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エピソード・オブ・バレナ 〜その4〜

「ぇ、ぁ、な、んで……?」


 呟くように、倒れたクレストへとバレナが這い寄る。町中で人々が襲われている光景も幼い彼女にはショッキングだったが、友達の親が目の前で首を切り飛ばされるなどというのは、その範疇を軽く越えている。


「運が、なかったな」


 ギルディアが放心状態のバレナの側へと寄ると、その大剣を振り上げた。相手が子供であろうが、一切の容赦をするつもりはないのだろう。

 そうしてギルディアはその()を叩き付け──、


「待て。ギルディア」


 フードの男がそれを制した。


「ま、魔王様……?何故です?この子供は我が屈辱の姿を見た。殺さねばこのギルディアの気が収まりません」

「二度は言わん。その娘は殺すな」

「…………は」


 魔王、と呼んだ相手からの言葉に、不承不承であろうとも平伏するより他のないギルディア。フードの男──魔王はギルディアを下がらせバレナの側に寄ると、彼女に向かって声を掛けた。


「娘、お前は生かしてやる。今すぐにここから去れ」

「ぇ、ぁ……?」


 ガチガチと歯を鳴らして怯えるバレナであったが、そんな彼女に氷のような目を向けてギルディアは声を張り上げた。


「今すぐ去れと言われたのだ!さっさとせんかあぁぁぁァァァ!!!」

「っひいッ!?」


 怒鳴られてその場に飛び起きると、バレナは火が付いた様に走り出した。逃げ去る背中を眺めて、魔王がぼそりと呟くように声を出した。


「──後を尾けさせろ」

「!────は。了解しました」


 何故バレナを逃がしたのか分からなかったギルディアもその言葉で意図を察したのか、深く頷くと自身の部下であるスケルトンたちを呼び寄せ、バレナの後を追わせるのであった。


◆◆◆◆◆


「う、うぅぅぅぅっ!」


 そんなことは露知らず、バレナはがむしゃらに走っていた。立ち止まれば先程の光景が甦り、押し潰されそうになる。幼いバレナにはとても耐えられるものではなかったのだ。

 何度も転び、それでも走ろうとする彼女だったが、不意にその体が抑え込まれた。


「うわあぁぁぁぁ!!」

「バレナちゃん!落ち着いて!私よ!」


 パニックになって暴れるバレナに、聞き覚えのある声が掛けられる。あっと思って顔を上げると、彼女を抱き締めているのはレオンの母であるフィオナであった。


「はっ、はっ、はっ……」

「落ち着いて。大丈夫だから。ね?」


 気付けばバレナはいつの間にかレオンの家の中にいた。フィオナが外で暴れているバレナを捕まえて、自宅に匿ったのだ。


「ぅ、ぅぅぅ、ひぐ、ぅぇぇぇん……」


 知り合いに会えた安堵から、ぽろぽろと泣き出してしまうバレナを抱き締めたまま、フィオナはよしよしと頭を撫でてくれた。その献身の甲斐もあってか、数分もすればバレナはなんとか落ち着きを取り戻していた。


「外のお化けたちは、あんまり目は良くないみたい。だからこうして家の中に隠れてじっとしていれば大丈夫よ」

「…………ぅん……」


 壁を背にして座り込むフィオナの隣で、同じように膝を抱えるバレナ。ここまでの一連にまるで現実感がなく、今も含めて夢なのではないかとさえ思える。しかし彼女が目を逸らしていようとも。それは紛れもない現実であった。


「大丈夫よ。だってクレストもレオンも強いもの。あんな奴らやっつけて、元気に帰って来てくれるんだから」


 フィオナが口にした言葉は、自分自身に言い聞かせているかのようだった。しかしそれを聞いたバレナの脳裏に過るものは、首を飛ばされるクレストの映像であった。


「ぁ、ぁぁぁぁ……」

「バレナちゃん?大丈夫?」


 言える訳がない。クレストがもう死んでいる等と、自分を守るために殺されてしまった等と、伝えられる訳がない。口をぱくぱくとさせた後で、バレナは言葉を絞り出した。


「ごめんなさい……」

「──どうして?」

「……アタシ、弱くて……」

「ううん」


 涙混じりの声を受けて、フィオナは小さく首を横に振る。


「バレナちゃんは強いわ。だって、前に進む勇気も、その場に踏み留まる勇気も持っているんだから」

「ふみとどまる勇気?」

「ええ。物事を客観的に見ることが出来る。危ないな。と思ったら、引くことも出来る。……恥ずかしいけど、うちのレオンは苦手なのよ。それ」

「そうなの?」


 鼻をすすりながら小首を傾げるバレナに、フィオナはくすり、と微笑んだ。


「レオンはね、前に進むことしか出来ないのよ。どんなに危険であろうとも、理不尽であろうとも、自分にしか出来ないのならやってしまう。……そんな子なのよ。だから心配なの。レオン、誰かの為にって自分を蔑ろにして、いつか何処かに消えちゃうんじゃないかって」


 言いながら、どこか遠くに想いを馳せるかのようにフィオナは顔を上げる。そして隣で俯いたままのバレナに目を向けると、小さく微笑んだ。


「だからバレナちゃん。もし良かったらあの子のこと、気に掛けてあげてもらえる?バレナちゃんとダニエルくんの言うことなら、聞くと思うから」

「────」


 その言葉を受けて、バレナはフィオナを見た。少し困ったような、しかし相手に不安を与えないように微笑みを浮かべているその顔を。


「──いいよ。友達、だし」


 ふい、と正面に顔を戻すと、バレナは呟くようにそう口にした。「良かった」とフィオナが言えば、それきり二人の会話は途切れ、静寂が場を支配する。


「あのね、バレナちゃん──」


 何か喋らなければ幼い少女を不安にさせてしまうと思ったのだろう。フィオナが言葉を絞り出そうとしたその時────、


バギャッッ!


 家の入り口であるドアより、突如として派手な音が響き渡った。思わず身を寄せ合う二人の目の前で、木製のドアから錆びた剣が突きだした。

 力任せに剣を叩き付ける轟音と同時に、何やら焦げたような臭いが室内に漂い始めた。


「!」


 ような、ではない。実際に焦げているのだ。部屋の角から煙が室内に入ってきたのを見て、フィオナは家に火を付けられたのだと理解した。


「そんな……!どうして……!」


 そうこうしている間にも、ドアはどんどん破壊されていく。遂に骨の兵士の姿が隙間から見えた時、フィオナはバレナを立たせるとこう口にした。


「バレナちゃん。裏口から逃げるわよ!」

「ぇ、ぁ、ぅ、うん」


 恐怖に震えていたバレナも、フィオナに手を引かれていることで少しは安心したのだろう。二人は家の奥へと移動すると、閂を外して重い扉を開く。その奥には一本道が広がっていた。


バギャアァァ!


「っ!」


 しかしそのタイミングで家の入り口も破壊されてしまったらしい。開けられた穴をくぐって、骨の兵士が室内に飛び込んできた。


「~~~~っ!」


 その光景を目の当たりにして、瞬時にこの先のことを計算するフィオナ。ここから二人で逃げ切れるのか?──否。バレナを見捨てて一人で逃げる?──断じて否。ならば────。

 フィオナはしゃがみ込んでバレナの両手を取ると、しっかりとした口調でこう告げた。


「バレナちゃん。ここから先は一人で行くのよ」

「……え?」


 口にすると同時に、フィオナはバレナの手を離す。急に拒絶されて不安な顔を浮かべるバレナに一瞬笑顔を見せると、そしてフィオナは後方から迫り来る骨の兵士へと突進した。


「わあぁぁぁぁッッ!!」


 勢いに押されて骨の兵士が後ずさる。壁際に押し込まれて身動きが取れないように見えた骨の兵士であったが、両腕は自由である。剣を持った手を器用に回すと、それをフィオナの背中に突き立てた。


「か、ぁッッ」


 肉を裂く嫌な音と共に、背中を貫通して彼女の胸から剣先が飛び出していた。


「な、なんで……」

「っ、いきなさい!──走るの!振り返らずに、走って!」


 どう見ても致命傷を負っているその状態で、しかしフィオナは決して力を弛めようとはしなかった。振り返ることもせず、バレナに強く呼び掛ける。


「走れッッ!!」

「ぅ、ぅ、わあぁぁぁぁ!!!!」


 遂には鬼気迫る勢いで怒鳴られ、バレナは火が着いたように走り出していた。ぼろぼろと涙を溢しながら、それでも決して振り返らずに前へと進んでいく。


「……それで、いいのよ……」


 声が遠ざかるのを耳にして、フィオナは安堵したように呟いた。激しくむせ込むと同時に大量に血を吐き出すも、決して掴んだ手を離そうとはしなかった。自分がここで殺されれば、こいつらはバレナを追うだろう。それだけはさせないのだと、気力だけで体を動かしているのである。


「……ぁぁ……」


 しかし悲しいかな、いつしか体は離れ、フィオナはその場に崩れ落ちていた。……気付かなかった。いつしか体の感覚がなくなっていたらしい。

 視界は床に落ちたまま、ぼやけて黒ずんでいく。ああ。もうダメなんだろうな。と、フィオナは自身の最期を自覚した。


(ごめんなさい。クレスト、私、ここまでみたい……。レオンを、お願い……)


 最早今、自分が座っているのか倒れているのかも分からない。感覚のない腕を虚空へと伸ばすフィオナ。

 刺し貫かれた傷口から大量の血と共に熱を奪われている彼女だが、不思議と、その体は温もりを感じていた。まるで、誰かに抱き締められ、包まれているような感覚。


 クレストが来てくれたのだと、フィオナは微笑んだ。最期に彼が、抱いてくれているのだと。


「ぁぁ、貴方、愛、して、る……」


 伸ばした腕が、ぱたり、と力を失う。いよいよ家は燃え盛り、あちこちが倒壊を始めていた。

 クレストの死を知らず、火事の熱に包まれて微笑みながら逝けたことは、彼女にとって幸福だったのだろうか。

 それは、分からない。


◆◆◆◆◆


「はぁっ、はぁっ、ぁ、はっ、はぁっ!」


 どこをどう走ったのかさえ、記憶にない。バレナは一人、がむしゃらに足を動かしていた。息を切らせながら一心不乱に走り続け、ようやく自宅の前へと辿り着いた時、緊張の糸が切れたのだろう。ドアに向かって倒れ込んでしまった。それでも心配が勝って身を起こすと、鍵の掛かったドアに拳を打ち付けた。


「と、父ちゃん!母ちゃん!無事か!?なあ!今帰ったぞ!バレナだ!無事なら返事して──」

「やかましいッッ!!!」


 家の中からの怒鳴り声に、バレナはびくりと身をすくめる。ドアが開け放たれると、中から怒りの形相のバレットが顔を覗かせた。


「表で騒ぐんじゃねェ!連中が来ちまうだろう、が……って、バレナか……?」

「ぅ、うん……」

「早く入れ」


 父の剣幕に萎縮するバレナを手早く家の中へと引き込むと、バレットは鍵を掛け直した。


「よく無事だったな。とりあえず後は家の中でじっとしてろ」


 奥には、無言で座り込む母レイナの姿も見える。二人の無事を安堵しつつ、しかしバレナは父へとその問いを投げてしまった。


「……父ちゃんは、ずっとここに隠れてたの?」

「騒ぐなと言っただろうが。……そうだ。どうやら家屋の中は安全みたいだからな」

「…………なかったの」

「あ?」


 言うべきではないと理解していても、クレストとフィオナ。二人の大人によって命を繋がれたバレナは、それを言わずにはいられなかった。


「戦わなかったのかよ!?父ちゃんいつも言ってたじゃん!!クレストより俺の方が強いって!なんでアイツらをやっつけてくれなかったんだよ!いっつも鍛えてるのは、何のために──」


 その先は言えなかった。バレットの平手によって、バレナは壁まで吹っ飛ばされたのである。


「生意気言ってんじゃねえぞ!!あんなバケモンとやり合えるか!!命がいくつあっても足りねえよ!!」

「ちょっとアンタ……」


 バレナより余程騒いでいるバレットにレイナからの苦言が呈されるが、バレットは怒りのままに続ける。


「てめぇが外で何見てきたかは知らねぇが、他人の為に命を差し出すような馬鹿にだけはなるつもりはねえんだよ!分かったら黙ってろ!」

「…………」


(馬鹿だって、言いたいのか。あの二人は、馬鹿だって。そう言いたいのか)


 よろよろと身を起こすバレナの拳に、自然と力がこもる。父の発言は、レオンの両親への侮辱だ。しかし。


(違う、よな……)


 憤るべき相手は父親じゃないと理解して、バレナは握った拳をほどいた。二人を殺したのは、自分自身の弱さ故だと。


(アタシが強ければ、もっと違う道があった筈なんだ。アタシが、弱いせいで……)


 町中に響く声が再び聞こえたのは、そんな折のことだった。


『魔王軍幹部が一人ギルディアである。運良く生き残った連中に告ぐ』


 ギルディアだ。その声と名前を聞くと、バレナは先程の光景を思い出して歯噛みした。


『この町への侵攻はここまでとする。理解しているだろうが、生き残れたのは貴様らの手柄ではない。ひとえに我らの気まぐれに過ぎんということを忘れるな。我らがその気ならば、一人とて生き残りを許さず滅ぼすことも可能だったのだ』


 嘲る訳でもなく、淡々と事実を述べるように、声は続けていく。


『生き残りとなった貴様らの使命は、我々魔王軍の威光を後世に語り伝えることである。努々怠るな』


 そうして声は聴こえなくなり、周囲に静寂が戻った。声の内容からして、ファティスへの襲撃は終了したと判断して良いのだろうが、時間は夜の八時頃。生き残った人々の中で、今すぐ外に出て確認しようとするものは誰一人としていなかった。


◆◆◆◆◆


 翌日になって、バレナは外を歩いていた。両親は未だ家に引きこもっているが、何となく、そこには居たくなかったのだ。


「魔王軍め……くそッ」

「うちの子供を知りませんか!?」


 外は案の定、魔王軍への怨嗟を吐き出す人間や、行方不明の家族を探す人間などで溢れていた。そんな中をぼんやりと歩くバレナだったが、ふと、見覚えのある顔を見付けた。


「レオン。まだうちにいたほうがいいよ」

「分かってる。……けど、けどよっ!」


 レオンとダニエルだ。無事だったのか。と喜びが勝って声を掛けようとするバレナであったが、周囲の大人たちの会話にその足を止めていた。


「クレストも殺されたとよ」

「町一番の男も、魔王軍には敵わずか……」

「フィオナは燃えた家から焼死体で見付かったらしい。美人もああなっちゃおしまいだな」


「はっ、は、はぁ……」


 思わず物陰に身を隠してしまうバレナ。レオンの両親の死を客観的に突き付けられると、それに関わった自身がいかに罪深いかを思い知らされているような気分になる。二人はお前のせいで死んだのだと。


(ああ、ああ……)


 声もなく、バレナはぽろぽろと泣いていた。自身はもう二度と、レオンに会ってはならないのだと理解する。レオンの両親は、アタシのせいで死んだのに。どの面下げて会えというのか。


 仄かに育まれていた筈のバレナの中の恋心は、この時に跡形もなく消えさった。

 バレナは家へと引き返し、以降二人に会うことを避けるようになっていった。


◆◆◆◆◆


 そして、それから五年の歳月が流れる。

 バレナは家でひたすら鍛練の日々を送っていた。目標もなく、ただがむしゃらに。ストイックと言えば聞こえはいいが、彼女にとっては、他の全てを忘れる為の何かが欲しかったのであろう。

 知り合いはもう町にはいない。イレーネもレオンも、ダニエルすらも、傭兵になると町を出ていったらしい。そんな中でバレナだけが一人取り残されて、目的もない日々を過ごしていた。


「お~いバレナ」


 父のバレットが号外を持ち帰ってきたのは、そんなある日のことであった。


「レオンっていただろ?ほら、昔お前の友達だった」


 父の中では既に過去の人間なのだろう。どこか他人事な話し方に眉をひそめるも、「ああ」と返すバレナ。そんな彼女に、バレットは号外を見せ付けながらこう口にした。


「それがよ、なんでも次代の勇者に任命されたんだとよ!」

「勇、者……?」

「ああ。凶悪な竜を退治した実績を認められたらしい。これでファティスも少しは世間から見直されるかもしれんな。なんでも二十年ぶりの勇者なんだと」


 魔王軍侵攻の一件で、周囲の町はファティスを憐れんではいたが、直接手を差し伸べてくれはしなかった。ファティスに手を貸せば、自分の町も魔王軍に目を付けられるのではないかと恐れていたのだ。それは当然の感情であり、故にファティスの人間は誰の手も借りず、自分たちの力で町の復興を続けているのである。

 そんな中で、ファティス出身の勇者が誕生すれば、ファティスに目を向ける人間も増えるのではないか。そうバレットは言っているのだ。

 号外を眺めながら、鼻を鳴らしてバレットは続ける。


「竜をぶっ殺すとは大したもんだ。……しかし酔狂なこって。単身で魔王軍を相手にするなんざ、むざむざ死にに行くようなもんだろうに」

「んだよ」


 小馬鹿にしたように口にする父にムッとして、バレナが口を尖らせる。


「やりたくてやってる訳じゃねーよ多分。周りが望んだから、あいつはやらざるを得なかったんだ」


 魔王とその軍勢による侵略、支配は少なからずルード大陸に暗い影を落としている。人々はどこかで突然襲われる恐怖に怯え、それを打ち払ってくれる存在──英雄の出現を心待ちにしていた。

 故に、邪竜を退治した存在を英雄視し、祭り上げてしまうことは仕方のないことなのかもしれない。そしてレオンは、人々が求めているのなら手を差し伸べてしまう人間なのだ。


「昔から、アイツはそういう奴なん──」

──レオンはね、前に進むことしか出来ないのよ──


 バレナは、ハッとしたように目を見開きながら、自身の口元を押さえていた。かつて、同じようなことを言われたことを思い出したのだ。あれは、確か……、


──どんなに危険であろうとも、理不尽であろうとも、自分にしか出来ないのならやってしまう。……そんな子なのよ。だから心配なの。レオン、誰かの為にって自分を蔑ろにして、いつか何処かに消えちゃうんじゃないかって──


(そうだ。レオンの母ちゃん……、フィオナさんだ……。アタシはあの日、あの人に助けられて……)


──だからバレナちゃん。もし良かったらあの子のこと、気に掛けてあげてもらえる?バレナちゃんとダニエルくんの言うことなら、聞くと思うから──

──いいよ。友達、だし──


「────っ」


 一つ思い出してしまったことで、連鎖的に記憶が蘇る。

 息をすることさえ忘れて、バレナはその場に膝をついていた。


「おい!?どうした?」

「バレナ?」


 両親の声さえ耳には届かない。バレナは、その目に大粒の涙を溜めて、自身の不甲斐なさを呪った。


(約束したんだ!あの人と!なんで、なんでアタシはそんな大事なこと、今まで忘れてたんだ。……いや、もしかしたら、本当は……)


 本当は覚えていた。覚えていたのに、記憶の隅に追いやって忘れた振りを続けていたのではないのか。

 フィオナは自身の命と引き換えにバレナを救った。そんな彼女の最期の願いを、合わせる顔がない等という下らない理由でずっと蔑ろにしていたのだ。


「~~~~!」


 そんな己を許せず、バレナは自身の頬を両手で叩いていた。バンッ!と乾いた音が響き、バレットとレイナの二人は娘の奇行に狼狽する。


「バレナ。さっきから何やってるんだお前は」

「父ちゃん。話がある」

「お、おお……!?」


 そうかと思いきや急に決意に満ちた目を向ける娘がいよいよ分からず混乱するバレットであったが、そんな両親の様子など意にも介さず、バレナは自身の覚悟を口にした。


「アタシこれから、武者修行の旅に出る」

「な、修行!?お前、格闘道場はどうするんだ?確かに今は壊されちまって門下も死んじまったが、ゆくゆくは復活させるつもりなんだぞ」

「それは修行から帰ったら継いでやるよ。──頼む!今のアタシには必要なことなんだ!」

「……むむ……」


 それ以上の言葉はなく、バレットとバレナは互いの目を見つめ合う。ややあって先に折れたのは、バレットの方であった。


「──よし分かった。行ってこい」

「アンタ!?」


 死んだような目でただ漫然と鍛練を続けていた娘が、やるべきことを見付けたのだ。日々のバレナを見ていたバレットにとっては、送り出すに十分な理由だった。

 渋るレイナもかつて武者修行はしていた身の上。ついには折れ、餞別を貰ったバレナは、早くも翌日には旅立つこととなったのである。


◆◆◆◆◆


 旅立ち、町の出入口へ行こうとしていたバレナはそこで、見知った顔と再会することとなる。いや、見知った顔とは少し違うだろうか。


「……ダニエル」

「……バレナ」


 かつての少年は、癖の強い黒髪と若干幼さを残した顔立ちながらも随分と成長した姿になっていた。

 ここにいない筈の顔を見て、困惑するバレナ。


「……お前、レオンと一緒に傭兵になったって聞いたけど」

「辞めたよ」


 にべもなくダニエルが答える。


「僕が傭兵になっても、命を無駄に捨てるかレオンの足手まといにしかならないって気付いたから。今はあちこち旅に出ていて、時折こうして顔見せに帰ってるんだよ」


 その目に侮蔑と僅かな敵意を滲ませながら、ダニエルが小さく口を開く。


「僕のことよりも。バレナこそ、ずっと隠れて引きこもってた癖に、急に何処に行こうっていうのさ」

「それは……」

「レオンの所に行くつもりなら、許さない」


 明確な拒絶の言葉にたじろぐバレナ。そんな彼女にダニエルは先程よりも強い敵意を向けて口を開いた。


「ああそうさ。許さない。この五年、何もしなかった君が。レオンが一番辛かった時に見捨てたお前が、勇者になった途端すり寄るのかよッ!」


 ダニエルの言葉には、バレナにだけはそうであって欲しくなかったという失望の色が滲んでいた。しかし状況だけ見れば、その通りなのだ。違うとは言えない。

 天涯孤独となったレオンに、バレナは何もしなかった。出来なかった。手を差し伸べたのは、ダニエルとその母親のローザだ。ブラウン家もこの一連の襲撃で娘のエディを喪うという悲しみの中にいながら、レオンを引き取って五年間も家族同然に接したのだ。そんな身の上からすれば、このバレナの行動は到底許せるものではないのだろう。

 そしてそれは、バレナにも痛いほど理解出来る感情だ。


「……そうだな。多分そうなんだよ。レオンが勇者にならなかったら、アタシはずっとあのままだった……」

「っ、だったら……!」

「今までの償いになるとは思えない。けど、ダニエル。アタシは、この命を懸けてアイツを守る。その覚悟で行くんだ。嘘じゃねえ」


 彼の両親に繋いで貰った命を賭して、絶対にレオンは死なさない。──つまり。


「アタシはアイツと一緒に、魔王を倒す。あの日から鍛え続けていたのは、多分この為だったんだよ」


 翠に輝く二人の瞳がぶつかり合う。無言の睨み合いが続いた後、バレナの言葉が嘘じゃないと理解したのだろう。ダニエルは目を細めるとため息を吐き出した。


「……命懸けとか、一番レオンが嫌がるやつじゃん。それ絶対本人に言わないでよ」

「分かってるって。言わねえよ」


 レオンという男は、自分は平気で他人の為に無茶をするくせに、仲間の無茶を誰よりも嫌うような、そんな奴なのだ。それを誰よりも知る二人だけに、意見が合ったのだろう。

 短いやり取りであったが、先程よりは幾分か空気が和らいだだろうか。ふと、気になってバレナが尋ねた。


「……そういや旅に出てるって言ってたけど、目的とかあるのか?」

「……自分に何が出来るか知りたいんだ」


 俯いたダニエルは自嘲するように、けれど強い決意を込めた声で静かに言った。


「もう、弱くて何の力も無い自分は嫌だから」


 何かに憤るかのような言葉。バレナに対してではなく、その怒りは自分自身に向けられているかのようだった。


「こうしてる今もレオンは命を懸けて戦ってるんだ。立ち止まってる暇なんか無いから」

「そっか」

「目標は世界一周。とりあえず行ける所まで行ってみる」

「そりゃまた。でっけえ話だ」


 まあお前はやれちまうんだろうな。とバレナは笑う。そうして、うん。と頷くと小さく微笑んだ。


「ダニエル。お前にどう思われようと、アタシは行くよ。もう決めたんだ。──アタシはレオンを追い掛ける」

「そ。…………じゃあ任せた」


 素っ気ないその一言に信頼が込められているのをバレナは感じて、へへ。と鼻を掻いた。


 そうして勇者レオンの力になるべく旅立ったバレナは、数ヶ月の旅の果てにレオンと再会し、勇者パーティの二人目のメンバーになったのである。


◇◇◇◇◇


「逃げないって、決めたんだよ!」


 突進するファルクスを、あくまで迎え撃つ姿勢のバレナ。しかし彼女は今まで一度もファルクスの速攻に対応出来ていないのだ。何か策があるのかと突進しながらも様子を見るファルクスであったが──。


(何もなし……!)


 バレナは動かない。ファルクスの間合いに入って尚、拳を固めたまま動く気配がなかった。


「意気はいいが、それだけでは──勝てんッッ!!」


 案の定、次の瞬間にはそのままファルクスの拳が顔面を打ち据えていた。そのまま勢いよく殴り抜ければ、いよいよバレナは────、


「ぬ!?く、ぐぬ……!?こ、こいつ……!」


 しかしその直後、驚愕の声を上げるのはファルクスの方であった。顔面に拳を受け止めたまま、バレナがその場から動かなかったのだ。


「こいつ……!耐えたのかっ!?」


 正確には数歩たたらを踏んだものの、バレナはファルクスの拳を顔面で受け止めていた。そしてその拳が引き抜かれるよりも早く、準備していたバレナの拳が唸りを上げる。


「だあぁぁぁぁッッ!!」

「ぐぶふぅッッ!?」


 逆にバレナの拳が顔面を捉え、ファルクスは勢いよく吹き飛んだ。そこには、鼻から血を流しながら荒い呼吸をするバレナの姿がある。


「お前が勇者レオンに仇なす敵なら、アタシがここでぜってーぶっ潰す……!」


 鬼気迫るその姿と共に、これよりバレナ、灼熱のとき


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