ドーザの宿屋 オーカン亭『レオン救出作戦』
勇者が目を覚まさない。その言葉は、パーティの皆を震撼させた。
「レオンが起きねェだぁ!?」
驚きと焦燥をあらわにして、声を上げるのはバレナである。
「デカ女、代われ!表は頼む!」
「……っ承知!」
そうしてリューカと交代した彼女はレオンの元へと向かうのだが……、
「おい!起きろレオン!寝てる場合じゃねえんだよ!」
声を掛けても揺さぶっても、終いにはビビビ、と往復ビンタをかましても彼は寝息を立てたままであった。
「ど、どうなってんだよおい……」
「一通りの回復魔法は試したんだけど……」
隣に立つスルーズも、珍しく心配したような表情を浮かべている。
「レオン……?ど、どうして……」
無論ウィズにも彼が目覚めぬ理由は分からない。そうこうしているうちにブラックウルフたちも体勢を立て直し始めていた。
「ど、どうすれば──」
「皆さん!ここは撤退しましょう!レオンさんを庇いながらの戦闘は危険です!」
陣形が崩れ、ウィズがパニックになり掛けた時、その声は隣から聞こえた。
その場に立ち上がり、皆に呼び掛けているのはミーナである。
「敵は最低限を蹴散らします。ドーザに急ぎましょう!リューカさんはレオンさんを!ウィズさん、もう一度マジカルボムを!」
「──え、ええ!分かりましたわ!」
「もう一度ね!────【マジカルボム】!!」
「みなさん目を閉じて!」
再度炸裂した閃光は、集まっていた狼たちを蹴散らした。暗闇に慣れた目に、強烈な光はそれだけで毒なのだ。至近距離で閃光を浴びたブラックウルフはその場に倒れて痙攣している。しばらく目は使えないだろう。
「今です!急いで!」
「ええ!」
そしてミーナの号令に異を唱える者もなく、彼女たちは動けないレオンを背負い逃げる選択をした。
緊急の際には、いち早く判断出来ない者から命を落とすということを、勇者パーティである彼女たちは皆理解しているのだ。
「これでも追ってくる狼たちは学習しています!ウィズさん、次は雷の魔法をお願い出来ますか」
「え、ええ!バレナちゃん、避けてもらえる!?」
「わぁってるよ!さっさとしろ!」
「んもう!【エレクトリックボール】!!」
二回も仲間が受けている所を見れば、ミーナの語った通り敵の攻撃が光と音のこけおどしだとブラックウルフたちも学習する。目と耳を閉じて、極力ダメージを減らそうとする彼らは、その学習故に電撃をまともに浴びることとなってしまう。
「ギャインッッ」
痺れてその場に転がる狼たちに背を向けると、一行は平野を駆け抜けていく。
本当に、的確な指揮だわ。と、走りながらウィズは歯噛みした。
自分は役に立っていない等と、どの口が言うのか。
危機にいち早く反応し、撤退の判断を下せるのはなかなか出来ることではない。
その点でも、ミーナはしっかりとパーティに貢献しているとウィズは思う。
だからこそ、彼女は許せなかった。そんなミーナに複雑な感情を抱いている自分自身を、許すことが出来なかったのだ。
──だって、あんな顔、見てしまったら……。
船長との激戦を終えた後、笑い合うレオンとミーナの顔をウィズは思い出す。
あんな風にレオンが笑っているところを彼女はこれまで見たことがなかった。
普段の爽やかな笑顔とは違う、心からの笑い。
それを引き出したのが、まだ加入して二週間足らずのミーナであったという事実が、ウィズの心をかき乱していた。
──せめてあの娘が悪い人間だったなら、思いっきり嫉妬出来たのに──
そんなことを考えて、自らそれを否定するように首を横に振る。
ウィズが知る実際のミーナは、そんな考えには微塵も当てはまらない程に良い子なのだ。知識に溢れていてもそれを誇示せず、自らの功績にも謙虚で皆に尊敬の眼差しを向けている。
……私だって、レオンのことさえなければ彼女のことは好きなのに……。
ごちゃごちゃと頭に浮かぶ余計な考えを吹き飛ばすように、ウィズは再度頭を振るとがむしゃらに走っていた。
結局皆で平野を走り続け、ブラックウルフの群れを振り切ってドーザの町にたどり着いたのは、丸一日過ぎた後のことであった。
「がーっ、キッつ……!」
「は……、は……、いい汗かきましたわ……っ」
息も絶え絶えといった様子で倒れ込むバレナだが、片やリューカはレオンを背負った状態でありながら、まるでマラソンを終えたアスリートの様に膝を押さえて呼吸を整えている。
改めて、化け物だわ……
その無尽蔵の体力に震撼するミーナ。
「ぜー……、ぜー……、」
「はーー、は、ぁ…………」
「………………うぇぇ……」
ちなみにウィズ、スルーズ、ミーナの三人は喋ることすら出来ないぼろ雑巾と化している。
ドーザの町に逃げて来た面々が転がり込んだのは、町で一番有名な宿屋である『オーカン亭』であった。
「なんだいアンタら!女だけで旅してんのかい!?豪気だね!あ、男もいたのかい。一夫多妻ってやつだね!?」
宿屋のマスターの奥さんが、周囲に響くような大声を掛けてくる。
「イップタサイ?なんですの?」
「はは……」
よく分かっていないリューカと、片手を上げて愛想笑いで返事をするバレナ。
とりあえずレオンのこともあり、いつものように三部屋借りるとそのうちの一部屋に全員集まることとなった。
「まだ、起きないわね……」
一心地ついた後。あれだけの事態があったにも関わらず未だ寝息を立てているレオンに目を向けて、ウィズがぽつりと呟いた。
「眠り続ける奇病なんて聞いたことありませんわ」
「世界学者。なんか知らねーか?そういうやつ」
「ううん……」
バレナの言葉を受けて、ミーナが腕を組みながら首を捻る。
時折年頃の女の子らしからぬ挙動の目立つ彼女ではあるが、その知識には皆が一目置いているのだ。
「病気、とかにはそこまで詳しくはないので何とも……。意識障害の可能性もない訳ではないんですが、他の可能性の方が高いかもしれないですね……」
「他の可能性?」
スルーズの問い掛けに「はい」と頷くミーナ。
「例えば呪い。これの中には、対象を昏睡させるものもあると聞きます。それから魔法による睡眠も強力で、こちらは対抗する治療薬を使わない限り目覚めることはないとか……」
魔法、という単語に、皆がウィズへと目を向ける。
「ちょ!私じゃないわよ!?眠らせる魔法なんて覚えてないし……、それを言ったら支援魔法はスルーズさんの分野でしょ」
「あーしも違うし!勇者サマにそんなことするわけないっての!」
慌てる二人に、「疑ってる訳じゃねーよ」とバレナ。
「しかし、実際にこれだけ目覚めないのですから、魔法を掛けられた可能性が高いのではなくって?」
「……そうだな。ミーナ、その治療薬ってのはどんなだ?」
「え、ええと、セタンタで売っているものだったと思うのですが……」
「セタンタって、すぐにゃ行けねーぞ?他に手に入れる方法ねーのかよ?」
「ん、むむむ……」
言われて難しい顔をするミーナ。流石の彼女にも即答出来ないことはあるらしい。
ウィズは心のどこかで、その事実に胸を撫で下ろしている自分がいることに気が付いた。嫌な女だな。と自身のことを嫌悪するが、同時に、それはそうだろうとも思う。何故って本当にこの世のあらゆる知識をミーナが知っているのなら、彼女こそがウィズの追い求める大賢者ということになってしまうのだから。
──それよりも。
「…………ぁ、」
何か言い掛けて手を伸ばし掛けたウィズだったが、しかしすんでのところでその手を引っ込めていた。
これを口にしてしまえば、自分が矢面に立たねばならない。その責任と重圧がのし掛かる予見に、ウィズはそれ以上の声を出せなかったのである。
……これで、また失敗してしまったら。
そんな想いが彼女の体を震わせる。
「……………………」
ウィズはちらりと、眠ったままへのレオンへと目を向けた。
眠っている顔はとても安らかで血色も良く、今すぐにでも「おはよう」と言って起きて来そうな雰囲気さえ纏っているのに。
それでもレオンは目覚めない。
──もしかしたら、自分のやることは無意味かもしれない。皆を振り回した挙げ句、何の役にも立てないのかもしれない。──だけど、
────ぱん
乾いた音がその場に響き、否応なしに皆の目が集まる。
ウィズが、自身の頬を強く叩いたのだ。
「お、おい何してん──」
「コリグの実と、テツロの花から取れるエキスを一晩煮詰めたもの。それが原料よ」
「んな」
バレナの言葉を遮って告げたのは、ウィズだった。聞き慣れない単語に面食らうバレナ。ウィズは自身の頬を両手で叩いて気合を入れたのだ。
「な、なん――だと?」
「睡眠魔法の治療薬の原料。コリグの実とテツロの花さえあれば、私なら作れる。……って、そう、言ってる、の……」
強い意志を持っての宣言だったが、終いまで保たずに竜頭蛇尾となる。それでも最後まで言い切ると、ウィズはキッと口を結んで皆の反応を待った。
「――――それで、それらは何処にいけば手に入るんですの?」
最初に口火を切ったのはリューカであった。
「話せよ。出来るんだろ?ならアタシらで取ってきてやらぁ。時間も惜しいんだろうが」
真剣な顔になったバレナも後に続く。その言葉から仲間たちの信頼を感じて表情を緩ませ掛けるウィズであったが、すぐに表情を整えると口を開く。
「そうね。まずはテツロの花。これはこの近辺にも生えてるわ。ええと、花は――」
言葉と共に自身のナップザックを漁ると、ウィズは一冊の本を取り出してパラパラとページをめくる。そうして彼女はあるページで手を止めた。
「これね。ちょっと待ってて」
そうしておもむろにページをビリビリと本からちぎり取ったのである。
「お、おい何やってんだよ!?それお前の大事な本だって言ってただろ」
慌てるバレナ。彼女の言う通り、ウィズが手にしている植物図鑑は彼女の手持ちの中でも特に大切なものである。食用の野草や薬草などが細かく記されたその本による知識は、レオンたちの冒険の中でも欠かせないものとなっていたのだ。
それをあっさり破いてしまったのだから、彼女が焦るのも当然だろう。
「いいのよ。今は時間がないんだし、後で直せばいいんだから。それより説明を続けるわね」
そんなバレナとは対極に、当のウィズは実にあっさりとした態度でそう告げた。これも彼女が覚悟を決めた故であろうか。
「花の形はこのページの通り。青くてひし形に近い形をしたものよ。この近くの平原にも群生しているから、取りやすいのは確かね。――ただし沢山必要なことと、それからまだブラックウルフがうろついているかもしれないことを考えると、リューカちゃんが適任だと思うわ。――これ、持ってて」
そうしてウィズは破いたページをリューカへと渡す。
「なるほど。分かりましたわ」とリューカ。
「ええと、後はコリグの実なんだけれど」
そう口にしながら図鑑を再度めくったウィズは、テツロと同様にそのページを破り取る。
「これよ」
そこに描かれた、若干トゲトゲとした赤い実を眺めて「へえ」と呟くバレナ。
「で、こいつぁどこに生ってるんだよ」
「え?そ、それは――エルムの森よ。比較的入口近くにもあるとは思うけど――」
「よし分かった。任しとけ!!」
それだけ告げると、「あ!ちょっと!?」と驚くウィズの手からページをひったくり、バレナは部屋を飛び出してしまった。
「ちょっと待って!バレナちゃん!?」
慌ててその背を追いかけるウィズであったがバレナの脚には到底敵わず、すごすごと部屋に戻ってきた。
「あると思うけど――、ここからエルムの森に行くのに片道二日間は掛かるから、この町の市場で探してきてって言おうと思ったのに……」
「あちゃー……」
「バレナさん……」
「まったく、イノシシのような人ですわね。まったく」
顔を見合わせて苦笑するミーナとスルーズ。普段の彼女に思う所があるのか鼻を鳴らすリューカ。ウィズはそんな三人に目を向けると、
「それじゃあ、リューカちゃんはテツロの花、スルーズさんとミーナちゃんは市場でコリグの実を探して来てもらえる?……私は下準備もあるし、ここでレオンを見ているから」
と口にしたのだった。
題して、レオン救出作戦のスタートである。
ウィズは、年下だと思っている相手は「ちゃん」付けで呼びます。
リューカはドラゴンなので実年齢はウィズより遥かに上ですが、正体を隠しているためウィズはリューカのことを年下だと思い込んで、「リューカちゃん」と呼んでいます。
スルーズのことは「スルーズさん」と呼んでいますが、これは年上だと思っている訳ではなく、彼女の得体の知れなさを感じ取っているためです。




