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出会い(3)

 夕刻、神保町のすずらん通りをケイは一人歩いていた。

 クオンは神保町駅から電車通学、ケイは田中の迎えの車が来るまでまだ時間があったため、クオンを駅まで送ってからぶらぶらしていた。


 あの後、図書委員会に電撃参戦したケイだったが、拍子抜けするほどその活動は地味で、退屈だった。

 返却図書の処理、配架作業、三十分ほどのカウンター受付、顧問の司書教諭の指導の下、各クラスの図書委員が分担で作業を行う。

 今日は見学ということでそれを大人しく見ているだけだった。


「うーん。どうしよっかな……」

 クオンと共に何か面白いことができるのではないかと期待していただけに、ちょっとがっかりではあった。

 クオンもそれを察してしまったのか、別れ際に少し気まずい空気になってしまった。


 すずらん通りを抜け、靖国通りに出たケイは、柳葉書店の店先の長椅子に座って、ぼんやりと街中を見つめながら田中の到着を待っていた。


「いつも期待しすぎちゃうんだよね……」

 相馬家に生まれ、この力を子供の頃から使ってきた自分は何をやっても優秀だった。思い描いた結果に導くための適切な手段が、最初から見えるのだから当然だった。

 しかしそれは最初から結果が見えているということでもあり、至極退屈だった。

 近づいてくる人間もそうだ。みな何かしら思惑を持って、あわよくばこの力を利用してやろうという魂胆が透けて見える。

 だから力を隠し、孤独に生きる道を選んだ。学校にも行かなくなった。

 もしかしたら自分は生まれてくる世界を間違えたのではないか。そんな風に考えていた時期もあった。


 クオンに感じたものが何だったのかはわからない。

 ただの気の迷いだったのかもしれない。また裏切られるのが怖いのかもしれない。

 だが――


「みゃー」


 不意に間近から鳴き声が聞こえてくる。例の猫――に見えた。

 あれから度々二人で店に行くことはあったが、出会うことはなかった。飼い主が無事見つけたのか、以前よりちょっと小綺麗に感じた。


「何だお前か。もう家には帰れたのか?」

 ケイはその頭に手を伸ばす。少しはこの猫の辿った記憶が読み取れるかもしれない。

「みゃ!」

 だが猫はその手をひらりと避け、横のコンクリート壁の上に飛び乗る。

「むー。前から触らせてくれないんだよなあ」

 ケイは座ったまま頭を掻いて壁の上の猫を見上げる。


『あの者は危険だ』


 どこからか声が聞こえてくる。中性的な不思議な声だった。

「うん?」

 ケイは見回すが、店の周りには誰もいなかった。中には新聞を読んでいるキクヲだけだ。

 確かに聞こえたと思ったが、通りの方から誰かが呼びかけたのだろうか。


『睦月クオンには気をつけろ』


 再び声が聞こえてくる。耳からではない。頭の中に直接語りかけてくるような感じだ。

「!」

 ケイはまさかと思い、猫を見上げる。

『そうだ』

 猫と目が合った瞬間に返事が来た。青い透き通るような瞳だ。


「――えっと……」

 ケイは全身から嫌な汗が流れ出すのを感じる。

 仕事柄それなりに不可思議な現象や事物に出くわしたことは少なくないが、流石にしゃべる猫に出会った経験はなかった。

『あの者はやがて世界に破滅をもたらす』

 だが猫の方は構わずに話を続ける。


「ちょ、ちょいまちっ!」

 ケイは堪らず猫の前で両手を振って話を遮る。

『――なんだ?』

 猫はあからさまに不満げな声を上げる。

「えーと、まず、あなた様は、一体、何者なのですか、と――」

 ケイは言葉を慎重に選びながら尋ねた。何か神聖な生き物なら、粗相があってはバチが当たるかもしれない。


『……』

 猫は黙り込み、ケイの瞳を見つめ続けた。全てを見透かそうとするかのようであった。

『……私は御使だ。この世界のお前へ警告するために来た』

「……は? みつかい? このせかいのわたし?」

 ケイは口をぽかんと開けて呆然とする。何を言っているのか全く理解できなかった。


『今はまだわからずともいい。だが油断はするな……』

 そう言うと猫は壁の上をすたすたと歩いて、ビルの隙間へと飛び降りた。


「あっ! まって!」

 ケイは立ち上がり、追いかけるが、猫の姿はもうなかった。

「なんなの……」

 ケイは呆然と立ち尽くすが、不思議な高揚感があった。


『睦月クオンには気をつけろ』


 やはりあの子には何かあった。

 世界の破滅がどうとか言っていた気がするが、そんなことはどうでもいい。


「おもしろくなってきた!」

 突如舞い込んできた非日常に、ケイは心躍らせるのだった。



「うーん。失敗だったかなあ……」

 風呂の湯船に浸かりながら、クオンはため息をつく。


 駅から十分のマンションの一室、睦月家は両親が共働きで、帰りは遅い。今日も一人で夜御飯を済ませ、風呂に入っていた。


「あんまり興味なさそうだったし……ぶくぶくぶく」

 湯船に顔を半分沈めながら、委員会活動中のケイの様子を思い出す。

 どうすれば彼女の興味を引くことができるだろうか。

「うーん」

 クオンは自分が何故図書委員になったのかを思い出す。


 子供の頃からあまり身体が丈夫ではなかった。日常生活に支障が出るレベルではなかったが、それでも他の子には出来て、自分には出来ない。その境界線が常にあると感じていた。

 結果何をするのにも遠慮がちで、一人でいることが多かった。

 そんな自分が本の世界に逃げるのは当然だったのかもしれない。そして学校に通うようになってからは図書委員を率先してやるようになった。そこだけが安心できる居場所だったからだ。

 紫苑女子に入ったのも大学で司書資格が取れるからだ。将来的にその道に行くかはまだわからないが、他の道を見出せなかった自分にはそれが最善と思われた。


「ケイは何でもできるんだろうなあ」

 その文武両道の才、誰に対しても分け隔てのない性格で、既にグループが出来てしまっていたクラスにおいても、みなの心をあっという間に掴んでしまった。

 そんな彼女と自分が一緒にいるのは不釣り合いなのかもしれない。実際既に自分に対しての陰口や嫌がらせは少なからずある。

 こんな自分は彼女から見れば必死なぼっち少女にしか見えていないのかもしれない。ただ気まぐれで付き合ってくれているだけかもしれない。


 でもどうしても諦められない何かが彼女にはあった。それが何なのかはわからないが、一緒にいたいという思いは裏切れなかった。


「よしっ! 明日も誘ってみよう!」

 クオンは立ち上がると、決意を新たにする。

 ケイが自分の意志で他の部活や委員会を選ぶのなら仕方ない。だが最後の悪あがきくらいはさせてもらおう。


「あっ――」

 クオンは思わずよろめいて風呂場の壁に手をつく。

 長風呂してしまいのぼせてしまったかと思った矢先――


「いたっ!」

 突然胸に激痛を感じてその場にうずくまる。

 子供の頃からの発作だ。もう何年も発症していなかったので油断していた。

 全身から血の気が引いていくように身体が冷たくなってくる。

 風呂場の中に座り込み、ゆっくりと何度も息を吐き、痛みが引いていくのをじっと待つ。

 見上げた天井がちかちかと点滅しているように見える。


 まるで赤い雪が降ってくるように――

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