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第十一話

 この世界に来て早二ヶ月が経った今日、起きてからずっと緊張している。朝食に雪音さんから貰った完全栄養食を胃に流し込みつつ、コーヒーを飲んでいる時もソワソワと落ち着かず椅子から立ったり座ったりをしていた程だ。なぜこんなにも緊張しているかというと、本日barがオープンするからだ。ようやくこの時が来たかという実感と、今までは叔父であるマスターと二人で店を回していたが一人で大丈夫だろうか?という不安が綯い交ぜになって割と情緒不安定である。なまじっかニート生活を二ヶ月もしていたせいで仕事に対する感覚というか心持ちがイマイチなんだよなぁ。

 このまま開店したら間違いなくお客様に迷惑を掛けるし、一度気分転換も兼ねてストレッチでもしてみようか。身体を解せばリラックスできるし、脳にもしっかり血液が回るから頭も今よりも回るはず。ということで二十分程かけてストレッチをした所思った以上に効果があった。沈んでいた気分も上向きになり、思考もクリアだ。このまま、店内の最終確認をしてその後は着替えて開店まで待機だな。正直な話お客様が来てくれるかは完全に未知数だ。俺から宣伝・広告は出来ないし、口コミで広まっていくのを待つしか方法が無いと言うのはなんとももどかしい。一応雪音さんと菫さんからは今日お伺いしますと連絡を貰ったので二人は確定として、後は定期健診に通っている病院の看護師さんや女医さん、それと菫さんが所属している課の人達も来てくれる可能性は高い。……今の所これくらいの人しか居ないと言うのは何と最早という感じだ。当然だが毎日来てくれる訳でも無いし、週に一・二回来店してくれれば良い方だからなんとか彼女達には色々な人に良いbarがあるよと友達に教えて欲しいと切に願う。

 なんて、今後の展開を予想している内に諸々の準備も終わってしまった。さて、あとは開店まで待機だ。


 三十分ほど店内でグラスを磨いたり、道具の確認をしているといよいと開店時間となった。入口へと向かいドアに掲げているプレートをclosedからopenへと変える。その後さっと周囲を見回してみたが、人っ子一人いない。うん、まだ十八時だし早い人だと仕事が終わる時間だろうし、大体の人は十九時くらいに退社という感じなのでお店に来るとなると十九時半~二十時前後になる。だからまだ焦る時間ではない。そう、まだまだ夜は始まったばかりなのだから。なんて内心の不安を隠す様に心の中で言葉を呟き再び店内へと戻る。そしてそのまま一時間が経ち未だに来店客は〇。今日はこのまま誰も来ないんじゃないかと思い始めた所でチリンとドアベルが小さな音を鳴らす。やっと来たとはしゃぎそうになる気持ちを押さえてドアの方を見ると菫さん、雪音さん、そして各々の同僚を連れてお店に入ってきた。

「いらっしゃいませ。こちらのお席へどうぞ」

 声を掛けると女性達は案内したカウンター席へと移動。スッと綺麗な所作で椅子に座ると頬を染めながらこちらを潤んだ目で見つめ始めた。何か変な所でもあっただろうかと思い目の前に座る雪音さんに聞いてみる事に。

「もしかして、顔に何かついていますか?」

「あっ、ごめんなさい。そういう訳では無くてバーテンダー姿の拓真さんが余りにも格好良くて見惚れていました」

「有難うございます。そう言えばこの服装を見るのは初めてでしたよね?」

「はい。とてもお似合いですよ」

 そういう雪音さんにウンウンと頷く女性達。ちょっと話が横道に逸れるがバーテンダーの格好は普通に暮らしていたら中々お目に掛る事が無い。スーツ姿なら街中を歩けば嫌と言う程目にするだろうが、バーテンダーの場合はウィングカラーシャツにカマーベスト、蝶ネクタイ、黒パンツという出で立ちなので然もありなんと言った所だ。そしてこの格好は女性受けがとても良い。清潔感抜群な上、大人の雰囲気と色気が醸し出されているし、barという場所も相まって夜のお誘いをしてくる女性も多いのだ。――ただしイケメンに限る。俺はフツメンだし、なぜか良い人止まりなのでそういった誘いは働いてから一度も無かった。綺麗な女性と甘く蕩ける一夜を過ごす事を夢見て何度枕を濡らした事か。

 だが、雪音さんを始め美人な女性達に格好良い、似合っていると言われて全てが報われた気分だ。心の中で感謝をしつつ、頭を切り替えて仕事へと向き合う。

「お飲み物はお決まりでしょうか?」

「うーん、どうしよう?拓真さんのお勧めってなんですか?」

「最初はジン・トニックやフルーツカクテル等がお勧めです。アルコール度数も低いですし、癖も無く飲みやすいので」

「では、ジン・トニックでお願いします。皆はどうする?」

 菫さんの問いにそれぞれが答えを返す。半数がジン・トニックを選び、半数がフルーツカクテルを選んだ。同じ注文でも一度に大量に作るという事はせずに、一杯ずつ作るので少々時間を貰う事になるがそこはバーテンダーが上手く話しを振ったりしながら待ち時間を感じさせないようにする。さて、どんな話題を振ろうかなと思考を巡らせた矢先に菫さんが話を振って来る。

「あの、メニュー表に書かれている値段なんですが間違っていませんか?」

「えっ?本当ですか?」

「はい。お値段の桁が一つ違うと思います」

 開店前にメニュー表も見直して誤字脱字や、表記間違いが無いのは確認したんだがまさか漏れがあるとは。しかも一番大事な値段の部分が間違っているとか致命的過ぎる。一旦カクテル作りを止めて急いで確認してみる。……がどこも間違っていないんだが。

「あの、確認しましたが問題ありませんでした」

「えっ?ジン・トニックが一杯千二百円ってあまりに安すぎます。一万二千円の間違いでは?」

「……それだとぼったくりになってしまいます。千二百円で間違いありませんよ」

「男性が働くお店で、しかも手作りのカクテルが千二百円って…………逆ぼったくりですよ。ねっ、雪音もそう思うでしょ?」

「菫の言う通り男性が手ずから作った物としては破格すぎます。本当にこのお値段で宜しいのでしょうか?」

 あー、言われてみれば確かにそうか。俺の居た世界では平均的な価格だとしても、男女比が一対二百のこの世界では異常な値段設定に映るんだな。だからといって一杯一万円~二万円とかだと誰も来ない……いや、それでも来るのか?男の手作りという貴重性を考えれば来るのかもしれないがそんな法外な値段で提供したくはない。なので雪音さんの質問対する答えは一つ。

「はい、このお値段でやらせて頂こうと思っています」

「そうですか。拓真さんがそう仰るのであれば納得します。ですが、これは誰にお店の事を言うかよくよく吟味しなければいけませんね」

「そうね。大学生や薄給の社会人でも毎日通える値段だし、信頼が置けて身分も確りした人じゃないとトラブルが起きるわ。勿論軍警察でも来店客については素性を調べて問題無いと判断した者のみを通す事になっているけどそれも完璧にとはいかないから」

「ということで、皆さん。お店の事を誰かに教える際にはよくよく注意して下さいね」

 雪音さんの言葉に女性陣が神妙な顔で首肯を返す。この光景を見ても値段を変えるつもりは無いが、誰でも毎日通える価格だと菫さんが言ったようにトラブルが起きる可能性もあるのかと軽いショックを受けた。足繫く通って少しでも仲良くなろうとしたり、酔った振りをして身体的接触を図って来たり、最悪の場合は泥酔した体で逆レイプなんて事も有り得る。

 そう言った事を考えれば彼女達が心配するのも当然か。しかしまあ、こうして俺の事を心配してくれるのは嬉しいなと暖かい気持ちになりつつ、止めていたカクテル作りを再開する。そうして、一杯ずつ作って提供してを繰り返す事数度。全員に行き渡った所で各々が口を付ける。ドキドキしながら反応を待っていると、菫さんがポツリと一言。

「美味しい」

 その言葉を皮切りに次々と美味しいという言葉が出てくる。もしかしたらこの世界の人の口には合わないんじゃないかと思っていたので内心ホッとしている。良い反応も貰えたし、一先ずは安心かなと思っていると菫さんから質問が飛んできた。

「今まで飲んだジン・トニックは飲んだ後に口に雑味というか嫌な酸味が残っていたんですけど、拓真さんが作ったカクテルはそういうのが一切なくとても飲みやすくて美味しいです。なんでこんなに違うのでしょうか?」

「ジンの品質が悪いか、使っているライムの質が悪かったんだと思います。お酒の保存方法が悪かったり、ライムも常温で暫く保管していたりすると一気に味が落ちてしまいますから」

「そうなんですね。私も美味しくないお酒を提供するお店だなって思って一回きりで行くのをやめてしまいました。でも、こうして良いお酒が飲める場所が出来て良かったです」

「自分に合わないと思ったら無理していく必要はありませんからね。――でも、菫さんに気に入ってもらえた様でなによりです。これからも御贔屓に」

「勿論です。毎日でも通いたいくらいです」

 それは嬉しいが肝臓が死んじゃうので毎日の飲酒は駄目です。酒は百薬の長と言われるが、それはあくまで適切な量と飲む頻度が守られている場合の話だ。特にカクテルは口当たりが良く、甘い系が多いのでついつい飲み過ぎてしまうが地味にアルコール度数が高いからね。使っているのがリキュールやスピリッツなので飲み過ぎには注意を払う必要がある。特に女性は尚更ね。

 なのでバーテンダーの仕事にはお客様が飲み過ぎないように注意しなければいけない。なんて思っていると菫さんの横に座っている雪音さんから苦言が呈される。

「菫。飲み過ぎは絶対に駄目よ。身体にも悪いし、何より拓真さんにご迷惑を掛けてしまう事になるでしょ」

「分かっているわ。泥酔した姿なんて見せられないし、もしそんな事になったら生きていけないもの」

「そうね。拓真さんに醜態を見られるなんて考えただけでも背筋がゾッとするわ」

 なんて話を耳に入れつつさり気無く皆さんの様子を伺ってみる。まだ最初の一杯という事で顔が赤くなったり、ほろ酔いの人は居ない。お酒に弱い人だと一杯目で酔いが回る人も居る為そこら辺には注意が必要だ。まあ、見た限りでは皆さん問題無いだろう。

 と、さり気無く視線を向けていると雪音さんの同僚の看護師さんが話しかけてきた。

「佐藤さん。退院してから暫く経ちますが、この世界には慣れましたか?」

「お陰様で大分慣れてきました。とはいえまだまだ戸惑う事も多いですが」

「ちなみにどんな事であれ?って思うんですか?」

「そうですね……。例えばコンビニに買い物に行くとなぜかお客さんが多いとか、お店の前を掃除していると必ず通りすがる人から挨拶されるとかですね」

「あー、なるほどです。コンビニについては男性が来るって噂になって一目見る為に通い詰めているんだと思います。あと、挨拶についても似たような感じで男性と少しでも会話が出来ればと思って声を掛けているんでしょうね」

「そんなにすぐに噂になるものなんですか?週に一回くらいしかコンビニには行っていないんですが」

「それはもう光の速さで情報が回ります。男性の目撃情報ともなれば信憑性の有無など関係無しに一度は確認しに行きますね。私も何度嘘を掴まされた事か」

 そう言って悲壮感溢れる顔をする看護師さん。最早男に飢えているとかいう次元じゃなく、一度で良いから見たい、見るだけで良いという狂気に囚われているのだろう。じゃあ、その欲求……いや狂気が満たされたらどうなるのか?その答えは目の前にある。

「でも、佐藤さんと出会うことが出来て、しかもこうしてお話したり手料理を食べてもらったりして本当に幸せです。正直私の人生は男性を見る事なく終わるんだろうなって思っていましたから」

「私も皆さんに出会えて本当に良かったと思います。素性も分からない怪しい奴なんて逮捕されて刑務所に送られるんじゃないかと戦々恐々としていましたからね」

 これについては本当にそう思う。いきなり空き地に建物が出現して、更に異世界から転移してきましたなんて言うんだから例え男だろうが即逮捕。厳しい取り調べを経た上で精神障害有りと認定されて医療刑務所に送られるのが妥当だろう。改めて考えてみると搬送された病院が雪音さんが居る所でよかったよ。他の病院だったらどうなっていた事か……と背筋に冷たいものを感じていると看護師さんがブンブンと首を横に振りながら返答する。

「男性が逮捕される事は基本的にありませんよ。それこそ殺人やテロを起こしたりと言った重罪を犯したなら話は別ですが」

「それって圧倒的に男性に有利じゃありませんか?例えば痴漢をしたり、女性を性的に襲ったりしても罪に問われる可能性が限りなく低いという事ですよね?そんなんじゃ怖くておちおち外も歩けないと思うんですが」

「………………男性から痴漢をされたり、襲われると言うのは勿論人にもよりますがウェルカムと考える人が大多数じゃないかと。皆はどう思う?」

「もし電車で男性から痴漢をされたら嬉しくて泣いちゃうかも。だって、私に性的興奮を覚えて接触してきたって事でしょ。それだけで今まで生きてきて良かったって思うわね」

「襲われるならあまり人目に付かない場所が良いかな。路地裏とか人気の無い夜の公園の茂みとか。他人に見られながら処女を散らすのは少し恥ずかしいし」

「出来れば万全の準備を整えてから痴漢なり、レイプなりして欲しいかな。だって、男性からきてくれたのに可愛い下着じゃなかったら嫌じゃない?あと、生理が来ている時も駄目ね。汚い物を見せたくないし、最後までH出来ないしね」

「確かに。人生で二度と無い機会なのに普段付けている下着とか無いわね。生理に関してはタイミング次第だし、奇跡を願うしかないかぁ」

 等々様々な意見が交わされている。ここで一つ確かな事は痴漢OK、レイプOKという事だ。いや、それだと少し語弊があるな。是非そういう行為をして下さい!と願っていると言うのがより正確か。別にここに居る女性達が特殊性癖持ちという訳では無く、それほど男性に恋い焦がれていて、どの様な形であれ触れ合いたいと願っているのだろう。とはいえだ、俺に痴漢願望もレイプ願望も無いからそうなんですねぇで終わってしまうんだがね。なんだかんだ言って古臭いかもしれないがやはり純愛が一番だと思うんだ。これに勝てる恋愛は無いと密かに思っている。

 なんて考えていると、いつの間にか意見の出し合いがヒートアップして熱い議論が交わされている。こういう時は黙っているのが一番。女性同士の話し合いに下手に口を出すと碌な事にならないのは経験済みだ。なので視線をやや下げつつグラスを拭いたり、カウンター内を清掃したりする事にした。

 そうして暫く時間が経った頃に雪音さんが声を掛けてきた。

「あの、拓真さんにお聞きしたい事があるのですが良いでしょうか?」

「私に応えられる内容であればなんなりと聞いて下さい」

「ロングヘアーとショートヘアーどちらがお好きですか?」

「ロングヘアーですね。色々とアレンジも出来ますし、定番ですがポニーテイルとか纏め髪とか好きですね。ショートヘアーだとそういった事が難しいじゃないですか」

「そうですね。やって出来ないことは無いですがアレンジの幅は狭まりますし、見た目も華やかにはどうしてもなりませんから」

「ですね。でも、ロングだと手入れが大変じゃありませんか?」

「うぅ……そうなんです。シャンプーやコンディショナー、それにトリートメントの使用量が凄いし、ドライヤーで乾かすのも私の場合三十分くらいかかるんですよ」

 あー、雪音さんは腰まで長さがあるからそれくらい時間が掛かるのか。いつも艶々黒髪ストレートだけど裏では滅茶苦茶努力しているんだな。でも、いっその事ショートカットにすれば楽になるのでは?と思い聞いてみる事に。

「それだけ手間暇と時間がかかるのであれば、ショートカットにするのも良いんじゃないでしょうか?かなり楽になると思いますよ」

「ショートはちょっと……。男性受けが悪いですし、よほど特別な理由が無い限りは髪は短くしたくありませんね。物心ついた時からロングを貫いてきたと言うのもありますが」

「そういう理由ならそのままの方が良いですね。綺麗な髪をしていますし、似合っていますから」

「ふふっ、有難うございます。そう言って貰えるだけで今までの努力が報われた気がします」

 微笑みながらスッと髪を耳に掛ける。その仕草のなんと色っぽい事よ。お酒が入ってほんのり桜色に染まった頬、間接照明が照らす薄暗い店内、そしてbarという非日常の場所が幾重にも相乗効果を齎しいつも以上に雪音さんがセクシーに見える。大人の女性の色気とはこうも男の心の奥底を揺さぶるのかと初めて知ったよ。このまま潤んだ瞳で『今日は帰りたくないの♡』とか言われた日には理性蒸発不可避。今まで鋼の意志で耐えてきたがそんなものはアッサリと瓦解するだろう。

 本人は意識していないだろうから、尚更殺傷力が高いのがもうね……。今俺に出来る事は悟りを開いた修験者になる事だ。そうすればこの煩悩に塗れた頭もスッキリするだろう。――別の方法でスッキリすればいいって?確かに賢者タイムで一時は無心で居られるだろうがそれが過ぎれば元の木阿弥。あくまでそれはどうしようもなくなった時の最終手段だ。

 だからこそ今は悟りを開くべく無にならなければ。そう、黙々とお酒を作り、片づけをしてグラスを磨くのだ。

 仕事に没頭していると次第に煩悩は退散していき、平常を取り戻す事が出来た。この仕事をしてそこそこ経つが今まで色気に惑わされる事は無かったし、可愛い子や綺麗な人が来店する事もあったが別段男の本能を擽られるという事態にも陥らなかったんだよね。だが、この世界の女性の顔面偏差値は上限を振り切っている。そして長い年月を掛けて男に気に入られる行動や仕草、更には男を虜にする優秀な遺伝子が脈々と受け継がれ磨き上げられた結果傾国の美女がそこかしこに居るという魔境が出来上がった訳だ。そんな中でも雪音さんや菫さんは一段階上の美貌やスタイルをしている為惑わされても仕方ないのだ。男なら決して抗えない宿痾とも言うべきものだろう。

 と自己欺瞞をした所で事実は変わらない訳だが。まあ、それは一度置いておいてカウンター席に座る女性達を見ると良い感じに酔っている。かれこれ二時間くらいは入店してから経っているし、三・四杯は飲んでいるので然もありなん。時刻は二十一時を過ぎたくらいで、切り上げるには良い頃合いだなと思っていると菫さんがこちらに視線を向けて、どこか名残惜しそうな様子で言葉を紡ぐ。

「これ以上呑むと明日に響くのでそろそろお暇させてもらいますね。本当はもっと拓真さんとお話ししたいのですが……」

「そう言って貰えてとても嬉しいです。ですが、お酒は楽しく飲めている内に終わるのが一番ですからね。それにこれっきりという訳でも無いですし、気が向いた時にでもまた来て頂ければと思います」

「はい。絶対にまた来ます」

 そう言った後帰る支度を整え始めたので、キャッシャーの方へと移動してお会計の準備をする事に。と言っても現金でやり取りするのではなく端末を専用機械に翳すだけなので一瞬で終わってしまうのだけどね。あっという間に決済が完了し他にお客様も居ない為ドアを開けお見送りする事にした。

「本日はご来店頂き有難うございました」

「こちらこそ楽しい時間を過ごせました。美味しいお酒に、雰囲気の良い店内、なにより拓真さんの格好良いバーテンダー姿を見れたので思い残すことはありません」

「それはなによりです。……でもこれで終わりでは無くこの先も楽しい思い出を一緒に作っていきましょう。その為に私も頑張りますので」

「はい。――それではこの後もお仕事頑張って下さい」

「有難うございます。お気をつけてお帰り下さい」

 こうして菫さんや雪音さん、そして同僚の方たちを見送った後再び店内へと戻る。俺以外に誰もいない店内は静寂に満ちており、先程まで賑やかだったのが噓のようだ。これから閉店までの間にお客様が来るかは分からないが最後まで気を抜かずに頑張っていきましょう。

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