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フィーブ 秘密の丘『世界で一番美しい町』

挿絵(By みてみん)

 俺はずっと昔から、誰かに迷惑を掛けることが嫌いだった。怖かった。いつからそうなってしまったのかはもう覚えていないけれど、


──人に迷惑を掛けるな──


 その強迫観念だけはずっと俺の中に残っていた。社会人になっても他者との必要以上の関わりを避けていたのは、その想いがあったからだろう。

 親しければ親しいほど、自分が相手に及ぼす影響も大きくなる。

 だから恋人も、友達すら俺にはいなかった。作らなかった。

 会社でも影の薄い存在になっていたと思う。

けれど、俺はそれで良かった。

 俺にはクエハーがあったし、彼らの冒険を追うその時間だけは、煩わしい他者との触れ合いもせずに済んだのだから。


──だけど、だけどっ……!


 だけど俺は、そんな彼らと知り合ってしまった。

 そして、俺の慢心が、彼らの命を脅かした。

 俺のせいで、大好きな彼らを失うところだったのだ。


──分かってるよ。


 やっぱり俺は、誰かと関わるべきじゃなかった。ここが如何なる世界かなんて、今はどうだっていい。

 俺は、ここにいるべきじゃなかったんだ。



 荷物をまとめて出ていこう。そう思って宿に戻った俺だったのだが、


「あ、ミーちん戻ってきた」

「あら。お帰りなさいませ」

「何事!?」


 俺を出迎えたのは、下着姿の女性陣と、そんな彼女らの至近距離で触れ合っている見知らぬ女性たちであった。


──本当に何事!?



「へ?採寸?」

「そうなんです。明日の皆様が着用されるドレスにつきまして、サイズなどの手直しが必要でして」


 リューカの採寸をしていた女性が、その手を止めて俺に説明する。彼女は自身のことを、服飾デザイナーのメリーと紹介した。

 ウィズやスルーズに付いている女性二人は、彼女の部下とのこと。


「明日はメイクも担当させて頂く予定でして。あ、大丈夫ですちゃんとメイクの心得はありますからね。昔は同級生もみんな私がお化粧してあげてたんですから」

「いやあの」


 そうじゃなくて、ドレスとかメイクとか、急に何の話なわけ?

 俺がそう疑問を呈すると、メリーと名乗った女性は朗らかに微笑んだ。


「ですから皆様には、明日の祝祭にて主賓として壇上に上がって頂きたいんですよ。その為のドレスなんです。ミーナ様も今のうちに選んでくださいねぇ」

「え、選ぶって……」


 メリーの示唆する方向へと目を向けると、そこにはドレッサーが設置されており色とりどりのドレスが並んでいた。

 なるほどそれで今採寸を。今日の明日に作れるって凄いなぁ。


 ──なんて感心している場合ではない。

 えええ。参ったな……。これじゃ逃げられないじゃんか……。


 状況が変わってしまったことを感じ取り、俺は分からないように小さくため息を吐き出した。


 今この場で荷物をまとめてパーティを抜けることは物理的に不可能なようだ。というかこの状況で俺が失踪したら、それこそとてつもない迷惑を掛ける気がする。


「は、はぁ……」


 どうやら大人しく従うしか選択肢がないらしい。

 俺はメリーに言われた通りにドレッサーの前に立つと、そこに並ぶ三十は越えようかというドレスの数々に辟易として嘆息した。

 全くもって、どれもこれも一級品だ。デザイン、裁縫ともに、素人目で見ても分かる程に手が込まれており、現代で売ったら幾らになるか見当もつかない。

 だからこそ、こんな服が俺に似合うはずがない。いや、今の俺の容姿を馬鹿にしている訳じゃないのだが、周りがクエハーヒロインズなのだ。元男の自分が同じようなドレスを着て並んじゃ駄目な気がする。

 こう、何とか言って、お付きの者役で誤魔化せないかなぁ


「ミーちん。それはあかんよ」

「はい、スミマセン」


 まるで人の心を読んだかのようなスルーズに心のこもっていない謝罪をしつつ、俺はドレスへと目を移した。


 本当に多種多様だ。丈の長いものから短いもの、色合いも虹の様にカラフルに取り揃えられている。


「んんん……」


 しかし、そもそも俺はドレスを着たい等と思っていない訳で、もっとそもそもを言えば今までの人生においてドレスなんて一切無縁だった訳で。

 どれかを選べと言われたところで、正直どれでもいいとしか……、


────ん。


 長いこと物色する中で俺は、一着のドレスを手に取っていた。

 他のものより丈の短い、鮮やかなスカイブルーのものだ。

 この色、レオンの瞳のカラーなんだよね。

 透き通るような青いそれをしげしげと眺めていると、


「あら。そちら気に入られました?」

「ひゃあっ!?」


 背後から声を掛けられて思わず飛び上がった。いつの間にかメリーが俺の背後に移動していたらしい。


「あ、いやこれは」

「これがいいそうでーす」


 別に決めた訳じゃない。と俺が言う前に、スルーズが肯定してしまった。驚きと怒りの混じった表情をそちらに向けると、ふい、と顔を逸らすスルーズ。


 だってそのままじゃいつまでも決めそうになかったしぃ。と、その顔が告げている。


「ではお預かりしますね。採寸の準備に入りますので少々お待ち頂ければと」


 メリーは俺の手からドレスを受け取ると、ぱたぱたとどこかへ持っていった。俺はキッ、とスルーズを睨む。


「何も言ってないのに勝手に……!」

「あのままだったら何時間も決めかねてたでしょ。あーしは手伝ってあげただけだし」


 ぐぬうぅぅぅ。


「スルーズの鬼!悪魔!守銭奴!」

「あっはっは。何とでも言いたまえよ」

「万年酔っぱらい!」

「なんだと~~っ!?」

「一番本当のやつじゃん!?」

「あー駄目だ。かっち~ん来たわ」


 スルーズは目を細めてそんなことを言うと、その場で思いきり口を開いた。


「ミーちんなんて服も下着も一着しかないくせにさー!だーれが浄化してあげてるんだっけかなぁ!?」

「ばっ!おま!?何言ってんの!?」


 バッ、と、スルーズの言葉にその場の全ての視線が俺へと集まった。やば、恥ずかしさで死にそう……。


「スルーズさん、そ、それ本当なの……?」


 信じられないものを見るような目で、ウィズがこちらを見てくる。ああ、駄目だ泣きそう。

 そうだよ。服も下着もこれしかないよ。フィーブまでノンストップだったから買いたいなんて言い出す暇もなかったし。

 最初は、そういうものだと思っていた。ゲーム世界だから、服は汚れたり臭ったりはしない仕様になっているのだろうと。

 でも、そんな俺の思いとは裏腹に、服なんて一日も着れば容赦なく汚れるし、下着も臭ってきた。

 だからスルーズに頼んで、汚れを浄化して貰ってたんだよ。数日置きに。銀貨二枚でさあ。


「だって……だって……」


 小さく呟く俺の元にウィズが来る。何を言われるのかと、びく、と身構える俺だったが、ふわり、と柔らかく抱き締められていた。


「────え?」

「ごめんなさいね。気付いてあげられなくて……」


 ウィズの顔は真剣だった。驚く俺に、彼女が続ける。


「何も持たずに逃げて来たんだものね……。ごめんなさい。境遇の近い私が気付くべきだったのに……」


 ごめんなさい。それも全部、嘘なんだよ。


「お任せください!我々一堂が責任をもって似合いの一式を贈らせて頂きますとも!」


 ですからサイズをお計りしますねぇ。と胸を張ってメリーが宣言する。本当に皆優しい。スルーズだって、これを見越して──このタイミングだから言ってくれたのだろう。

 本当なら、皆に感謝するべき場面なのだろうに、


(また、みんなに迷惑掛けるんだ……。俺のせいで、余計なこと……。ごめんなさい……。ごめんなさい……)


俺の頭は感謝よりも、謝罪を繰り返していた。皆の善意は分かっている。だからこそ、どうしても萎縮せずにはいられなかったのだ。

 はあ。今の俺、本当に面倒くさいな……。

 間違っているのは分かっているのに、どうしたら良いのか分からない。そんな状態だった。


「ふむふむ」


 そんな情けない俺とは対照に、メリーは自前のメジャーを使用して俺の体周りをあっという間に測り終えていた。


「はい。計測終了です。数値、聞きます?」

「え?あ、はい」


 話を聞いておらず慌てて相づちを打ってしまった俺にメリーはこほん、と咳払いをすると手にした紙面へと目を落とす。


「バストのトップが79、アンダーが64、ウエストが60、ヒップが88ですね。下着や私服もこちらを元に用意させて頂きますので」

「あ、ありがとう、ございます……」


 言われている数値についてはちんぷんかんぷんだったが、彼女の好意に甘えることについてはキチンと礼を言うことが出来た。もうこうなっては、いらないですとは言えないだろう。


「気にすることはありませんわ」


 こちらも計測を終えたらしいリューカが、俺の隣から声を掛けてきた。

 ドラゴンから人の姿に戻り──いや本来はドラゴンの姿が素なのだが──元気を取り戻したであろう彼女は、どうやら俺を元気付けようとしてくれているらしい。


「わたくしの衣服や下着も、大半が特注ですのよ。……入らないので」


 身長も身体も全てがダイナマイトな彼女には、確かに並の衣服は入らないだろう。


「ぁ、私も、……ブラは特注なの……」

「大変ですわよねぇ」

「ええ。ホントに……」


 困る~。なんて共感し合っている二人。そりゃ、そのおっぱいを包むブラジャーなんて市販にはないでしょうよ!

 なんか知らないけどイラっとした。別に自分の体を卑下した訳ではないけども!


 そんなやり取りをしていると、そこに聞き慣れた声が飛び込んできた。


「なあ、ミーナ先帰ってるか!?」


 バレナである。どうやら俺がちゃんと帰っているか心配だったらしい。振り返った俺の顔を見るとバレナは安心したようにに息を吐き出し、そして、


「その、悪か」「すみませんでしたっ!」


 先に頭を下げたのは俺の方だった。


「うぉ!?」

「二人とも私のために色々してくれていたのに、拗ねたりしてごめんなさい……」

「ん。いや……」


 困ったように頭を掻くバレナであったが、ふぅ。と嘆息すると、


「お前が無事に帰ってるなら良かったよ。アタシらからも言いたいことはあるんだけど、その、なんだ。お前に客がいてよ」


と口にした。……へ?客?

バレナが指で示唆した方向に目を向けると、そこには両手を脚の前に揃えて小さくお辞儀するサラの姿があった。


「あ、サラ……」

「ミーナ~」


昨夜ぶりなのであんまり久しい感じはしないのだが、それでも彼女の来訪に俺は僅かなりとも安堵していたのだろう。


「え?ミーナ、どうしたの!?」

「ぇ、ぁ、ご、ごめん……」


 気付けば涙が流れていた。


「ぇへへ、な、なんでもないの。へへ」


 この体は本当に泣き虫だ。あえてこの体、と表現したのは、前身である南信彦がこんな風に人前で泣くような人間ではなかったから。

 ミーナになる前の俺は、とにかく無表情な人間だった。

 職場でも家でも感情を表に出すようなことは殆どなく、鉄面皮とさえ称されていた程だ。

 それが今や、ちょっとした感情の動きですぐに泣いてしまう。

 変化に一番戸惑っているのは俺自身だ。どうして涙が出るのか。どうしたら良いのかまるで分からないのだから。

 サラは俺の顔を見ると驚いたように目を見張り、そして。


「あっ!あの!これ!うちの農場から皆様にって!搾り立ての牛乳とパンです!どうぞ!」


 と手にしていたバスケットをウィズへと手渡すと、俺の手を取った。え?えっ?


「ミーナ。ちょっと外で話そ。……すみません。ミーナお借りします!」


「おう」「いってらっしゃい」


 仲間たちからの許可を受け取ると、サラは俺の手を引いてずんずんと歩き出す。


「え?ちょ、サ、サラ?」


「お。ミーナ。先に帰ってたんだな。良かっ……、おい?どこ行くんだ?」


 丁度そこに帰ってきたレオンが声を掛けて来るも、サラに手を引かれている最中なのですれ違ってしまった。


「…………なんだぁ?」


 よく分からない展開にバレナ同様に頭を掻くレオンであったが、


「あ、勇者様、すみません~。これからバレナ様の採寸を致しますので~……」

「へぁ!?す、すま~ん!!」


と、半ば強制的に追い出されることになるのだった。憐れ。


◆◆◆◆◆


「さて、話してもらえる?」


マーブル亭の前まで俺を連れ出したサラは、俺を真っ直ぐに見つめながらそう口にした。


「は、話すって、何のこと?さっきの涙は感極まっちゃっただけだよ」


 昨晩泣いていたサラを思い出して俺はそう返す。「なぁーんだ」とでも言ってくれることを期待しての発言だったが、


「嘘。さっきのミーナ、酷い顔してたもの」

「うぐ……」


 やっぱり彼女に隠し事は出来ないらしい。それならいっそ、相談にでも乗ってもらおうかな。


「……実はね、私、人に迷惑掛けるのが嫌いでさ。そうならないように頑張ってきたつもりだったんだけど……」

「…………うん」


 サラは言葉を挟んだりせず、続きを待っている。俺は息を飲んだ。


「私、出来ることがあった筈なのにそれをやらなくて、それで、みんなを命の危険にさらしちゃったの。本当にどうしようもない状況で……。それを全部ひっくり返してくれたのが勇者様……レオンだった。……私は足を引っ張っただけだったんだよ。だから、みんなが喜んでて、こんなおめでたい空気なのに、私だけは喜んでちゃいけない気がして……!……でもそんな私自身が周りの空気も悪くしてるって分かるから、もう、どうしたらいいか分からないの……」


 話しながら、ぽろぽろと涙が落ちていた。ああ本当に面倒くさい。俺自身、近くにこんな女がいたら距離を置くわ。

 だというのにサラは真っ向から俺に向き合っていた。慰めるでも貶すでもなく、正面からこちらを見つめている。


「──うん。分かった。……ねえミーナ。悪いんだけど、夜明け前にあの場所に来てくれない?」

「────え?サラ?」


 彼女の言葉の意味が理解出来ずに名前を呼ぶ俺に対し、サラは言うだけ言って満足したのか、小さく頷くとその場に背を向けていた。


「それじゃあね」


 そう口にして、彼女は本当に去っていく。


──夜明け前に、あの場所──


 俺は忘れない様に、彼女の言葉を脳内で反芻していた。


◆◆◆◆◆


採寸も無事に終わり、夕方になって俺たちはフィーブにある酒場、【ギリアン】に足を運んでいた。


「「うおぉぉぉ勇者だあぁぁぁ!!」」

「「俺たちの救世主だあぁぁぁ!!!」」


 町の解放を受けてか酒場の熱気は凄まじく、レオンたちの登場でそれは最高潮に達していた。

 人々は口々に勇者を讃え、喜びと共に酒を煽る。そしてその名を叫ぶのである。


「「勇者バレナあぁぁぁぁ!!」」

「いやもう、いいけどさ」


 あ、ちょっと拗ねてる。


 それから暫くして。レオンたちは酒場の皆と酒を酌み交わしていた。


「嬢ちゃんは何をしたんだ?」


 興味本意からの言葉だろう。ツルツルの頭に白い口髭を生やした恰幅の良い中年男にそう聞かれ、俺はあははと苦笑した。


「それが、すぐにやられちゃって、ずっと気絶してました……」

「そうなのかい?そりゃ気の毒に……」


 言葉と同時に、俺を見る目が興味を失う。良かった。と俺は安堵した。あれこれ聞かれても、みじめになるだけだからな……。


「違えよおっちゃん」

「っ、レオン!?」


 そんなやり取りの最中、言葉を挟んできたのは何とレオンであった。なんで?四人くらいに囲まれて話してたじゃん?


「こいつはうちの切り込み隊長でな。生贄に扮してあのデルニロに至近距離から先制攻撃をぶちこんだんだよ!あの時の啖呵は凄かったんだぞ。お前が殺した命の為にも、この町の為にも、お前はここでぶち殺すって」

「ちょっとレオン!やめてよぉ!」


 なんだコイツ!人のことを恥ずか死させるつもりか!?

 更に~……とか、まだ続けようとしたレオンを塞き止めるが、目の前のヒゲオヤジはその目を輝かせてしまった。


「マジか!あの魔神とサシでやりあうたぁ恐れいったぜ!おおい!みんな!」


 わぁぁ!呼ぶな呼ぶな!!

 なんてことしてくれたんだとレオンに涙目を向けるが、


「お前、ちゃんとすげーことしてんだから、勝手に自分を下げんなよ……」


 と拗ねたように言われて、「あ、ごめん……」とつい謝ってしまった。……そっか、レオン、そんな風に思ってくれてたんだ……。

 ほわほわしつつ、集まってきた連中にいちいち解説する羽目になったことについては、やっぱりレオンこのやろ~。と思う俺なのだった。



「時は戦国、私はララバイ。地獄で会おうと約束したが、もういない……」

「引っ込め~!」

「くたばれ~!」


 店の中央では、何やら弾き語りを始めようとした吟遊詩人がトマトを投げられて追い払われている。


「あっはっはっはっは!手厳しいねぇ~!」


 エールをあおりながらそんな様子を眺めて陽気に笑っているのはスルーズであった。俺から少し離れた席にて、四杯目のエールを飲み干した彼女は、空になったジョッキを分厚いオーク誂えのテーブルに力強く置くとこう宣言した。


「うっし、そんじゃあ今日のヒーローのリューさんに──いや、みんなの為にあーしが一曲歌っちゃうよ!」


 そしておもむろに立ち上がると、彼女はその身一つで今ララバイとかいう奴が放り出されたばかりのお立ち台へと上がっていく。


「あ、あんたぁ、歌えるのかい?」


 酒場のマスターにそう尋ねられれば、スルーズは「ししし」と楽しそうに笑う。


「ま、そこそこね。見ててよ」


 そうして彼女が歌い始めると、皆がそちらへと注目した。ほろ酔い気分でウトウトしていた奴も、レオンの必殺技談義に付き合わされていた奴も、喧嘩していた連中もララバイも、勿論俺も、全員の目が彼女へと向けられたのである。


「Rührt die Zimbel,schlagt die Saiten,

Laßt den Hall es tragen weit;~♪」


 クリスタルの様に透き通ったソプラノボイスは、まるで天使の調だ。スルーズが歌が上手いというのは公式設定だが、ゲーム本編では歌声までは聞けなかったので、俺も初めて彼女の歌を堪能しているのである。

 公式で作られたOVAではそもそも歌ってなかったし。


「Groß der Herr zu allen Zeiten,

Heute groß vor aller Zeit ♪」


その口から紡がれる歌は、その酒場にいた誰しも──俺以外に聞き覚えの無い言語の歌であった。だが、素晴らしいものというのは、例え理解出来ずとも魂に訴えるものがあるだろう。皆一様に固唾を飲んで彼女の歌声に聞き惚れている。

 そんな中で俺だけは、感動しながらも(……これ、ドイツ語だ)と気付いていた。

 スルーズが異世界転移者であることは以前語ったが、時代の違いはあれど、彼女は本当に俺と同じ世界から来ているのかもしれない。それを強く実感すると共に、俺は自身の口にしている言語の違和感に気付いた。いや、気付かされた。

……あれ。俺が喋ってる言葉、日本語じゃないよな……?

 最初から当たり前のように話せたし、相手の言葉も分かるしで気にしていなかったが、俺たちが話している言語は確かに日本語ではない。

 じゃあなんだと聞かれれば分からないのだが、この世界の独自言語といったところだろうか。……逆に今日本語を喋れと言われても出来ない気がする……。

 そう考えてみると、昨日書き纏めたノートの文字も日本のそれではないなと思う。こちらは設定資料本に記載があったから何となく分かる。クエハー世界の文字だ。


 なるほど。今の俺は言葉と読み書きが自動的に習得されている状態のようだ。まあそれがなければレオンの仲間にはなれなかっと思うので、俺をこの世界に呼び出した誰かがサービスで付けてくれたといったところか。


 まあこの辺りは今考えても仕方がない。女神の元で聞けば分かるかもしれないことなので今は放っておくことにする。


「ご静聴ありがとー!えへへぇ、どーよ」


 そんなタイミングで、一頻り歌いきったスルーズが静まり返った皆へと呼び掛けた。

 答えはわざわざ聞くまでもないだろう。一瞬の静寂の後には、割れんばかりの歓声が彼女を出迎えているのだから。


「うぉぉぉぉぉ!なんだ今の!すげぇなねーちゃん!」

「こ、こんな歌声聞いたことねぇぞ!?」


 スルーズが美声を披露するのは、俺の記憶が確かならばここが初だった筈だ。その証拠に、ウィズとバレナの二人は目を丸くして、開いた口が塞がらないといった様子であった。リューカはぱちぱちと拍手しながら、


「言葉の意味は分かりませんけれどとにかく凄いですわっ!」


 といたく感動した様子であった。


「うぉー!俺は今天使を見た!」

「も、もう一度!もう一度歌ってくれぇ!」

「ししし。次からは有料だよん」


 周囲から称賛の言葉を浴びて、にへらと笑うスルーズは、席に戻るとぐびぐびと隣の男のエールをあおるのであった。


「あっ俺の酒……」


◆◆◆◆◆


普段なら、夜の十二時を過ぎれば酒場であろうとも店仕舞いである。しかし本日は実にめでたい魔神討伐記念日とのことで、なんと翌朝まで営業を続けるとのこと。


「え~?いいの?悪いなぁ~」


 なんて微塵も思っていなさそうな言葉を吐きつつ、スルーズは酒を飲んだり歌ったり酒を飲んだりおひねりを貰ったり酒を飲んだりと楽しんでいた。


 ウィズ、バレナ、リューカの三人は、


「ごめんなさい。そろそろ限界……」

「付き合ってらんねぇわ」

「お腹一杯で眠いですの~」


 と、深夜に差し掛かった辺りでマーブルへと戻って行った。レオンは、スルーズを見張るという名目で眠い中頑張っているらしい。

ホント、真面目というか律儀というか……。

 ちなみに俺も付き合ってまだ酒場にいたりする。いや、俺の場合は抜け出すのに、ここに居た方が好都合だからなのだが。


 深夜の鐘の音が聞こえて、一時間以上は過ぎただろうか。そろそろ頃合いだなと判断して、俺は席を立った。


「──すみません。私も先に戻りますね。今日はありがとうございました」


 この場に残った人間に挨拶を、と声掛けして店を出ようとすると、そんな俺の背中に声がぶつかってきた。


「っ、ミーナ!」

「レオン?」


 声の主はレオンであった。何か用かと振り返るも、当のレオンは何か言いたそうに口を動かすも、特に何も口にせず、ばつが悪そうにその目を伏せた。


「……いや、すまない。なんでもないんだ。気をつけてな」

「あ、うん。ありがと」


 そんなやり取りをして店を出る。祭りの前日と言っても、流石に深夜の町は暗闇に沈んでいる。俺はカンテラに火を灯すと、それを持って歩き出した。


 サラが口にしたあの場所とは、昨日二人で話をした丘のことだろう。混乱の最中だったとはいえ、町長の屋敷からのルートはバッチリ覚えている。


 そうして一時間以上歩いて、俺は目的の場所へとたどり着いた。


 果たしてそこに、サラの姿があった。こちらを見つけると、ふっ、と小さく微笑むサラ。


「家、抜け出して来ちゃった。明日お説教かも」

「……ごめんね。サラ」


 彼女が俺をここまで気に掛けてくれるのは、嬉しい反面やはり怖い。だって既に彼女に迷惑を掛けてしまっている。


「そこまでしてくれる必要なんて──んぶっ!?」


 続きを言おうと思った俺の口は、サラの手によって挟み潰されていた。


「にゃ、にゃにを……」

「私!私がしたいからそうしてるの!ミーナに謝られる筋合いないんですけど!」

「ご、ごめん……」

「また謝る」

「ぁぅぅ……」


 怒られて萎縮している俺に、サラはため息を吐き出した。


「ミーナはさ、どうしてそうなっちゃったの?」

「どう……って?」

「他人に迷惑を掛けない人間なんていないって話。人に迷惑を掛けて、人から迷惑を掛けられて、そうして私たちは生きてるんだよ。それでも──」

「分かってるよ。それは。……分かってる」


 サラの言葉を遮って、俺はそう口にした。分かってるんだ。それくらい。だけど、だけど……。


「みんなは多分許してくれる。擁護もしてくれる。こんな私を、本気で信じてもくれるよ。……だからこそ、私は自分が許せない。足を引っ張るだけの屑が、大好きな勇者パーティの一人として見られるのが許せないの……」


 ついに、心の奥底にあった想いを吐露してしまった。これが、俺が抱えていたものの正体だ。


「ふうん。そう」


 しかしサラは、なんでもないことのようにそれを一蹴した。

 それ以降俺たちは言葉もなく、ただそこにいるだけの時間が流れていく。


……来るんじゃなかったな……


 こんな事を言われるために、頑張ってここまで来たのかと思うとやるせない。サラに謝ってもう帰ろう。そう俺が思った時、同じタイミングでサラが口を開いていた。


「……そろそろ夜明けね。……ミーナ、来て」

「ぇ、えと……」


 帰りを告げようと思ったタイミングで逆に言われた為、俺は驚いて言葉を失っていた。

 サラに手を引かれ、暗闇の中を歩いていく。


「ねえ……、サラぁ」

「こっち」


 俺の抗議の声にも耳を貸さず、サラは俺の手を引いて高台へと登っていく。


「ねえってば!いい加減に────」


 そう言おうとした俺の目に、その光景は飛び込んできた。


 水路に朝陽が反射してきらきらと光り、白い町並みが暁の色にうっすらと染まっている。春になると舞う、白い花びらが淡く色づき、それは言葉にならない程に幻想的で美しい。


「見える?ミーナ。これが──ユリアやみんな、そしてミーナが守った、フィーブで一番美しい景色だよ」


 昨日の、霧に閉ざされたそれとは比べ物にならない。俺は、視界に広がる全てに圧倒されて言葉を失っていた。


「────きれい……」


 何も考えられず、ただ思った言葉が口をついて出る。知らない。俺はこの景色、知らないんだ。

 クエハーのゲームで。攻略本で。俯瞰したドット絵の町を見下ろして、分かった気になってた。フィーブを知った気になっていた。

 けれどそんなもの、本物の生きた町の煌めき、息吹には遠く及ばない。

──俺は、何も知らなかった。

 フィーブの町はこんなにも、美しかったんだ。


「ミーナ。私には、貴女の悩んでることは分からない。力になれないかもしれない。多分私が何を言っても、ミーナはこれからも自分を責め続けると思う」


 言葉をなくした俺の前に、サラがフィーブの景色を背負う様に立っていた。息を飲んで見つめる俺に、サラは自身の胸に手を当てて声を上げた。


「見て。ここにあるのは、貴女が救った町と、貴女が救った命なんだよ」

「っ、でも、私は……」

「ミーナが自分を何と言おうと、私は、貴女が救ってくれたこの命に誇りを持って生きていくの。──ねえ、ミーナ」


 だめ。サラ、言っちゃだめ。


「私たちの為に、いっぱいいっぱい頑張ってくれて、ありがとう」


 駄目だった。涙を浮かべた目で、満面の笑みで告げられて、俺の中の堪えていた何かが決壊した。


「ぇ、ぇ、ふえぇぇ~ん!」


 泣いた。泣きじゃくった。子どもみたいに声を上げて泣いてしまった。

 でも、我慢できなかった。

 知っているようで知らない世界に放り出され、今までの自分と全く違う体で、勝手も分からず、何度も怖い目に遭って。

 仲間を死なせてしまう重圧に潰されそうになって。レオンやみんなが優しければ優しいほど、辛くて、切なくて。


「ずっとずっと、ごわがっだよぉぉぉ~……!!」


 幼い子供のように泣く俺を、サラが抱きしめてくれた。ふわりとしたミルクの甘い匂いに、高ぶっていた気持ちも少しずつ、落ち着いていくのだった。


「大丈夫、大丈夫だよ」


 ミーナの背中を擦りながら、サラはそう口にした。

 顔をくしゃくしゃに歪めて泣く、幼い子供のような彼女を抱きしめながら、ふう、とサラは息を吐き出す。


──ユリア。フィーブは救われたよ。ユリアの頑張りは、無駄じゃなかったんだよ。


 一緒に逃げようと泣くサラに、ユリアは静かに微笑んで、『逃げないよ』と答えた。生け贄の少女たちは戦っていた。何の力も無かったけれど、確かにこの町を、家族を愛していたから。

 サラの心に、ユリアの微笑みは今も鮮やかに焼き付いている。

内緒ね、と二人で家を抜け出して朝陽を眺めた日。悲しいことがあった日に一緒に食べたお菓子の味。気丈に微笑みながらも震える手を握った夜。何一つだって、忘れてなんかやらない。


 抱いていたミーナをそっと離すと、サラは少し歩き、町を背にミーナへと振り返った。


「ありがとう、小さな勇者さん」


 朝焼けの中、サラは微笑む。


「世界で一番美しい町、フィーブへようこそ」


 その瞬間こそ、俺の──いや、私のクエハーが始まった瞬間だった。

 少し離れた位置から二人のやり取りを眺めていたレオンだったが、結末まで見守ると、ふ、と小さく微笑み、その場を後にするのだった。

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