フィーブ 生贄の祭壇『それぞれの想い』
「やっと帰って来たか」
色々あって、俺がキャンバルに帰って来たのは町の大時計が午後六時を示す頃であった。
「お待たせしました」
「その分だと大丈夫そうですわね」
俺の様子を見て、安堵したように息を吐き出すリューカ。なかなか帰って来ないので皆心配していたらしい。
「ともかくも、これで全員集まった訳だし、ミーティングだな」
レオンの言葉を受けて俺たちはキャンバルの一室へと集まると、夜の流れについての話し合いが始まった。
「それで、私が着替えた後で監視役の人と一緒に祭壇に移動するのが、恐らく夜の十一時半頃かと。その後は祭壇上で待機します」
「ならアタシらはその前から祭壇の周囲で待機してるってことだな?」
頷くバレナに、しかし「待って」と口を挟むのはウィズである。
「周囲に私たちが隠れていること、デルニロにバレたりしないかしら?」
「そりゃあちゃんと──、むむ……。いや、んんん……」
その言葉を受けて、腕を組んで考え込んでしまうバレナ。それについては俺が口を挟むことにする。
「あ、それは大丈夫です」
「ん?どして~?」
「今までも、監視役や野次馬が周囲に居てもデルニロはそちらを襲うことはなかったそうです。だから周囲に気配があっても問題ないかと」
「あ゛?今なんつった!?」
「ひぇ!?」
俺の言葉を受けたバレナが、その形相を一瞬で険しくさせる。リューカもウィズも、穏やかでは居られない様子で眉間にシワを寄せている。
分かるよ。俺もそれは許せないから。
「……どうしても、そういう人たちは出てしまうみたいです……。あ、今回は町長さんが人払いをしっかりしてくれるそうなので大丈夫ですよ」
「…………とにかく、つまり当初の予定通りで問題ないって訳だな」
レオンの発言に、その場の皆が首を縦に振る。ぐるり、とそれを見渡すと、レオンは満足そうに頷いた。
「よし、じゃあウィズ。あれを頼む」
「ええ。用意してあるわ」
……あれ?
何のことか分からず首を傾げる俺の前にウィズが近付くと、
「これよ」
と手にしたそれを差し出した。
「これって……」
それは手のひらに収まる程の黒いボールであった。くるくると回してみると、一点に円形の小さな白いシールが貼られているのが分かる。
「あ、それはまだ剥がしちゃダメよ」
「ふえ!?あ、はい」
「これは、魔法玉って言ってね。この中に私の魔法を一つ閉じ込めてあるの。これはマジカルボム。このシールを剥がして五秒程立てば魔法が発動する仕組みよ」
「なるほど」
「作るのに結構時間も労力もお金も掛かっちゃうから決して効率が良いとは言えないんだけど、これがあれば誰でも魔法が使えるってワケ」
ウィズの言葉を受けて、俺は手元の玉をしげしげと見つめる。これが魔法玉かぁ。
「これで……、魔法が……」
魔法玉はクエハー後半にダンジョン内の宝箱などから手に入れることが出来るアイテムだ。様々な魔法玉があるものの、そのダメージは使用者本人の魔力量に影響される為結局ウィズに使わせるのが一番という残念な話だったのだが。
俺は確か、魔法ダメージでしか倒せない敵の撃破に使用していたような気がする。
「ミーナはそれを、デルニロの観察が終わったもしくは、危ないと思ったら使ってくれ。強い光が出るから、目は閉じるように」
なるほど、つまりこれはデルニロの目を眩ませつつ、皆への合図の役割もあるってことだな。
「ちょっと返してもらってもいい?」
「あ、はい」
そのまま託されるのかと思いきや、言われるままに魔法玉をウィズに手渡すと、彼女はそれを自身のポシェットへと収め、改めて俺に渡してきた。
「はい。素手で持つのは危険だから、念のため、ね?」
「ありがとうございます」
流石はウィズの私物だけあって、ポーチには可愛らしい猫のアップリケが縫い付けてある。この人、こういうところホント器用だよね。
「出来ればそれを使用してもらうに超したことはないんだが」
ほわほわとそれを眺める俺に、レオンが声を掛けて来る。
「万一、使用出来ない状況に陥る可能性もあるだろう。だから、こちらでヤバそうだと判断したら突入するからな」
「あ、はい」
「その後で俺たちがどう動くかは、ミーナ。すまないが君に託す」
レオンの言葉に、俺はこくり、と頷いた。
そこから先の作戦は俺次第ということで、会議はそれでお開きとなる。
さて、俺も色々支度しなきゃな。
◆◆◆◆◆
時間は夜の十時を過ぎ、俺は荷物の入ったナップザックを背負うと立ち上がった。
「もう行くのね」
出発の気配を感じてか、同部屋のウィズが声を掛けてくる。小さく頷く俺。
「──はい」
「……恐く、ないの?」
……それ、聞いちゃうんだ。
ウィズの言葉に下唇を噛んだ後、笑顔を作ると俺は口を開いた。
「大丈夫ですよ。みなさんがいますから」
嘘を吐いた。だって今更恐いなんて言える訳ないじゃん。逃げるわけにはいかないんだから。
「……そう。気をつけてね」
何処か寂しそうにそう口にするウィズの隣で、スルーズが手を振っていた。
「いってら~」
軽いなぁ……。ま、今はそっちの方がありがたいけど。
ちなみに、今しがた書き上げたデルニロの討伐方法についてをまとめた本は、スルーズに預けてある。
ま、念のためね。
「じゃあ、また後で!」
そうして俺はキャンバルを後にした。今日は酒場も空いてはおらず、この時間帯に開いている店もない。周囲の景色はすっかり闇に飲み込まれて沈んでいた。そんな中で、手元のランタンだけが道を照らしてくれる。
「急がなきゃ」
そんな中を俺は小走りに進んでいく。別に時間に遅れている訳じゃない。それでも何故か急がなければいけないような気がして、俺は歩みを進めるのだった。
◆◆◆◆◆
「そろそろ、俺たちも出発だな」
ミーナがキャンバルを後にして三十分程が過ぎた頃。
レオンが他の皆を前にしてそう口にした。
「いよいよですのね!」
ふんすと鼻を鳴らして意気込むリューカ。しかし彼女以外の三人は、あまり覇気がない様子だった。
「……どうしたんだ?三人とも」
心配するレオンに、
「どーもこーもねえよ」
と声を上げたのはバレナである。
「不確定要素が多すぎんだろ。確かに不利な条件での戦いってのもこれまであったよ。けどこれはいくらなんでもヤバすぎる」
「正直、私も同感。先が見えなさ過ぎて怖いのよ……」
ウィズも後に続く。不安を吐露する二人であったが、それでも。
「まあ、やるしかないんだけどさぁ」
「そーなのよねぇ~……」
今更後に引けないのは二人も同様であった。
「だよな」と苦笑するレオンはスルーズへと顔を向ける。
「それで、スルーズはどうしたんだ?二人と同じか?」
「や~、あーしはちょっち違うっつーか」
問われて気まずそうに目を逸らしながら、スルーズは逡巡すると口を開いた。
「なんとなく?イヤな予感がするっていうかさ。いやまあそんなこと言っても行くんだけども」
「じゃあ言うんじゃねーよんな不吉なコト」
「バレっちだって弱気なこと言ってたくせにー」
「ああ!?」
「ちょっとちょっと二人とも」
「なんだよ!?」
「ひゃい……」
言い合いになりそうなタイミングでそれを止めようとするウィズであったが、バレナに一睨みされただけで引き下がってしまった。弱い。
「おいおいみんな……」
「あらバレナさんたら」
何か言おうとしたレオンを押し退けて、次にバレナに声を掛けたのはリューカである。リューカはふふん、と鼻を鳴らすと眼前のバレナに対して不敵な笑みを浮かべる。
「まさかバレナさんともあろうお人が怖じ気づいたんですの?いいんですわよ。布団で震えてても」
「あんだとッ!?」
怒髪天をつくとは正にこのこと。怒り狂ったバレナが掴み掛かるも、リューカは涼しい顔のままであった。
「ふふ。お元気だこと。まだ見たこともない魔神とやらは怖いですの?」
「あ!?魔神がなんぼのもんだっつーんだよ!やってやんよチクショーが!」
怒りながらまんまと乗せられたことを理解するバレナ。彼女の顔が紅潮しているのは怒りのせいだけではないだろう。
「……っチ。悪かったな。柄にもなく弱気になったりして」
いい加減覚悟を決めたらしいバレナが、腰に手を当てて息を吐き出した。
「よし、そんじゃあ行くか」
そんな光景を眺めるとレオンは頷き、そして一行は未だ覚悟の決まっていないウィズを連れ立ってキャンバルを出ることに。
「という訳でお世話になりました。俺たちはこれで宿を出ます」
魔神を首尾良く倒せたとて、宿には戻らない意思を告げるとキャンバルの主人であるロドリスは目を丸くした。
「こ、こんな夜に外に出るのかい!?いくらなんでもやめた方が……」
魔神が現れる夜は基本的に外出禁止とされている。それでも出歩くのは、スルーズにコナを掛けた連中のような火事場泥棒狙いのワルか、ミーナの言う野次馬目的の連中くらいだろう。魔神の出現を別として考えても、治安が悪すぎる。
「心配してくれてありがとうございます。でも、どうしてもやらなけりゃいけないことがありますので」
「そうかい。そこまで言うのなら止めないが……よし、」
言い淀んだ後でロドリスは腕を組むと、カウンターの奥にある樽へと目を向けた。
「何かでけぇことをしようって面だ。気に入ったぜ。景気付けに一杯飲んで行きな」
一杯、と言うからには樽の中に入っているのはエール、もしくはワインであろう。
「え~?マジ~?」
ぱあ、と先程の浮かない様子が嘘のように目を輝かせるスルーズであったが、レオンはそんな彼女を手で制した。
「すみません。気持ちだけありがたく受け取らせて頂きます。でも今は飲む訳にはいかないんです」
「そ、そうなのか?ちょっとくらい……」
「その代わり、もしここにまた来るときはたらふく飲ませて頂きますよ!」
そこまで言われて、店主も納得したらしい。
「分かった分かった。じゃあ気を付けてな」
と笑いながら、彼らの背を見送るのだった。
◆◆◆◆◆
十一時を過ぎて、町長の屋敷にも緊張が走っていた。行き交う人々も皆が何事かを思案し険しい表情を浮かべている。そんな中で、俺はというと。
「あ、あのこれ、本当に生け贄の装束なんです……?」
秘書の手で着替えを終えた後、鏡に写る自身の姿に困惑していた。
装束というから巫女服のようなものを想像していたのだが、鏡の中にいる俺はどう見てもその手の店のいかがわしい踊り子であった。
胸回りだけを隠す衣服と、下は食い込みの激しいパンツの上からふんどしのような布で隠しているだけ。両サイドにヒラヒラしたスカートのようなものは付いているものの、こんなの実質尻丸出しと変わらんやんけ。
というか!生地が薄すぎません!?なんか透けそうで嫌なんだけど!
「問題ありません。ではその上から白い衣を羽織って頂きます。時間がありませんのでぐずぐず言わずにさっさとして下さい」
羞恥に顔を歪ませる俺を他所に、秘書である彼女は冷静そのもの、というか冷酷でさえあった。年齢は三十代前後だろうか。ピシッとした姿勢と態度が特徴の眼鏡美人である。
平時の俺だったならデレデレして言うことを聞いていたのかもしれないが、今の俺からすれば、だったらアンタが着ろよ。としか思えない。いいんじゃないか?美人だし似合うと思うよ。
まあこんなことするのも初めてじゃないから慣れ切っちゃってるんだろうけど、こちらは最初で最後なんだから配慮して頂きたい。
「整いました」
ややあって、秘書に連れられて俺は町長の前へとやってきた。俺の姿を一目見たケーニッヒは、「うむ」と頷く。……この人たち、よく真顔でいられるよな。それとも俺がおかしいのか?
「あ、あの……」
「なんだろうか?」
「これ、今までの女の子たちも着ていたんですか?」
顔を赤らめて俯く俺の言葉を受けてケーニッヒはふむ、と顎に手を当てると。
「そうだ。正当なる贄の証として、分かりやすい衣装に仕立ててもらっている」
と臆面もなく口にした。
え?何なの?この世界ではこれ普通なの?……いや、違うよな。バニーガール衣装を嫌がるバレナイベントとかあったもんな。
やっぱこれはこの世界でも恥ずかしい衣装なんだよ。
じゃあこれを最初に親の前で着せられたユリア、どんだけ覚悟決まってたんだ……!?
「~~~~そ、そうですか……」
今までの皆が着ていたというのなら文句も言えない。ただひたすら羞恥に耐える俺の前で、秘書がケーニッヒに何事かを耳打ちした。
「なに。本当か」
「はい。連絡がありました」
「むう」
今まで表情を崩さずにいた町長が、その一言に顔色を変えた。眉間にシワを寄せて何事かを思案した後で、彼は秘書へと目を向けると口を開いた。
「動き出した流れは止められないということか……。仕方がないな」
「ではそのように」
二人の意味深なやり取りはそれで終わったらしい。空気を読んで口を挟まないようにしていた俺へと向き直ると、ケーニッヒは朗らかな笑顔を浮かべた。
「待たせたね。それでは出発してもらおうか。場所は分かるだろうけれど、一応案内は彼に務めさせるので同行するように。トール」
「はい」
ケーニッヒの呼び掛けに応じるように、それまで応接室の外にいたであろう男が部屋の中に入ってきた。
見上げる程の長身に、見事なまでに鍛え上げられた筋骨粒々な体。単純な力比べであればレオンより強いであろう彼は、町長ケーニッヒの用心棒を務めているトールである。
──トールが監視役の人間だったのか……。
例によって、俺は彼を一方的に知っている。見ただけで恐怖を煽るような威圧感の持ち主である彼が、サラの死を実の両親と同等かそれ以上に嘆き悲しんでいたことも。
恐らく本来の彼は、監視役が出来るような人間ではないのだろう。その証拠に、部屋に入ってきた時からずっと、彼の表情は沈んでいた。
「よろしくお願いします」
頭を下げる俺にトールは小さく会釈だけすると、踵を反して歩き出した。俺と会話をするつもりはないということなのだろう。俺も慌てて後を追う、が。
「ありがとうございました」
足を止めて振り返ると、ケーニッヒと秘書の二人に頭を下げた。すぐに踵を反してトールを追った為、二人がどんな顔をしていたのかは分からない。言い逃げ。つまりは俺の自己満足だ。それでも俺は、世話になった人たちにはお礼を言っておきたかったのだ。
◆◆◆◆◆
トールは歩幅も随分と大きいらしく、並んで歩こうとしてもすぐに引き離されてしまう。
さっさと俺を目的地に送り届けたいという意志もあるのだろう。なんとか付いて行くために俺は早歩きをする羽目になっていた。
ちょこちょこと歩きながら、何度目か彼に近付いたタイミングで俺は声を掛けた。
「トールさんって、普段はどんなお仕事をされてるんですか?」
驚いた目が俺へと向けられる。まさかこんな風に話し掛けられるとは思っていなかったのだろう。
確かに、生け贄役がこんなに朗らかに声を掛けてきたら怖いかもしれないが。
「あ、いや……私、いえ、自分は……」
なんてボソボソと口にする彼に、俺は更に笑顔を向ける。
「会話しちゃ駄目。なんて言われてないですよ」
「……………………」
トールは、困ったように眉を寄せていたが、ややあって口を開いた。
「困りましたね。こんな風に明るく話し掛けられたのは、貴女で二人目です」
えっ!?いたの!?と驚く俺であったが、何となく心当たりが浮かんで口を開く。
「ひょっとして、ユリアさんですか?」
「御存じなのですか」
「サラから、教えてもらいまして。凄い人だったって」
俺の言葉にこれまでずっと表情を沈ませていたトールの顔に色が付き、そして再び陰った。
「ええ。凄い方でした。自身の方が死の恐怖にまとわり憑かれている最中であるというのに、笑顔を作り、私を励まして下さったのです……」
トールの言うことによれば、彼は二十年以上前、まだ十代の少年だった頃にケーニッヒによって拾われ、用心棒になるべく育てられたのだという。
「奥方であるシャル様のこともよく存じております。そしてユリアお嬢様は、生まれた時から共に時間を重ねてきた私にとっても大切な家族なのです。どうして私が、そんなユリアお嬢様を死地にお送りなど出来ましょう……!いや、出来なかった……!嫌だとみっともなく涙する私に、しかしお嬢様は言ったのです」
そこで言葉を区切るトール。いつしか彼の目には涙が溜まっていた。思い返すように目を閉じると、ゆっくりとそれを開いていく。そして彼は、彼の脳裏に焼き付いたユリアの言葉を繰り返した。
『トール、胸を張りなさい。貴方はこの町を救う為に正しいことをしているの。今は辛いだけかもしれないけれど、いつかきっと自分がしたことを誇りに思える日が来るから。大丈夫よ。ね?』
俺は言葉を失って、ただ静かに息を飲んでいた。サラから話に聞いてはいたけれど、本当に誇り高い人だったんだなと改めて思う。
同時に、その損失を思うと胸が痛い。きっと彼女なら、町民を思いやれる立派な町長になれただろうに。
「素晴らしい人でした。何故彼女が命を落とし、私のような人間がのうのうと生きているのか、何度も何度も思い悩みました……」
「それは、それは違いますよトールさん。悪いのは……」
「分かっています……。しかし私は無力で、かの魔神を討ち果たす力もない……。私は生きたいと願う彼女たちを、死地に送ることしか出来なかった……。あまつさえ、生きたいと、死にたくないと懇願する彼女たちを押さえ付け…!」
「トールさんっ!」
「!」
自分でも驚く程に大きな声が口をついて出ていた。面食らって目を丸くしているトールに、俺は小さく深呼吸してからゆっくりと言葉を紡いでいく。
「例え辛く苦しかったとしても、今のフィーブがあるのはトールさんと彼女たちがいてくれたからです。それは絶対に無駄じゃない。今までの全ては、今夜報われます。──その為に、私たちは来たんですから」
「────」
実際トールが心を殺して仕事を果たしてくれなければ、フィーブはもっと早くに滅ぼされていた可能性が高いのだ。だからこそユリアが彼に言ったことは、間違いでも気休めでもないと俺は思う。
足を止め、驚いた顔をこちらに向けるトールであったが、ややあって彼は静かに口を開いた。
「ミーナさんといいましたか。……貴女は不思議な人だ。ユリアお嬢様とはまるで性格も何も違うのに、まるで彼女と話をしているような懐かしさがある……」
「買い被りですよ」
ふ、と小さく笑いながら、俺は一人先に歩みを再開させた。
ちらり、と視線を動かすと、横目にトールが慌てて後を追って歩き出す姿が映る。
以降、俺たちは祭壇にたどり着くまで無言であった。しかしそこに殺伐とした空気は一切ない。まるで知り合い同士が夜道を散歩しているような、そんな心地よい空気さえ漂っていたように思う。
「ここ、ですか」
ややあって、俺たちはその祭壇の前にたどり着いた。
──ああ、こんな感じだったな……。
石作りで意匠を凝らされたそれは、確かに神に捧げ物をするのに相応しい荘厳さを醸し出している。
石段を登った高台に、人一人が寝れる程度の台座が見える。恐らく俺のゴールはあそこだろう。
上ろうとした俺を、トールが呼び止めた。
「ミーナさん」
「────え?」
階段の下に佇むトールは真剣な顔をこちらへと向けている。
「私がご案内出来るのはここまでです。どうかこの先はお一人で」
「……いいんですか?もしかしたら逃げるかもしれませんよ?」
俺の軽口にトールは目を細めると、ふふ、と小さく微笑んだ。
「しかし貴女はそれをしない。そうでしょう?」
「そうですね」
トールの言葉に、俺は小さく頷く。しかし彼の言葉はまだ終わっていないようだった。
「それに、サラ様のこともあります」
「サラの……?」
「サラ様はユリアお嬢様を喪ってから、ずっとふさぎ込み、周囲に壁を作っていました。そんな彼女が、初対面の貴女にユリアお嬢様のことを話したと聞いて、私は驚いたんです。貴女には、やはり何か不思議な魅力がある」
目を開くと、急にこちらを誉めてくるトール。あの、不意討ちでそういうこと言うのやめてもらっていいですかね?
歯の浮きそうな言葉を平然と口にした後で、トールは「それに」と付け加える。
「もしも私が今貴女に手を上げようとすれば、私の方が殺されかねないですからね」
「え?」
「こう見えて用心棒ですから、殺気を感じ取ることだけは得意でして」
朗らかにそう口にすると、
「では、御武運を」
と恭しくお辞儀をして、トールはその場を後にするのであった。
──殺気。私の方が殺されかねない。
トールの背を見送りながら、俺は彼の言葉を反芻する。
そうして僅かに思案して、俺は納得して頷いた。ああ、なるほど。
「来てくれてるんだな。みんな」
恐らくトールが感じ取ったのは、バレナ辺りの殺気であろう。どうやらみんなちゃんと周囲に待機してくれているようだ。
「────よし」
一人じゃないと分かれば、勇気も沸いてくるというもの。俺は石段に足を掛けると、それを登っていく。祭壇までの高さはおよそ五メートルといったところか。天辺までたどり着くと、果たしてそこには石で作られた台座があった。
「ここに、みんな居たんだな…」
──あれ。
気付いたら、俺の脚が震えていた。レオンたちがいてくれていると分かっていても、そこに座ることへの恐怖は拭い去ることは出来なかったらしい。
だったら、今までの彼女たちは……。
味方もおらず、たった一人で死を待つ恐怖は、俺には計り知れない。
俺は体の震えを隠すように、膝を抱えて祭壇の上に座った。
黙ってそこにいると、闇夜の静寂が一層協調される。
風の音、遠くから聞こえる獣の声、虫の声、そういった物音だけが微かに聞こえ、俺は思わず目を閉じた。
負けるな負けるな。俺は奴を倒すためにここまで来たんだろーが。
俺が自身にそう言い聞かせていたその時、
ゴーーン、ゴーーン……、
と、その音は響き渡った。十二時を告げる鐘の音だ。
確か、デルニロが出る夜にだけ鳴らされるんだとか。
ゴーーン……、ゴーーン……、
目を開き、周囲へと目と耳を傾ける。
シュウゥゥゥゥ……。
最初に聞こえたものは音だった。
俺の眼前──空中からまるで蒸気が噴いているかのような音が響いているのである。
「………………っ」
思わず息を飲む。目を向けると、確かに霧のような何かが寄り集まろうとしているのが見えた。霧は集合するにつれてその形と色をハッキリとさせていく。
そして十数秒の後には、そこにその姿が現れた。
『アッハハハハハハァ~!今夜も、美味しそうな匂いが漂ってるねェ~!』
人間一人など、軽く丸呑みに出来てしまいそうな程に大きな口。その口についた緑色の分厚い唇。ボールのように丸くて大きな赤い鼻。
そして、こちらを値踏みするかのように向けられた目。その目の上の空間に被せられたシルクハット。
同様に、手袋をはめた両手も空中に浮いて、ワキワキと指を動かしている。
──輪郭のない顔。腕のない手。
手と、口と鼻と目とシルクハット。人体のパーツのみで構成されたその姿を、俺が見間違える筈もない。
「魔神、デルニロ──」
『アッハッハッハッハァ~!!』
遂に、討ち果たすべき宿敵がそこに現れたのだった。




