神徒(1)
あいつの第一印象は、何を考えているのかよくわからない奴だった。
見学と称して図書委員会に突然現れたその女――相馬ケイのことは、前から知っていた。噂の絶えない奴だ。
前年度はほとんど学校に来ていないにも関わらず、特別に留年は免れているという。芸能人、プロ棋士、苦学生、虐めによる不登校、噂が噂を呼んでいたが、こうして目の当たりにするとそのどれもが当てはまらないように思える。
そんな彼女を連れてきた睦月さんのことはよく知っていた。前年度も図書委員で一緒だったからだ。
一見大人しそうだが話してみると案外気さくで、ちょっと抜けたところもあるが、真面目で委員会活動にも積極的、好感の持てる人だった。
そんな彼女がどうして相馬ケイとつるんでいるのか謎だった。騙されているのではないか、少し心配だった。
相馬ケイが正式に図書委員になって一ヶ月、いつも二人は一緒に行動していた。
今日も睦月さんの指導のもと、図書の修理をおこなっている。作業室の書棚には修理待ちの図書がたくさんある。それを少しずつ減らしていくのも図書委員の仕事だ。
そしてあたしはカウンターで受付をしている。
五月も末のこの時期の放課後は、一学期の中間テストに備えて居残っている生徒で、いつもより人が多い。
とはいえ自習をしている生徒がほとんどで、貸出返却の仕事自体はそれほどでもないので、あたしも今日の授業の復習をしていた。
「ねえねえ、アリスちゃん」
早々に今日のノルマをこなした相馬ケイが絡んでくる。
「ちょっとケイ、邪魔しちゃダメでしょ。ごめんね片桐さん」
後を追って睦月さんがケイを嗜める。最近やたらこいつらはあたしにちょっかいを出してくる。
自分で言うのも何だが、あたしは目立つ。
母がアイルランド人でこの金髪は母譲りだ。しかし悲しいかな比較的高身長のアイルランド人の特徴は全て姉に持っていかれたため、高二になっても背が伸びない。
結果中学、高校になっても周りから子供扱いされ、こうして荒んだ心の持ち主に育ってしまった。
こいつらも物珍しさで構ってきているに違いない。
「ええー、いいじゃん。アリスちゃんだって仕事してないし」
「勉強の邪魔でしょ。(それと静かに!)」
ケイは文句を言いながら先日修理した本を棚に並べていく。
しかしこいつの本の修理技術には目を見張るものがある。
抜け落ちたページの補修は糊付けするのだが、初心者は糊を付けすぎてページを浮かせてしまうことが多い。だがこいつは適切な量で浮かせず、すぐ抜け落ちないようにできていた。これは慣れるまでなかなかできることじゃない。すぐ破れがちな背の補修も適切だ。
『こういうのは得意なんだよねえ。原因と結果が見えてるから』
などと意味のわからないことを言っていた。
「今日これから帰りにラーメン屋行くんだけど、アリスちゃんも行こ?」
「ちょっと、ケイ。……でも、どうかな? 片桐さん?」
二人は悪びれるでもなく、図々しく誘ってくる。
「……はあ。毎週食べてると太るわよ?」
あたしは観念して教科書とノートを閉じると、振り返って悪態をつく。
「わぁい! やったー。アリスちゃん。アリスちゃん」
「(静かに!) もう、仕方ないんだから……」
鬱陶しく抱きついて頬擦りしてくるケイに、どさくさに紛れて頭を撫でてくる睦月さん。
「ええい、うっとうしい! やめろ!」
必死に抵抗しながらあたしは思わず大きな声で叫んでしまう。自習中の生徒達が一斉に睨みつけてきて、あたし達は黙り込む。
こんな毎日も悪くない。そう思い始めてしまっているあたしだった。
六月になり季節は梅雨、今日も朝から小雨が降り続いている。
放課後の図書室、生徒はまばらで、カウンターではアリスが一人で受付を行なっていた。委員会がない日は交代で一人、カウンターに立つことになっている。
早急の作業もなく、アリスはぼんやりと外の景色を眺めていた。
雨の音が静かな図書室の中にわずかに響いてくる。
「あっ! アリスちゃん! いたいた!」
その静寂をぶち壊すように入口の扉が開かれ、ケイが入ってくる。
「……静かにしなさいよ。今日はあんたの当番の日じゃないわよ」
アリスはため息をついて応える。どうせ日を間違えたのだろうと思った。証拠に睦月さんが一緒にいない。
「違うよ。アリスちゃんに用があってきた」
ケイは不服そうに口を尖らせる。
「……」
アリスは興味なさげにスクリーンセーバーが走っていたパソコンを触り始め、図書館ホームページをぽちぽちとマウスのボタンを押していじっていた。
それを見たケイはずかずかとカウンターの中に入り、隣の椅子へと座る。
「……六月十九日はクオンの誕生日なんだ」
「そう」
そしてもじもじと本題を切り出すが、アリスはパソコンの画面を見たまま生返事をする。
「それで……プレゼントをあげようと思うんだけど……」
「そう」
アリスは新着図書のページがまだ五月のままなことに気が付く。更新しなくては。
「何にしようかなって……」
「そう」
見計らい図書の返本もしなくては。利用者からの購入希望はなし、と。
「ちょっと! 聞いてる?」
ケイはがばりとアリスの後ろから抱きつき、両頬を引っ張る。
「やめなひゃい! あんひゃからなら何でも喜ぶでしょっ」
アリスはじたばたと暴れるが、ケイの力は思ったよりも強くて解けなかった。
「うん? これなに?」
ケイはさらに身を乗り出してアリスの肩の上に自分の頭を置いて、画面を見つめる。
「見計らい図書よ。そこの新着の隣の棚に置いてある。書店がお試しで置いていく本よ。利用者から購入希望があれば、選書の候補に選ばれるってわけ」
「いや、そうじゃなくて、この赤い本」
ケイは画面の中に並んでいる表紙画像の端にある、赤い無地の本を指差す。その本だけ書名も著者も情報が表示されていない。
「えっ? そこに現物が――ないわね。データの打ち込みミスでしょ」
アリスは棚を見るが、その赤い表紙の本は並んでいなかった。
「……」
ケイは急に黙り込み、深刻そうな顔で考え始める。
「なに? 気になるの? 今度書店の人が来たら……いや先月ページを更新した子に聞いた方がいいか?」
「……この本、どこかで見たことある気がする。でも思い出せない。おかしい」
ケイは画面を見つめながら独り言のように呟き、小首を傾げる。
「はあ。そう。それで? 誕生日プレゼントはどうするの?」
心ここに在らずといった様子のケイに、アリスは尋ねる。
だがケイはぶつぶつと何事か呟きながら、そそくさと図書室を出ていってしまった。
「なんなのよ、もう……」
放課後の廊下、雨のため外で練習ができない運動部が廊下で筋トレをしている。
その間を縫うようにケイは一人考え込みながら早足で歩いていた。
記憶にない本。昔どこかで見て、だが忘れてしまっただけ。普通の人ならそれで納得できるだろう。
だが因子を読み取れるケイにとって、それはあり得なかった。
もし自分が昔どこかで見たなら、忘れていても因子を辿り、必ず思い出すことができる。
それができなかった。
たった一枚の画像だが、一目で自分に関係のある本だと強烈に感じた。
しかし自分の中にその記憶がない。まるで因子が断絶されているかのように、関連性が思い浮かばないのだ。
「ああー! もやもやするー!」
ケイは頭を描きむしりながら、この晴れない気持ちを吐露する。周りの生徒たちがびくっと驚く。
先月の謎のイタリアンマフィアといい、おかしなことが多すぎる。
そんなケイの気持ちを写すかのような曇り空の雨は降り続いていた。
そしてそれを校庭の木の上から遠巻きに見つめる一匹の猫がいた。デューイだった。
基本的に相馬家で飼われているが、ケイの送り迎えの車によく乗り込み、運転手の隙を見計らってうろついていた。
『あれって――』
デューイの頭の中で、トワが問いかける。
『聖典の表紙だったな』
イツカがそれに答える。
『この頃にはもう魔女ケイのデューイが聖典の写本の依頼をしてたはずなので、その影響かもしれない。あるいは母さん自身が思い出しかけているのか』
『やっぱり思い出してもらった方が――』
『だめだ。それは最終手段って言ったろ』
『でも作ってくれるかな?』
『大丈夫だろ。この世界のトワは無事に産まれ、その写本を手に入れることになる』
『うん』
そしてトワは紫苑中に編入し、そこでタクトを通して前世の記憶を取り戻す。アヌビスの作る地下都市を目の当たりにし、イツカを取り戻すために聖典の元へと飛び込んだ。
もう遠い過去のような記憶だ。
『あの時のデューイは誰だったんだろう……』
『おっと、そろそろ戻らないと怪しまれるな。ただでさえ母さんはデューイのことまだ警戒してるし』
『未来変わっちゃわないかなあ』
デューイは木の下に飛び降りると、まだ雨の降る校庭を駆け抜けていった。




