エピソード・オブ・リューカ 〜その1〜
竜族の里に、一匹の竜の女の子が暮らしておりました。
リューカと名付けられたその女の子は小さい体でしたがとても好奇心旺盛で、知らないものを見るのが大好きでした。
今から十二年前のこと。五歳になったリューカは、お祖母さまであるリューミリアの話に聞き入っていました。
「けれども男は人間、女は竜。二人が一緒になることは出来ません」
「え~!やーでしゅの!ぴえぇ~!」
「なんで知ってるのに毎度泣くのかねこの子は……。竜の娘は、願いが叶うという山の頂上へ行き、大いなる存在に願いました。『偉大なる山よ。そこに住まう精霊よ。願わくば、私を人の子へと変えてくださいませ』」
「そっ、それで!どうなったんでしゅの!?」
「なんで知ってるのに毎度聞いてくるのかね。その時、空から幾億もの光の柱が娘へと降り注ぎました。あまりの眩しさに娘は気を失ってしまいます。しかし彼女が光に包まれると、なんとその体が人間のものへと変わっていくではありませんか」
「わ~い!やったでしゅの!」
「目を覚ました時、娘は人間に変わっていました。娘は悦び、男を追い掛けます。『私です。貴方に助けられた竜です』娘がそう告げると、男はたいそう喜び、娘を嫁として迎え入れました」
「キャ~!キャ~!」
「『お慕いしております。リュード様』その時初めて、娘は男の名を口にすることができたのです」
「どうして今までお名前を呼ばなかったんでしゅの?」
「そうねぇ」
リューミリアは少し思案した後で、こう口にしました。
「私たち竜族にとって名はとても大切なものなの。名を呼んでいい相手は家族だけ。つまり、私たち以外にお前が名を呼んでいいのは、番になるべき相手だけ。そういうことなのさ」
「しょうなんでしゅのね……たいしぇつでしゅわ」
いまいち分かっているんだか分かっていないんだか。といった様子のリューカに嘆息しつつも、リューミリアは絵本へと目を戻します。
「しかし気をつけねばいけません。山の奇跡が起きるのはただ一度だけ。もし娘が竜の姿に戻ったなら、二度と人の姿になることは出来ないでしょう」
「ひゃ、ひゃあぁぁ……。ガタガタガタガタ……」
「おしまい。……よくもまあ、こんな何度も読み聞かせている話でそこまで楽しめるもんだよ」
ガタガタ震えていたリューカでしたが、リューミリアの言葉に、ふんす、と鼻を鳴らしました。
「お祖母さまのお話し方が好きなんでしゅのよ。しょれに、このお話とってもしゅきなんでしゅもの」
そう言ってリューカがぱくり、と絵本をくわえます。『竜の嫁入り』と書かれたその本は、自分でも何度読み返したか分からない彼女のお気に入りでした。
「やれやれ。それならいいんだけどねぇ」
ふう、と息を吐き出すと、リューミリアは思い出したようにこう口にします。
「ああそうだ。リューカ、今日は家の外に出てはいけないよ」
「?なんででふの?……あっ」
不思議に思ったリューカは、尋ねようとしてうっかり絵本を落としてしまったようです。慌ててくわえ直している彼女を見て、リューミリアは小さく息を吐き出すとこう付け加えました。
「なんでもよ」
◆◆◆◆◆
好奇心は旺盛でしたが、基本的に良い子だったリューカは祖母の言い付けを守り部屋で遊ぼうとパタパタ羽を動かして移動していました。すると。
「参ったわね。まさか人間の船がこの近くに来るなんて……」
「気付かず通り過ぎてくれれば良いんだけどねぇ」
誰かの話し声が聞こえて、その羽を止めていました。
(あれは、お母しゃまとお祖母しゃま……?)
話し込んでいるのは先程までリューカに絵本を読んでくれた祖母であるリューミリアと、その娘にしてリューカの母であるリュースでした。
思わず影に隠れてしまったリューカでしたが、彼女が気になるのは、二人が話している内用です。
(ニンゲン、と言っていましたわ?ニンゲンがこの近くにきてるんでしゅのね!?)
確かに母リュースはそう言っていました。
ニンゲンは、リューカが絵本で何度も夢見た憧れの生き物です。こうなってしまえばもう、リューカは良い子でなどいられません。
二人の目を盗むと、家を飛び出してしまいました。
「いったいどこかしら」
パタパタと高く飛んで周囲を伺うと、すぐにそれは見付かりました。見慣れない大きなものが、島の近くを泳いでいたのです。リューカは鯨かとも思いましたが、それが生き物でないことはなんとなく分かりました。
人間が乗る、船によく似ていたからです。
(あれが船……。初めて見ましたわ……)
人間も見れるかもしれない。そんな好奇心に釣られるままに、リューカは船に降り立ちました。
その船は大層大きなもので、リューカが竜族の中ではまだ小さな子供であることもあってか、とても広い場所に感じていました。
(ニンゲンさんはどこかしら)
キョロキョロと辺りを見回すリューカでしたが……。
「おい今なんか音がしなかったか?」
「気のせいじゃねえか?」
(ぴゃいぃっ!?)
何ということでしょう。折角人間が現れたというのに、リューカは驚いて隠れてしまったのです。
(ど、どうしましょう。……あら?)
その後のことを考えようとするリューカでしたが、その時ふと、その室内に甘い香りが漂っていることに気が付きました。
(なんでしゅの?これは)
ほぐほぐと鼻を鳴らしながら飛び回ると、やがて彼女は一つの箱の前へとたどり着きました。匂いはこの中からしているようです。
(うんしょ、うんしょ)
頭を使って器用に蓋を持ち上げると、隙間に素早く頭をねじ込みます。中にあったのは、見たこともない赤い果実でした。
(そういえば、お腹が減っていたんでしゅの)
一つくらいいいかしら。と首を伸ばしてそれをかじるリューカ。
(なっ、なんでしゅのこれはーっ!)
それは、人間たちの間でりんごと呼ばれる果実であった。初めて味わった瑞々しさ、甘酸っぱさ、歯ごたえに驚いて固まるリューカであったが、しばしの停止を経て猛然と食べ始めた。それが、美味しいという感覚だと気付いたのだ。
(食べっ、食べるのが止まりましぇんわぁっ!)
一つをあっという間に食べきると、まだるっこしいとばかりにリューカはリンゴの入ってる大きな木箱に潜り込んでしまいました。
(これっ!最高でしゅのっ!)
箱一杯のリンゴを次々口にほおりこんでいくリューカ。竜族の底無しの食欲により箱のりんごを殆ど食べ尽くすと、大満足したリューカは満腹で眠りにつくのでした。
◆◆◆◆◆
それからどれくらい経ったでしょう。ふいに大きな揺れを感じてリューカは目を覚ましました。
(ん~。なんでしゅの……?)
なんだか騒がしい音に、おそるおそるりんご箱から顔を出すリューカ。
するとなんということでしょう。 そこは船の上ではなく、どこか見知らぬ市場の倉庫。眠りこけたまま、リューカはりんごの納品先へ運ばれてしまったのです。
(ここ、どこでしゅの?おうちに帰らなきゃ……)
唐突に不安がリューカに押し寄せ、ついにリューカは木箱の蓋を押し上げると、外へと飛び出しました。
「あ?」
『ぎゃう?』
倉庫から出たリューカを待ち受けていたのは、市場で働く多くの人間たちでした。お互いに一瞬時間が止まったかと思った次の瞬間。市場はパニックに包まれました。無理もありません。 売り物を入れている倉庫から、小型とはいえドラゴンが飛びだしてきたのですから!
リューカも、いくら憧れていたとはいえ、彼女も幼子。噂にしか聞いたことのなかった人間、他種族に一気にこんなに出会ってしまったらパニックになって当然です。
『シぎゃあァァァァッッッ!!』
「早く取り押さえろ!」
「縄だ!縄持ってこい!」
とにかくこの叫び、暴れまわる危なっかしい生き物を どうにかしようと、大人の男たちがよってたかってリューカを追いかけます。
『きゃあァァァッッッ!!』
リューカはすんでのところで空へと逃げると、追い立てる人間たちが見えなくなるまで飛び続けました。
(うう……、ここはどこなんでしゅの……)
やっとのことで追っ手を撒いた彼女でしたが、そのせいで更に知らない場所に入り込んでしまったのです。
木々も、草木も、彼女の暮らす島にあるものとは似ても似つきません。寂しくなったリューカは声を上げて鳴きました。
『キューーン!』
しかし父も母も、祖父も祖母も誰一人として助けには来てくれません。……と。
ガサガサ、と近くの草むらが揺れました。家族が来てくれたのかも!喜ぶリューカでしたが、そこから顔を覗かせたものは、彼女の期待とは全く違っていました。
「やっぱりなんかいるって!」
「気のせいじゃねー?」
草をかき分けて姿を見せたのは、人間の子供たちでした。二人の少年がリューカの鳴き声を聞き付けてやって来たのです。
『ミ゛ャ゛ッ!?』
天国から地獄。助かったと思ったのもつかの間、またしてもピンチに逆戻りです。
逃げなきゃとも思いましたが、全力でここまで逃げてきたせいでもうへろへろであり、これ以上飛べそうにありません。
「…………」
少年の一人がリューカの姿を見て固まると、
「すっっっげえ!?」
と叫びました。リューカはびくぅ!と跳び跳ねます。
「ドラゴンだぞドラゴン!初めて見た!かっけえぇぇぇ!!なあダニエル!ドラゴン!」
「うるさいなレオン。見れば分かるってば」
「だって見ろよダニエル!この緑の体に金色の目!!めちゃくちゃかっけ~じゃん!!」
「あー、分かった分かった」
興奮してはしゃぐ少年に、もう一人の少年がツッコミを入れます。
レオンとダニエル。二人は近くの町であるファティス出身の少年たちでした。
怯えるリューカは、これ以上近付くようなら噛みついてやろうと身構えます。しかし体力の限界に達していた彼女は、ぽてす、と倒れ込んでしまいました。
「あれ。元気ねーな」
「お腹空いてるんじゃない?」
「なるほど」
そんなやり取りをした後で、レオンは自身のバッグを漁ると何かを取り出しました。
『!』
それは、りんごでした。
『キュアっキュアっ!キュイィィ』
「わっ!?なんだ!?」
急に鎌首をもたげて鳴き出したリューカにレオンも驚きます。ダニエルはそれを冷静に観察すると、
「りんごが好きみたいだね」
と頷きました。
「そか。よし、じゃあやるよこれ」
『ギャブッ、ギャッ』
渡されたそれに夢中でかじりつくと、リューカはあっという間に平らげてしまいました。
『ギュイッ、キュアァ』
「なんだよじっと見て。……もう持ってねーぞ?」
『キュウゥゥン……』
と、その時、遠くから声が聞こえて来たのです。
「こっちに行った筈だ!」
「近くに隠れてるかもしれん!」
「竜って奴は見世物小屋に売れば金貨二十枚は下らないらしいぞ」
「くそ、あの時逃がさなけりゃなぁ」
先程の大人たちが、しつこくリューカの後をつけてきたようです。彼らはガサガサと草むらをかき分けて付近を捜索しています。ここもいつ見つかってしまうか分かりません。
『…………ヵゥゥ……』
「お前、追われてんのか……。大丈夫だ。何とかしてやるから」
身を縮めて震えるリューカの頭を、レオンがぽんぽん、と撫でました。リューカは驚いて顔を上げます。
「何とかって、考えあるの?レオン」
「任せとけって」
レオンはそう息巻いて草むらから出ると、大人たちへ慌てて駆け寄りました。
「う、うわあぁ!」
「な、なんだボウズどうした!?」
驚いた様子の大人たちに、レオンは遠くを指差して騒ぎ立てます。
「あ、あっち!あっちにトカゲのばけもんが飛んで行ったんだ!!嘘じゃねーって!!」
「なんだと!?」
「お手柄だぞボウズ!」
「おい向こうだ!急げ!!」
慌てふためくレオンの様子に大人たちも釣られ、彼らは急いでレオンの示す方向へと走り去っていきます。
その背を見送ると、んべ、とレオンは舌を出しました。
「ばっかで~。騙されてやんの」
そうして意気揚々と戻ってきたレオン。そんな彼をダニエルが迎えました。
「レオンさ。なんというか、怯える演技が異様に上手いよね」
「あん!?俺がビビりだって言いたいのかオメー!」
「いやそうじゃなくて……、いや、そうなの?」
「真剣に悩んでんじゃねーよ!」
そんな掛け合いを繰り広げた後、二人は今後について話し合います。
「やっぱりここに置いておくのは危険じゃないかな。またさっきの大人が戻って来るかも」
「ん~。だとすると……」
腕を組んで思案した後、レオンはポン、と手を打ってこう口にしました。
「よし、秘密基地に連れていこう」
「はぁ!?」
驚いたのはダニエルです。
「そんなの、バレナが許さなくない!?第一、その竜をつれて行けるの?大人から逃げてたんで、しょ…………」
そう言い掛けたダニエルでしたが、その言葉は最後まで言い終える前に消えていました。レオンに絡み付いているリューカの姿を見てしまったからです。
『きゃう~』
「おいよせよ重いだろー」
りんごを上げた為か、すっかりリューカはレオンになついてしまったようです。
「ああ、まあそれなら別に良いんだけどさ」
はぁ、とため息を吐き出しながらダニエルが言い、そうして二人と一匹は人目を盗んで彼らの秘密基地へと向かいます。
そこは、町外れにある洞窟でした。洞窟の入り口にいた少年は、二人に気付くと不満そうに声を上げました。
「なんだよお前ら、おっせーぞ!」
「わりぃわりぃバレナ。ちょっち予定外のことがあってよ」
褐色の肌にツンツンした黒い髪の少年を、レオンはバレナと呼びました。そう。今勇者パーティにいるバレナです。実は彼女はレオンの幼なじみだったのですが、この頃のバレナは正しくボーイッシュであり、レオンもずっと男の子だと思っていたくらいです。再会した後も同一人物だと気付くまでに少し掛かったとか。
「予定外だあ?」
訝しんだ様子のバレナでしたが、レオン──その背中へと目を向けて言葉を失います。
「あ、あああ……」
無理もありません、だってそこにいたのは、緑の体に金色の目をした、小さなドラゴンだったのですから。
「モンスターッッ!?レオンから離れろっっ!」
レオンが襲われていると判断し、バレナは一も二もなくリューカに飛び掛かりました。ドラゴンを相手に、なんという勇猛果敢ぶりでしょう。
『ピギャ~!!』
襲われたリューカが逃げ回り、レオンたちが事情を説明すると、バレナは「なんだそうかよわりぃわりぃ」とリューカに手を出してきました。仲直りの握手のつもりでしょうか。しかしいじめられたと思ったリューカはそれを許さず、その手に思いきり噛み付いたのです。
「あっっっでッッッ!?てめ!んにゃろォ!」
『ピーッッ』
「こらこら二人とも……」
そうして、リューカを洞窟に匿い、少年たちは銘々食べ物を持ち寄って彼女の世話をすることとなりました。
リューカは人懐っこい性格で頭もよく、彼らが自身に良くしてくれていることが分かるのでしょうか、決して洞窟から逃げるようなことはありませんでした。
唯一バレナとは最初仲の悪いリューカでしたが、何だかんだと面倒見の良い彼女がお世話を続けるうちに、すっかり打ち解けていました。
しかし楽しい時間は長くは続きません。
レオン、ダニエル、バレナ。どの家族も、子供たちが食事を残してはどこかへ出かけていく姿に何かを感じていたのでしょうか。三人は後をつけられ、遂にリューカの存在が見つかってしまったのです。
「うわあぁぁぁぁ!!!!ドラゴンだあぁぁぁ!!!!」
「子供に近づくな化け物め!!」
いくら子供たちが弁明したところで、町の人間にとって竜は未知で恐ろしい怪物なのです。彼らは武器を手にリューカを追い立て、彼女は飛んで逃げることとなるのでした。
『キュワアァァァッッ……』




