魔法学校(4)
「学校は慣れたかい?」
トワの対面に座ったアリーチェが尋ねる。
「はい。どうにか」
トワは食事の手を止め、背筋を伸ばして答える。この緊張感も館長、もとい店長ならではだ。
「――しかし、あの赤ん坊がこんなに大きくなって帰ってくるなんてね」
アリーチェはテーブルに頬杖をついてしみじみとした声で、目を細める。
彼女はケイとバステトとは古い馴染みで、元々は南方の大陸で暮らしていたが、学生の頃ケイとバステトが魔女の力に目覚め、オルラトルを目指すことになり、その旅に同行した。そして今ではこの町で酒場を営むまでになったという。
「あいつが見たら咽び泣くだろうよ」
アリーチェは笑いながら皿の上のフライドポテトをつまみ食いする。
あいつとはトワの父エイベルのことである。元々は西方の強国の騎士団長で、オルラトルへの侵攻軍を指揮していたが、バステトと出会い恋に落ち、軍を抜け、彼女の塔士になったという。
トワにとっては非常に気になる話だったが、バステトは話したがらず、アリーチェから初めて聞かされて驚いたものだった。
なおエイベルは塔士としても有能で、今は海外遠征中で不在である。
「あの子も元気かい?」
アリーチェは思い出したように尋ねる。
「え? あ、はい。まあ……」
あの子とはナユタのことだ。今日先輩と決闘して負けて意気消沈している。などとは言えなかった。
「どうもあの子を見てると心配でね。ケイに似てるからかねえ」
「ははっ」
ナユタの事情をアリーチェは知らない。そもそもケイとバステトが塔の魔女としてどんな仕事をしていたか、そこまで知っているわけではなかった。それは門外不出な情報がほとんどなこともあったが、二人がアリーチェを巻き込まないために黙っていたためでもあった。
しかし結果としてそんなアリーチェのおかげで九年前は町から出ることができた。
「で、ケイの探索は進んでるのかい?」
アリーチェは声を潜めて、トワに顔を近づける。
「……」
トワは答えに窮した。今のところ数ヶ月先の時計塔の閲覧予約日まで、何も行動できないのが現実だった。
「この九年間、ケイが逃げ出したって話は聞かなかったね」
アリーチェは黙るトワに問いかける。
酒場を経営している都合、そういった噂話には事欠かなかった。ケイは町の人々からも一目置かれる存在であったため、九年前失踪した後には、それなりに噂は流れた。
「そのくらいからかな。曰く付きの魔女達が失踪する噂が出始めたのは。ケイもそれに巻き込まれたとみんな思ってた」
「それは――」
おそらくタットヴァの写本計画のことだろう。
聖典を失い、その代替、或いは聖典そのものの奪還、再封印のために用意された魔女達。
代償として世界との繋がりを失った過去なし魔女。
そこまでするほどの価値がこの聖典にはあるということだ。
トワは腰の赤い本を撫でながら思案する。未だにイツカも聖典の声も聞こえてこない。
「それは間違いないよ。ケイはあの塔にいる」
「あっ、お母さん」
いつの間にか店内に入っていたバステトが、深々と頭に下げていたフードを拭い、アリーチェの隣に座る。
「わかるのかい?」
アリーチェはチキンの乗った大皿をバステトに寄せながら尋ねる。
「ええ。私のエーテルキャットだからね」
バステトは小さなチキンをひとつまみしながら答える。
ケイが猫の姿になっていることはアリーチェには話していない。話しても信じるか疑問だったし、余計な心配をかけたくなかった。
「あの猫を見ないのは塔を探らせてるのか」
アリーチェもそう誤解し、納得した。
「しばらくは動けそうもない。塔の警備がいつにも増して厳重になってる」
バステトはここ数日間調べ歩いた結果を述べる。
「どうして? わたしたちがいるから?」
トワ達の動向は監視役のタットヴァの魔女達に筒抜けだ。警戒して当然ではあった。
「それもあるかもだけど、どうも違うみたい」
「ああ、マルーダ公国の国際親善が近いらしいね。噂になってる」
「まるーだこうこく?」
トワが唐突な話題にきょとんとする。
マルーダ公国とは北大陸よりも遥か南東に位置する国で、独自の文化圏を持っている。北の三大国家ともオルラトルとも特に親交があるわけではなく、大きな戦争になったこともない。
そのマルーダ公国の親善大使の一団が近い内に来訪するらしく、オルラトルの各地の視察の中に時計塔図書館の見学が含まれていた。
「なんでそんな遠い国が見にくるの?」
「マルーダの特徴として独自の魔法体系を発展させていることがある。お互いの技術交流が目的ね。表立っては――」
バステトは含みのある言い方をする。おそらくそれだけではないことは塔の警備の厳重さから察せられた。
「リコポリス校の視察もあったと思うから、もしかしたら見られるかもね」
アリーチェが店の噂話から得た情報を付け足す。
「ふーん」
トワはそれを聞いて、時計塔図書館の資料にそこまでの価値があることに驚いた。そして同時にそれを優先的に見ることを許された親善大使に嫉妬した。
「マルーダ公国より来ましたロカと申します。みなさま本日はよろしくおねがいいたします」
白いジャンパースカートに大きなヴェールのようなフードを頭に冠った少女が、両手を下腹部に重ねて小さくお辞儀をする。
トワがアリーチェの店で話した翌週、学校の朝の授業開始と同時に、その一団は教室に入ってきた。
「ロカって――!」
「まさか、お姫さま?」
「え? 本物? 聖女って言われてる? あの?」
生徒達が一斉にざわめく。親善大使が学校を見学することは事前に知らされていたが、それが誰なのかまでは知らされていなかった。
「お前達、静かに!」
教師が騒ぎ出す生徒達を慌てて嗜める。
「有名なの?」
トワが隣に座るテジャスに尋ねる。
「さあ?」
テジャスは興味なさげに応えるが、その目は一部の隙もなく公女及びその一団、特に公女のすぐ側に控える長身痩躯の男を睨みつけていた。
「天才――と言われるほどの魔術師だと聞いています。マルーダの魔法は私達の使うエーテル魔法とは違う原理を持っているようですが、それで数々の奇跡を起こし、私達とそう変わらない歳で聖女とまで呼ばれているとか」
隣のアパスが代わりに応える。やはりその目は一団に釘付けのままだ。
「――お忍びなので、姫というのは秘密でおねがいしますね」
ロカは指先を口に当てて小声で囁く。その仕草は年相応の幼い少女に見えた。沸き立つ生徒達は一瞬で魅了された。さすが一国の姫のカリスマといったところか。
その後授業は開始され、親善大使の一団の大半は教室を出ていき、ロカと長身痩躯の男だけが残り、授業を見学していた。
授業中、浮き足立つ生徒達を何度も教師は注意しながら、ロカも問題をいくつも解いた。エーテル魔法の理解も知識も十分で、教師を驚かせた。




