フィーブの宿屋 マーブル『合流。そして旅立ちの朝』
竜の背に乗って飛び続けること一日、遂にルード大陸が見え始めて俺とレオンははしゃいでいた。
「きゃあん!」
降下を始めた手紙を追うようにリューカも降下していく。いよいよ陸地が、街が視認出来る距離へと近付けば、帰ってきたことへの実感も湧いてくるというものである。
「よーし!帰還だ!フィーブへレッツゴー!」
「おー!」
リューカに乗ってフィーブを発ってから、まるまる五日が経過した昼過ぎ、ついにフィーブの街へと俺たちは帰ってきたのである。
街中へと降り立つと、集まっていた既にそこに集まっていた人々が拍手で出迎えてくれた。その先頭にバレナ、ウィズ、スルーズの三人の姿を見付け、思わず手を振る俺。
「ただいまー!」
「おー。よく帰ったな」
何やら疲れていそうな様子のバレナに首を捻りつつ、レオンに抱えられてリューカの背から降りる。
これで久しぶりに勇者パーティ勢揃いだ。
「きゃあぁぁん」
リューカも高く声を上げると体から光を放ち、次の瞬間にはいつもの騎士の姿へと戻っている。
「おー。リューさん、その様子だと成果はあったみたいね」
「当然。バッチリでしてよ」
スルーズの言葉を受けて、ふふん、と大きな胸を張るリューカ。そもそもの竜の里への旅行の目的は彼女の変身能力を制御する術を学ぶことであった。その成果を早速披露してリューカは得意気である。
「いやはや珍道中だったからな。土産話も沢山あるぞ」
「こっちもこっちで色々あったわ」
レオンの言葉に、ため息を交じりに苦笑するバレナ。彼女に次いで口を開いたのはウィズであった。
「それで、レオン。貴方にお客様が来てるのよ」
「客?」
示唆されて俺とレオンがそちらに顔を向けると、そこに町長の使いである長身の男、トールの姿があった。
「お待ちしておりました。レオン様。リューカ様、ミーナ様」
群衆を割って歩み出るトールをじっと見つめる。トールは分厚い羊皮紙を鞄から取り出すと、広げながらこう告げた。
「では改めて。勇者レオン様とその仲間の皆様には、セタンタ王室より謁見の命が下っています」
「王室から……?」
「今回の魔神討伐における皆様の活躍を評価なされてのことでしょう」
口元に手を当てて静かにトールは告げる。
「町長の元にセタンタからの使者がありまして。勇者レオンの居場所を知りたい、とのことでしたが、数日の不在を告げると伝言を、とのこと。出立されるのでしたらこちらからその旨を返送致しますが、どのように?」
「おい、レオンは今帰ってきたばっかなんだぞ?少しは休んだっていいだろーが!」
トールの発言が気に入らないのか、バレナが喰って掛かる。しかしトールは、何でもないことのようにさらりとそれをかわして見せた。
「ですから、どうなさるおつもりかと聞いているのです。休んで明日から出る、というのなら、そのように取り計らいます故」
「ぐ、ぐぬ……」
そう言われてしまってはバレナもそれ以上の言葉はない。レオンは少し思案すると、トールに向かって口を開いた。
「そうだな。ここからセタンタまではどう急いでも三日は掛かるからな。そしたら今日は休んで明日の朝出発することにするよ」
「──分かりました。では先方にはそのように連絡しておきます」
そうしてトールが身を引くと、そこにもう一人立っていた。
「やっと帰ってきたのに、もう行っちゃうの……?ミーナ……」
「サラ……」
サラ・ラグリア。こちらの世界で出来た、かけがえのない親友。不安そうな彼女を元気付けんと、俺は小さく笑顔を見せた。
「ただいま。うん。行くよ。私たち、止まってはいられないの。魔王を倒さなくちゃいけないんだ。サラみたいに困ってる人が他の町にもいるかもしれないから」
「……ずるいよ。その言い方はずるい……」
「……ごめん」
そう。ズルいのだ。そう言ってしまえば、サラはそれ以上何も言えないと分かっていて、俺は彼女にそう言ったのだから。
「ぅぅ……でも、あの、んん……、ばかぁ!」
それでも何か言いたかったのだろう。何度も何度も言い淀んだ後、サラはその瞳一杯に涙を溜めて、その場を走り去ってしまった。
「ぁっ!サラ!」
しかし、その背を追うことは出来なかった。こればかりは、彼女に納得してもらう他ないからだ。
……明日までにちゃんと話せるといいな。
「……それにしても」
そんな俺たちのやり取りの隣で、レオンが街をぐるりと見渡しながら口を開いた。
「なんか随分と人が増えてないか?賑やかというか」
「……確かに、そーだな」
それは俺も思ったことだ。出発前は祭りだからという活気であったが、今はそうでもない普通の日常であろうに、フィーブの街は大した賑わいであった。
「魔神がいなくなったからよ」
それについてはウィズが答えた。後から聞いた話だが、なんと彼女は繁盛するマーブルの食堂の手伝いをしていたらしい。それなら多くの人間と関わる機会があった故に、情報もそれなりに集まったのだろう。彼女の望んだ優雅な暮らしと引き換えだろうが。
「街から人が減った原因も、外から人が来なくなった原因も、全ては魔神デルニロだもの。魔神が倒されたと噂が出回れば、それはこうなるわよ」
彼女の言うところによると、ここ数日のうちに旅行者や出戻りの人間が押し寄せ、一気にフィーブに人が増えたらしい。
「なるほどな。そりゃ良かった。フィーブにとってもめでたいことだな。……じゃあ、とりあえず宿に戻るか」
「あー、それなんだけど」
一旦荷物を部屋に置きたいというレオンだったが、今度はスルーズが口を挟んだ。
「旅行客も増えたってうぃうぃ言ったじゃん?流石に何日で戻るか分からない三人の部屋をずっと開けておけないって、女将さんから打診があってさ……」
「ああ、なるほど。つまり俺らの部屋は開放したって訳か。いや、それでいいぞ。むしろ女将さんに悪いことしちまったな。最初からそう提案すべきだった」
「じゃあ、今取ってるのは三部屋なの?」
スルーズの言葉に、ばつが悪そうに頭を掻くレオンは、本当にお人よしだ。俺もその話に加わると、スルーズは「ん」と首を縦に振った。
「なんで今夜はいつも通り、女子二チームと勇者様でいいっしょ」
「そうして貰えると助かる」
彼女たちの気遣いに感謝して朗らかな笑顔を浮かべつつ、レオンは目を光らせて口を開いた。
「まあ、今は土産話もあるから、まずは一部屋に集まるぞ」
◆◆◆◆◆
「と、いうわけで連中は撤退して事なきは得たって感じだな……」
「えええええ」
「マジか……」
バレナの話を聞き終えて、レオンと俺は二人揃って渋い顔を浮かべていた。
「悪い。そんなワケで、壁をぶち破っちまった酒場の修繕費に結構カネ使っちまった」
「いいってそんなの。それよりバレナを圧倒するレベルとか、そりゃとんでもなく強い相手だな。よく無事でいてくれた」
「……その男は何か言ってた?正体とか」
「んん……、あ」
そこまで強いなら魔王軍かもしれない。そう考えて尋ねる俺に、バレナは思案する様子を見せた後で「そういや」と口にした。
「なんか名乗ってたな。イケゴリラのファなんとかって」
「全然覚えてないじゃありませんの」
「るせぇな!しょーがねーだろ?大変だったんだよ!」
ぎゃーすか言い合う二人を前に、俺はバレナの言葉を受けて息を飲んでいた。
「……ひょっとして、イケゴニアのファルクス……?」
「あ!ソイツだソイツ!なんだ有名なのか?」
「知ってるのかミーナ」
「──うん」
今この場で出してもいい情報かどうか。逡巡した後で、俺は決意に頷いた。
「イケゴニアって呼ばれてる暗殺者集団だよ。中でもファルクスって奴だけは、直接的な戦闘を好んで本名も名乗るもんだからあちこちで名が知られてるんだ」
「……暗殺者……?」
俺の言葉に一同がざわめく。俺自身、こんな所でイケゴニアが絡んでくるなんて予想外だ。ゲームだともっと先、初めて出会うのはブゼンの街だったはずだ。
フィジカルモンスターであるファルクスは出会いの時点でこちらよりも強く、四人パーティで戦ってもじり貧になる程の相手であり、そんな相手と一対一でやり合ったなど、聞いているだけで恐ろしい話だ。
「……暗殺者か。そういやアイツも仕事とか殺しとか言ってたな」
「んま!どうしてそれを先に言わないんですの!」
「るせー!言われて思い出したんだよ!」
「あちこちで名乗りまくる暗殺者っていったい…」
「……ミーナ。そのイケゴニアとやら、他には何人いるんだ?」
「いや、そこまでは……」
レオンに聞かれて、俺は肩をすくめる。……すまない。本当は知ってるんだけど、流石に暗殺者集団を全員知ってるってのは怪しすぎるからな……。
ボスであるフィルマを筆頭に、イケゴニアメンバーは疑似家族という役職で行動している。
父親がフィルマ、長男デビュロ、長女アラクラ、次男ファルクス、三男ワールト、次女ミセリア。この六人がイケゴニアのメンバーだ。
ゲームにありがちなそれぞれが特殊能力を持った集団で、ブゼンでの邂逅を皮切りに次々と襲撃を仕掛けられる。何度とない戦いの果てに、最後は彼らの本拠地スーイエでの一大決戦で決着を付けるのである。
ちなみにイケゴニアのメンバーであり、唯一生き残る少女ミセリアは、勇者パーティに加入する最後のメンバーだったりする。ある程度皆の絆ポイントが上がった終盤での参戦だけあって、攻略難易度は最高に高い。
「ともかく。今後は暗殺者にも気を付ける必要があるってこったな。──一人での行動は避けて、なるべく二人以上で行動するように」
レオンがそう結論を出すと、パーティの皆も頷いた。
「アタシの話はもういいだろ?それで、そっちはどうだったんだ?」
「ん?こっちのことか。そうだな~~」
こちらはこちらで大変濃ゆい経験をしている。レオンは考えるような素振りを見せると、ややあってこう口にした。
「まずは竜の里に向かう道中からだな」
~~~~~
「魔王軍幹部!?」
ウィズ、バレナ、スルーズ。三人の声が重なった。
「ああ。シュバルツって言ってたぞ。二人目の魔王軍幹部だろうな」
「まさかそっちにそんな大物が……」
「こっちはイケゴリラなのに…」
「イケゴニア!」
驚くウィズに、レオンも「ああ」と頷く。
「武器も溶かされちまうし、ミーナも捕まっちまって最早絶体絶命!って瞬間に、昼前世話になったギーメイの旦那が駆け付けてな。新しい剣が完成したんだ。で、そいつを使ってシュバルツも撃退したって訳だ」
「はー……」
「流石勇者サマ。絵になるねぇ~」
「新しい剣ってそんなに凄いのか?」
バレナの言葉に、ぬっふっふと笑うレオン。
「凄いぞ!なんせ火の魔法を纏わせても問題ない、竜の牙剣なんだからな!」
「竜のきb」「魔法を!?レオン、ついにあれが出来たの!?」
スルーズの言葉を押し飛ばしてレオンの手を取るのはウィズである。日頃はおしとやかながら、魔法のこととなると目の色が変わるようだ。
ちなみにウィズの言うあれとは、いつかレオンがやりたいと口にして否定された、剣に炎を纏わせる技のことだ。頷くレオン。
「ああ。バッチリだ。とてつもない巨大な氷の塊がまるでバターみたいに切れたんだぞ。必殺技も考えてあるしな」
「ええ!?み、見たい……!」
普段大人しいウィズが珍しく食い付いている。魔法に関する話題は大歓迎なのだろう。
期待通りの反応を貰って上機嫌なレオンは、口の端をつり上げると笑いながらこう言った。
「悪いが内緒だ。実戦で使うときをお楽しみに!」
◆◆◆◆◆
結局互いのチームの行動についてすり合わせをしていたら、終わった時点で周囲はすっかり暗くなっていた。
宿屋の食堂で夕食を済ませれば、本日は明日に備えて寝るだけである。
あーあ。結局サラの所、行けなかったな。
何とか彼女と話をつけておきたかったのだが、今から牧場に押し掛ける訳にもいくまい。
「久々にメンバーが揃ったかと思ったら、またテメェと同室かよデカ女」
「わたくしだって、バレナさんと同室なんて落ち着かなくてしょうがないですわよ」
「んだコラやんのか?あ゛あ゛?」
「なんですのやりますの?」
今夜の内訳は、厳正なる抽選の結果バレナとリューカ、そして俺が同室となった。案の定というか何というか、顔を合わせるなり喧喧囂囂としている二人。このままの調子で朝まで続けられたらどうしようかと心配する俺であったが、十分も経たずに二人とも寝ていた。
……そりゃそうだ。リューカは竜の里での大活躍に加えて、丸三日近く、俺とレオンの二人を乗せて海上を飛び続けたのだ。元気そうに見えても疲れているに決まっている。
バレナに関しても、ファルクスとタイマンで戦って撃退など、クエハーゲーマーから見てもおよそ信じられない行動を取っている。どれほどの無茶をしたのかは分からないが、疲労がない筈はないだろう。
「ん……。布団、ひさしぶりだなぁ~……」
かく言う俺も、目の前の布団に抗う気力は全くもってなかった。なにせここ数日はリューカの上か、平たい石の上での雑魚寝しかしていなかったのだ。体に掛けられる布団の存在が、今は何よりもありがたい。
「あ、これ、だめ、かもぉ……」
ばふん、と吸い寄せられるようにベッドに倒れ込むと、自然とその目が閉じていく。ああ、布団って凄いなぁ。
そうして、意識が、ゆっくりと、沼に、沈む、みたいに……
◆◆◆◆◆
────カン。
俺は、宿屋の外から聞こえてきた小さな音に目を覚ました。
「…………」
半目のまま周囲を見渡す。バレナもリューカも未だ寝入っており、どうやらまだ夜中らしい。
「…………ぁ」
俺ももう一度寝てしまえば良いのだが、ふと、とあることを思い出してその場に身を起こした。
「────どしたぁ?」
「っ」
俺の動きに反応したのか、寝ているはずのバレナから声が聞こえてきた。勇者パーティの皆は夜間に見張りを立てたり襲撃に備えることも多い為、野生動物よろしく寝ていても物音に過敏に反応する性質があるのだ。
「ん~……。おトイレ……」
「そか……」
俺の言葉に安心したらしい。再び寝息が聞こえてきた。その隣を俺はゆっくりと通り過ぎる。
……竜の里の後だもんな。そーかあのイベント、すっかり忘れてた。
こっそりと宿を抜け出して外へ出ると、音の発生源へと向かう。果たしてそこに、剣を振るうレオンの姿があった。
……やっぱりな。
手頃な段差に腰掛けると、自身の膝に頬杖をついてそれを見守る。
これは、レオンの特訓イベントという、クエハーのゲームに存在するイベントだ。竜の里編を終えた後、最初に泊まった宿屋で発生する特殊イベントで、これを見ることによってレオンは牙剣装備時に鳳凰撃を使用することが可能となるのである。鳳凰撃を他で習得する術はない。ただし魔王軍支配地域で泊まってもこのイベントは発生しないので注意が必要だ。
レオンは、俺の存在には気付いていない様子で、自主特訓を続けている。その横顔に目を向けて、俺は小さく嘆息した。
……こうしてレオンの技を間近で見ていると、やっぱり思い出すな。出会った時のこと。
右も左も分からぬエルムの森で、ジュエルベアーに襲われて死にかけたあの時。レオンが見せた飛閃剣の美しさに俺は目を奪われたんだ。
必殺技会議、船長との戦い。様々なイベントを思い返して、俺は自身の頬が熱くなるのを感じていた。
──なに考えてんだばか!終わり終わり!
首を振って強制的に思考を打ち切ると、俺は静かに口を開いた。
「……あんまり根を詰めるなよなー」
「うわ!?」
出来るだけ優しく声を掛けたつもりだったが、それでもレオンは驚いた様子でこちらへ剣を構えている。
「……なんだミーナか」
「魔物じゃねーっての」
そう口にして、俺たちは自然と笑い合っていた。ああ、やっぱりこいつのこと、好きだなぁ。
「いつから見てたんだよ」
「今さっき来たトコ。それより、鳳凰撃だろ?練習してるの」
レオンの足元に転がる岩が、まるで溶かされたように光沢を放つ断面を晒している。彼がここで何をしていたかなど、火を見るよりも明らかであろう。
「まあな。ウィズにああ言った手前、出来ない訳にはいかないからな」
苦笑するレオン。今までの俺なら、馬鹿だなぁと呆れていただろう。しかし今は、それだけじゃないのだと分かる。
「バレナの件、気にしてんだろ」
俺がそう告げると、レオンは改めて驚いた目をこちらへと向けてきた。……やっぱりな。
「タイミングもある。オレたちに出来ることはなかった。そう分かってても気になっちゃうんだろ?」
「……まあ、な」
手を止めた後で、レオンはぽつり、と漏らすように口にする。
「さっきは流したけど、話を聞くにバレナが殺されてる可能性は十二分にあったんだ。そう考えたら、それはやっぱりパーティを二つに分けた俺の判断ミスなんだよ。だからって悔いても何にもならないことだって分かってるからさ。俺に今出来ることは、少しでも強くなるしかないんだよな……」
「そんな訳ないだろ……」
気付けば俺の口から、そんな言葉が漏れていた。だって分かる訳がない。バレナより強い相手の襲来など予想出来る筈がないのだ。そんなことを言うならレオンよりも余程俺の方が、迫る危機を予測して未然に防がなければならない立場だろう。そんな俺ですら、ファルクスが予定より早く仕掛けて来ることなど考えもしなかったのだ。尚更、レオンの責任ではないだろう。
「お前は!背負いすぎなんだよ……!先日だってそれで倒れて起きなかっただろ!前科があるんだぞお前には」
「うぐ……」
それについてはレオンもいたく反省しているらしく、「あん時は悪かったよ」と前置いた上で、
「そうならない様に気を付けるよ」
と苦笑して剣を構え直した。
「────」
レオンについては動向を見守るだけでいいかと思っていた筈の俺だったが、流石にその発言は許せなかったらしい。気付けばその場に立ち上がり、レオンの腕を掴んでいた。
「そういうことじゃねえよ!オレが嫌だって言ってんの!」
声を荒げながら、思わず涙目になって俺はそう吐き捨てる。が、直後、自身のあまりに大胆な行動に驚き、あっと声を漏らして手を離した。咄嗟に動いてしまった気恥ずかしさも相まって、顔が紅潮していくのが自分でも分かる。
「……そう、か……。ミーナが嫌なら、仕方ない、な」
レオンはレオンで、何やらぎくしゃくした様子で明後日の方向に目を逸らしている。まあ、急に腕掴まれたらそりゃビビるか。
困ったような横顔を見せていたレオンだったが、ちらりとこちらを見るとばつが悪そうに口を開いた。
「でもな。贖罪の気持ちだけでこうしてる訳じゃないぞ」
「……そう、なのか?」
「……ああ。他にも理由はある。……実はな」
そう口にして懐をゴソゴソと漁るレオン。彼がそこから取り出したのは、熊の判が押された豪華そうな封筒だった。
「実はダニエルから返事が来てさ。スルーズに読んでもらったんだけど」
ん、んん?
「ほら、セタンタ行くならあいつの商会にも立ち寄りたいだろ?その時に新技を覚えていけば喜ぶんじゃないかと思ってさ。もう楽しみで。あ、返事はスルーズに書いてもらって速達で出したぞ。あいつ字綺麗なんだけど金取るのがなぁ」
「ちょっと待て。今なんつった」
「ん?スルーズは字は綺麗だけど、金銭要求してくるのがなぁって。銀貨二枚も取られたんだぜ?高くない?足元見てるよな」
「それじゃねーよ!楽しみっつったか?……さてはお前それが本音だな?バレナの為とかかっこつけて、それが主目的だな?」
なんとこの勇者、幼馴染みに新技を披露したくて夜中に過酷な特訓に挑もうとしていたのである。というか町中で鳳凰撃なんか使ったらそれだけで捕まるだろ。城下町だぞ?
開いた口が塞がらない。愕然とした顔を向ける俺に目をしぱしぱと瞬かせた後、レオンは。
「へへ」
と悪戯っぽい笑みを浮かべた。
◆◆◆◆◆
「それで、夜中に取っ組みあいの喧嘩をした挙げ句に寝不足と。そういうことね?」
「ハイ」
「スミマセン」
翌朝、ウィズの前で正座させられている俺とレオンの姿がそこにあった。彼女の言う通り、激昂した俺がレオンに掴み掛かって逆に転がされて騒いでいるところを宿屋の女将に怒られてその後なんか上手く寝付けずに今に至るという訳なのだ。しかし心配を仇で返された俺は被害者だと思う。思わない?
「オメーも同罪だよ。夜中に騒ぎやがって」
「ハイ……」
「迷惑はいかんよミーちん。勇者サマも」
バレナと、スルーズにまでそう言われては仕方がない。どうやら皆、気付いてはいたが見過ごしてくれていたらしい。そうして俺たちは、朝からしょんぼりとした空気の中で過ごす羽目になるのだった。
ちなみにリューカだけは朝まで爆睡していて蚊帳の外だった。
「まあ。そんなことがありまひたのね」
「食いながら喋んなデカ女」
「んまぁ!」
◆◆◆◆◆
そんなこんなで騒がしい朝を過ごした後、遂に旅立ちの時が訪れる。
「色々とお世話になりました」
レオンを筆頭に礼を告げると、宿屋の女将であるチリーブは「礼なんていいよ」と手をパタパタさせて微笑んだ。
「助かったのはこっちの方さ。魔神の驚異から救ってもらっただけじゃなく、そこのお嬢さん、ウィズちゃんには店の手伝いまでしてもらっちまったんだからね。お陰で客足が増えたんだよ。……あんた、もし良ければウチで働かないかい?」
チリーブに名指しで褒められ、驚くウィズ。
「えっ?そ、そんな。お気持ちは嬉しいのですけれど」
頼って、認めて貰えている事実は嬉しいが、今は立ち止まる訳にはいかぬ身の上。困ったように口にするウィズに、チリーブは「冗談だよ」と笑った。
「けど、いつでも歓迎なのは本当さ。魔王を倒しても倒せずとも、行き場に困ったら帰っておいで」
「──ありがとう、ございます」
「フィーブはいつでもあんたたちの味方だからね」
チリーブに見送られて外に出ると、町長ケーニッヒを筆頭に町の人間が大勢店の前に集まっていた。俺たちが今日発つと聞いて駆けつけたらしい。
「あんたら、ありがとな!」
「これで魔神に怯えずに暮らしていけるよ」
「息子夫婦が帰ってきたんだ。あんたたちのお陰だよ」
口々に礼を告げる人々に手を振りながら、道を進んでいく。少し歩いた先に、ケーニッヒとトールが立っていた。
「この街を救って頂いたこと。感謝致します」
「そんな。頭を上げて下さい」
深々と頭を下げるケーニッヒに慌てるレオン。俺もそうだが、偉い人に頭を下げられるのは、いつになっても慣れないからなぁ。
「いえ。あなた方はこの街を、街と人の未来も救ったのです。是非記念碑を立てたいと」
「あの、本当にそういうのはいいので。そのお金はこの街の観光資金として用立てて下さい。多分これからもっと人が来ますよ。魔神という枷がなくなったので」
レオンの言う通り、フィーブは元々ルード大陸でも人気の観光地だったらしい。食べ物の質も良く、ランタンなどの名産もあり、旅人はとりあえずフィーブに行くことを目的にしていたのだとか。そんな内容が、クエハー設定資料集のよもやま話に書いてあったことを俺はふと思い出した。
「あなた方の先行きに良き未来があらんことを」
そう口にすると、再び頭を下げる二人。それを皮切りに、街の人々が称賛の合唱を始める。彼らによって作られた道を歩きながら、俺だけはある一人の姿を探していた。
……サラ、いないな……。
ぐるりと見渡しても、そこに親愛なる友の姿はない。やはり昨日のあのまま、怒って出てきてくれないのだろうか。
少し寂しいなと思いつつ、だからと我が儘は言えない故に俺は皆の後ろにくっついて歩いていく。長かったフィーブでの滞在もこれで終幕だ。街の門を抜け、いよいよ新天地へと────、
「ミィーナァァーっ!!」
「サラぁっ!」
その声をずっと待っていたように、俺は振り返ると走り出す。
人垣を乗り越えて、ずっと走ってきたのだろうサラもこちらに駆け寄ると、荒い呼吸を繰り返している。
「大丈夫?落ち着いて」
「ミーナ、これ!ずっと作ってたんだけど、ギリギリになっちゃって……!」
息も絶え絶えにサラが差し出してきたものは、沢山のパンが入ったバスケットと、白地に可愛らしく小さな花が刺繍されたハンカチであった。
「これ、サラが縫ったの?」
「──うん。ミーナのイメージ」
栗色の花弁が綺麗に開き、青い茎と葉と、コントラストを描いている。青、というのは祝祭のドレスの印象だろうか。
「──ありがとう。嬉しい……」
サラは時間も惜しんで、これをずっとやってくれていたのだろう。レオンとわちゃわちゃ時間を無駄にしていた自分が恥ずかしい。
思わず涙ぐむ俺に、サラは慌てて「そ、そんな大層なものじゃないから!」と言っていたが、俺の手を取って小さく微笑むと、
「いつでも、遊びに来てね」
と口にした。
「うん……。うん!これ、大切にするね!! 絶対!絶対また来るから!!」
我慢なんて出来ず別れ際は二人とも泣いてしまったが、本当に今彼女とこうして手を取り合えていることが、何よりも嬉しかった。
──不幸に見舞われる筈だった誰かの運命を──
竜の里で、里長に言われた言葉が頭に甦る。
そうだ。今目の前で俺のために泣いてくれる彼女の存在が、俺にとっての希望なんだ。
「ミーナ、行くぞ」
見守ってくれていたレオンが、タイミングを見計らって声を掛けてくる。俺は振り返って頷くと、サラへと顔を戻した。
「じゃあ、行ってくるね」
「行ってらっしゃい」
そうして、俺は彼女に背を向けると歩き出した。その足に、希望を乗せて。
さらばフィーブ。また来る日まで。
◆◆◆◆◆
セタンタの中央通りから少し奥まった小道に入ると、表の喧騒とは打って変わった静けさが広がっている。
そこから更に少し歩いた先に、小さな商会の建物があった。
【ブラウン商会】の看板を掲げるその商会の事務所にて、一人の青年が部屋の掃除をしながら鼻歌を歌っていた。
黒いくしゃくしゃの癖毛に、どこか幼い顔立ち。側から見れば商会の中でも新人に思われるであろう彼だったが。
「会長、どうしたんすか?」
「随分と嬉しそうですけど」
従業員であろう砂色の髪の青年と、受付に座る女性が声を掛ける。会長、と呼ばれた彼は二人の呼び掛けに笑顔で答えてみせた。
「レオン──幼馴染みから手紙が来てさ。あと数日でこっちに来るんだよ!」
そう興奮気味に告げると、満面の笑みを浮かべる青年。
彼こそが、ブラウン商会の会長、ダニエル・ブラウンであった。




