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抗う者達(8)

 爽やかな風が吹き抜け、小さな雲が青空の中をゆっくりと流れる。

 鳥達はさえずり、動物達も木々の間を駆け抜ける。


 季節は春。北の地の森もすっかり暖かくなった毎日が続いている。

 時折聞こえてくる遠吠えは、巣ごもりから出てきた竜で、今日も獲物を探して空を飛び回っている。


 森の中を教会の鐘の音が響く。

「おい、またやってるぜ!」

「見に行こう!」

「くそ、俺も畑仕事がなければ」

「やあねえ。男子は野蛮で」

「そうよ。占いの方がよっぽど役に立つわ!」

 子供達の喧騒がたちまち始まり、一斉に教会の中から飛び出してくる。


「やれやれ、お前ら! ちゃんと宿題やるんだよ!」

 教会の中からイスラが怒鳴り声を上げる。

「はーい!」

 子供達は揃って元気よく返事をすると、一斉に庭の広場に向かっていく。


「まったく。返事だけはいいんだから」

 イスラは笑いながら子供達が散らかした教材や机を片付けていく。外からはかんかんと何かを打ち付ける乾いた音が響いている。

「……もうすぐ昼飯だ。ここはもういいから、行ってきな」

 そして一緒に片付けを手伝う少女に声をかける。

「えっ? でも……」

 少女は顔を上げると、恥ずかしそうに目線を逸らす。ちらちらと窓から庭を見ていたのがばれていたようだった。

 その瞳の色は赤かった。


 彼女の名はツイ。幼い頃よりイスラと共にこの教会で暮らしている。

 半年前、母を探す旅に出て、三ヶ月前に帰ってきた。

 その旅を共にしたのが――


「もう一本やろうぜ!」

 庭で男子達に囲まれた少年が、手に持った木剣を肩にぽんぽんと当てながら叫ぶ。

「がははっ! 言うようになったじゃねえか!」

 対峙する男が豪快に笑う。その手にも木剣が握られている。


 少年の名はナユタ。ツイと共に旅をし、そして一緒に帰ってきた。

 男の名はエイベル。ツイの父親である。オルラトルの塔士であったが、海外遠征から帰還後、隊を抜け、家族と共に帰ってきた。

 二人は木剣を構えて、また打ち合いを始めようとする。


「もうすぐお昼だから、おしまいよー」

 そこへ女性が近づいてくる。連れている女子達は占いが途中で中断されて不満げだ。

 彼女の名はバステト。エイベルの妻であり、ツイの母親である。そして魔女だ。


「あれ、もうみんな集まってる。お昼だよ。もどろっ!」

 そこへツイがやってきて一行を見回す。みな満足げに頷くと、共に教会に向かって歩き出した。


「ニャー!」

 そこへ私を忘れないでよとばかりに黒猫が雄叫びを上げて近づいてくる。

 彼女の名はデューイ。トワ達の飼い猫だ。


「あはは、ごめんごめん。忘れてないよ!」

「お前、最近太ったんじゃないか?」

 ツイとナユタの言葉にデューイはますます不機嫌そうにいななくと、一行の前を駆け出した。

 みな笑いながら追いかけていく。


 ツイの旅は終わった。

 半年前、ナユタと共に母を探しに旅立ったツイは、ポレンヘイムで母と再会し、オルラトルの魔法学校へ入学、時計塔図書館にてデューイを見つけ、そして三ヶ月後父も合流し、こうして家族全員揃って帰ってきた。


 今はイスラを手伝いながら子供達に勉強を教えている。今までと違うのはエイベルとバステトが剣術と魔術の授業もするようになったことで、生徒の数も大幅に増えた。

 一家で住むには教会は手狭のため、増改築をして本格的に学校にしようという話も町内会議で出ている。


「その時はツイも先生になるのよ」

「えー? わたし何も教えられないよ」

「馬鹿言え! 魔法学校でも優秀だったんだろ?」

「魔術資料課はそうそう入れるもんじゃないぜ」

「うーん。でも教えるのはなあ」

「ニャー」


「ほら! あんた達も昼飯用意するの手伝いな!」

 教会の入口から叫ぶイスラの声に、一家は笑いながらこれからの話に花を咲かせるのだった。



 その日の夜、ナユタの部屋。今では一人部屋をあてがわれている。まだ荷物はほとんどなく、備え付けの家具に着替えが詰め込まれているだけだった。部屋の隅には旅で使った鞄が埃を被っている。

 ナユタは一人、ベッドの横の窓縁に座り、夜空を眺めていた。

 少し開けた窓からは気持ちのいい風が、森からは虫の音がわずかに聞こえてくる。


「――まだ、起きてる?」

 そこへ寝巻き姿のツイが部屋に入ってくる。両手で赤い本を胸に抱いている。

「どうした?」

 ナユタは窓縁から飛び降りると、ツイと並んでベッドの上に座る。


「……」

 お互いしばらく無言で座っていた。ナユタはツイを見つめていたが、ツイは膝の上に置いた赤い本をずっと見ていた。


「あっ! テジャスから手紙が来てたよ。時計塔はまだ資料の修理で忙しいんだって。暇ができたらみんなと一緒にうちに来たいって!」

「そうか」

 咄嗟に思い出した話題を振るが、ナユタはわずかに頷くだけだった。


「その……旅のことなんだけど」

「……うん」

 ようやく本題に入ったツイに、ナユタは静かに相槌を打ち、続きを待った。


「わたしたち、本当にオルラトルまで行って帰ってきたんだよね?」

 意を決してツイは尋ねる。

「……そうだよ」

 ナユタは一瞬考えるそぶりを見せた後、ゆっくりと頷いた。


「何だか長い夢を見てた気がする。もちろん覚えてるよ? 森で竜に追われたところをナユタに助けてもらって、テジャスが襲ってきて、仲直りして三人で旅立った」

「うん」

「ポレンヘイムの図書館でアパスも襲ってきて撃退して、仲直りして、それでお母さんと再会して――」

「うん」

「みんなで山を越えて、オルラトルに到着して、魔法学校に入学して、ロカと出会って、時計塔図書館に行って、それで――」

「……うん」

 そこでツイは一回黙り込む。ナユタは辛抱強く続きを待った。


「マルーダの神様と戦って、それで……仲直りした」

「うん。それで全部合ってるよ」

 ツイは話し切って、ナユタの顔を窺う。いつも通りのナユタだった。だが、どこか寂しそうに見えた。


「やっぱり、もう一人のわたしは帰っちゃったんだね」

「!」

 ツイはそのナユタの表情で疑念が確信に変わり、その答えを出した。


「……覚えてるのか?」

「うん」

 時計塔での神鏡との戦いの後、彩咲トワと相馬イツカは――厳密にはその魂と記憶は――元の世界へと帰っていった。

 ツイからはトワの記憶が消えたはずだった。


「いちおう自分のことだもん。最初は戸惑ったけど、これが――」

 そう言ってツイは膝の上の赤い本を撫でる。

「聖典……」

 ナユタもじっと見つめる。だがエーテライズは発動しなかった。

 元々トワが記憶を思い出して使っていたのだから、当然ではあった。


「わたしにはできないから。ずっともう一人のわたしが戦ってたんだなって」

 ツイは寂しそうに笑う。

「!」

 ナユタは息を呑む。ツイの目から涙がぽつぽつと聖典の上に落ち始めていた。


「あはは、なんだろ。なんで涙が出てくるのか、わかんない」

 ツイは言いながら寝巻きの袖で涙を拭うが、次から次へと溢れてきて止まらない。

「もういい。がまんするな」

 ナユタはツイを抱き寄せると、優しく耳元で囁いた。

「っ!」

 それをきっかけに、ツイは思う存分泣き出した。旅から帰ってきてから、ずっともやもやしていたものを全て吐き出すかのように。


 泣きながら旅の始まりの日の前夜、イスラの胸の中で泣いたことを思い出した。

 ああ、自分はやっぱり泣き虫のままなんだと。



「――落ち着いたか?」

 ひとしきり泣き終えたツイを放したナユタは、苦笑しながら尋ねる。

「むー」

 すっかり目を赤く泣き腫らしたツイは、怒りと恥ずかしさで顔も真っ赤にする。


「……ポレンヘイムの宿の屋根の上から見た星のこと覚えてるか?」

 ナユタは窓縁に座ると、ツイにも隣に座るよう手招きする。

「うん。猫座がどうって」

 ツイも覚えていた。トワが自分の前世について話したことも。


「あの時、言えなかったことがあるんだ」

 ナユタは空を見上げなら続けた。ツイの顔をまともに見て言える気がしなかった。

「なあに?」

 ツイはきょとんとしてナユタを見つめる。


「俺はお前を――』

 ナユタは言いかけて、止めた。


『俺はお前を守るために生まれてきた』


 この言葉はツイに向けて言いたかったのか、トワに向けて言いたかったのか。その答えが今の自分にはまだ出せない。そう思えたからだった。


「――やっぱなんでもない」

 そしてふいと顔を横に振った。

「なんなのよ! もう!」

 ツイは頬を膨らませて憤慨すると、ベッドの上から飛び降りる。


「決めた!」

 そして振り返るとナユタに向けてびしりと拳を突き出す。

「……なにをさ?」

 ナユタも振り返り尋ねる。何となくわかった気がした。


「わたし、魔法司書になる!」


 ツイは宣言した。

 ずっと考えていたことだった。トワに負けたくないという気持ち、ナユタと並び立つにはそれが絶対に必要なことだと思えた。


「いいね」

 ナユタは素直に喜び、笑って応えた。

 ツイが魔法司書になったその時、自分の答えも出せる気がした。


「じゃあ俺もがんばらないとな。だって、俺はツイの塔士だし!」

 そして立ち上がると、ツイの伸ばした拳に自分の拳を突き合わせた。


 二人は笑い、そしてこれからの未来を存分に語り合った。

 トワとイツカのような魔法司書になるために――


「ニャア」

 その様を部屋の入口の裏からこっそり見ていたデューイは満足げに小さく鳴くと、バステトの部屋へとゆっくりと帰っていった。

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