出会い(6)
そんな大捕物が行われていることは露知らず、クオンは真っ暗な車の中で縮こまっていた。
「――どうしよう」
後部座席の足元に身を伏せ、両手で頭を抱えてじっとしていた。
まさか二人が応戦するとは思ってもいなかった。それもかなり手慣れた様子で、こういったことがしょっちゅうあるかのようだった。
まだまだケイの知らない一面があることを知れた喜び、などと言っていられるほどの余裕はなかった。
「あっ、連絡しないと……」
家に遅くなることを知らせるのを忘れていたことに気付き、携帯電話を取り出す。
携帯電話のバックライトがほのかに車内を照らす。
「!」
何かの気配を感じ、振り返ると、バックドアガラスに何かの小さな影が見えた。
「みゃー」
小さな鳴き声が聞こえてくる。暗くてよく見えないが、猫だった。
「えっ? いつの間に中に? あれ? この子――?」
その姿には見覚えがあった。ケイと探したあの柳葉書店の軒先の主だ。
「もしかして一緒に乗ってきちゃったのかな。ほら、おいで――」
クオンは猫に手を伸ばす。一人で待つのは心細かったところだ。良い仲間と出会えた。そう思ったが――
「うっ!」
突然胸に激痛が走り、伸ばした手を下ろして、両手で胸を抱えてうずくまる。
また発作だ。昨日の今日で油断していた。急に色々なことがあって身体が不安定になっていたのかもしれない。
目を閉じ痛みが過ぎ去るのをじっと待つ。額から汗が零れ、全身が急速に冷えていくのを感じる。いつものことだ。すぐ治まる。
猫はその青い瞳を闇の中に灯しながら、クオンをじっと見つめていた。
「――それで、なんて?」
ケイは捕らえて縛り上げた二人から尋問を続ける田中に尋ねる。二人とも既に全身ぼろぼろで、その凄惨な尋問にはケイも今だに慣れず、目を背けたくなった。
「やはりこの間の関係者ですね。私達があの屋敷の家族を逃したと思っているようです」
田中はその手についた血痕をハンカチで拭き取りながら応える。
「何十年も前のことよ? そんなわけないのにいい迷惑ね」
ケイは呆れた様子で肩をすくめ、辺りを見回す。そろそろ警察が到着してもおかしくない。
「――なんだ? はっきり言え」
田中が大男の髪を引っ張って起き上がらせながら、声を凄ませて尋ねている。
「なに?」
「いえ、私達の居場所を誰から聞いたのか尋ねているのですが――」
「Gatto mammone !(ガットマンモーネ!)」
男は何かにうなされるようにその名を叫んだ。
「だれ?」
「名前ではないですね。コードネームでしょうか。意味は――」
田中は言いかけて突然はっとなり、掴んだ手を離して後ろに飛び退く。
「!」
ケイも異変に気が付き、飛び退く。転がる二人の様子がおかしい。
「fa male ! fa male ! accidenti a te ! Uscire !」
「Smettila ! Non venire dentro di me !」
男達は何事か悪態を吐きながら、両手両足を手錠で縛られたままアスファルトの上でまるで生け捕りにされた海老のように跳ね回っている。
「な、なんなの?」
「尋常ではないですね。薬物か洗脳を施されているのかもしれません」
怯えるケイに田中も緊張の面持ちを見せる。
やがて男達は両手両足の手錠に力を込め、無理矢理引き千切ろうとし始める。
手錠は本物のステンレス製だ。力技でどうにかなるものではない。
案の定手足に食い込み、血が零れ始める。
しかし男達は痛みすら感じないのか、全く止める様子もなく力を込め続ける。
肉が裂け、骨が砕ける音が響き、ついに片腕片足が切断されて落ちる。
「ひいっ」
ケイはその凄惨な光景に血の気が引き、田中の後ろに隠れる。
「っ……」
田中も眉をひそめて胸元の自分の銃に手をかける。
男達は千切れた手足を這いずらせ、アスファルトの上に血の楕円を描く。
そして片手片足でゆっくりと起き上がる。
その目は虚ろで燃えるように赤く闇夜に煌めいていた。口は半開きで涎が零れ、意識があるようには見えなかった。
「下がっていてください!」
田中は両手に銃を構え、迷うことなく発砲していく。
次々と男達の全身に着弾していくが、倒れても首をだらりと垂らしたまま歪な起き上がり方で立ち上がる。無理な体勢で腕や脚が折れ、おかしな方向に捻れても構わない。
「ちぃ!」
田中は銃を腰のホルダーに収めると、隣の黒い小瓶のような球体を取り出す。破片手榴弾だった。
丸いリングを引き抜き、男達に放り、そしてケイの腰を抱きかかえて一目散に後方に走り出した。
「ちょっ!」
「すいません。手加減はできない相手だと判断しました」
驚くケイに田中はいつになく真剣に応えた。
程なく凄まじい爆音と共に大量の破片が周囲に放たれる。多くの車の窓ガラスが割れ、粉塵が巻き起こる。
「さすがに……殺っちゃった……よね……」
「……だと、いいのですが」
巻き込まれないように離れた二人は、遠巻きにまだ煙が立ち込める爆発地点を見つめる。
さすがに騒ぎを聞きつけた人々が集まり始め、パトカーのサイレンが聞こえてくる。ようやく警察が到着したようだ。
「――え?」
ケイはその光景を見て愕然とする。
煙が晴れた場所には大きな爆発跡があり、アスファルトは砕け、周りの車には大量の破片が刺さっている。
しかし少なくとも人間二人が爆殺された跡はなく、肉片や骨一つ微塵も残っていなかった。
彼らがアスファルトの上に描いた血の楕円も消えている。
「どういうこと?」
「……お嬢様。これは一体――?」
驚く二人だったが、田中は先程までの真剣さは消え、きょとんとした顔でケイを見る。
「田中?」
「まさか……私がやったのですか?」
田中は自分の腰に手榴弾がなく、銃の残弾が減っていることを確認して狼狽する。
「――覚えて、ないの?」
ケイは田中の豹変に困惑して尋ねる。まるで男達と戦った記憶が飛んでいるかのようだった。
「追ってくる車をこの駐車場に誘導したところまでは覚えています。その後クオン様を置いて、私達で――うーむ」
田中は順を追って思い出そうとするが、そこから先が出てこなかった。
「……」
ケイは頭を抱えて唸る田中を置いて、爆心地跡へ歩み寄る。
何が起こったのかはさっぱりわからないが、それなら記憶を辿ればいい。
砕けたアスファルトの上で膝をつき、手を添える。
正直かなりグロテスクな光景が見えてしまいそうで怖かったが、この異常事態をそのままにしておく方が気持ち悪かった。
野次馬が集まってきて、パトカーから出てきた警官達が近づかないように叫んでいる。彼らに捕まる前に見ておきたかった。
「!」
だが、何も見えなかった。
田中が突然銃を乱射し、手榴弾を取り出し放った。その光景だけは見えた。
「そんな……」
あの追手の二人を捕らえ、尋問し、突然暴れ出したので田中が対処した。その記憶は確かに自分の頭の中にある。だが現場にはその記憶が残っていない。
まさか夢でも見ていたのだろうか?
「そうだ!」
ケイは自らの記憶を辿り、あることを思い出し、田中の元へと走る。
「お嬢様?」
まだ混乱している田中は不思議そうな顔でケイを見つめる。
「ガットマンモーネ!」
ケイはその言葉を叫んだ。男の一人が叫んだ名だ。彼らと繋がる何者かなら、この異常事態の手がかりになるかもしれない。
「は? なんて?」
だが田中はその記憶もなくなっているようで、ぽかんとした顔で聞き返す。
「ガットマンモーネ! 意味! 言いかけてたでしょ!」
ケイはイライラしながら言い直す。
嫌な予感がした。何か大事なことを見落としているかのような。
「はあ。イタリア語でしょうか。童話の怪物の名前ですね」
「他には!」
「確か……猫の怪物だったと思います――」




