抗う者達(5)
「ぐっ……」
ロカは痛みでよろけながら後退り、片膝をついて、突き刺さったままの短剣に手を当てる。そして先程までと同じようになかったことにしようとする。だが――
「消えない! なぜ?」
胸元の短剣は消えずに残ったままだった。血がとめどなく流れ出す。
「――人は神を殺せない。神は神を殺せない。だっけ? この世界の神話では」
ナユタはその場に力なく崩れ落ちるロカを見下ろしながら、淡々と言い放つ。
『まさか!』
ケイは何故ロカの力が無効になっているのか、その理由がすぐにわかった。
「神を殺せるのは竜だけ。その短剣はさっきネフティスの血をしこたま吸い込んでるからな。この一撃を入れるためにさっきまでダミーの剣を入れ続けて油断させたってわけ」
「あっ……」
得意げに種明かしをするナユタにトワは違和感、いや既視感を覚える。
「あああああっ!」
途端にロカは叫び声を上げ、その場で身をよじりだす。
まるで何かに取り憑かれたかのように身体を震わせると、声ならぬ声を上げる。
背の赤い翼が大きく開かれ、次々とその羽根が枯れ木の葉のように落ちていく。
やがて全て落ちると、ロカはがっくりと膝を折って崩れ落ちる。
「イツカくん!」
『ニャ!』
トワは抱いていたデューイを放し、ナユタの背に抱きついた。
「……違う。俺は相馬イツカの記憶を取り戻したナユタだ」
ナユタは振り返りながら不服そうに応え、トワを抱き締めると、その頭を撫でた。
「……それ、だいじなこと?」
ナユタの腕の中でトワは涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら尋ねた。
「少なくともこの身体でこの世界に立ってる間はね」
ナユタは安堵のため息をつくのと同時に、こうして人間としてトワと手を取り触れ合えることを自分がどれだけ待ち望んでいたことか、その実感を噛み締めた。
「――聖典を使うぞ。手伝え」
「えっ! う、うんっ!」
ナユタは名残惜しそうにするトワを離し、その腰の赤い本を見つめる。
これはあっちの世界の相馬ケイが作った聖典の写本だ。それがどういう手段かはわからないが、こっちの世界に送り込まれ、魔女ケイによって人間となったナユタをツイの元へ導くために預けられた。
『ナユタ――』
ケイが申し訳なさそうな声で呼びかける。
「俺にとってはどっちも母さんだよ。なんでこんなややこしいことになってるのか知らないけど、トワのためなんだろ?」
『……ええ。でも油断しないで。あの子にも見られた』
ケイはそう言うと、地面にうずくまるロカを見て身構える。
「どうするの? イツカくん?」
聖典を両手で抱えながらトワが尋ねる。
「こいつの中の神は殺せたはずだ。助けよう」
ナユタは言いながらロカに近づき、その場に膝をつく。
「この世界は人と竜の世界だ。俺達みたいなのが好きにしていい世界じゃない。もう自由にしてやれ」
そしてロカの胸元の短剣に手を当て、もう片方の手をトワに伸ばした。
「いくよ!」
トワはその意図を理解してナユタに手を伸ばす。
ロカの傷をエーテライズで治そうというのだ。それで彼女に取り憑いていたと思われる神様もろとも消去できる。そういうことだ。
「ナユタ様……トワ様……」
ロカはうなだれたままわずかに声を上げると、エーテライズを大人しく受けた。
ナユタがゆっくりと短剣を引き抜くと血が溢れ出す。だがそれはすぐに固まって止まり、そして青いエーテルに変換され、開いた傷口を塞いでいく。
「だいじょうぶ?」
トワはその工程を終えると、膝をつき、ロカの顔を窺う。人の傷を治すためのエーテライズなどやったことがなかったので、自信がなかった。
「ええ……」
ロカは顔を上げると、静かに応えた。その瞳は赤いままだった。
「――失敗したようだな」
不意に声が聞こえてくる。
「!」
一行が一斉に声がした方向、部屋の入口を振り返ると、そこにはダァトが一人立っていた。
「――ダァト、ごめんなさい。うまくいかなかった……」
ロカは心底申し訳なさそうな声を上げ、近づいてくるダァトに謝った。
「いいさ。お前に無理をさせた俺が悪かった。それに――」
ダァトは優しい声で応えると、ロカの側に膝をついて、その身を両手で抱え上げた。
ロカも静かに微笑むと、両手をダァトの首に回し抱きつく。
その様子にトワとナユタは一安心して立ち上がる。が――
「そいつが本体だ!」
絶叫が響き渡る。入口には傷だらけのアヌビスが立っていた。
「えっ?」
「な……に?」
二人が声を上げるや否や、ダァトはロカを抱えたまま腕を振り上げる。
すると彼らの周りの空間の物質がえぐられるように消失していく。
「っ!」
ナユタは咄嗟にトワを抱えて飛び退くことでそれを避ける。
『――三年前、この兄妹は魔人族の放った竜によって殺された』
ダァトは避けられたことを気にするでもなく、淡々と話し始める。
まるで感情を感じさせないその声はケイに話しかけられるように頭の中に響き、直接刻みつけてくるような威圧感があった。
『彼らの生への執念は凄まじく、私は感動した。人の抗う心とはかくも強きものなのかと』
ダァトもロカも放心したかのように虚ろな目をしている。
「それで神の手先にしたってのかい!」
アヌビスが声を枯らして叫ぶ。
『彼らの復讐と我らの悲願が一致しただけのこと』
「――悲願?」
ナユタが尋ねる。
『そんなことも忘れたのか。人の身に堕した愚典よ』
「!」
実際何も覚えていなかった。神の目録に接続したあの時なら知り得たのだろうか。
『この世界から竜を滅ぼし、宙を取り戻す。それこそが我らが神々の悲願。そのためにこの罪人共の世界に遣わされたのだ』
「……その時、どうなるの?」
トワが一歩踏み出し、問う。
「トワ?」
ナユタの静止を無視して歩み寄るトワに、ナユタは怪訝な表情を浮かべる。
「竜がいなくなった後、人間はどうなるの?」
「!」
確か神話では人間は竜を殺すために生み出されたとなっている。ではその役割を果たした後、人間はどうなるのか。
「終末――」
全身傷だらけで息も絶え絶えなアヌビスが、苦々しく声を振り絞る。
『もちろん全て滅ぼす。この薄汚れた世界ごとな』
ダァトは至極当然のことであるように淡々と言い放つ。
「なっ……」
ナユタは絶句した。
そんなことが本当にできるのか信じ難いが、それが妄言などではないことは、記憶こそなけれど一度は世界の始まりから終わりまで見たことのあるイツカにとっては、あり得る未来に思えた。
「……はぁ」
対してトワは深くため息をついた。
身勝手な神様に呆れていた。そんなことのために世界を滅ぼされてたまるものか。
世界には数えきれないほどの人々が様々な思いを持って日々暮らしている。それは幾つもの世界を見てきたトワには痛いほどわかることだった。
そんな雑多で混沌で、だが希少で醜くも美しいこの世界を、僅かな神様のわがままで消されてたまるものか。この世界はこの世界で生きる者達のものだ。それに――
言い知れぬ怒りがトワの胸中にふつふつと湧いてくる。
「イツカくん。約束覚えてる?」
トワは振り返り、尋ねる。
「だから俺はナユ――」
ナユタは言い返そうとして息を呑む。赤く燃え上がるその瞳を見て。
そして忘れるはずもないその魂に刻まれた誓いを思い出す。
「共に生きていく!」
「うんっ!」
二人は手を繋ぎ、空いた手にそれぞれ聖典と短剣を構える。
『愚かな……だがその思いこそが幾度となく我らの悲願を妨げてきた。悍ましきかな神滅の魔女よ!』
ダァトはロカを放す。するとロカの背には再び赤い翼が広がり、その場に飛翔する。
その顔は無表情で、何の感情も見せなかった。
「これもあなたの思惑通りなの?」
対峙する彼らを見てアヌビスは足元のデューイに尋ねる。
『まさか。でもこれでこの世界の未来が決まる』
ケイは一歩も動けず、ただ見守ることしかできなかった。
そして魔女と神の世界の命運を賭けた最後の戦いは始まった。




