出会い(5)
靖国通りを抜け、両国橋から隅田川を渡り、車は東へ向かう。
睦月クオンの家は千葉県にあり、運転手の田中は当然こういった事態を想定して、場所は調査済みだった。
仕える主人に親しい友人ができたのは喜ばしいことだった。だが、ここからが肝要。二人に互いに壁を感じさせてはならない。そのための手筈も万全だ。
田中はハンドル横の液晶タッチパネルをタッチし、音楽を再生させる。
静かなピアノの曲が流れ出し、社内に穏やかな空気を提供する。
「いつもこんなの流さないじゃない!」
ケイはあからさまに気を遣われていることに気が付き、声を荒らげる。
「ふふっ……」
クオンもその気配りがおかしくて笑い出す。
ケイに誘われた時、躊躇する自分を見た彼女が、落胆した表情を浮かべたのを見逃さなかった。おそらく今までもこうして人と接するのに苦心してきたのだろうと。
大袈裟かもしれないがここで行かなければ彼女を理解することはできない。そう思えた。だから勇気が出せた。
もちろん失望されたのではないかという焦りも多分にあったが。
「もしかして車で登校してるのも、力のせいなの?」
クオンは不意に思い付いた問いを発する。
「えっ?」
ケイはまさかといった顔で驚く。田中も運転する指をぴくりと動かす。
「あっ、その、サイコメトリーの人は、人混みが苦手、みたいなことを本で読んだことあって――」
「……」
ケイは驚くと同時に、初めて理解してくれる人がいた喜びで胸が熱くなっていくのを感じた。
「べ、別にそれくらいは平気だけどねっ。急な仕事もあるからこの方が楽なのよっ」
そして思わず声を上ずらせて、言い訳がましいことを口走る。
「――睦月様はなかなかに聡明なお方のようですね」
田中は信号が青に変わるのを待ちながら応える。
「ちょっと、田中!」
ケイは身を乗り出して、笑う田中を詰問する。
「――でもよかった。今日はケイのことたくさん知れて」
その後しばらく三人とも無言で走り続けた後、クオンがぽつりと呟く。
「……うん」
ケイは窓の外を見ながら小さく応えた。すっかり夜は更け、ビルの色とりどりのネオンが流れ去っていく。
「力のことはよくわからないけど、ケイも案外普通の子なんだなって」
「どう思ってたのよ――あっ」
苦笑して応えるケイだったが、不意に何かに気が付いたように声を上げる。
「田中、ルートを変えて」
「はい、既に何度か試していますが、間違いありません」
「えっ? どうしたの?」
突然緊張した面持ちと声でやり取りを始める二人に、クオンは困惑する。
「つけられてる」
「十五分、いや恐らくもう少し前からです。かなり後方にずっと付けている車が一台います」
ケイ達の車は国道十四号線から外れ、何度も右左折を繰り返していた。
「何者かわかる?」
「目立つイタリア車、途中車両を変えた様子もありませんので、尾行慣れした探偵といった類ではないですね」
「じゃあ――」
「はい。恐らくこの間の家族を追っていた組織かと。しかしおかしいですね。私達の情報が漏れるはずはないんですが……」
「えっと……」
何やら物騒な話をし始める二人に、クオンは戦々恐々とする。
「だいじょうぶ。仕事の関係でたまにこういうことあるから」
ケイはそんなクオンを気遣い、明るく振る舞う。
「このままセーフハウスの一つに向かいます。申し訳ありませんがご自宅に遅くなるよう連絡をお願いします。今日はこちらに泊まることになるかもしれません」
「はっ、はいっ!」
クオンは慌てて携帯電話を取り出し、通話しようとするが――
「!」
座席の後ろからガンガンと断続的に鈍い衝撃音が聞こえてくる。
「撃ってきたわね」
「ええっ!」
ケイはバックミラーをちらりと見る。
追跡車と思われる黒い乗用車との間に他の車はなく、既に数十メートルまで車間を詰めて迫ってきていた。
「防弾ガラスになっていますので大丈夫ですが、頭は上げないようお願いします」
田中は冷静に応えるが、その声には緊張感があった。
「ひぃ!」
再び衝撃音が続き、クオンは頭を抱えて座席の足元に縮こまる。
車はやがて国道十四号線と首都高速七号線の交差点から北へ伸びる柴又街道に出る。
右手には篠崎公園の芝生と野球場が見える。既に散ってしまっているがここも花見の名所だ。
「警察には連絡済みですが少し時間がかかります。セーフハウスに行く前に公園の駐車場で迎え撃ちましょう。先に依頼主を直接確認しておきたいですし」
「わかった」
二人は淡々と確認し合う。クオンはそれを聞いて先程ケイを案外普通の子などと言ったことを激しく否定したくなった。
公園内にある大きな駐車場、その最奥に車を停め、ケイと田中は外に出て追ってくる車から死角になる位置に身を隠す。幸い辺りにまだ他の車が多数停まっていたため、遮蔽物としては十分だった。
「出てきちゃダメだからね」
車を出る前にケイは怯えるクオンに優しく言いつける。
「あぶないよ! 銃が――」
クオンは信じられないといった顔でケイの腕を掴む。
「だいじょうぶ。私には弾当たんないから。見えてるって言ったでしょ?」
「私も防弾チョッキは着ているのでご心配には及びません」
「でも――」
まだ心配するクオンを車に残して二人は身を隠して追跡車を待ち構える。
程なく入口から黒い乗用車が入ってくる。
そしてケイ達の車を探すようにゆっくりと徐行運転しながら奥へと進んでいく。
「相手は二人で間違いないですね。いつもの手筈でお願いします」
「うん」
二人は最後の確認をしてから二手に分かれる。ケイは車から向かって左手、田中は右手へと停まっている他の車を盾に包囲していく。
相手が二人なのは走行中に銃弾を受けた段階で既にケイが見ていた。イタリア人の中年男性二人、やはり先の仕事の逃亡した家族の関係者だ。
助手席から撃ってきた小柄の男はケイが相手をする。銃弾は少し『先』を見れば当たることはない。動揺した相手を一気に仕留めたい。
巨漢の運転手は田中が相手をする。これでも数々の要人のエスピーの経験もある凄腕執事だ。肉弾戦で彼に敵う者など皆無だ。
やがてケイ達の車を見つけた乗用車は駐車場の中央で止まり、中から二人の男がドアを開けて出てくる――
その瞬間ケイと田中は一斉に駆け出し、それぞれの相手に向かって走り寄る。
気付いた二人がすかさず拳銃を構え、発砲する。
しかし大柄の男の銃弾は上空に向かって放たれる。トリガーに指をかけるよりも早く懐に潜り込んだ田中の掌底が男の腕と顎に打ち込まれ、そのまま押し倒されたからだ。
「!」
小柄の男の撃った銃弾は迫るケイの後ろの車のフロントガラスを粉砕する。
まぐれで避けたと次々と発砲するが、それらは全てケイのセーラー服を掠めるように逸れ、アスファルトや車に跳弾していく。
「そいや!」
懐まで潜り込んだケイは、大きく脚を開いて踏み締め、腰を大きく回し、左手を引き、右拳を小さく素早く回しながら、男の胸に打ち込む。渾身の正拳突きだ。
「ops !」
男が叫び声を上げるのと同時に、ケイは身体を反転させて男の背中へと回り込み、銃を持った腕を捻り上げ、足を掬い、そのまま前倒しにする。銃が手元から滑り落ちる。
そして懐から取り出した二つの手錠を、男の両手と両足にがっつりとはめて、その背中にどかっと座り込む。
「いっちょあがり!」
ケイが両手をぱんぱんと叩いて横を見ると、田中も大男を既に手錠で縛り上げて地面に転がしていた。
「では、尋問を始めましょうか」
二人はにやりと笑うと、何事か悪態をつく二人の男達に手を伸ばしていく。




