーズが天界にその魂を連れてくっていう──、
いや、そのエンドにはさせないから、関係ないのか……。
うーん、と思案して、俺は一つ気になったことを尋ねてみた。
「あっ、あのさ。その、スルーズはどうやってるの?……血の処理とか」
血を止める、もしくは流れた血を何とかする方法がなければ、世の女性たちは相当不便な生活を強いられていることになる。かく言う俺も、対策をこうじなければ最高級ふかふかベッドを血で汚して弁償になりかねない。
彼女もヒトの子だと言うのなら、同じような問題に対面している筈。そう思っての質問であったが。
「あー。それはうぃうぃとかバレっちに聞いた方が良いと思う」
「え~」
そんなあからさまに面倒だと態度に出さんでも。そう口を尖らせる俺に、スルーズはいやいや、と手で自身を扇ぎながら口を開いた。
「違くてね。あーしのはミーちんみたいに重くないんよ。だから参考にならないと思う。っていう、ね?」
「そう、なんだ」
先程見ていた夢を思い出し、俺は小さく呟いた。もしかしたら今のこの状況は、姉の呪いによるものだったり?……いやいや。
そんな俺へと顔を向けると、スルーズは朗らかに笑ってこう口にした。
「ま、応援してるからさ。頑張んなよ。ミナミくん──ミーちん」
◆◆◆◆◆
そうしてふらつきながらも、スルーズと一緒にキング亭一階の食堂へと俺が足を運ぶと、そこにはレオンを含めた他のみんなが揃っていた。
「お。ミーナ、大丈夫なのか?なんか貧血で倒れたって聞いたけど」
「ん。ああ、なんとか」
実際の所は絶不調続きなので言葉を濁しつつ、声を掛けてきたレオンに向かって「そういえば」と俺は話を変えた。
「王様ん時のことだけど!交渉凄かったじゃんレオン!?」
自分は嘘はついていない。だの、では勇者に任命したのを後悔しているのか。だの、あまりにも強気な啖呵である。ゲームでも馴染みのシーンではあるのだが、実際の空気感を味わって、この中であれを言えるレオンはやはり大物なのだと理解した。
更には人払いをさせてまで王を楽しませてしまうあの企画力と行動力。俺も含めて並の人間にはとても真似出来る代物ではないだろう。
「そんな言われると照れ臭いな。誉めてもなんも出ねーぞ?」
頬をぽりぽりと掻きながら、レオンがそんなことを口にする。
「王様だったら硬くて話になんないだろうなって最初は思ってたんだけどさ。初めて会った時に“無理して真面目に振る舞ってるけど、本質は愉快な人だな”って直感で思ったんだよ」
「そんなの分かるの?」
「分かるぞ。……あー。後は多分ダニエルの影響だな。その、大人との交渉がやたら上手い幼馴染みがいてさ」
「げっ」
ダニエルの名を聞いて苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるのはバレナであった。ん?ダニエル苦手なのか?
「どした?バレナ。小さい頃は仲良く遊んでたろ?」
「言うほど仲良かねぇよ。……アタシはな」
何とも言えない表情から察するに、三人仲良しだと思っているのはレオンだけで、バレナとダニエルは友達の友達、みたいな感じだったのだろうか?バレナの言葉に、「そうなのか?」とレオン。
「野菜泥棒事件の時だって三人力を合わせて頑張ったじゃんか」
「ばっ!アレこそ問題だろうが!アタシら囮にされてたんだぞ!?」
えっ何々!?野菜泥棒事件って!?俺知らないんだけど!?詳しく!詳しく!
「レオン。みんな集まったんだから、本題に入るべきじゃないかしら」
「ん。ああ、悪い。ついつい脱線しちまった」
えっ!いや、野菜泥棒事件は!?ちょっ、
「じゃあ、話を変えるぞ」
そっ、そんなぁ!?野菜泥棒事件って何だよ~!?
あまりにも聞きたかった故に悔しさは尽きないが、空気を読んで静かにしている俺なのだった。
さてレオンは、皆をぐるりと見渡すと口を開く。
「とりあえず、オーブ探索からここまで、俺たちはずっと時間に追われてきた訳だが、これにて緊急クエストはクリアしたと言っていいだろう」
「みんな、本当にありがとう。まずはここまで、よくついてきてくれたと礼を言いたい」
そう口にしてレオンは皆の前で頭を下げた。……まったくお前って奴は。こういうことがさらっと出来ちまうから、人から好かれるんだろうな。
こうしたレオンの性格についてはクエハーのゲームでもしっかりと表現されている。RPGとギャルゲーの合の子であるクエハーにおいては没個性型の主人公が望まれそうなものだが、その中でレオンは確固たる個性をもった一人の人間として存在しているのである。それについても賛否両論はあるのだが、俺は当時から、そんなレオンが好きだった。
「別に礼を言われるほどのことでもねーよ。アタシは好きでやってんだ」
さて、レオンの礼に対して最初に応えたのはバレナであった。「んまぁっ」とそれに続くリューカ。
「ちょっとバレナさん。それはわたくしが言いたかったことでしてよ!?」
「知るかんなもん」
「んまあ!……と、とにかくっ!わたくしも同じ気持ちですわ勇者様。わたくしがしたくてしていることなのですから。お気になさらずとも構いませんのよ」
「バレナ、リューカ……」
二人へ目を向けるレオン。そんな彼に、三人目の声が掛かる。
「ええ。そうね。加えて私には、拾って貰った恩義もあるもの。礼を言いたいのはこちらの方なのよ。レオン。──本当に、ありがとう」
そう微笑みながら口にするのはウィズであった。魔王軍に故郷を滅ばされて一人旅を続けてきた彼女にとって、今のパーティは安らげる場所になっているようだ。
「そうそう。あーしらみんな、勇者サマには感謝してるんだよ。ね、ミーちん」
「ぇあっ!?あ、うん。そうだよ!」
急に話を振られて、驚きのあまりその場のノリのように同意してしまった。お、俺だってちゃんと感謝してるんだからね!?
「みんな……。ありがとうな」
そんな女子たちからの声に、レオンは照れたような顔を浮かべて苦笑した。
「ええと、とりあえずさっきも言った通り緊急の用件は終わったと考えていいだろう。今は時間に追われることはないからな。このセタンタには数日滞在して、この先の行路については改めて話し合おうと思う」
そう口にすると。レオンは笑みを浮かべて結論を出した。
「王様から資金も貰った事だし、この宿を一人一部屋取ってある。まずはみんな、ゆっくりと体を休めてほしい」
「ええ!?」
「わぉ」
「やった~!」
「マジかよ」
「ありがとうございます!」
レオンの言葉に色めき立つ一同。フィーブでもあったが、セタンタでも個室というのは嬉しい。皆に慣れた今、別に相部屋が嫌という訳ではないのだが、それでもやはりプライベートな空間があるというのは嬉しいものなのだ。
「じゃあ、話はこの辺で。みんなは好きに飲んだり食べたりしてくれ」
大事な話はそれで終わったらしく、各々が食事を注文したりし始めた。俺も少しは余裕が出来たのだろうか。そこで初めてキング亭の食堂の内装を目の当たりにすることとなる。
建物自体はレンガ造りなのだが、どうやら内側には壁紙を貼っているらしく、レンガが目立たぬ仕様になっている。
また、まるで現代のレストランのように絵画が飾られていたりそこかしこに意匠がちりばめられていたりと、これまでの宿屋とは明確な予算の違いを感じさせられる。というか純粋に美しい。
う~ん。やっぱり体調不良というのはいかんね。自分のことだけで手一杯になって、楽しむものも楽しめない。
王城での謁見だって、唯一無二のイベントだった筈なのに記憶が殆どないのだ。これは無類のクエハー好きを自称する俺にとっては由々しき事態である。何とかせねばなるまい。
そう思って見渡すと、丁度ウィズとバレナが隣接して談笑をしている様子が見えた。幸いレオンも近くにはいないし、ここは行くしかない。
「さっきはありがとうございました」
そそ、と二人の傍へと寄ると、俺は礼も兼ねて声を掛けた。ウィズには介抱してもらった恩義もあるし、丁度良いだろう。
「あらミーナちゃん。もう大丈夫なの?」
「少しフラフラしますが、歩いていた方が良さそうなので」
軽い会話をした後で俺は声をひそめると、ウィズに聞きたいことを問い掛けてみることにした。
「……それで、ウィズさん。あの、ちょっと聞きたいんですけど……」
「……え?」
耳元に顔を寄せてヒソヒソと告げると、ウィズは小さく頷き、そして。
「──なるほど。でも私のやり方はあまり参考にならないと思うわよ?」
と口にした。スルーズも教えてくれなかったが、今度は引き下がる訳にもいかない。
「そ、それでもいいので!」
「それじゃあ話すけど──」
────本当に、何の参考にもならなかった。
ウィズの行っている対策は、魔法で生成した水の塊を栓にすることで血の流出を防ぎ、トイレに流すというものであった。
魔法使いである彼女ならではの対処法だと感心はするが、俺には逆立ちしても真似出来そうにない。
ちなみにバレナにも相談してみた。「んなもん気合いだ気合い!踏ん張って血を止めんだよ」なんて言われるかと思っていたのだが、(とんでもない偏見)
「魔法なんざ出来ねーわ。……マメに洗うしかねーってこった」
実際の彼女の発言は実に真面目なものであった。
「あ、そういやお前トウモロコシの葉っぱ入れてたけど、あれはやめとけよ?かぶれるから」
「ひゃひっ!?あっ、あの……」
レオンも同じ空間にいるのに、普通の声量で話すバレナに背筋が凍る。何とか抗議しようと口を開く俺よりも早く、横合いからの声がそれをたしなめた。
「バレナちゃん。声大きい」
「あっ、わり」
聞こえてやいないかとヒヤヒヤするも、レオンはリューカと話しているようで、問題はなさそうだ。
真っ赤になって冷や汗をかく俺だったが、バレナも親切で言ってくれていることは分かっているので、それ以上何も言えないのだった。
◆◆◆◆◆
「あ~!」
部屋に戻るなりじたじたと床に転がる俺。既に血に濡れている下着を見て、言いし得ぬショックを受けていた。
こんなんじゃ絶対ベッド汚すじゃん!
ウィズやバレナに聞いても、結局俺に出来る具体的な対策は見付からなかった。キング亭の超高級ベッドに染みを作るなど、俺のヒトに迷惑を掛けちゃいけないセンサーに引っ掛からない訳がない。
あまりにもそのことが不安で、ウィズも舌鼓を打つくらい絶品なキング亭の料理もまるで味が分からなかったくらいだ。
「どうしようどうしよう~!やだよ~汚したくないよ~!……はっ!そうだ!」
このままでは確実に高級布団はお陀仏だ。
何とかそれを回避する方法はないものかと頭をフル回転させ、そしてついに俺はその方法を見付けたのである。
「おしり丸出しにして床で寝ればいいんだ!よーし……」
「ミーちん何してんの?」
「ギャワァァァッッ!!?」
いそいそと脱ぎ始めた所で声を掛けられ、今度こそ俺はその場に飛び上がった。入り口前に立ってじと目を向けてくるスルーズに、こちらの怒りも爆発する。
「なんだよぉぉ!ノックくらいしろよぉぉ」
「したよ。聞こえてなかったんじゃないの?」
そう言われてしまってはどうにも出来ない。涙ながらに「見んな~」と憤る俺に、スルーズははー、とため息を吐き出していた。
「結局いい方法は見付からなかったんね」
「汚したくないの~」
「はぁぁ……」
しくしくと泣く俺を見かねたのか、スルーズは小さく鼻を鳴らすと口を開いた。
「そこまで言うなら、裏技、やってあげよっか?」
「うら、わざ……?」
それが何かは分からないが、今は藁にもすがる気持ちである。赤ベコの如くぶんぶんと首を縦に振ると、スルーズも頷いた。
「はいはい。しょうのない妹だなぁ」
そう口にしてこちらまで歩み寄ると、スルーズは俺の下腹部へと手をかざした。
「【ブレッシング】!」
その言霊と共に、じんわりとした暖かさが下腹部を中心に広がっていく。聞き覚えのあるその言葉に、驚いてスルーズへと目を向ける俺。
「それ、祝福の呪文……」
「そだよ。普通は人体に掛けてもあんまり効果はないんだけどね」
祝福とは、ざっくり言ってしまえば物体の劣化を抑える神聖魔法である。無機物に掛ければ腐敗や劣化を抑制することが出来るし、食材に掛ければ鮮度を長持ちさせることが出来るのだ。人々は主にこの鮮度の為に祝福を利用しており、休日の教会では祝福を掛けて貰うために食材を持った人々の列が出来る程だとか。
しかし人体やそれを含む生物は、恐らく常に細胞が入れ替わる為に祝福の影響を受けにくく、効果はないとされているのである。まあ、人体の劣化を抑えられる、なんて話になったら長生きしたい人間がこぞって使って大変なことになるだろうしなぁ。
「ただ、生理中の子宮に掛けると効果があってさ。具体的に言うと、血の流出が止まる」
「!」
だらだらと流れ出ていた血の感覚が、確かに今はない。同時に、腹部の痛みも消えていた。喜んだのも束の間、スルーズに食って掛かる俺。
「そ、そんな方法があるなら最初から……!」
「しゃらっ!」
「あう!」
ビシィ、と叩かれて床に崩される。スルーズは俺に指を突き付けて、彼女にしては珍しく声を荒げていた。
「裏技だって言ってるっしょ!この技はだいたい八時間くらい生理を止められるけど、なくなる訳じゃなくて後にずらすだけなんよ。だから使えば使うほど生理周期もズレちゃうし、後にどんな影響があるかも分かんないんよ。何より!」
改めて俺に向かって指をびしりと指を突き付けると、スルーズは大口を開いた。
「いきなりこんなズル使ったら、ミーちん女の子の大変さが分からないまんまでしょーが!」
「うぐっ……!」
正にハンマーで殴られたかのような衝撃。この世の女性はほぼ全員が経験しなければならない生理現象なのだ。それをたった一回で辛いから逃げたいなど、軟弱にも程があるだろう。
「ぅぅ……、ごめんなさい……」
「うしうし。ま、キチンとした対策が出来るまでは先延ばしでも悪くないんじゃない?とりま、今日はサービスしとくっしょ」
ほろほろと泣いている俺を見かねてか、スルーズが頭をぽんぽんと撫でてくれた。
なんかさりげなく次回から金を取るようなニュアンスの言葉が含まれていたような気がするが、素直に優しさとして受け取っておこう。
「はあぁぁぁぁ……」
そうして布団に入ると、先ほどまでの不安が嘘のように俺と俺の体は幸福感に満たされていた。
(痛みもない。汚す心配もない。それだけで、こんなにも楽になるんだなぁ)
心に余裕が出来た為か、俺はふと、今朝の夢の中に出て来た姉の姿を思い出していた。
毎月機嫌を悪くして八つ当たりしてきた姉ちゃん。嫌いだった姉ちゃん。
(そりゃそうだよなぁ……。こんな具合悪くなったら、イライラもするよなぁ……)
今は遠き姉を想って、俺は静かに涙を流す。
(姉ちゃん。ごめん……。買い物くらい、手伝えば良かった……。ほんとに、ごめん……)
何処かで、姉が笑ったような気がした。
姉「気のせい。別に許してないからな」




