プロローグⅣ
追憶編 あらすじ
東京都千代田区神田神保町、私立紫苑女子大学附属高等学校に通う睦月クオンは不思議な猫に導かれ、古書店で一人の少女と出会う。
黒い振袖姿の彼女の名は相馬ケイ。
二人の出会いが世界の命運を賭けた戦いの因果を紡ぎ始める。
※この物語はフィクションです。実在の人物、団体とは一切関係ありません。
「――はい。今現場に到着しました」
「こいつは、思ったより荒れてるな」
二人のスーツ姿の男が錆びた鉄柵の入口を開き、その家の広い敷地に入る。足元には人が入らないよう鉄柵に巻かれていた鉄条網が外して置かれている。
広い庭に入ると、一目で何年も手入れされていないのがわかるほど芝生は生い茂り、荒れ放題だった。一際大きな桜の木が一本、薄紅色の花をたくさん咲かせていた。
目の前には薄汚れた白い洋館が建っている。
外から見ても窓ガラスの多くは割れ、もう長い間人が住んでいないのがわかった。
「どうしてこんな立派な家をほったらかしにしたんだろうねえ」
二人の内、電話をしていた小太りの中年男性は、庭を見回しながらぼやく。所々にゴミの山ができている。住人がいなくなり、誰かがゴミを投げ入れ、それが積み重なってできたものだ。
「国に帰ったんでしょう。金持ちの考えることはわかりませんよ」
もう一人の細身の若い男性は、手に持ったデジタルカメラで庭の様子を次々と撮っていく。
兵庫県神戸市の一角にある二階建ての洋館。
かつて外国人一家が住んでいたが、もう十年以上も消息不明、音信不通でこの家だけが残された。
こうした空き家は倒壊の危険や衛生上の問題が起こりうるため、市町村が調査を行い、特定空き家に認定されると、持ち主に助言や指導、勧告、命令が行われるが、それも叶わない場合は、略式代執行として解体を行うことになる。
二人は市役所の職員で、そのための調査を行なっていた。
「中は案外きれい……でもないか」
既に鍵が壊れている入口の扉を開け、中に入った二人は、その荒れ果てた様子に嘆息する。
床板は所々穴が開いて抜け落ち、至る所にゴミが散乱している。心霊スポットとして若者達が立ち入り、残していったものだ。今回の調査も深夜に立ち入る者が増え、近隣住人からの苦情が増えてきたからだった。
「金目のものもなさそうですね」
屋敷の中には家具すらほとんど残っておらず、元の住人は全て引き払った上で屋敷を出たのか、あるいは不法侵入者達に持ち去られた後なのかはわかりかねた。
「その方が助かるよ。そのまま取り壊せばいい」
「それもお金かかるんでしょ? まったく迷惑な話だ」
その後二人は屋敷の中を見回り、写真を撮っていく。
一階をあらかた見て、二階への階段を登ろうとした時、外から屋敷の前に止まる車の音が聞こえてくる。
「おっ、来たようだ」
「なんです?」
二人が玄関に向かうと、黒塗りの高級そうな車から降りた一人の少女が、ちょうど鉄柵を開け、庭に入ろうとしていた。
「相馬家から来ました。相馬ケイと申します。どうぞよろしくお願いします」
長い真っ直ぐな黒髪に、黒地に色とりどりの花模様があしらわれた振袖姿、その瞳はわずかに赤みを帯びている。
「どうもどうも、よろしくお願いします。相馬様」
「(……子供じゃないですか。一体なんなんですか?)」
若い職員が小声で耳打ちする。ケイはまたかといった顔で苦笑する。
「すいません。こいつ新人で。ええと――」
「いいですよ。私から説明します」
中年の職員が、謝りつつも言い淀むのを見て、ケイはいつもの言葉をすかさず投げかける。
「簡単に言ってしまえば、私は霊媒師です。家の中に霊的な吹き溜まりや、曰く付きの物品がないか検査する仕事になります」
ケイの説明に若い職員はぽかんと口を開けて、呆気にとられる。ケイはそれを見ていつものように笑顔を向けて続ける。
「下手に取り壊すとそこに霊障が残っていた場合、後々問題になることがあるため、こうして見させていただいております。まあ念の為の気休めだと思ってください」
「いえいえ。相馬家の噂はかねがね聞いております」
中年の職員は愛想笑いを浮かべて、隣の若い職員を肘でこつく。
「よっ、よろしくおねがいしますっ!」
若い職員ははっとなり、条件反射で深々と頭を下げて声を上げる。
「はい。では、庭の方から見させていただきますね」
ケイは苦笑してわずかに頭を下げると、庭の中に踏み出した。これもいつもの反応だ。
ケイが庭の中を歩きながら、時折止まっては何かを確認している様を、二人の職員は遠巻きに見つめていた。
「――相馬家って、有名なんですか?」
「ああ、大昔から国の施設の施工や取り壊しの際には、立ち会っているらしい。平将門の血を引いているなんて話もある。神社本局とも繋がっていて、政界にもその影響力は計り知れないとのことだ」
「でもずいぶん若い子ですね。まだ学生なのでは」
「ちょっと前に先代から代替わりしたって話は聞いてたけど、あんな若い子とはね。でも着物姿も堂に入ってるし、さすが名家の御令嬢といったところかね」
二人はこそこそと噂話を続ける。
「……ふむ」
それをしっかり聞き耳を立てて聞いていたケイは、ぐっと拳を握りしめる。
今回はなかなかの好反応だ。やはりこの着物を着ているのがいい。
二年前にこの仕事を母から継いでから、最初の仕事に学校のセーラー服姿で行った時のクライアントの反応は酷かった。
その後、色々な格好を試したが、この着物を着ていくのが一番強そうに見えるとわかったので、これが仕事着として定着した。
「さて――と」
一通り庭を見て回ったケイは、桜の木を見上げる。
立派な木だ。おそらくこの館と同じか、それ以前から存在するに違いない。
みな思うところは同じか、その木の周りだけは花びら以外、ゴミが捨てられたり、荒れた様子はなかった。
その後、三人は館に入り、ケイは一階の見回り、職員の二人は二階の検査、撮影に向かった。
「――特におかしなとこは、ないかな」
玄関からリビング、キッチンからトイレ、バスルームと順番に見ていったケイだが、どこも異常は見られなかった。不法侵入者が荒らしたところを除けば。元の住人は綺麗に後片付けをしてから去っているのがわかった。
二階に上がる階段を登り始めた時、不意に大きな音が聞こえてくる。
「何か?」
「いえ、私も来たばかりです」
音が聞こえた廊下の奥の客間に向かう途中、デジタルカメラを持った若い職員と合流し、客間に入ると、そこには中年の職員の上半身が床から生えていた。
「あいたた。床が抜けたよ。ひどいねこりゃ」
どうやら木造の床が腐っていたらしく、盛大に踏み抜いたようだった。
「――この部屋だけ、なんか汚れがひどいですね」
二人がかりで引き上げた後、若い職員は部屋を見回しながら呟く。
見ればこの客間だけ他の場所よりも劣化が酷く、壁紙は破れ、床板もそこかしこ穴が空いている。窓ガラスも割れ、風雨も入り放題で窓際にはカビまで生えていた。
「……」
ケイは屈んで部屋の隅の床を指でなぞっていた。
「何かあるんです――えっ? これって!」
その様子を上から覗き込んだ若い職員が驚きの声を上げる。
「なんだ? どうした?」
中年の職員もまた床を踏み抜かないよう慎重に近寄って覗き込む。
そこには、黒い染みが大量に広がっていた。
「ま、まさか、血――」
「ばかいえ、そんな話聞いてないぞ!」
恐れ慄く二人だったが、ケイはきょとんとした顔で立ち上がる。
「あれですよ」
そして天井を見上げて指差す。
そこにも大きな染みが広がっており、カビだけでなく小さなキノコまで生えている。
「あっ、雨漏りか!」
「おどかしやがって!」
安堵する二人を見て、ケイは笑う。
その後、二階の調査もつつがなく進み、三人は館を出た。
「――でも、なんであの部屋だけあんなに荒れてたんですかね。他の部屋はそんなでもなかったじゃないですか」
「角部屋で日当たりも悪かったし、劣化が早かったんだろうよ」
二人は館を振り返り、問題の客間の場所を見上げる。確かに昼下がりの今も隣のビルのせいで日が当たっていない。
「それもきっかけの一つかもしれません。雨漏りも何度も修理していたし、客間としては不適切として長い間放置された。結果最初に窓が破られ、汚れが始まるのも早かった。お化け屋敷として入った子らが悪戯で床を壊して、さらに荒れた」
ケイは淡々と説明する。
「まるで見てきたように言いますね」
「ええ、まあ」
そしてにっこりと笑った。
「それじゃあ、検査は終了っと。取り壊しても問題ないですね」
中年の職員が大きく伸びをしながら確認する。
「あっ――」
ケイは思い出したかのようにぽんっと手を叩く。
「あの木だけは残しておいた方がいいです」
そして庭の桜の木を指差す。
「何かあるんですか?」
「まさか呪われるとか!」
二人は意味深なことを口走るケイに期待と不安の表情を浮かべる。
「……ええ。あれはとても神聖な桜なので、切ると災いの種となります。ほら、あの周りだけきれいでしょう? みんな無意識に避けているんですよ」
ケイは思案する様子を長々と見せてから、わざとらしく小声で説明する。
「な、なるほどっ」
「工事関係者にも言っておきます!」
その後、二人の職員と事後処理の書類確認をした後、ケイは屋敷の入口に待たせていた車に乗り込む。
「お疲れ様です。お嬢様」
運転席にいる燕尾服の白髪の老人が前を向いたまま声をかけ、エンジンを入れる。
「あー、つかれたー」
ケイは後部座席にだらしなく寝転ぶと、だらしなく声を上げる。
窓はマジックミラーで外からはそのだらしない姿は見えない。
「それで、彼らの行方は?」
車を出発させ、しばらく走ってから老人は尋ねる。
「――イタリア系のマフィア、っていうの? そういうのに追われて逃げたみたい。今はサンディエゴで楽しく暮らしてるんじゃない?」
ケイは館を見て得た情報を述べる。
「了解です。手配しましょう。他に変わったことは?」
「えーと、あの家で少なくとも三人は死んでる。まあこの国の人じゃないし」
「そういうわけにはいきません。ちゃんと思い出してください」
「因子から読み取れるっていっても万能じゃないんだから、無茶言わないで」
相馬ケイには生まれつき因子という不思議な青い粒子を見る才能があった。
因子からはそこで起こった事象の記憶、その流れからは過去と未来の繋がりを読み取ることができる。
それこそが相馬家が代々受け継いできた秘奥であり、この国を陰から支えてきた力だった。
「――して、あの桜には何かあったのですか?」
ケイの報告を一通り聞き終わった後、老人――相馬家の執事、田中は尋ねた。
「なーんも。ふつうの桜の木だよ。でもああいうのは残しておいた方がいいんだよ。みんながきれいだと思う気持ちが幸せの種になって、長い時間をかけて因果が積み重なっていけば、あの、よごれた、土地も……少しずつ、きれいに――むにゃむにゃ」
ケイは欠伸をしながら答えると、そのまま静かに眠りに落ちた。
「そうですか」
田中はそれを聞くと、満足そうに笑みを浮かべ、主人が起きないよう、静かにハンドルを切った。




