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抗う者達(3)

 竜空の間では、アヌビスとロカの戦いが続いていた。

 アヌビスの呼び出したエーテルキャットのネフティスが、その巨体による引っ掻きや噛みつき、尻尾の振り回し、果ては口から炎のブレスまで吐くが、ロカはそれらを全て素手でいなし、『なかったこと』にしていく。ダァトは部屋の入口で腕を組んだまま見ているだけだった。


「ああ、貴重な資料が失われていく。嘆かわしいことです」

 ロカはネフティスによって蹂躙され、焼き払われる図書の山を見て嘆く。

「終わったら全部元に戻すから問題ないわ」

 ネフティスの肩に乗ったアヌビスが苦々しく答える。

 ここにある資料は全て把握している。時間はかかるが全てエーテライズで復元することも可能だ。

「一人では大変でしょう。ご安心ください。あなたが消えても私がやっておきます」

 ロカは涼しげな顔で応える。


「……」

 アヌビスはロカの力を間近で見て、その仕組みの分析を試みる。

 ネフティスの攻撃が当たる瞬間、その身体が削り取られる感覚があった。その時一瞬見える赤いエーテル。因果を無視して対象を消失させ、別の結果に置き換える力。

 魔法などではない。間違いなく理外の力だ。おそらくマルーダの神器が関わっている。

 マルーダの神器『聖鏡』はあらゆる世界を映し出すと言われている。オルラトルの聖典が因果を司る縦の力なら、マルーダの聖鏡は世界を司る横の力だ。


 そしてそれを操るロカとは何者なのか。

 マルーダの鏡命の巫女の存在は知っていた。しかし彼女がその神の力を如何にして使っているのかがわからなかった。もし仮に彼女がナユタと同じように聖鏡が受肉した姿だとしても、その膨大な力を人の姿、記憶を保ったまま使えるのは異常だ。ナユタがその身体を保てているのは聖典としての力と記憶の大部分をケイによって切り捨てられたからだ。


「――解せない。という顔ですね」

 そんなアヌビスの思惑を見抜くかのように、ロカは不敵な笑みを浮かべて口を開く。

「見えているんですよ。あらゆる世界で起こるこの時、この場所の事象が。そして自由に選び取ることができる」

「それは……随分都合のいい力ね」

 アヌビスは聞きながら内心では信じられなかった。そんな膨大な負荷を人間の脳が耐えられるはずがない。

「あなたと今こうしてやり合うのも、幾億通りの取るに足りない世界の一つでしかない。しかしこの世界のあなただけは看過できないことをしている」

 ロカは言いながら眉をしかめる。

「……へえ。なにかしらね?」

「この世界の知識――いや記憶だけでは決して辿り着けない神への叛逆の――」


「ロカ! 気を付けろ!」

 不意にダァトが叫ぶ。

 竜空の間の入口に立っていた彼が知覚し、声を発するよりも早く、それは駆け抜けた。


「おそいよ!」

「っ!」

 ロカは辛うじてその一撃を片手で受け止める。

 その手と飛びかかってきた相手――テジャスの手の間で、火花を散らすように青と赤のエーテルがしのぎを削って吹き溢れる。


「……決壊」

 直後、竜空の間に悠々と入ってきたアパスが、開いた写本を片手に告げる。

 するとロカの足元の床が溶けるように融解し、体勢を崩す。

「くっ!」

 ロカは咄嗟にもう片方の手を床に掲げ、それを『なかったこと』にするが、その一瞬の隙をテジャスは見逃さなかった。


「ふきとべぇ!」

 拮抗する手の上に、写本を掲げた手を薙ぎ払うように重ね、着火させた。

 それは飛び散るエーテル全てに引火し、大爆発を引き起こす。

 部屋の多くの本棚が吹き飛び、散らばる図書に引火し、火の海を作り出す。


 爆発の勢いで飛び退いたテジャスは、確かな手応えを感じて、だが油断せずに次に備える。まだ終わってはいなかった。


「……今のは、効きました……ね」

 黒煙の中、黒く焼けただれた片腕をだらりと下げたロカが、ふらふらと現れる。

 その服も頭のヴェールも焼け焦げていた。

 それでもこの程度で済んだのは、咄嗟に相殺したからだった。


「間に合ったか。外は?」

 その様子をネフティスの上から満足げに見下ろしながら、アヌビスが尋ねる。

「……問題ありません。全塔の竜は取り押さえました」

 アパスがゆっくりとネフティスの横に回り込みながら答える。その視線はずっとロカを捉えたままだ。

「何回戦わされてきたと思ってんのよ。『それを忘れた』竜相手なんて雑魚よ。雑魚」

 テジャスも得意げに戦果を報告する。


「……なるほど、竜の記憶を奪ったのは失策でしたね。獣に戻った彼らでは、あなた達魔女は倒せないと」

 ロカは息も絶え絶えに、苦しそうに顔を上げると、焼けただれた左腕に右手を添える。

 するとその腕はまるで何もなかったかのように綺麗な白い肌の腕に戻る。


「不死身かよ!」

「……度し難し」

 テジャスとアパスは驚きと呆れの混じった声を上げる。

「いいえ……この世界のせいで他の多くの世界が犠牲になりました」

 ロカは苦々しく応える。その顔には汗が滲み、先程までの余裕は微塵もなかった。

「この世界では私達の勝利で終わるってことね」

 アヌビスが涼しげな顔で冷やかす。

「そうはいきません。世界の均衡を乱す邪悪なる書は、ここで絶やします」

 ロカはそう言うと、ダァトの方をちらりと見る。

「……」

 その視線に気が付いたダァトは、黙ったまま目を瞑り、長い苦慮の末、わずかに首を縦に振った。


「何かくる。気を付けろ」

 不穏な気配を感じたアヌビスが二人に警戒を促す。

 身構える二人だったが、ロカは目を瞑ると、頭を垂れ、がくりとその場に両膝をつき、そのまま前のめりに地面に倒れた。


「な、なによ!」

「……不可解」

 突然意識を失ったかのように倒れ、動かなくなったロカに二人は困惑する。

「何をする気だ!」

 アヌビスがダァトに向かって叫ぶ。

 だがその瞬間、異変が起こった。


 まるでガラスにヒビが入るような鈍い音が塔全体に響き、そして砕け散るような轟音となる。

「! 因果断絶結界グリープニルが!」

 アヌビスはその音が何を意味しているのかを瞬時に理解した。塔全体を覆う時間魔法が一瞬で解かれたのだ。


「なに……あれ?」

 テジャスが意志に反して震える手で、それを指差す。


 倒れたロカの頭上に赤い輪が、その背に幾何学模様の赤い翼が浮かび、まるでそれに引っ張られるように彼女の身体を宙に浮かばせる。

 頭も手足もだらりと下げたまま、意識はないように見えた。


「……天使……?」

 アパスがその姿を見た誰もが真っ先に思いつくその言葉を口にする。

 するとロカはゆっくりと目を開く。

 その瞳もまるで魔女のように真っ赤に染まっていた。


「――これを使うのは不本意ですが、これ以上あなた達に割ける時間はないので」

 ロカの言葉はまるで狭い回廊で発せられたかのように、不思議な残響を伴って広間に響いた。


「これが神の力? いや、しかし……」

 ロカの異形の姿にアヌビスは動揺する。その禍々しい気配は神というより魔女や魔人に近い何かに感じられた。


「――やるよ。アパス」

「……仕方ないですね」

 それはテジャスとアパスも同様で、二人はそれぞれ写本を掲げる。

 写本は浮かび上がり、鳥の形へと変化していく。

 ポレンヘイムの町で行った神の目録を開く儀式だ。塔の時間魔法が解除されたことによって、制限なしで解放することができた。

 そこまでする脅威であると二人は瞬時に判断した。後の始末は先生がどうにかしてくれるだろうと。


 だが――


「っ!」

 アパスの写本の鳥がテジャスの鳥と混じり合うよりも先に潰えて消える。

「アパス――?」

 見上げていたテジャスが視線を落とすと、その先にアパスの姿はなかった。

 いやあった。真っ赤な血に染まった両足だけが。


「いかん! 逃げろ! テジャス!」

 一瞬静止した時の中、アヌビスがいち早く声を上げる。

 ロカは無言でアパスがいた場所に向かって手をかざしていた。


「は? なんだよ――これ? は?」

 呆然とするテジャスの目の前に儀式を解かれた写本が二冊、ばさりと落ちる。

「テジャス!」

 アヌビスが再度叫ぶ。

「無駄です」

 ロカはその手をテジャスにかざす。


「チィッ!」

 テジャスはその見えない攻撃を、身を屈めてかわす。

 いやかわし切れずに肩より先の左腕が消し飛び、その後ろの壁に血の跡が飛び散る。

「っ! ざけんなよ!」

 テジャスは激痛に顔を歪めながらも、残った右手に炎天の写本を、その口に雨天の写本を咥えて、ロカを睨みつける。


「よせ! テジャス!」

 アヌビスはロカとテジャスの間に入るようにネフティスの巨大な腕を割り込ませる。

 だがその腕は空間が切り取られるように消し飛び、その断面からエーテルの青い粒子が噴き出す。

 アヌビスはその背から飛び降りながら、ネフティスをけしかける。ネフティスは怯む様子も見せずに残った片腕の爪をロカに突き立てる。


「何もかも紛いもの!」

 だがロカは声を荒らげて、その腕を消し飛ばす。

「この竜も!」

 空を掻くように手を振るい、ネフティスの全身を切り刻む。ネフティスはエーテルになって霧散する。

「この魔女も!」

 アパスがいた血溜まりを踏み抜く。血糊が飛び散る。

「その本も!」

 そしてアパスの写本を咥えたまま荒い息を吐きながら、ロカを睨みつけるテジャスを見据える。


「……先生、あとは、たのん――」

 テジャスの言葉が最後まで発せられることはなく、二冊の写本だけが折り重なるように崩れ落ちた。

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