フィーブ 『ウィズの優雅(?)な一日』
時間は二日程巻き戻る。
レオンたちが竜の里に向けて出発したのを見送った後、残ったウィズ、バレナ、スルーズの三人は顔を見合わせた。
「さてと、私たちはどうしましょうか」
「あ!?決まってんだろんなもん。帰ってくるまで鍛練あるのみだ」
「バレっち、ストイックぅ」
「けっ。それで、ウィズはどうなんだ?」
「そうね」
バレナにそう訊ねられ、ウィズはくすぐったそうにはにかんだ。
「まずは宿屋の個室を借りようと思うの。折角こんな機会だし、ゆっくりしたいものね」
「なるほど。いいな」
「そりゃいいね」
皆それぞれ一人部屋の魅力に惹かれたのだろう。ウィズの言葉を二人が称賛すると、あれよという間に三人がそれぞれマーブル亭の個室を借りることに。
その中で、ウィズの一日を追ってみよう。
「ふんふふ~ん」
マーブル亭に部屋を借りたウィズは、鼻歌混じりに荷物の中の薬草類をテーブルの上に広げていた。誰が見ても上機嫌な彼女は、手慣れた手付きで端から見れば枯れ草や雑草にしか見えないそれを仕分けていく。
(こういうの、ゆっくりやれる時間もなかったものね)
次にそれらの葉を桶に溜めた水で一枚ずつ丁寧に洗っていく。
「──ふう」
洗い終えて窓を開けると、暖かい空気と共に間もなく正午を迎えようかという陽が射し込んだ。
「うん。いい感じ」
そう一人ごちると、ウィズは先程仕分けた薬草、香草を種類が分かるようにベランダに列べ、風で飛ばされないように一つずつ石を乗せていく。
これらの石はウィズが常に持ち歩いているものだ。
以前手紙の件でもさらりと触れたが、ルード大陸ではこちらの世界の名刺の代わりに小石を持ち歩くことがルールとなっている。
常日頃から肌身離さず携帯した小石は、一年を過ぎた頃からその人間固有の魔力を蓄えた【マジックストーン】へと変化し、手紙や荷物等の送付先として機能するのである。
「今日は、優雅な一日にしたいわね」
天日干しされた薬草たちを眺めながら、ふと、ウィズはそんな決意を口にしていた。日頃頑張っている(つもりの)自分へのご褒美として、ひたすら優美で充足感溢れる一日を過ごそうと決めたのである。
「────よし」
そうと決意したなら早速外の散歩にでも行こうとマーブル亭の一階に降りるウィズであったが。
「…………あら?」
ふと、彼女はその足を止めていた。一階の食堂が何やら騒がしいのだ。どうやら宿屋の女将であるチリーブが客に詰め寄られているらしい。
「頼むよこっちは腹が減ってんだよ!」
「安くて手頃だから、そんなに美味くもないけど通ってんのに」
「無理ってどういうことだ!」
「そう言われても、無理なもんは無理なんだよ。悪いけど──」
すったもんだとやりあっている後ろに顔を覗かせたウィズは、客の一人に声を掛けた。
「あの、どうかしたんですか?」
「ん?ああ、食堂で料理をしているのはここのオヤジさんなんだが、なんでも朝から腹を下してるらしくて調理が出来ないんだとさ。別に凄い美味いって訳でもないんだけど、いつもの飯が食えないとなると、それはそれで困るんだよな」
成る程そんな事情があってのこの騒ぎらしい。うーん、と逡巡した後で、決断したのだろう。ウィズは人波を掻き分けて進み出ると、チリーブへと声を掛けた。
「あの、奥様。私で良ければ手伝いましょうか?」
「えっ!?」
驚きウィズへと丸くした目を向けるチリーブ。誰がそんなことを言ったのかと観察して、それがウィズであると気付くと益々驚愕した様子だった。
「あんた、勇者パーティの……?い、いいのかい?」
「はい。泊めて頂いているご恩もありますし、料理なら多少覚えがあるので」
「悪いね。正直助かるよ。厨房は好きに使ってもらって構わないからね!」
多少なりとも料理の腕があるというのなら、女将にとっては渡りに船である。ウィズに厨房を任せると、騒ぎ立てる客達に向かって声を荒げた。
「ほらほらアンタら!この娘が作ってくれるってよ!注文したい奴は一列に並びな!」
テキパキとした指示により、厨房に立ったウィズの元には次々と注文が舞い込んできた。
「一人目の客が、ケバッジ煮込みのスープ定食、二人目の客は日替わりランチ、三人目の客はフィーブ牛のステーキ定食弱火でじっくり」
「──確認するわね。一人目が、ケバッジ煮込みのスープ定食、二人目が──」
手持ちのノートに注文内容を、番号を振りながら書き込むウィズ。それをしながらも、その目は厨房をくまなく見渡し、調理器具の所在や食材の位置などを把握していく。
最初の五分程はそうして静かにしていたウィズだったが、ある程度の把握を終えると同時に、驚く程機敏に動き出した。
(ケバッジは、店の御主人が朝一に釣ってきたものがカメの中を泳いでいる。まずはケバッジを捌くところからね……)
水瓶の中をすいすい泳ぎ回る大きな魚を見つけると、ウィズは水面に指を近付け、軽い魔法を流した。
「【ラビド】」
魔法玉に精製してミーナに渡した浮遊魔法である。それによってターゲットとなった魚が水瓶を飛び出して空中に浮き上がった。
体にオレンジの縞模様があり、ウィズの頭程の大きさがあるひし形の魚こそ、近海でよく連れるポピュラーな魚であるケバッジなのだ。
「よいしょっと」
浮き上がったケバッジを、指先でついついっと軽く押すように触れるウィズ。まるで力は入れずとも、それによってケバッジは動かされ、調理場の上へと移動していく。
「…………」
魔法で制御されている故に暴れることの出来ないケバッジに、ウィズは馴れた手付きで細刃の包丁を差し込んだ。まずは血抜きをして、それから内蔵を取り出そうというのである。
魔法で何でも出来そうなイメージがあるが、あくまでもそれはアシストのみ。調理はウィズ自身の技量によるものなのだ。
(三枚に下ろして皮に切れ目を入れたら、煮付けの味付けを用意して、煮込んでる間にステーキの準備もしちゃいましょ。日替わりランチはケバッジフライと季節野菜のソテーよね。これの準備も進めなきゃ)
頭をフル回転させ、同時に複数の調理を進行させていく。それによって、信じられない程の回転率で次々に料理が完成していくのだった。さてその評判は?
「えっ!?これケバッジ煮込み!?普段のドロドロした奴と違うんだが……!?」
「うまッ!?」
「ヤバイぞこのフライ!?」
「えっうめぇ!?なんだこりゃ!?」
見た目から何から、その完成度は食べた者皆が舌を巻く程であった。
どうやら店の店主は普段ろくに味付けもせず、適当に作っているらしい。
ウィズは、彼女の想像以上に人々を喜ばせる素晴らしいものを提供してしまったらしい。その結果がどうなるかは、火を見るより明らかであろう。食べた人間の口コミがその場で拡散されると噂が噂を呼び、結果、大勢が一口味わわんとマーブルに詰め掛けることとなったのである。
「う、嘘でしょ……?」
ちらりと覗いた店の入口には人がずらりと並んでおり、そこから伸びる列の終わりが見えない程であった。これではいくら料理を作っても終わることのない無限地獄である。
(さ、流石に、これは……)
材料も少なくなってウィズにも焦りが浮かんできたその頃、彼女の耳に覚えのある声が聞こえてきた。
「うぉ。なんかめちゃめちゃ混んでんじゃん!?どしたのこれ?」
「あんだぁ?これじゃ通れねえぞ!?」
スルーズとバレナの二人である。渡りに船!とばかりに厨房から顔を覗かせるウィズ。
「良かった!二人とも手伝って!」
「うぃうぃ!?」
「はぁ!?」
混乱した様子の二人であったが、ウィズが厨房にいることとこの人気の様を見比べてすぐに納得出来たらしく、協力してくれる流れとなった。
「それで、何すりゃいいんだ?」
「バレナちゃんは食材の買い出し、スルーズさんは──」
「あーしは?」
「店主さんの解毒をお願い。多分食あたりだと思うから」
「お、おっけー」
「任せろ!」
そんなこんなで二人に指示を出すと、ウィズはフル回転でのワンオペ調理を再開させる。
この頃には既にマーブルには長蛇の列が出来ており、どれだけ時間が掛かろうともウィズの料理を食べてみたい!という客で溢れ返っていた。
「おら!食材と調味料お待ち!」
「ありがとう!後はこっちの手伝いお願い!」
「お、おう!」
買い出しから戻ってきたバレナも仲間に加えて、あくせくと働くこと更に一時間。
「ニョッキーのクリーム煮、上がったわよ……」
「大丈夫かウィズ、もうヘロヘロじゃねぇか!?」
「ま、まだ、いけるわ……」
そうは言ってもウィズ自身はバレナの言う通りフラフラであり、傍目にも限界が近いことは一目瞭然であった。
それでも頑張ろうとしたその時、
「おう!嬢ちゃんが助けてくれたんだって?」
そこに天の助けが現れた。店主のガスキンである。
「なんとかなったよ~」
その後ろからスルーズもひょいっと顔を覗かせる。どうやら解毒は上手くいったらしい。
「いやぁ釣った貝の中にハズレがいたみてェでな。とんだ迷惑を──ってなんじゃこりゃあぁぁ!?」
話しながらちらりと店内に目を向けて、そこで初めて外まで続く行列を目の当たりにしたらしい。
「う、うちの店にこんなに、客がッ!?」
感動にうち震えた後で、ウィズと固い握手を(一方的に)交わすと、調理場を出て客前へと顔を出すガスキン。
「やぁやぁみんな。そんなにもうちの料理を好きになってくれて嬉しいぜ!お陰様で俺も復帰したからよ!楽しみに待っててくれや!」
彼としては会心の挨拶のつもりだったのだが、それを聞いた料理待ちの客は顔を見合わせると、一様に席を立ち上がった。
「なんだ。オヤジが戻ってきちまった」
「じゃあもう無理だな。解散解散」
「くそーッ!俺も食いたかったのによー!!」
そうしてぞろぞろと帰っていく客たちを前に、ガスキンも目が点である。
「え、ええ……?」
そうして、怒濤の勢いで訪れたマーブルフィーバーは、店主の復活と共に驚く程あっさりと終了したのであった。
◆◆◆◆◆
夜になって。ウィズは薬草や香草を浮かべ、香油を垂らした湯船に浸かっていた。
「はぁ。落ち着くわね……」
立ち昇る湯気と共に、ふわりと良い香りが鼻をくすぐる。ちゃぷちゃぷとお湯を弄びながら、先程までのてんやわんやを思い出す。何というかあれは──。
「ぜんっぜん優雅じゃなかったわね……」
そう一人ごち、ウィズは嘆息した。求めた優雅さからは最もかけ離れた、あれは大衆食堂の日常だ。
イップは今日の売り上げはウィズのものだと言ってくれていたが、泊めて頂いている礼だとウィズ自身はやんわり断っている。
「…………」
お湯の中に口元を沈めると、ウィズは再度嘆息した。こぽこぽと気泡に変わったため息が弾けて消えていく。
(私、間違ってたのかしら…?)
しかし、あの場面を見過ごしていたら優雅な一日を送れていたのかというと、それもまた違う気もする。きっと心の何処かに引っ掛かり、満足に楽しむ気持ちにはなれなかっただろう。
「つくづく、損な性分よね」
湯から顔を上げ、天井を眺めながらウィズは苦笑した。
その生い立ちもあり、ストイックに生きようと心に誓った筈のウィズだったが、どうにも元来の性格はお人好しだったらしく、これまでも困っている人を見捨てることなど出来ずにここまで来ているのである。
(竜の里には温泉があるんだっけ。レオンたち、今頃無事に着いているかしら)
そんなことをふと考えるウィズ。温泉、少し羨ましいな。などと思う彼女。ちなみにその頃レオンたちは、道中のサビエリ島にてオオコウモリの群れを相手にわちゃわちゃしていたりするのだが、例によってそこは割愛である。
「──ふう」
香油の効果か、風呂から上がった後も体はポカポカと温かいままだった。部屋着に着替えると、ウィズはベッドサイドに腰を下ろす。
(こんなに頑張ったんだから、何か特別なご褒美があってもいいのにな)
そうして想像する。例えばルームサービスが来て、お姫さま扱いしてくれるとか。美味しいものを持ってきてくれるとか。そんなことがあってもバチは当たらないのにな。
なんてウィズが考えていたその時、部屋のドアが叩かれて彼女は仰天した。
「えぁっ!?ちょ、ちょっと待っ、待って」
すわ妄想が現実に……?なんて心の奥底で期待しながらドアを開けると、
「やほ~、うぃうぃ。今日もエール……それどんな表情?」
そこに立っていたのは、もはや日課の如くエール冷やしを頼みに来たスルーズであった。ウィズ自身も気付いてはいなかったが、その時の彼女は観念と遺憾が入り交じったような、とても味わい深い顔をしていたらしい。
「いえ、いいのよ……。エールね、そう。エール……」
小さく繰り返しながら、ウィズは心の中で固く誓っていた。
(あ、明日!明日こそ!とびきり優雅な一日にしてやるんだから……!)
「うぃうぃ~?おーい。ちょっとぉ?エール凍ってるよぉ?……はっ!?これが噂のフローズンエールってやつ!?」
こうして、疾風怒濤のような一日が過ぎていく。
ウィズの優雅な一日計画はまだ、始まったばかりなのだ。




