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抗う者達(2)

 星天の間へと続く螺旋階段をトワとナユタは駆け登っていた。

「ロカさんは一体なんなの!」

 並んで走りながら、トワは前を向いたままナユタに問いかける。

「……多分、俺と、同じ――だ」

 ナユタはそれに苦虫を噛み潰したように苦悶の表情を浮かべて答える。

「ナユタ?」

 訝しむトワに、ナユタはその先の言葉を見つけることができなかった。


 時計塔図書館最上層、星天の間。

 踏み込んだ二人は目の前で繰り広げられている光景に息を呑む。


「お前達か! 手伝え!」

 ヴァーユが巨大な竜を相手に、写本を片手に稲妻を撒き散らしながら怒鳴る。

 ガラス張りの壁面は砕け、強風が吹き荒れていた。そこから竜――ネフティスが入り込んだと思われ、部屋中に踏み荒らした跡が残っている。

 ネフティスはまるで何かに操られているかのように狂乱しながら両腕を振り回していた。当たった外壁がいくつも砕け、塔を大きく揺らす。

 不思議にもこの階層には図書はなく、ただ上空には巨大な歯車が吊り下げられ、ゆっくりと回っていた。


「ヴァーユちゃん!」

 追いついたプリトヴィは部屋に入ると、すぐに写本を開き、空いた手で壁面を叩く。

 すると土の壁が一斉に広がり、砕けたガラスの穴を塞ぐ。

「ナユタ! いこう!」

 トワも参戦すべく一歩踏み出すが――

「トワ! お前は先に行け! 星天の座はあっちの部屋だ!」

 ナユタは迷うことなく広間の奥にある扉を指差す。すぐに思い出せた。あの部屋に自分は封印されていたことを。

「! わかった!」

 トワは一瞬迷うが、すぐに扉に向かって走り出した。


「お前! ちっ! 仕方ないか!」

 ヴァーユはネフティスが振り下ろす腕を掻い潜りながら舌打ちを打つ。今はこの我を失った竜を鎮めるので精一杯だった。

 タットヴァの魔女全員がかりならともかく、一人で相手取るには荷が勝ちすぎていた。

「拘束します!」

 プリトヴィが片膝をつき、地面に手を当てると、次々と土の壁がせり上がり、ネフティスを取り囲んでいく。

「合わせろ!」

 ナユタは懐から短剣を取り出して、くるりと回して逆手に持つと、空いている手に同じ短剣をエーテライズで出現させ、土壁の間を縫ってネフティスに駆け寄る。

「お前がな!」

 ヴァーユは土壁を蹴って高く飛び上がると、その巨大な腕で土壁を砕こうとするネフティスに向かって手をかざす。すると無数の雷の槍が降り注ぎ、その腕に突き刺さっていく。


 痛みで身悶え、首をもたげて高らかに咆哮するネフティスの足の上をナユタは駆け上がり、それに気付いたネフティスが振り回す腕を掻い潜り、左手に持ったエーテライズで生み出した短剣をその胸に、硬い鱗の隙間を縫うように正確に突き刺した。

 そして再び雄叫びを上げて暴れ回るネフティスの腹を蹴って飛び退き、空中で右手に持った実物の短剣に左手をかざし、意識を集中させる。

 しかしその一瞬の隙を狙って、土壁を崩したネフティスの尻尾が迫る――

 が、それは目前でヴァーユから放たれた雷の矢で弾かれる。


「おちろ!」

 ナユタが目を開き、短剣を投げつける。

 それはネフティスの左目に正確に、深々と突き刺さる。

 すると弾けるような音と共に、ネフティスの全身からエーテルの粒子が噴き出す。

「上出来だ!」

 土壁の上に着地したヴァーユが嬉しそうに指を弾く。

 今度は鎖の形をした雷が地面から一斉に立ち上り、ふらつくネフティスの全身を縛り上げていく。


「いつもこんなことしてんのかよ……」

 崩れた土壁の上に落ちて転んだナユタは、プリトヴィに手を引かれながら立ち上がる。

「うーん。こんなに暴れたことは今までなかったですねえ」

 ヴァーユの放った鎖に縛られて、力無く横たわるネフティスを見上げながら、プリトヴィは困った顔をする。

「やはり、あの親善大使が何かしたということか」

 ヴァーユはネフティスから目を離さないように警戒しながら思案する。


 ネフティスがもう動き出さないことを確認すると、ナユタはトワが向かった扉へと目を向ける。

 正直なところ自分はあそこには行きたくないのが本音だった。

「ここは俺が見てる。プリトヴィ、あの子を追ってくれ」

 そんなナユタの気持ちを看過してか、ヴァーユは冷静に指示を出す。

「はぁい。――ナユタくんは待ってる?」

 プリトヴィは逡巡するナユタに意地悪そうな顔で問いかける。


「いくよ!」

 ナユタは子供扱いされたことに憤慨して、どすどすと足を踏み鳴らして扉に向かう。

 プリトヴィはヴァーユと共にやれやれと顔を見合わせて笑うと、ナユタの後を追った。

 ――その直後。


 突然何かが砕け散るような音が響き、塔全体が激しく揺れる。

「!」

 塔が折れかねないほどの揺れに三人は足場を失い、その場にうずくまる。

「下か? いや、これは――」

「学長……」

 アヌビスの安否を気遣う二人だったが――

「トワ!」

 ナユタはいち早く立ち上がると、扉に向かって走り出した。


 何かよくないことが起こる。そんな予感がした。いや既視感だった。

 トワと出会ってから幾度となく感じてきたそれは、より確信に近づいていくのが嫌でもわかった。もう残された時は少ないと。



 ナユタ達がネフティスとの交戦を開始した頃、星天の座へと向かう扉を開いたトワは、その部屋に向かう長い廊下を歩きながら、なぜ星天の間に図書が一冊も置かれていないのか。その理由を理解した。


 この階層に保管されている貴重書は劣化を止めるために時間を止められているどころか、この空間に存在すらしないのだ。

 トワは廊下を進みながら振り返る。

 先程いた星天の間の壁は、一面オルラトルが一望できる大きなガラス張りになっていた。

 そう、そこからこんなに横に真っ直ぐ長く伸びる廊下が続いているのは、構造上おかしい。塔の途中から空に向かって道が突き出している状態だ。


 つまりあの扉を潜った瞬間から、ここは既に別の空間に入っているということだ。

 そして図書を最も安全に保管できる別空間と言えば、心当たりしかない。


「――神の目録」

 トワはこの廊下が現実世界と神の目録を繋ぐ連絡通路になっていることを理解した。

 恐るべき技術力だった。一体どれほど長い研究の末行き着いたものなのか、気が遠くなる思いだった。

 そして今この書庫を管理するのがアヌビスという事実。前世であの図書館、地下に広がる都市を作り出すことなど造作もなかったのかもしれない。


「っと、いけないいけない」

 いつものように忘我に陥りそうになるところを、必死に堪え、トワは先に進んだ。今はデューイを見つけ出すのが先だ。


 廊下の突き当たりにはまた扉があり、トワはその取手を掴む。

「!」

 その瞬間、全身を冷たい何かで撫でられるような感触があり、その手を止める。

 おそらくここから先はさらに深い階層に入ると思われた。


「えいっ!」

 意を決して扉を開くと、まるで堰き止められていた水が一斉に溢れ出したかのように、トワの身体を突き抜けていった。エーテルの海に潜るような感覚だった。


 部屋に入ると、そこは真っ暗な伽藍堂の空間で、本棚一つ、図書一つ見つからなかった。

 明かりはなかったが、漂うエーテルがぼんやりと部屋を青く照らしている。

「ここは……神の目録、ではない……?」

 てっきり前世のオルラトルのように、本棚が永遠に並ぶ場所を予想していただけに、トワは意外に感じた。


『あるわよ。全部』

 不意に声が聞こえた。

「えっ?」

 トワはきょろきょろと辺りを見回す。

 『聞こえた』というよりも『感じた』というのが正しかった。イツカと心の中で会話するような懐かしい感覚だった。


「あっ!」

 一歩踏み込むと、途端に前方に天井から吊り下げられている小さな鉄の檻が現れた。まるで突然その場にエーテライズで組み立てられたかのようだった。


『ここの本はみんなそう。エーテルのまま保管されていて、必要になった時だけ集めて結本する。エーテライズ技術発祥の地ね』

「デューイ!」

 再び声が聞こえるよりも早く、トワは鉄の檻に駆け寄り、手をかける。檻はまるで砂で出来ていたかのようにあっさりと崩れ落ち、青いエーテルとなって霧散する。


「!」

 トワは檻の中にいる黒い猫を見て小首を傾げる。自分の記憶の中にある白猫ではなく、黒い毛並みをしていた。

「……デューイ、なの?」

 この世界のデューイは黒猫。そういう可能性ももちろん考えられたが、それだけではない違和感があった。

『そうだとも言えるし、違うとも言えるわね』

 また頭の中に語りかけるように声が聞こえる。

「……ケイ、さん。ですね?」

 そしてその声の主が誰であるのかすぐわかった。目の前の猫がエーテルの薄明かりの中、ぼんやりとその赤い瞳を灯らす。

『ひさしぶり。トワちゃん。オルラトルの時計塔以来ね。って、ここもそうか』

 デューイの中のケイが笑って答える。

 トワはそのオルラトルの時計塔が、前々世で神の目録の中で出会った時のことを言っているのだと、すぐに理解した。


『私はこの世界の魔女ケイ。聖典をここから持ち出し、ナユタという身体を与えて、今は魂だけデューイの中で生きている。バステトは上手くやったようね』

 ケイは驚くトワに自己紹介をする。

「はい。それでイツカくんが――」

 トワは腰に下げた聖典を取り出し、ケイに見せる。

『イツカの魂だけを私の身体に入れたから、記憶が残ってないのよ。そういう意味ではナユタは別人とも言えるけど』

 トワはケイの説明に得心がいった。自分だってこの世界のツイとして生まれたが、その魂が前世までの記憶を思い出したことで彩咲トワの人格を取り戻した。この記憶がなければずっとツイとしてイスラと共にあの教会で暮らしていただろう。

「じゃあ、ナユタもイツカくんの記憶を取り戻せば!」

 希望を見出し、喜色の表情を浮かべるトワに、ケイは声を落として続ける。

『そう。その時はもう間近まで迫っている。でもそれは運命の分岐点でもある』

「え?」

 トワはその声音に不穏な空気を感じる。


『トワちゃん。あなたの魂にかけられた呪いのことよ』

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