竜の里 リューカの実家 『十二年ぶりの帰宅』
さて、話は戻って。
リューミリアに続く形で超巨大な入口を潜り抜けると、俺たちは歩き──いや、走り出していた。
──速い!?いや、そうじゃなくて──
一歩の歩幅があまりにも大きいのだ。超巨体故に、たった一歩踏み出すだけで百メートルは進んでしまうリューミリアに追い付く為には、こちらは走るより他はないのである。
『さて、と。着いたよ。……おや、どうしたんだいそんなに鼻息を荒くして』
リューミリアにしてみればただ入口から真っ直ぐ歩いただけなので、息を切らせているこちらが不思議なのだろう。
たどり着いた場所はただの石壁にしか見えなかったが、遥か上を見れば確かに他とは違い壁そのものに意匠が凝らされているのが分かる。視界を広げると、やはりここはドアなのだろうということが見て取れた。
……俺たちじゃ絶対に開けられないなこれは。
『さて、ちょっといいかい。そこ』
と、リューミリアはその長い首をこちらにもたげると、移動するように示唆した。
「お、おう」
レオン筆頭に、その場から下がる俺たち。すると、今まで立っていた場所は、五メートル四方の四角いパネルのようなものの上だったということが分かった。……パネル?あ、そっか!?
『よいしょ』
リューミリアがパネルに片足を乗せると、一瞬魔方陣が起動し、そしてゴゴゴゴゴ……、と重苦しい音を立ててその巨大な扉が左右に開かれたのである。
あったあった!竜の里の自動扉!このように、竜族でしか開けられぬ扉がこの里の至るところにあり、最初はリューカと別れての行動だった為に随分ともどかしい思いをしたものであった。
ゲームでもレオンの歩行グラフィック四マス分の大きさで表現されていたから大きいとは思っていたが、いざ見ると想像以上に圧倒されるな。
「うわ!?自動で開いたぞ!?すっげー!?」
そんな、他者には理解出来ぬであろうポイントに感激している俺の傍らでは、レオンが子供のように目を輝かせていた。気持ちは分かる。分かるのだが。
「いや、特定の魔力で開く魔動ドアならルード大陸にもあったろ。ラドナ遺跡とか」
「ラドナ遺跡……?あの、入口近くでオーブ回収したやつ?」
「あっっっ」
言われて思い出した。ラドナ遺跡結局潜ってないじゃん!クエハーで挑戦出来る最初のダンジョンで、ギミックも凝ってて面白いのに……!
「くっそ……。帰ったら遺跡の探索してーなぁ」
「なんて?」
「あっ、いやいや何でもない。それよりリューカはどしたんだ?なんか静かだけど」
俺の示唆に、レオンと二人でリューカの方へと顔を向ける。自宅に帰れてもっとテンションが上がっていると思われた彼女は、何故か扉を見て目を白黒させていた。
「わ……、我が家にこんなギミックがあったなんて……」
まさかの初見!?えっ?じゃあ家でどうやって暮らしてたんだ?
「隙間から出られましたのよ」
「隙間?」
丁度入口が自動で閉じたのでじっくりと見てみると、確かにリューカの言うように壁と入口との間には、子供一人くらいならギリギリ通れそうな隙間が空いていた。大人のドラゴンではどうにもならないが、レオンの肩に乗れてしまう程に小さかったリューカなら、通り抜けることは造作もなかったろう。
「ミーナなら抜けられるかもしれませんわね」
「嫌ですよ。こんな所で詰まったら洒落にならないし……」
『あら?何やら騒がしいわね』
俺がリューカとやり取りをしていたその時、リューミリアとは別の凛とした声がその場に響き渡った。
『義母さんが人間の言葉を口にしてるの、久し振りに聞きましたね』
『そうかい?……というか、さっきリューギンから連絡があったろ?リューカが帰ってきたって』
『あらあら。そうでしたね』
リューミリアが話し掛ける部屋の先。扉が開いた部屋の奥に、緑の竜の姿があった。リューカとリューミリアの間程の大きさ、色味をしている彼女の名はリューメイ。ご存じリューカの母だ。
『お母様~!』
母の姿を見付けるとリューカも一安心したのか、嬉しそうにその場で両手をぶんぶん振って大声で呼び掛けている。『ふふ』とリューメイ。
『リューカ!まったくどこに行っていたの?ちょっと心配してたのよ?』
「お母様……!」
祖母が、いなかったっけ?くらいの反応だったので、心配をしてくれていた母の反応に感激した様子のリューカ。俺としては“ちょっと”という部分が引っ掛からないでもないのだが、まあ言うだけ野暮か。
『さあ、入って入って』
リューメイに促され、俺たちは広い室内へと足を踏み入れた。相変わらずサイズ感の狂ったようなその空間を歩いていると、まるで自分たちが小人になったような錯覚を受ける。
時間を掛けてたどり着いた部屋の奥で、リューミリアとリューメイ。二匹の巨大なドラゴンがこちらを見下ろしている。凄まじい絵面だ。仲間の身内でなければ死を覚悟する場面であろう。
『さて、それじゃあ私はお義父さんを呼んで来ます』
そう言って代わりに部屋を出ていこうとするリューメイであったが、
『お待ち』
と、リューミリアが引き留めた。
『え?』
『その前に、気になることがあるんだよ。リューカ、その何だか良い匂いのする包みはなんだい?』
「まあ」
指摘されて、リューカは顔を綻ばせた。
「お祖母様にも分かりますの?これはリンゴといいまして、私が大好きな果実なんですの」
言いながらリューカは自身の体よりも大きな包みを開く。その中に入っているのは、フィーブ中からかき集めたリンゴおよそ三百個だ。
「勇者様がご家族の皆様に、と……。も、勿論、いらなければ言って頂いて構いませんからね?いらなければ。いらなければ!」
必死か。リューミリアは訝し気にリンゴを眺めていたが、その長い首を下ろすと、二つ三つ程纏めて口の中に放り込んだ。
「ああっ!?なんて勿体ない!」
『どれどれ……?ん……、んむ……、むむ……』
大陸の果物と聞いても特に表情を変えず、じゃりじゃりとリンゴを食べていたリューミリアであったが、気だるそうだったその目が突如としてカッ、と開かれた。
『な、なんだいこりゃあぁぁ!?』
驚愕の声を上げると、彼女はリンゴの山へと食らい付いた。
『ちょ、ちょっとお義母さん?』
そんなリューミリアを横目に見ていたリューメイも、その勢いに押されて慌ててリンゴにかぶり付いた。
『やだ美味っし!?』
結果、リューカの母も祖母も、二匹纏めてリンゴの虜となったのであった。
「ちょ、ちょっと!わたくしの分も残してくださいまし~!だ、大体お祖父様を呼びに行くんじゃなかったんですの!?」
『うるさい子だね!食いぶちを増やしてどうするんだい。いやこれはヤバイね……!』
言いながらモリモリとリンゴを食べ続けている二匹──いや、二人。ビックリするくらいあると思われたリンゴの山はみるみるその形を崩していき、そして──。
『くぉらッッ!!待ってるのにいつまで待たせるんじゃい!!』
すっかり食い尽くさんとしたその時、入口が開かれて別のドラゴンがその姿を見せたのだった。
「ああ……、わたくしのリンゴが……」
「少なくともリューカのではないだろ」
「にゅん……」
◆◆◆◆◆
『人間のお客さんとは珍しいのう。しかしワシに隠れてこ~んなウマイもんを独占しようとしてたとは、ウチの女どもと来たら強欲でいかん。あ、リューカちゃんは別じゃぞい』
それから数分。リューメイとリューミリアの二人は謎のドラゴンに説教をされていた。緑というよりも黒に近いだろうくすんだ体色に、しわがれた声。体躯こそリューミリアより一回り小柄だが、間違いないだろう。
「お祖父様、お久しぶりですわ」
『お~お~リューカちゃん見違えたのう。まるで人間みたいになっちゃって……、でえッッ!?人間~!!?』
今まさに卒倒しそうになっている彼こそが、リューカの祖父にしてこの竜の里の長であるグリーンドラゴン。リューランドであった。
『な、なんでリューカちゃんが人間に……、まさかそこの人間にかどわかされて……!』
『お黙り。それを今から聞こうってんじゃないかい』
一瞬こちらに凍り付くような敵意を向けられてビクついたが、それはすぐにリューミリアにどやされて霧散した。何せドラゴンだ。冗談半分だろうが俺など簡単に殺せる力を持った相手だけに、怯えてしまうのは仕方のないことだろう。
敵意がこちらを向いたその瞬間、す、と俺を庇うように前に出たレオンの背中を、俺はじっと見つめていた。
『それで。リューカ。お義母さんから聞いたけれど、ただ帰ってきた、というわけじゃないらしいわね?説明して頂戴』
「ええ。その為に来たんですもの」
そして、リューメイに問われてリューカは小さく頷くと、里を出てからこれまでの経緯について話し始めるのだった。
「と、いうわけで、竜族の秘技と言われている変身の極意を教わりたく、はるばる戻って来たんですの」
『ふぅぅぅむ』
リューカの話を聞き終えると、リューミリアは深くため息を吐き出した。
『血は争えないって所かねぇ?』
「──?一体何の話ですの?」
『それはね──』
『うぉぉぉぉん!リューカちゃんすぐ帰っちゃうなんてそんなのイヤじゃあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』
リューミリアが口を開こうとしたその時、とんでもない内容と声量の咆哮が部屋中に轟いた。
「うわぁ!?」
「るっせ!?」
「お、お祖父様?」
咽び泣いているのはリューランドである。イヤじゃイヤじゃと駄々っ子のように喚き散らすその様は、長老という立場の竜だとはとても思えない。直ぐ様リューミリアにしばかれると、部屋の隅で小さくなってしまった。
『話が途切れちまったけど、リューカ、これを見て貰えるかい』
鼻息を荒くするリューミリアは『ふう』と呼吸を落ち着かせると、次の瞬間目を閉じる。そして──。
その体が光輝いたかと思いきや、しゅんしゅんと音を立てて縮み始めたのである。そしてそれは、今まで見てきたリューカが竜から人の姿になる時の様子に酷似していた。
「お祖母様……?」
眩しい光に目を覆いながら、リューカが訝しんだ声を上げる。そしてその光が晴れた時、そこには巨竜リューミリアの姿は消え、赤いドレスをまとった一人の女性の姿があった。
さらりとした銀髪のロングヘア、切れ長の目。とても五千年を生きる竜だとは分からない程に、その姿は若く美しい人間の女そのものであった。
「私もね、人間に変身出来るのさ」
「えっっっっ!?」
思わず素頓狂な声を出してしまうリューカ。無理もない話だろう。彼女が過去に学んだ話では、変身は竜族の秘奥義で、心から惚れ込んだ違う何かに姿形を変えられる。というものだった筈だ。つまりリューミリアが人間になれるということは、彼女もまたリューカ同様に人間を愛していたという事実に他ならないのである。
「お、お祖母様、どうして人間の姿に……?」
「私がまだ若い頃、この里に迷い込んできた人間のオスがいてね。最初は追い払おうとしていたんだけれど、あんまりにも良い奴だったから、しばらく置いてやることにしたのさ。寝食を共にして、色々な旅の話を聞いて……、気付けば私はその男に惚れていたのさ。寿命の違いは分かっていたけれど、そんなことどうでもいいから一秒でも長く一緒にいたいと思ったくらいにはね」
「そ、それで、どうなったんですの!?」
まるで昔好きだった絵本の様な内容が語られ、リューカは鼻息を荒くして祖母に詰め寄った。この手の話題に目がないのである。
「近い近い近い。どうなったって、そりゃあれだよ。どうにもならなかったんだ。どうしても帰りたいって言うから、私が背に乗せて送り届けてやった。それで終わりだよ。所詮、私たちは竜と人だったのさ」
そこまで話すと、ふぅ……と顔を上げ、明後日の方向へと遠い目を向けながらリューミリアはぽつり、と溢すように続けた。
「……ただ、まあ、あれだ。私がね。引きずっていたんだろうね。若かったから。もし自分が人間だったなら、彼はずっといてくれたのか。そんなことを考えるようになっちまったのさ。それで気付いたら、人間の姿になってた。本で見た、人間のメスの姿にね」
「そ、それで……」
「馬鹿だねこの子は。何もなかったと言ったろ。結局ソイツのことなんて綺麗さっぱり忘れて、島長の息子だったあんたのお祖父さんとつがいになったのさ。ロマンの欠片もない話だよ」
視線を床に落とすと、「ふっ」と自嘲するように人間の姿となったリューミリアは笑う。
『今だって十分引きずっとるじゃないか……』
「お黙り!オスがピィピィと鳴くんじゃないよ」
『ぐぬうぅぅぅ……』
強く返されてそれ以上の言葉が出ず、リューランドは歯噛みしながら押し下がった。竜族の長老という肩書きでありながら、どうにもこの老竜は妻に頭が上がらないらしい。
そんなリューランドに流し目を向けると、リューミリアはふん、と鼻を鳴らした。
「どうだい。リューカ?」
「す……」
「うん?」
「凄いですわ!」
祖母に問われて、素直に称賛の声を上げるリューカ。
「だって服を着た姿に変身なさっているんですもの!」
「そこかい」
「大事なことですわ」
毎度変身の度に衣服を引き裂いてしまっているリューカとしては、特に注目すべきポイントだったらしい。リューミリアは笑うように目を細めた。
「覚えたいかい?」
「勿論ですわ!お願いします!」
「そうかい。それじゃあ、リューカは一人で特訓だよ。勇者様とやらは別行動を取って貰う」
「えっっっっッッッッ!!?」
「うるさいねこの子は!?」
とんでもない大声で疑問を呈するリューカに、祖母に代わって言葉を掛けたのはリューメイであった。
「リューカ。この特訓は、とても過酷なものになるわ。貴女もみっともない姿を晒すことになるかもしれない。そんな所を勇者様に見られたいの?」
「そ、それは……」
俊巡するリューカであったが、即座にそれは駄目だと判断を下したらしい。
「分かりました!」
と次の瞬間には単独での修行を受け入れていた。
「勇者様、すみません。そういう訳ですので……」
「いや、その為にここに来たんだ。しっかり頑張れよ」
それでも申し訳なさそうにするリューカであったが、親指を立てるレオンに激励を送られると、力強く頷いた。
「ぁ、は、はい!頑張りますわ!」
「それじゃあ、早速準備しようかねえ?リューカ、リューメイ。ついといで」
そんな孫娘の決意を見届けてか、リューミリアは再び巨竜の姿へと戻ると部屋の戸を開いた。
「恐らく今日一日は戻れないよ。勇者様たちには後で客室を用意するから、今は観光にでも行ってて貰えるかい?」
「は、はい」
目まぐるしい展開に圧されつつ、頷くレオン。そんな彼へとリューカは振り返った。
「すみません勇者様。わたくし、頑張って来ますので!待っていて下さいまし!」
「おう。リューカなら大丈夫だ。頑張ってこいよ」
両拳を握って、むん!と気合いを入れているリューカに、レオンが彼なりの激励を送る。その後はあれよという間に竜族女子たちが出ていってしまったため、部屋には俺とレオン、そして不貞腐れた長老の三名が残されることに。……気まずっ。
「あ、あの……」
『……聞いたじゃろ。ワシは今傷心なんじゃ。さっさと何処にでも遊びに行ってこい』
一人──いや、一竜だけ除け者にされた長老はやる気のない様子で俺たちに出ていけと促す。(リューカちゃんと馴れ馴れしくしやがって)なんて呟きが小さく聞こえてくるあたり、取り付く島もないといった様子だ。部屋の出入り口は開いたままなので、こんな拗ね老人は放っておいて、このまま外に出て竜の里を巡る、というのがゲーム本来の流れなのだが──、
そこはクエハー通の俺。今この場でしか出来ない特殊イベントをこなしてしまおうと言うのである。
「──長老様」
俺が呼び掛けると、リューランドは気だるそうに視線だけをこちらに向けた。
『なんじゃあ。お前らに用はないと言っとろうが』
「ふふ。そう仰らず。奥様のいない今、長老様に献上したいものがございます」
『むん?なんじゃ?』
そう言われて少しは興味が湧いたらしい。訝しんだ目をこちらに向けてくる長老に、俺はナップザックを漁ると角張った何かを取り出した。
「ミーナ、それ……」
レオンはそれが何であるか気付いたようだ。差し出したそれを、リューランドは二本の爪で摘まみ上げた。
『なんじゃえらいちっこいのう。こんなよう分からんもんでワシの機嫌を──』
そう言い掛けたリューランドの動きが止まる。
『むぅ!?な、なんじゃあこりゃあ!?こ、こんなかわいこちゃんがこんなに……!?』
爪の先程しかない本を器用にめくりつつ、その中身に釘付けになるリューランド。そう。俺が渡したものは、フィーブの書店でレオンに買って貰ったドラゴン画集である。レオンが見てもカッコいいドラゴンスゲー!としかならないのだが、ドラゴンが見るとどうやらこれはグラビア雑誌のようなものらしい。しかも竜の里にはこのような娯楽品は少ない故、その刺激は格別であろう。
『こ、こんなあられもないポーズええんかい!?なにっ!?こんな若い子がこんな……。むほほ、こりゃ、こりゃたまらん……』
大興奮した様子のリューランドであったが、俺たちの視線を感じてか、ごほん、と咳払いすると本から目を離して姿勢を正した。
「う、うむ。中々の品じゃの。そうじゃな、折角ここまで来てくれた客人に無下な態度を取っては宜しくない。リューカちゃんを守ってくれた礼もあるしのう。ワシらに出来ることであれば力になろう」
まるでドリルの如き熱い手のひら反しに、思わず俺も微笑んでしまう。
「ミーナ。ああ言ってくれてるけど、何か考えでもあるのか?」
隣のレオンに尋ねられ、俺は小さく頷いた。そう。これこそが竜の里でやらねばならぬもう一つのイベント。
リューランドに向かって、俺は口を開いた。
「では長老様、竜の牙を使用した、新しい剣を作って頂けますか」
と。




