魔法学校(1)
吾輩は猫である。
名はデューイ。主殿である魔女によって名付けられた。
生まれはオルラトル。親の顔は覚えていない。気が付けば主殿の家にいた。
この町は寒く、家の中には絶えず暖炉の火が灯っている。
その前に丸くなり、椅子に座り本を読む主殿に見守られながらまどろむのが、吾輩の至福の時である。
そして小腹が空く頃になると主殿が食べ物を用意してくれる。うむ苦しゅうない。
だが好物の魚が出てくることは滅多にない。湖の魚は貴重だからだ。
ここでの暮らしには満足しているが、それだけが不満である。いや不満があるということはその見返りの幸福が未来にあるということだ。それも一興か。
さて今日ものんびり何をしようか。ちょっと寒いがお外を散歩しようか。
それとも――
――いけない、いけない。
また記憶の海に思考を持ってかれるところだった。
デューイの身体に入ってから、ずっとこれである。
わかっていてやったことではあるが、こうも魂とは肉体に縛られるものとは予想だにしていなかった。
ちょっと頭を使えばすぐ眠くなり、眠りから醒めれば今度はお腹が空いて何も考えられなくなる。満腹になればやはり眠くなる。動物の身体とはかくも不便なり。
だがこの身体になってわかったこともあった。
あの憎き世界を出し抜く方法だ。
人は死ぬとその魂はエーテルの海へと還り、再生の時を待つ。その循環から外れ、世界に在り続ける方法。もちろん仮定でしかなかったが、試す価値はあった。
しかしこのことをアヌビスに知られるのはまずい。いや聖典に触れたことのある彼女ももう気付いているのかもしれない。
だがこうしてトワちゃんを助けることができた。いや助けられるかはこれからだ。全てはイツカ――いやナユタの手にかかっている。
けど心配はしていない。
何故ならわたしは見ているからだ。あの神の目録で二人が手を取り並び立つ姿を。
「ニャア」
暗がりの中、鉄の檻に閉じ込められた一匹の猫が、その瞳を赤く灯らせながら小さく鳴いた。
オルラトル第三魔警団の塔、上層のテラスから一匹の竜が飛び立ち、塔の周りを旋回した後、町の上空を悠々と飛び回りながら甲高い鳴き声を上げた。その声音は久しぶりの外出を喜んでいるかのようだった。
町の人々はそれをさほど驚く様子もなく見上げ、すぐに各々の日常に戻っていく。
このオルラトルの町では珍しい光景ではなかった。
世界各国が竜との戦いに明け暮れる中、この町の竜達は守護竜として塔を、町を守っている。それは古より続く魔女と竜との契約の賜物と言われている。
「あれが三番塔の竜――」
そんな竜を見上げるトワももうすっかり慣れた様子で、特に驚くでもなく吹き抜けの渡り廊下から次の授業の教室へと移動した。
トワ達がオルラトルの町に来てから既に二ヶ月が経っていた。
バステトの案内で、彼女の知人と出会い、しばらくその家に滞在して情報収集をすることになった。
その間タットヴァの魔女やアヌビスからの襲撃などなく、それどころかテジャスとアパスを通じて、トワとナユタの魔法学校への入学案内が届けられた。
怪しむ一行だったが、トワにはアヌビスの意図が手に取るようにわかった。この町を、魔女達の実情をその目で見てほしい。ということだ。
一週間の準備の後、入学試験が行われ、二人とも無事合格した。
国立リコポリス魔法学校は七番塔直轄の魔法学校で、アヌビスが学長を務めている。オルラトルにはこのようにいくつもの魔法学校があり、その専攻も様々だ。
七番塔の時計塔図書館に属するこの学校では、魔法司書の専攻課程が履修できる。年次はなく生徒それぞれが必要課程を修了し、適した職種を見つけ次第卒業、あるいは働きながら学費を払い続けて在籍し続ける者も少なくない。それだけこの学校で得られるものは計り知れないのだ。
テジャスらタッドヴァの魔女達もアヌビスの塔士として時計塔図書館の業務をしながら、日中はリコポリス校に通っている。
「つまりあたし達はエリートってわけ!」
放課後の教室。生徒もまばらな中、テジャスが最前列の机の上に座りながら息巻く。
「そうなんだ」
隣の席に座るトワが興味深げに頷く。
教室は前世の大学の教室を思わせる形で、教壇と黒板を見下ろすように長机と座席が階段上に並んでいる。
「エリートもぴんきりですが」
授業中に教師が使った黒板を綺麗に掃除しながらアパスが応える。
「その色付きケープはそれで決まるんだ?」
トワは二人の赤と青のケープを見ながら尋ねる。
三人共黒字の学生服を着ていて、トワは他の大多数の生徒と同じ黒いケープを上から羽織っているが、学内でもたまに違う色のケープを付けている生徒を見る。
トワはこのいかにも魔女っぽい制服を非常に気に入っていた。どことなく日本の高校のセーラー服を思わせるのはアヌビスの仕業なのかはわかりかねたが、これを着るだけでも入学した価値があったと満足してしまいそうなのは、彼女の狙い通りなのではと悔しい気持ちもあった。
「(……ほら、あれ)」
「(調整魔女でしょ? じゃああの新しく来た子も……?)」
教室の後ろの方から女生徒達の囁き声が聞こえてくる。
「あん?」
テジャスが机の上で立ち上がって、女生徒達に睨みを効かす。
「ひい!」
「こわいこわい!」
女生徒達は蜘蛛の子を散らすように教室から出ていく。
「ここの生徒は比較的裕福な家の者が多いですからね。私達のような過去なし魔女を白い目で見る者も少なくありません」
教壇から降りたアパスがテジャスの頭を手でぽんと叩きながら呆れ声を上げる。しかしその声にはわずかに怒気がこもっていた。
過去なし魔女――
神滅の魔女にしか扱えない神の目録の写本と、それに適合できる魔女を人工的に調整して生み出すタットヴァの写本計画。
テジャス達はそのために集められた魔女で、写本を扱える代償に過去を失った。
トワもそのことは以前二人の記憶を見た時に知っていた。
「でもでも! この学校では有名人なんだよね! それは過去なしなんかじゃないよ!」
教室の中に漂い始めた険悪な空気を破るように、トワが力説する。
「……あ。そっ、そうよ! エリートなんだから!」
一瞬ぽかんと口を開けて呆然としたテジャスは、すぐに調子を取り戻して高笑いをする。
「まったく……本当に調子が狂う人ですね」
アパスも呆れながらも、恥ずかしそうにわずかに顔を紅くして笑う。
「すばらしい! もう仲良しさんになったのね!」
そこへ突然教室の戸を開け入ってきた一人の女生徒が、三人を両手で強引に抱き寄せた。
「わわわっ?」
「ちょっと! プリトねえ!」
「苦しいです……」
「あらあら! ごめんなさい! お姉さん嬉しくて!」
その女生徒は慌てて両手を離して三人を解放すると、おどけて謝る。
「えっと――?」
トワは驚いて目をぱちくりさせる。まだ頬に押しつけられたやわらかい胸の感触と、甘い匂いが残っていた。
「あっ、自己紹介ね! 私はタットヴァの土天のプリトヴィ! 二人のお姉さんでっす!」
女生徒――プリトヴィはわざとらしく敬礼して名乗る。
高い身長にふくよかな身体、制服の上に羽織られたケープはふわっとした髪と同じ栗色だった。
「プリトねえよ」
「私達と同じタットヴァの魔女です」
二人はお姉さんと名乗られて満更でもない心地がしつつも、恥ずかしくてそっけなく紹介した。
「あらあら恥ずかしがっちゃってえ」
それを目ざとく察したプリトヴィは、笑いながら二人の頭を撫でるが嫌そうな顔をされる。
「トワですっ! よろしくおねがいしますっ!」
そんな一行を見てトワは意を決して名乗りを上げる。
「はいはいー聞いてますよお。こんな可愛い子だったんですねえ」
プリトヴィは嬉しそうにトワを再び抱きしめる。
「もがが」
その胸の中で、トワは苦しそうに息を吐いた。不思議な気持ちにさせるお姉さんだった。




