普通の令嬢の私はもう、クマはいらない
今、一匹のクマが………いや、一人のクマのような男が打ちひしがれている。
彼は五分前、その十分前に好きだと気付いた相手に捨てられたのだ。
私の名前はサラ・シュトーレン。
私は五分前に、三年好きだったクマ………いや、クマのような人を捨ててきた。
私が十二歳、彼が十五歳の時に整えられた縁談だった。
私はすぐにそのクマ………のような人を好きになった。
彼は真面目で、文武両道、顔面偏差値も高め、クマのように大きい頼り甲斐のある人だった。
ただ一つ難を言えば、脳筋気味だという事。
彼の家は代々騎士団長を輩出している名門武家。
彼の父が今代の騎士団長で、母も騎士団出身。
そんな彼と私の婚約を調えたのは、彼の祖父である前騎士団長。
縁あって彼の祖父と親交を持つようになった私に、その本人が話を持ってきたのだ。
私は基本、面倒くさがりなので、目立つような行動は嫌いだ。
だから令嬢として可もなく不可もなくを信条に、行動している。
まあ普通の、至って普通の令嬢だ。
だからなのかクマは………いや、彼、シュバルツ・アンガーは私に興味を持たなかった。
彼は、彼の母親の様な方に憧れていることを知っている。
私は普通の令嬢を目指しているから、その好みとは逆なんだろう。
貴族が通う学園には、それぞれ専門知識を学べる学科がある。
彼は騎士科、私はもちろん普通の令嬢が通う礼儀作法科だ。
ところで騎士科には、少ないながらも女子が存在する。
その中でも、カタリナ・クライル子爵令嬢は、我が婚約者殿との距離が非常に近い。
明らかに彼に好意を持って接しているのがバレバレなのだが、彼はそれに気付いていないようだ。
まあ、それでも同じ騎士科の女子ということで、私によりは気安く接している。
私も彼は素敵な人だから、好意を持つなとは言わない。
だけどあの女は駄目だ。
サバサバした風を装っているが、女子から見ればすぐわかる。
根性がひん曲がっている。
だから、同じ騎士科の女子からも距離を置かれているのだが、騎士科の男子は基本脳筋だから、ちょっと悲しそうにカタリナ嬢が距離を置かれていると言えば、それをそのまんま信じる………バカだ。
そんなカタリナ嬢は、私にも明確な敵意を向けてくる。
「ねえ、シュバルツ。そんなに婚約者さんとデートとかしなきゃいけないなんて大変ね? 本当はもっと訓練したいのにね」
街中で本当に、久しぶりに、彼とカフェに行った時の出来事だ。
突然現れてこのセリフ、どこがサバサバ?
むしろドロドロ、ヌチャヌチャだよ?
普通こんなこと言われたら、そんなことないよ、とかフォローするでしょう?
でも、あのクマは………私を置いて訓練に行きやがりました。
とりあえず頭にきたので、彼の祖父に速攻言いました。
その後クマは理由もわからないまま、祖父から地獄の訓練を受けたとか。
またある時は、学園で魔術の合同練習をしていたら。
「こんな初級の訓練にシュバルツを付き合わせるなんて………。もっと高度な訓練した方がシュバルツの為になるわ。婚約者さんならわかるわよね? 」
そう言って、騎士科の生徒が集まっているところへクマを連れて行った。
高度な訓練ね?
基本をしなくても良い理由にはならないと思うけど。
まあ、とりあえずクマの祖父に即行言いましたけどね?
その後クマは、基礎の基礎を身体に刻み込まれたようだけどね。
そして、いよいよ彼の卒業の時。
騎士科では恒例行事がある。
同じ学園に婚約者、又は付き合っているもの、好きな相手がいる場合、その人に自分の剣を捧げるという儀式だ。
はっきり言って盛り上がる。
成功しても、振られても、とにかくお祭り騒ぎ。
そして、基本婚約者がいるものは絶対に参加。
でもね、あのクマと愉快な仲間たちはやらかしたの。
何故なら、脳筋と性格ひん曲がっている人が手を組んだから。
この儀式は家族も見に来ているのにね。
「シュバルツの婚約者殿! シュバルツは非常に立派な騎士になるだろう。騎士団長にだってきっとなれる。だが、婚約者の君は武芸に秀でてない。今の騎士団長の奥方、シュバルツの母上は騎士団出身者。ならば、シュバルツの相手も武芸が秀でるものがなるべきではないだろうか! 」
騎士科のバカたちと、性格破綻者がそう宣言した騎士科の人物の意見に頷いている。
何故かこのことを知らなかったのか、クマが多少慌てているが。
なんていうか、こんな馬鹿が騎士になるのか?
学生だからギリギリ許される?
いや、こんなの放出したら駄目でしょう。
私は儀式を見に来ていたクマの祖父、父、母を見た。
クマの母が怒りで手に持っていた扇を真っ二つに、クマの父が頭の血管が切れそうなぐらい真っ赤に、そしてクマの祖父が私に「やれ」と合図を送ってきた。
はあ、なんで普通の令嬢したかったという願いを無下にしてくれるんだろう。
でも、私もこれは許せそうにもない。
私は一歩前に進み、宣言した者に問いかけた。
「なら、どなたならお似合いになるのですか? 」
「騎士科には女性もいる。その中でもカタリナは優れている」
ふーん、さすが脳筋手の中でコロコロ転がされているようだ。
少し離れた場所で、この宣言をした者のご家族らしき人が真っ青になっている。
本当に、救われない脳筋だ。
「何をもって優れていると言うのですか? 」
「剣の腕は騎士科でもなかなかのものだ」
「では、その実力をお見せ下さい。ここにいる人たちを納得させるものであれば、私は喜んで婚約者の座を渡しましょう」
「その言葉に二言はないか? 」
「ありませんわ。それにここにはシュバルツ様のご家族も来ているのですよ? 実際に見てもらった方がそちらも良いのではないですか? 」
それもそうかと納得した脳筋共。
何故かクマは困っているようだが、今一番困っているのは私だから。
そんな中カタリナは少し躊躇っているようだ。
そりゃそうだ、現役騎士団長の前でお披露目出来るレベルなわけないだろうからね。
騎士科の練習風景を見たことあるが、脳筋共は明らかにカタリナに手加減していた。
それは本来なら侮辱されていると思われてもしょうがない行為なのに、あの女は甘んじて受けていた。
そんな奴が騎士団長の前で剣技を見せる………笑わせてくれる。
騎士(仮)とは思えない、ノロノロした動きでカタリナと宣言した奴が打ち合いを始めた。
見ていられない。
なんだあの動きは?
あれで、なかなかのもの? 騎士科の女性を舐めているの?
カタリナ以外の女子は、きっちり、しっかりやっている。
なのに脳筋共は性格破綻者の、自分を持ち上げる言葉にコロッとコロコロされているのだ。
今代の騎士科男子は、馬鹿ばかりだ。
そんなのと一緒にいるクマを、ずっと想っていた私も馬鹿だ。
でも、もう我慢できない。
普通の令嬢を辞める。
「どうだ? カタリナは武芸に秀でているだろう?」
何故こいつが自慢気に言っているか、正直わかんないけど。
この場の空気を読めない馬鹿はいらない。
「ならば、それ以上をお見せすればよろしいですか?」
私の言葉に、騎士科の面々、性格破綻者が笑っている。
クマは相変わらず戸惑っている。
「サラ嬢! これを使え!」
クマの祖父がそう言うと、木剣を放り投げてきた。
私はそれを片手で受け止める。
ちなみに私の姿はドレス姿。
「わかりました。では、騎士科のお馬鹿さん達、全員でかかってきて下さい。面倒なんで」
私の言葉に脳筋共はすぐにカッとなった。
本当に馬鹿ばっかり。
まともな騎士科の人たちが可哀想だ。
「さあ、来て下さい。来ないなら私から行きますよ? とっとと構えないとすぐにやられてしまいますよ?」
待つのも面倒。
ならとっとと終わらせる。
私は剣を片手に持つと、そのまま一番近くにいた宣言者に一気に近付いた。
そいつが構えるよりも速く、剣を振るう。
一撃で吹っ飛んだ。
これに驚いた騎士科の脳筋は、やっと構え出したが遅い。
私は次々と弾き飛ばしていく。
弱い、弱過ぎる。
そしてカタリナの前にやって来た。
何も話すことなどない。
私は何か言おうとしているカタリナを問答無用でぶっ飛ばした。
今までの鬱憤を全て乗せて。
私はクマの前に来た。
別に吹き飛ばす為じゃない。
「あ、サ、サラ君は………」
「シュバルツ様。今までありがとうございました。正直今回のことで、あなたのことを慕っていた最後の気持ちもなくなりました。婚約はそこら辺に吹き飛んだカタリナさんとでも結び直して下さい。騎士団長の妻が騎士科から選ばれるとは知りませんでしたわ。それでは私は失礼します」
こうして私はクマを捨てた。
ちなみに私の剣の腕は我流だ。
うちの領地は山に囲まれていて、害獣被害が頻繁にあるし、魔獣もいる。
そんな中私は、小さい頃から山で害獣駆除をしていた。
クマの祖父と出会ったのも山の中。
そこで私を気に入ったクマの祖父が縁談を勧めてきたのだ。
私の将来を悩んでいた両親は飛びついた。
それからは普通の令嬢になれるように頑張ってきたが、この有様だ。
やっぱり領地で駆除活動に勤しもう。
学園を卒業したらそうしようと考えていた私に、まさか次の日から猛烈なアプローチが来るなんて思ってもみなかった。
クマが今までの態度は何だったんだ? と問い質したいくらいにアタックしてくる。
ついでに騎士科の脳筋共も、「アネゴ!」と馴れ馴れしくしてくる。
騎士科のまともな女子からは「お姉様!」って呼ばれる。
私はただ普通の令嬢をしたかっただけなのに。
なんでこうなったんだろう?
とりあえず、ほんの少しだけ気持ちが残ってしまっている、クマへの気持ちを処分せねば。
いつのまにか籠絡されていそうな自分がコワイ。