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魔法学校(5)

 そして午前の授業は終わり、昼休みの時間となった。

 ロカの周りには生徒達が集まり、早速質問攻めが始まっていた。教室の外には噂を聞きつけた生徒までも群がっている。


「すごいんだなあ」

 その様子を遠巻きから弁当を頬張りながらトワは他人事のように眺めた。一国のお姫様など前世でも見たことのない存在だ。一生どころか何生かけても縁はないだろう。


「あの――」

 すっかり忘れて食事に没頭し、最後の一口を口の中に放り込もうとした時、声をかけられた。

「うん?」

 振り返るとそこには大勢の生徒達の群れを割って近づいてきていたロカが申し訳なさそうな顔で立っていた。

 遠目からはよく見えなかったその顔は、とても幼く見えた。白いヴェールから覗くグレイの髪、驚くほど白い肌、そして何よりも深い深い青い瞳が印象的だった。


「少し、お話、よろしいでしょうか?」

 ロカは恥ずかしそうに頬を少し紅く染め、トワに尋ねる。

 周りの生徒達がどよめく。トワはまだまだ新参者でタットヴァの魔女といつも連んでいることもあって、他の生徒達から距離を置かれていたので、そんな彼女に姫が何の用があるのか興味を隠せないようだった。

「えっと――」

「まちなさいよ」

 トワが応えようとすると、二人の間に即座にテジャスが入り込む。


「悪いけど、この子と話したいなら先にあたしらを通してもらわないと」

 テジャスは不敵に笑うとロカに言い放つ。アパスも無言で横に控えていた。

「――」

 ロカの控えの男が一歩踏み出す。

「ダァト! 下がって!」

 ロカは咄嗟に片手を上げ、厳しい声でダァトと呼ばれた男を制する。


「あわわ」

 トワは突然始まった剣呑な場の空気に慌てふためく。

 テジャス達は自分を監視している。それはケイ奪還のために動くのを警戒してのこともあったが、近づいてくる別の勢力から守るためでもあった。

 仕事でやっていると頭ではわかってはいても、自分のために動いてくれるのはちょっぴり嬉しい気持ちもあった。


「――失礼しました。そうですね。じゃあ、先にお相手していただきましょうか」

 ロカは再び穏やかな声音に戻ると、穏やかではない提案をする。

「……へえ。なかなか度胸あるじゃん。近東の魔法ってのを見せてもらおうじゃない」

 テジャスはびきびきと顔を引きつらせながら、笑って応えた。

「はあ……」

「――」

 アパスとダァトは一緒になってやれやれとため息をついた。



 昼休みの校庭、普段なら昼食や運動に興じる者で溢れる場が、今は物々しい雰囲気に包まれていた。

 何かと問題をよく起こす『過去なし魔女』のテジャスと、マルーダの親善大使、しかも公女であるロカ姫の魔法対決が見られると聞いて、学校中から生徒達が集まってきていた。

 教師達はもちろん止めに入ったが、ロカ自身が構わない、是非にと懇願したため、公認の力比べということになってしまった。


「せいぜい怪我しないように気を付けることね!」

 校庭の中央に屹立するテジャスが声を上げる。

「はい。お手柔らかにお願いします」

 対峙するロカは全く動じることなく、にっこりと笑いかける。

 かなり距離をとって生徒達が二人を取り囲むように見守っている。テジャスの凶暴性を知っている生徒ほど遠巻きに。


「だいじょうぶかな……」

 生徒達の最前列で見守るトワが心配する。テジャスの力を嫌というほど受けた身としては、並大抵の魔術師で対処できるとは思えなかった。

「いざとなったら止めます」

 隣に立つアパスが小声で呟く。テジャスの暴走を止めるのはいつものことだった。

「その心配はないんじゃないかな」

 話を聞きつけ見に来たヴァーユがロカの後方に視線を飛ばす。そこにはダァトが腕を組んで立っていた。慌てる様子もなく無表情でロカを見つめている。

「あの人も只者じゃなさそうですしねえ」

 プリトヴィがあらあらと困り顔をしながら評する。その目は笑っていなかった。


「じゃあ、手始めに!」

 テジャスは左手で炎天の写本を開き、空いた右手を頭上に掲げる。

 その手に小さな火が灯り、それは辺りのエーテルを巻き込みながら赤く燃え上がり、どんどん大きな火球へと変化していく。


「あれは――」

 トワはそれを見て、初めてテジャスと会った時のことを思い出す。あの時使った魔法だ。しかもその時より炎の大きさも密度も上がっているように見える。最初に放つには強力すぎる。


「おい! テジャス!」

 同じくその危険性を察知した教師の一人が叫ぶ。

「――かまいません」

 しかし、ロカが手を上げ、教師を制する。

 そしてテジャスの左手の上で浮かび、頁が次々とめくられる写本を見て、眉をひそめる。

「――神の威光を汚す忌むべき呪具。やはりここで作られていましたか」


「消し飛べ!」

 テジャスは右手を振り下ろす。巨大に膨れ上がっていた火球がゆっくりとロカに向かって落ちていく。

「あぶない!」

 教師や生徒達の誰もがそう思い、叫び、一斉にその場から逃げ出す。

 だがロカは微動だにせず、降りかかる火球を見上げ、忌々しく睨みつける。

「理外の力によって生み出されたものに、理で対する必要はないですね」

 そして片手を振り上げ、迫り来る火球をまるで受け止めるつもりかのように、待ち構える。


「!」

 誰もが惨事を予感する中、奇跡は起こった。

 火球はロカの手に触れると、周りに舞う火の粉と共に、まるで最初から幻であったかのように立ち消えていった。


「幻術……だった?」

 静まり返る場の中、生徒の一人が声を上げ、他の生徒達もこれが最初から仕込まれていた見せ物だったことを悟り、安堵の声を上げ始める。

「……」

 だがそれが幻術などではなかったことは、教師達はもちろん、テジャス本人が一番わかっていた。


「何が起こったの?」

 それはトワも同じで、どうやってあの強力な火球を消したのかわからなかった。

 あれだけの質量の物質を跡形もなく消し去った。エーテライズで変換、分解した気配すらなかった。見た通り立ち消えた。

「――神の御業……」

 ヴァーユがやはり信じられないといった顔で呟く。

「マルーダの一部の皇族のみが使える力と聞きます。私達のエーテル魔法とは根本的に原理が違うらしいですけど、本当に何が起こったのかわかんないですねえ」

 プリトヴィも目を丸くして驚いている。


 幻術だと誤解した生徒達から喝采と共に、道化と化したテジャスへの野次が飛ぶ。

「ちっ、そんなわけないでしょ!」

 周りを見回し激昂したテジャスは、再び火球を作り出すべく手を振り上げる。今度は手加減抜きだ。


「――あなたが消えても別に悲しむ人はいませんよね?」

「!」

 いつの間にか目の前まで迫っていたロカが、全く感情を感じさせない冷徹な声で、テジャスにだけ聞こえるように囁く。

「あなたは既にこの世界の人間ではない異物。消えてもみんなすぐ忘れます」

「っ!」

 そしてテジャスの、タットヴァの写本達の正体を看破する。教師達すら知る者はほとんどいないその秘密を来たばかりのこの少女は見抜いた。


「あなた達はいずれ神に仇なす存在になり得ます。ここで消えてもらいます」

 ロカがテジャスの胸元に手を伸ばす。

「くっ――」

 テジャスは全く身体が動かなかった。ロカのその青い瞳を見た瞬間、まるで全身に針糸を縫い付けられたかのようだった。


 だが、その手が届くことはなかった。

 ロカの手首をがっしりとと掴んで止める手があった。

「やめてくださいっ!」

 トワが必死の形相で叫ぶ。

 何かよからぬことが起こる。そんな予感がして咄嗟に身体が動いた。

「お前っ……!」

 テジャスが驚きの声を上げる。もし止められていなかったら、本当に消されていた。その事実が心胆を寒からしめた。

「トワさん! 後ろ!」

 不意にプリトヴィが呼びかける。

「えっ?」

 ロカの腕を掴んだままトワは振り返ると、そこにはダァトが無表情のまま剣を振り上げていた。


「よしなさい。ダァト」

 しかしロカがそれを制する。その目はもう先程教室で見せた優しいものに戻っていた。

「――」

 ダァトは不承不承といった様子で剣を鞘に納め、トワを冷たい目で見下した。

 一国の姫に手を出そうとしたのだから、警戒されて当然ではあった。


「あっ! すいませんっ」

 それに気が付いたトワは、慌てて手を離す。

「いいえ、私もちょっとおふざけが過ぎましたね。ごめんなさい」

 ロカはそう言って、テジャスに頭を下げる。

「……」

 テジャスはどの口が言うのかといった顔で、怒りに震え、だが写本を閉じて踵を返す。これ以上関わるべきではない。そう本能が訴えかけていた。


 トワ達の一悶着を恐れ慄きながら遠巻きに見ていた生徒達は、テジャスが離れるのを見て、これで終わりだと悟り、一斉にロカの元に集まり始め、賞賛から質問責めへと移行した。ロカは笑顔でその一つ一つに答え始めた。


 対してトワはその人混みに揉まれて輪の外に弾き出される。

「あっ……」

 その時、一瞬だけロカと目が合った。彼女はにっこりと笑い、トワにだけ伝わるように声を出さずに口を動かした。


「ま・た・ね」


 ――と。

 トワはその場に呆然と立ち尽くした。

 ロカのその深く輝く瞳に魅入られた。

 これが人の上に立つ者の持って生まれた魅力なのだろうか。そう感じさせるほどの何かがあるように思えた。

 同時にどこか懐かしさも感じていた。

 それが何なのかわからないまま、その日はもうロカに近づくことはできなかった。

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